理系修士を中退して就職してから博士課程に入り直した話

理系修士を中退して就職してから博士課程に入り直した話

Author: h_k_b_ ・ 本記事はCC0 1.0 パブリック・ドメインにより提供します


アカリク~大学院生(修士・博士)・ポスドクの就活とキャリア~ Advent Calendar 2019に参加しました。21日目の記事となります。


はじめに

私は修士課程を中退後、そこそこマニアックな技術系の仕事を数年経験したのち(アカリクさんに寄せる記事で業種も書かないのもあれですが)、博士課程に個別入学資格審査を経て受験・入学し、今は博士課程の学生をしています。いわゆる社会人ドクターという立場になりますが、仕事は休職しているのでフルタイムの学生です。

アドベントカレンダーの趣旨とは少しずれるかもしれませんが、大学院生(特に修士)で進路に迷われる方、特に、社会人経験を積んだのちにいずれは大学院へ戻りたいと思っている方に向けて、実際にやってみた一例を示せればと考えています。

また私自身も大学院再入学を考えていたときに、同じように社会人ドクター経験者のブログを沢山探して読んでいました(たとえばこちらのまとめなど)。しかし、入学前後の金銭面といったことなど学生生活に関する情報は意外と見つからないもので、この1年ほど、その都度動きながらなんとかしてきた感じです。そうした経験も綴っておこうと思います。

なお、長文のエントリになっていますので、社会人ドクターに関する内容だけ読みたい方は後半(「博士進学を決意するまで」あたり)から読むことをおすすめします。また、現役学生だった頃に研究に行き詰まり精神的に病んだ経験も書いていますので、そうした生々しい描写が苦手な方は前半を読むのをご遠慮いただいたほうがよいかもしれません。


憧れだけで目指したアカデミア

私は子供の頃から研究者になるのが夢でした。その一方で宿題というものがどうしても苦手で、好きなことしかやらずに過ごしてきました。出身中学は地元では荒れていることで有名で(担任は毎晩のように警察と児童相談所に呼び出されていたし、私もいじめの対象になっていた)、そうした環境だったので勉強しないのが当たり前という空気が漂っていました。高校に進学して、なんでみんな宿題をちゃんとやってくるんだろうとびっくりしたのを今でも覚えています。

それでも理数系の本を読むのが好きだったので、大学に行ける程度の成績を維持し、学部は某大の理学部生物学科に入学しました。子供の頃からの学習習慣というものは何歳になっても抜けないもので、大学入学後も気の向くままに好きなことしかしていませんでした。理学部で得られる数少ない資格である教員免許と学芸員資格も結局取得することなく、卒業要件ぎりぎりで好きな分野しか授業を受けていなかったです。実習科目では徹夜で実験室を使わせてもらったりする一方で、興味のない授業ではサボって家で寝ているというような、今思うと非常に偏りのある学生生活でした。

学部3年頃から授業が減って余裕が出てきたことから、なんとなく図書館で興味のある分野の学術誌を読んでみたり、その分野の教科書を勉強したり、学外の大学院に研究室訪問をしてみたり、要するに大2病とも呼ばれるような意識高い感じの生活をし始めました。それはそれで今も知識として生かせているのでよいのですが、今思うと、「既往研究を追いかけるばかりでは研究者として新しい知見を生み出せない」という当たり前なことを見失い始めた時期だったのです。もっと研究以前の、例えば野外に出かけて昆虫採集や種同定のスキルを磨いたりするとか、研究に必要な直感というか、スキルを本来はもっと磨く時期であったと反省しています(もっと言うと、例えば昆虫分類学を志すのであれば、幼少期からずっと虫好きなくらいでないと歯が立たないものではないかとすら考えています)。


研究室での苦悩

その結果選んだ最初の研究室では、自分が進めたい研究の方向性と指導教員の方針が合わずに、半年も経たずに別の研究室に移ることになりました。このあたりから精神的に病み始めましたが、まだ大学には通えていました。

