Absolute Immortal Dan Kroto
「...最期まで、君は生徒の為に身を捧げるというのか?」
黒い鎧を纏った戦士───仮面ライダーゲンム・無双ゲーマーの問い掛けに、“先生”は沈黙を貫く。
崩れ行く“アトラ・ハシースの箱舟”に取り残された男二人。
脱出用のシーケンスは“もう1人のシロコ”に使い、残されたのは一人分。
助かるのは、どちらか一方。
どう足掻いても一人は犠牲になる必要がある、最悪の状況と成り果てていた。
先生は箱の画面を操作し、脱出用シーケンスの対象にゲンムを選択しようとする。
「...生徒たちを、よろしく」
色彩の傀儡(ゾンビ)と成り果てた未来の自分、その最期の言葉を反芻するように呟きながら、画面の決定パネルへ震える人差し指を添えた。
然し、そのコマンドが実行されることは終ぞ無かった。
シッテムの箱から脱出シーケンス発動のパネルが消え、戦闘終了を表す「VICTORY」の七文字だけが輝いていた。
“...!?”
慌てて視線を移すと、犯人はすぐに見つかった。
「...お探しの物は、これだろう?」
いつの間にか変身を解いていたゲンム───檀黎斗の手に収められた小さな端末、バグヴァイザー。
その画面には、シッテムの箱によく似た構成の表示が映されていた。
それを見るに、恐らく作動している。
最期の脱出シーケンスを檀黎斗に奪われ、起動されてしまったのだろう。
“...黎斗先生。”
“どういう事?”
「以前アリスを巡る騒動が勃発した時、AMASのシステムやヴェリタスのサーバーに色々と仕込ませて貰ってね。まんまと調月リオの用意した脱出シーケンスを掠め取る事が出来た」
“...そっか。”
“大丈夫だよ。黎斗先生は、脱出して。”
半ば呆れながら、先生は小さく溜息を吐いて言葉を返す。
元々自分の命ではなく、黎斗を助けるつもりだったのだ。
この期に及んで裏切られたのは心外ではあったが、それで彼が助かるならば良い。
彼に背中を向け、一人きりになるのを待つ。
然し、脱出シーケンスの光が包み込んだのは黎斗ではなく───先生であった。
“......!?”
“黎斗、これは...!?”
「見ての通り。シーケンスを使うべきは私ではなく...君だ。先生」
“.........え?”
予想外の展開と返答に、一瞬思考がフリーズする。
どうにか頭と身体を奮い立たせ、彼は黎斗へ詰め寄った。
“どうして....”
“どうして、私を...!?”
「ここで脱出の切り札を切るべき相手は間違いなく君だろう。私は変身して耐える事が出来るかもしれないが、君にそんなシステムは無い。その上、身体は豆腐の様に脆い」
“だからって...!”
尚も食い下がろうとする先生に、彼は質問を投げ掛けた。
「...時に◾︎◾︎。物語の主人公とは、どういった定義で決められると思う?」
黎斗が口にした名前は先生という役職名ではなく、先生の本名。
何故そんな呼び方を。そんな疑問が脳裏を過ぎりながらも、先生は質問を遮って解決策を見出そうと試みた。
“今はそんな事を話している場合じゃ───”
「答えてくれ、◾︎◾︎。最期の会話だと思って」
日常的に見せてきた傲岸不遜な態度とも、ビジネスの為に紳士の仮面を被った時とも違う。
普段の彼を知る者に焦りすら感じさせる、酷く穏やかな声で黎斗は頼んだ。
“...分からない。”
“強いて言うなら、優しい人かな。”
「...そうだな。それも答えの一つかもしれない。しかし◾︎◾︎、私はこう考えている。主人公の定義は───」
“.........?”
「...奇跡を起こす者かどうか、という事だ。それも宝クジに毎回一等当たる等という、ありふれた現象ではない。世界の根底を覆し、世界の仕組みや在り方、不変の真理すらも変え得る奇跡だ」
“それが、何だって言うの?”
まるで今生の別れでもするかの様な会話。
押し寄せる焦燥と不安を掻き消そうと、先生は黎斗へ言葉を返した。
「...幻夢無双のゲーム内容を覚えているかい?」
“...自身が主人公となり天下統一を果たす。”
“栄光のエンディングを迎える、究極の人生ゲーム。”
「...そう。その力を生み出し、使役する私こそが、この世界の主人公だと思っていた」
光に包まれた先生の体が、僅かに透け始める。
その光に、黎斗は一歩一歩噛み締めるようにゆっくりと近付いていった。
「...だが、そうではなかったらしい」
“......え?”