そして次に入った研究室で、卒論を提出することになりました。年度途中から入ったこともあり研究計画をむりやり決めたもののデータが全然取れず、卒論提出の前週までデータを集めているという大変しんどいものでした。この時期も病んではいましたが、どうにか卒業することができて、晴れて学士(理学)となりました。

そんなこんな大変な学部4年でしたが、それでもなお外部の大学院に行けば道が開けるであろうと信じていました。そして、単純に研究分野への憧れで選んだ某大の大学院に無事に受かり(無駄に洋書と論文ばかり読んでいたせいで、試験の成績は良かったらしい)、修士に進学することになります。

進学した研究室(ここですでに3か所めである…)は、研究上の興味は合っているものの、今度は実験や野外調査の能力という面で周りにまったく追いつけず、研究室はほぼ放任主義で運営されており、さらには外部進学ゆえに周りに相談できる人が誰もいない状態となり、1年以上まったく研究が進まない状態となりました。もちろん相談に乗ってくれる先輩もいましたが、途中で研究室を去ってしまったり、後述するように私自身の体調が悪化して大学に通えなくなったりしたことが、結果として孤立を招いたのだと思います。

気がついたら大学には全く通えず、週に3回の夜間のバイトに行き生活費をやりくりしながら、ネットで夜な夜なアニメを漁る生活となっていました。たまに思い出したように家でできるデータ解析なんかを試したりするものの、すぐに集中力が切れてお布団に倒れ込むのです。完全に病んでしまいました。精神科を受診したところ、双極性障害という診断がつきました。おそらく、学部3年の頃にヒャッハー!!と論文を読み漁っていた時点ですでに軽躁状態だったのでしょう…。

それでもなんとか修論をまとめようと、元気な時期には実験したりデータ解析をしたりしていました。内容はダメダメでも、もしかしたら頑張れば修論を提出できたのかもしれません。でも、当時の私はその気力を完全に失いつつありました。


就活と中退

こういう状態になる前から、指導教員からはD進ではなく就職を強く勧められていました。せっかく研究者を志して外部の大学院にやってきたというのに…と打ちひしがれましたが、自分でもびっくりするくらいに速く立ち直って就活らしきものを始めました。今思えば的確な指導を受けていたのだなと、しみじみ思います。

自分のやっていた研究分野は基礎的なものであったため、仕事で直接生かせる就職先はかなり限られていました。しかも、折しもリーマンショックの直後で就活事情が厳しい時期。そうした中で就活を数社に絞ってやっていた結果、1年目(M2)では内定を得ることは出来ませんでした。そして修論も全く手に付きませんでした。精神科で処方される薬は増える一方でした。

翌年度(M3)、昨年と同様に就活をしながら実験をほそぼそと続けていました。さすがにより好みもできないので滑り止めも加えて就活をしたところ、滑り止めの会社からのみ内定をいただくことができました。修論も秋頃まではなんとか間に合わせようとしていたものの、集中力が持たずに結局間に合いませんでした。内定先に相談したところ修士中退でもOKとの返事をもらえたので、3月末付けで中退し大学院を去りました。


就職、そして休日に研究を再開

就職したことで、”24時間365日途切れることなく研究の進捗に追われる生活”から、週末にしっかり休める生活に変わって、だいぶ元気になりました。また、新卒採用者=何も知らない新人と扱ってもらえることがとても嬉しかったのを強く覚えています。なにしろ修士進学のときには、入った時点で色々なスキルを身に着けていて当然というところにいたものですから。

最初の半年はほとんど仕事を与えられていませんでした。実学から遠い世界にいた自分にとって、のんびりと業界の基礎知識を先輩の仕事を手伝いながら学べたのはとても有り難いことでした。上司・同僚との人間関係も、最初の2年間が一番恵まれていたと思います。

こうして生活に余裕ができたことから、大学院でやっていたテーマから少し離れたところで、のんびりと研究を再開できないだろうかと考え始めました。研究などと大げさな言い方ではなくても、せめて調査のまねごとのようなことができないだろうかと。このなんとなく集め始めたデータが、そのまま博論の一部となろうとは、当時はまったく想像もしていなかったのです…。


大学院に戻ろうと考え始める

就職して3年目に入り、異動で割と忙しい部署に配属されました。朝8時過ぎから仕事を始めて、終わるのはだいたい午前0時〜1時でした。再び病み始めました。ブラックな職場あるあるですが、一度仕事がうまく回らないループに入ると、なぜか必要な書類が勝手に無くなったり(そして後になって別の人が借りたままになっていたのが発覚する)、鬱で休職していた後輩の分の仕事を任されていたものの全く手が回らなくなるなど、とにかく日ごとに生活が荒んでいきました。

ちょうどその頃、就職してからやっていた研究のようなものが、多少なりとも形を見せつつありました。職場の休暇制度をよくよく調べてみたところ、無給にはなるけど大学院に進学できる制度があることを知り、なんとか大学院に戻れないものかと考え始めました。実際に大学院説明会に行ったり研究室訪問に行ったり上司にも相談しましたが、自分自身の鬱の悪化&後輩の復帰でうやむやになり、この話は流れてしまいました。


博士進学を決意するまで

その1年後、さらに忙しい部署に異動になりました。さすがに前回の轍は踏むまいと、忙しいなりに日付が変わる前までには終業する生活に切り替えました。また、就職して数年経つと知識も経験も多少は身について、やりがいを感じる仕事も増えてきた時期でもありました。なので、このままこの仕事を続けていくのも悪くはないかな…と考えてもいたのです。

しかしこの頃になると、自分の仕事に対する適性や相対的な評価も嫌でも目に入ってきます。何度も何度も自分の将来を考えたのですが、このままでは中途半端に面倒な仕事を延々と続けるだけで自分のキャリアを使い潰されてしまうのではないかと懸念するようになりました。

それであれば、これまで休日にライフワークとして続けてきたことを大学院での研究としてやってみて、何か自分の職業人生を変えられないかという気持ちが一番強かったです。


大学院入試を受ける

社会人ドクターになる上で最初の壁は、職場の理解だと思います。私も最初に職場に相談したときはあまり良い反応をもらえませんでした。しかしその際に、『次の異動先まで働いてみて、そこからまた考えてみては』と言われていたことから、なんとかもう一度進学希望を切り出せないかタイミングを窺っていました。

そんな中で、ちょうどそろそろ異動かなぁと予想していた年になってアカデミアに割と理解のある上司がやってきたので、出るなら今年しかない!と動くことにしました。進学先も決まっていない(つまりテーマも固まっていない)状態でしたが、まずは休暇を取って大学院に進学したい旨を伝えてOKをもらいました。

進学先を探すことが、その後一番苦労したところでした。これは分野によって異なることだと思いますが、社会人を受け入れることが難しい、もしくは学部生からの素養が足りずに受け入れ不可との返事をもらうことが多かったです。そういう研究室は、たいてい問い合わせのメールに2ヶ月以上返事がなかったり途中で途絶えたりと、訪問する前からこちらの気持ちが折れてしまうので、結果的には研究室訪問を無事に行けた時点で選択肢に入れてよいのだと思います。

社会人ドクターの強みは、人生の中で貴重な時間とお金を犠牲にして進学しているのだぞという意思を出せることだと思っていて(これは自分の中に持つものであって表立って言うものではないけれど)、それは指導教員に対して、研究者としてより対等な関係を保つことに繋がるはずです。このことは、教員探しのときからすでに始まっているとも言えます。