「君は凡百障害を乗り越え、エデン条約の在り方を上書きし、今───色彩の嚮導者すらも打ち倒した」
“......何が、言いたいの?”
「この世界の主人公は私ではなく...君だった、という訳さ」
“.........!?”
「脇役の犠牲を乗り越え、主人公は元居た日常へ回帰する。よくある話だろう?」
スプリンクラーか何かが誤作動を起こしたのか、ナラム・シンの玉座に雨の様な水滴が降り注ぎ始める。
普段の彼からは想像もつかない、弱気なセリフ。
自身に渦巻く遣る瀬無さと無力感に打ちひしがれながら、ぎりりと下唇を噛み締めた。
“...ゲーム開発部はどうするの。”
“モモイに、ミドリに、アリスに、ユズ。”
“皆、貴方を待ってる。”
「済まなかったと、伝えておいてくれ」
“...サオリは?”
“やっと...やっと、居場所を見つけられたのに。”
「...そうだな。彼女にも、済まなかったと伝えて───」
“ふざけないで!!”
“確かに貴方は性格も言動も最悪だし、ゲーム開発に対してストイック過ぎだし、はっきり言って色々酷い人間だけど!!”
“それでも、あの子達は貴方を慕ってるんだ!!”
“そんな生徒に何も告げず、黙って逝くなんて許さない!!”
声を荒らげながら、先生は黎斗の胸倉を掴んだ。
その姿を見ても、彼は弱々しく笑うのみ。
そこに神を僭称する不敵な男は無く、ただ一人の人間がいるだけだった。
「...これは、主人公が持つべき物だ」
黎斗は胸倉を掴む先生の手を解きながら、彼の手にずしりとした金属の塊を乗せる。
それは彼の最強形態に変身する為の端末───幻夢無双ガシャット。
“そんな....!!”
“まだ、まだ何か策が──!!”
食い下がる先生の言葉も虚しく、彼の体は脱出シーケンスによって転送されていく。
視界に映る徐々に黎斗の背中が白く薄れていき、思わず其方に向かって手を伸ばす。
───然し、無情にも転送は成功してしまった。
数秒後に映ったのは、荒野で恩師の帰還を喜ぶ生徒の数々。
「先生!ご無事でしたか...!」
彼に駆け寄る生徒──七神リンの言葉にも反応せず、先生は膝をついて項垂れた。
「先生...?先生、大丈夫ですか!?」
“......。”
“黎斗が......。”
奇跡は、起きなかった。
輝く流星の如き光が、空を駆けることはない。
そしてキヴォトスは救われ、脅威は去り、一人の大人は帰らなかった。
1週間後。
電灯も点いていない、ゲーム開発部の部室。
部室の端に据え置かれた、悪趣味な「神」という文字を装飾した椅子。
その席に座る者は、もうこの世に居ない。
座すべき王を失った空の玉座。其れ近くで見つめる者が在った。
錠前サオリ。
アリウススクワッドのリーダーだった彼女は、 縁あって幻夢無双コーポレーションの平社員として檀黎斗の下で働いていた。
今や彼女の中で、檀黎斗という男はシャーレの先生やスクワッドの面々に引けを取らないほど大きな存在となっていた。
「...社長、先生」
誰に呼び掛けるでもなく、ぽつりと彼を示す呼称を口にする。
緩慢な動作で右手を伸ばし、彼がいつも座っていた椅子の背凭れに触れた。
───冷たい。
そこに彼の存在の残滓を感じ取る事は出来ず、サオリはがくりと膝を着いて頽れた。
脳内で、彼やゲーム開発部との思い出がリフレインする。
ゲームの楽しさを教えてくれた事、他人と「遊ぶ」事の楽しさを教えてくれた事。
皆でバカみたいな騒動を引き起こして怒られたり、逆に巻き込まれたり。
そんな思い出が走馬灯のように瞼の裏を駆け抜け、消えていく。
「せん、せい...」
会いたい、会いたい、逢いたい。
もう二度と叶わない願いが、嗚咽となって喉や目元から零れ落ちていく。
彼の訃報を聞いてから、何度も何度も泣いた。
身体中の水分が涙に変わったのかと思う程、泣き明かした。
それでも涙は枯れることなく、渾々と頬を濡らした。
彼女の脳裏に去来したのは、頭の片隅に追いやっていた筈の忌まわしき存在───ベアトリーチェの言葉。
Vanitas vanitatum et omnia vanitas.