今の指導教員(これで4人目である…)は、もともと就職してから始めた研究で知ったツテをたどって紹介していただきました。研究室訪問では、大まかな興味、研究の進め方、指導方針などをかなり警戒しながらあれこれ聞きましたが、いずれも自分の考えと合うものだったのでここにしようと決めました。最初は修士課程からやり直すつもりでいたのですが、個別入学資格審査を受けて博士課程に一気に入ることを勧められたので、入試の少し前に(入試とは別に)研究業績などをまとめた書類を大学に提出して、博士課程を受験できることになりました。

入試では、TOEICやTOEFLスコアの提出も多くの大学で必須となっていますが、就職してからまともに英語を学んでいなかったことから、ひどい点数でしたがなんとか無事に通りました。むしろ面接で聞かれる研究計画のほうがはるかに大事であり、入試のためというよりも自分自身が博士課程を通じて何をしたいのか最初に決めるために必要だったと思っています。


入学前後にやったほうがよいこと

思いつくままに、メモ程度ですが挙げておきます。同じようなケースの方の参考に少しでもなれば幸いです。


兼業ができるか事前によく確認

会社によっては、学内のTAやRAであっても兼業を認めない場合があり、注意が必要。また、兼業ができる場合であっても、扶養控除申告書や年末調整(or確定申告)に影響が出るので、相談しておいたほうが無難。


お部屋探し

幸い自宅から通学できたり住居の確保が容易であるならば、このへんの心配はいらない。また、会社から給料が出るのであれば、普通に物件を借りられるはず。

問題は、無給で休職となった場合に、不動産屋に理解を示してもらえるかというところ。私はwebサイトで評判のよさそうな店を選んだうえで、地元で家族経営でやっている昔ながらの不動産屋さんにお世話になった。

他の不動産屋にも比較のため物件内覧まで足を運んでみたが、収入がないというだけで本人名義では部屋を借りられないケースもあった。”収入がないけど社会人で、学業のために休職している”ということへ理解を持ってもらえないと、保証会社への取り次ぎもきちんと行ってもらえないので注意が必要である。私の場合は、不動産屋を通じて合格通知書と銀行の通帳(残高がわかるように)をコピーしたものを保証会社に送ってもらい、今住んでいるアパートに入居することができた。


JASSO奨学金はとにかく申し込んでおく

日本学生支援機構(JASSO)の奨学金は、資金に余裕があると判断していても、最小限だけ借りておいた方がよい(下記の授業料減免申請にあたっても確認を受けるため)。

第1種(利息がない)で採用となれば、成績次第では返還の減免が受けられる可能性もある。

第2種奨学金については、利息が付くことについて注意を。


授業料減免申請

税金&社会保険もろもろで多額の出費となるので、減免できるに越したことはない。

また、授業料減免審査を通るうえで、先に奨学金を受けていることが前提となる。

源泉徴収票の他にも、職場から収入証明を取り寄せる必要があったので、余裕を持って情報収集すべし。


6月頃に支払う所得税&社会保険料&その他給料天引きされるはずだった諸々…

余裕をもった資金計画を。

1年前から、普段の給料明細をメモっておいた方がよかったと反省。


民間研究助成金はあらかじめ探しておく

社会人ドクターとして進学する場合、復職を前提としている以上、学振DCを申請するケースはまれだと思う。しかし、博士課程の学生としては自分で自由に使える研究費があると有り難いもの。

そうすると自ずと民間助成金にエントリーしていくことになるが、大抵の募集は年度初めに集中しているので、研究計画を考えたりあれこれしているうちに募集期間が過ぎてしまいがちだった。

前年度までに、自分が申請できそうな助成金の応募スケジュールを確認しておくとよい。


おわりに

長文をお読みいただきありがとうございました。

学んでいる分野にもよりますが、一度アカデミアから出ても、意思さえ失わなければ学び直す機会はあるのだと示せるように、ぼちぼち元気に論文を書いていこうと思います。

もし既に病んでしまった院生さんがこれを読まれたとしたら、どうか命だけは大切に…。元気な院生の皆様は一緒に研究がんばりましょう。


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