《全ては虚しい。どこまで行っても、全てはただ虚しいものだ。》
漸く、漸く彼女の支配から逃れて自分の道を歩み出したというのに。
また、一寸先も分からない虚ろな暗闇に引き戻されてしまった。
「.....私は、もう...」
いつの間にか地面に落ちていた愛銃へ手を伸ばし、その銃口をゆっくりと自分へ向けていく。
思考力の落ちた頭は、心に巣食う希死念慮(デストルドー)の赴くままに身体を動かしていた。
────その時。
部室の中に、けたたましいサイレンの様な音が鳴り響き始めた。
「......ッ!?」
訓練された彼女の思考は、頭靄の掛かった思考を打ち払ってすぐさま警戒するように身体へ命令を下す。
「この音は、一体...!?」
愛銃を構えて辺りを見回すと、音の原因はすぐに分かった。
部室の中心。少し開けた場所に、明らかに異質な物が在った。
自身が入室した時には無かった、紫色の大きな土管だ。
「......土管?」
その土管の中を確認する為、用心深く徐々に距離を詰めていく。
もうすぐ土管の中を覗く事が出来る、といった距離に差し掛かった瞬間。
「フゥッ!!!」
「な...ッ!?」
土管の中から、妙な掛け声と共に黒い影が飛び出した。
反射的に後ろへ飛び退りながら、銃口を影へと向ける。
その瞬間、サオリの動きが時間を凍りつく様に静止した。
それもその筈。
土管から飛び出してきた者の正体は───
死んだはずの、檀黎斗だったからだ。
「...フ、フフフ......!!やはり...やはり私の才能に不可能は無かった...!!」
「...社長、先生...?」
口角を三日月の様に吊り上げて笑う黎斗を見ながら、呆然としたまま動かないサオリ。
彼女の存在に気付いたのか、彼は振り返って何ともないような調子で声を掛けた。
「ああ、君か。...って、その顔はどうしたんだ。まるで鳩が豆鉄砲でも食らったような...」
「だって、先生は...その...死んで......」
途切れ途切れで言葉を紡ぐサオリに、何かを察したのか口角を更に吊り上げて黎斗は言葉を返した。
「成程...多方、世間では私が死んだとでも報道されたんだろう。だが甘かったな、私と私の才能は不滅ッ!!たった一度の死ごときが、私の才能の旅を阻む事など出来はしなァい!!」
高らかに宣言しながら、彼は懐から水色のガシャットを取り出す。
そのグリップ部分には、ブロック状のポリゴンと共に「Mineral Craft」と表記されていた。
「何故私がここに来たのか分からない、とでも言いたいんだろう?私は死の間際、一部機能を回復させたゴッドマキシマムマイティXガシャットを起動し、1つのガシャットを作り上げた。それがこのミネラルクラフトガシャットだ。これはゼビウスやギャラクシアンの様に他社のゲームをガシャットに移植したガシャットであり、ゲーム内容は地球の10倍もの面積を有する世界を気ままに旅するサンドボックスゲーム!他社のゲームに縋る事は気が進まなかったが、ここでミネラルクラフトを選択出来たのは私の知識と才能故だろう。そしてこのガシャットはゲームの内容を反映し、使用者のライフがゼロになった時、自動的に使用者を初期スポーン地点にリスポーンさせる機能を搭載してある。故に私は方舟の爆発から逃れ、この地上に戻ってきた訳だ。だが突貫工事で作ったガシャットだった為か、初期スポーン地点の幻夢無双本社ではなくアビドス砂漠に飛ばされてしまってね。他のガシャットも爆発の衝撃で一部故障して、移動もままならなかった。そこで更に私は考えた。ミネラルクラフトのテクニックの一つ...ネバーワープを利用した訳だ。然しこれは数個の黒曜石をダイヤモンドのツルハシで採掘する必要が───」
長時間息継ぎもろくにせず、べらべらと話を続ける黎斗。
そんな彼を見たサオリは、少しだけ目を伏せながら近付き始めた。
「...とまぁ、私はミネラルクラフトのゲームエリア内でネバーゲートを作るために鉄鉱石で作られた装備に身を包んでダイヤモンドの捜索に出た訳だ。しかし、不幸な事にどれだけ掘っても黒曜石ダイヤもゲームエリア内に見つからなかった。故に止むを得ずゴッドマキシマムマイティXの力で、チートコマンドを利用して───ッ!?」
舌が縺れる事もなく話を続ける黎斗の話を、乾いた音が遮った。
サオリが、黎斗の頬を思い切り張り飛ばしたのである。
「何をする!これから私の壮大な生還劇が幕を開け......」
抗議しようとした黎斗の視界に、俯いたサオリの姿があった。
その顔は帽子の鍔で隠れていた。しかし先程平手打ちをした際にズレたのか、少しずつ頭に被っていたキャップがずり落ちていく。
数秒後。ぱさりという小さな音と共に、地面に帽子が完全に落ち、彼女の顔が顕になる。
帽子の鍔で隠れていた彼女の顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
「...怖かった...怖かった...先生が、しんで、いなくなったって聞いて、私は」
「...あ...いや、すまない。誤解だ。私は君を不快にさせるつもりは──」
少し慌てながら、サオリの下へ駆け寄る黎斗。その瞬間、黎斗の胸元に彼女が勢いよく飛び込んだ。
彼の身体は不可抗力によって押され、地面に尻を着く。
それと同時に、彼の胸に飛び込んだサオリは堰を切ったように泣き声を上げ始めた。
「う...ぅあぁぁああぁぁ...!!」
外面も何も無い、まるで幼稚園で初めて親と引き離された子供の様な泣き声。
はらはらと大粒の涙を溢れさせて胸に縋り付くサオリを見ながら、手持ち無沙汰になった右手を彼女の背中に回す───ことはなく、溜息を吐きながら頬を軽く指で掻いた。
「...このエンディングは、流石に想定外だ」
小さく独り言ちながら天を仰ぐ黎斗。
唯一の救いは、これが二人きりという点だろうか。
もしこの状況を他の者に見られていたら、一巻の終わりだ。
それが先生のような大人か、ゲーム開発部員か、サオリの顔馴染みであった場合には目も当てられない事態になる。
黎斗は胸に縋り付き続けるサオリの髪を指先で弄びながら、軽く視線を動かした。
───そして、彼は絶望した。
視線の向かう先、部室の出入口付近や硝子窓から此方を見ている幾つかの人影を捉えた。
その正体は先生とゲーム開発部員、加えてアリウススクワッドの面々。
一番見られたくない状況を、一番見られたくない時に、一番見られたくない輩共に目撃されたのだ。
「.........」
さっと顔面から血の気──否、オイルの気が引いた彼は、サオリから手と身体を離そうとする。
然しサオリは其れを良しとせず、むしろ更に激しく泣きながら彼の背中に手を回して力を込めてしまった。
「...なんという事だ......」
状況を悪化させた事を嘆きながら、黎斗は再び出入口へ視線を向ける。
まるで出歯亀の様に此方を見つめる面々。
先生は怒り。
モモイとミドリは怒りと悲しみ、僅かな歓喜。
アリスは何かに気付いた様な表情。
ユズは怒りと困惑、歓喜。
ミサキは困惑と幻滅。
ヒヨリは何故か目を逸らし。
そしてアツコは、何故か満面の笑み。
(あの愚か者共は...!!)
歯軋りをしながらも、黎斗は彼女達に向けて口を開く。
「頼む、少し助けを──」
“嫌。”
「嫌!!」
「嫌です」
「アリス、知ってます!これは修羅場です!」
「え、えーと...今回は私も静観ということで...」
「嫌」
「うわぁぁぁん!リーダーが《女》になっちゃいました!責任を取ってください!それからお赤飯を炊いて食べさせてください!」
「...良かったね、サッちゃん」
取り付く島もない、八方塞がりの状況。
止むを得ず、黎斗はサオリの背中を数回叩いて呼びかけた。
「...おい、君。そろそろ良いだろう」
「......嫌だ」
顔面を胸に押し当てるように首を横に振り、拒否をするサオリ。
再び黎斗は天を仰ぎながら、一言呟いた。
「...社会的な死というのは、何度経験しても慣れないものだ」