6. fatalcrack
真央霊術院、一年一組では『浅打』についての講義が行われていた。
「——斬魄刀との対話は、自らを理解する過程でもあります」
海燕は真剣に講義へ耳を傾ける。その後ろで梨子が思い詰めた表情をしていた。
講義が進み、教師が生徒達から質問を求める。すると梨子が「はい!」と元気よく手を挙げた。
「どうぞ、梨子さん」
「つまり、浅打さんに自分のことを話すひつようがある、ということでしょうか」
「その通りです。ですが、それだけではありません。より深く、自分の事、相手の事を知り、絆を深めようとする誠意と研鑽が必要になります」
梨子が「ありがとうございました!」と言って頭を下げる。それを教師や生徒の皆が温かい目で見ていた。海燕は安堵する。梨子はこのクラスでやっていけると。
ふと、初めて出会った日の事を思い出す。あの時も彼女はとても頼もしかった。…今こうして、感化された海燕が霊術院へ通うほどに。
——講義が終わる。
少しの準備時間の後、次の授業を知らせる鐘が鳴った。教室の扉が開き、教師が入室する。
「皆さん。昨日お話した通り、今日は護廷十三隊から外部講師をお招きしております。どうぞ、お入りください。——浮竹隊長」
教師はそう言って一人の死神を教室へと招く。
入って来たのは白髪の男だった。その男は生徒達のあどけない姿を見るや朗らかに笑う。
「初めまして! 護廷十三隊で隊長をしている浮竹十四郎だ。今日はよろしく!」
生徒達が目を輝かせる。白髪の男は、海燕も名前だけは知っている護廷の隊長だった。
霊術院卒業生の中で初めて隊長職に就いた死神の一人であり、子供に人気の冒険活劇『双魚のお断り!』の執筆者でもある。
海燕は以前、暇そうにしていた梨子にその本を貸した事があったのでよく覚えていた。
「それじゃあ皆! 南流魂街へ行くぞー!」
「はい!」と威勢よく返事を返す生徒達を微笑ましそうに眺めていた浮竹十四郎の穏やかな視線が、ふと、教室の中央で固まったのを海燕は見逃さなかった。
止まった視線の先を、そっと振り返る。
そこには梨子が居た。
しかし、男の視線が止まったのは一瞬。本当に視線の先が梨子なのかは分からない。肝心の梨子といえば、男の姿を不思議そうな顔で眺めるばかり。
海燕は僅かな疑心を抱く。
男の視線にではない。男と梨子、二人の『霊圧』にだ。
生徒達も幾人か疑問を抱いたらしく、二人の様子を交互に窺う視線が生じる。
しかし誰もそれについて触れる事はせず、一同は指示されるまま霊術院を離れ、『件の事件』が起きた南流魂街へと向かうのであった。

Ⅲ
南方郛外区第一区 草原地帯
移動は浮竹十四郎を含め数名の死神が、まるで護衛のように生徒達に付き添う形で行われた。
「では、我々は巡回任務班に合流します」
「ああ! 頼んだ」
梨子は不思議そうに、浮竹十四郎とその部下らしき死神達の会話を聞いていた。
浮竹は立ち去る死神達を見送った後、足元でこちらを見上げる梨子に気付く。そして、脅かさないようにゆっくりとしゃがみ込むと、優しい声で語りかけた。
「実はまだ、虚襲撃の原因が判明していないんだ。だから事件以降、巡回が強化されたままの状態なんだよ」
「へぇ〜」
「あっ、そうだ! お菓子は好きかい?」
「んー……嫌いではない?」
「そうか良かった! じゃあこれをあげよう!」
そう言って浮竹は、死覇装の裾からお菓子を取り出した。
そして「これも」「あとこれも」「それとこれも」「これも美味しいよ!」と言いながら大量のお菓子を取り出す。怒涛の菓子攻撃に梨子は思考が停止し、差し出されるがまま大量のお菓子を抱え込んだ。
困り顔で立ち尽くす梨子に、何を思ったのか満足げに頷く浮竹十四郎。見兼ねた担任教師が手ぬぐいで袋を作りお菓子を詰め込むと、教材入れの中へ収めてくれた。
「せんせーありがとうございます!」
「恐縮です。それと梨子殿、浮竹隊長にも御礼を言ってあげて下さい」
梨子はそう言われると浮竹に向き直り頭を下げる。
「浮竹隊長、ありがとうございます!」
「どういたしまして。次はもっと沢山用意しておくよ!」
「えっ……いいえ! もうけっこうです! 」
「そんな! 遠慮しなくてもいいんだよ?」
「遠慮してません! でも浮竹隊長のお気持ちはとても嬉しいです! ありがとうございます!」
梨子は忖度なしにキッパリと断る。しかし、浮竹はこの歳でこんなにも他者への配慮ができるなんてと感心するだけだった。
そして、真剣な目差しで梨子を見据えて言う。
「大丈夫だ。子どもは甘えるのが仕事だからな。次は期待しくれ!」
「……? 分かってくれた?」
「ああ勿論!」
二人の恐ろしく噛み合ってない会話がひと段落したのを見計らい、教師が浮竹に耳打ちする。
すると浮竹は「ああ、すまない…!」と慌てて、既に整列していた生徒達に向き直った。
「それじゃあ皆! 準備はいいかい」
そう言うと、先程とは明らかに霊圧の変じた浮竹に、生徒達は緊張から居住まいを正す。
「これより——"斬拳走鬼"の実践訓練を始める」
浮竹の言葉に生徒達は皆、困惑する。そこへ蒼純が代表して口を挟んだ。
「浮竹隊長、"実践"とは何でしょうか? 私達はまだ『斬拳走鬼』がどの様なものか、学んですらいません」
「ああ。それは承知している」
ならどうして、という生徒達の視線が浮竹に集中する。
「……まずは何故、この『南流魂街一区』を訓練地として選んだのかを話そう。…端的に言うと、現状の尸魂界において"一番安全な場所"が此処だからだ」
浮竹は襟元から一枚の手紙を取り出す。
「蒼純君、『朽木隊長』から書状を預かっている」
「……!?」
「確認してくれ。その間、他の生徒達にも事の経緯を説明する」
蒼純は書状を受け取ると、教師に断りを入れ、生徒達の列を離れる。
皆、ここに来てようやく、己が何か重大な事件に巻き込まれているのではないか?と疑念を持ち始めた。
「この中に、八ヶ月ほど前この地で起きた『虚襲撃事件』を知らない者はいるか」
場が静まり返る。おそらく全員、親族らによって事件の仔細を言い含められていたのだろう。
「居ないようなら詳細は省こう。実はその事件以降、梨子君が幾つかの勢力から狙われるようになった。当然、彼女と接触の多い君達にも危害が及ぶ可能性がある」
梨子が目を見開く。生徒達は青ざめた顔で冷や汗を垂らした。
「"総隊長"はそれを危惧されている。だから今回、俺を霊術院へ派遣したんだ。君達に、『刺客から身を守る術を修得させる』為に」
「——まってください! わたしが霊術院をやめればいいのでは!?」
梨子が叫ぶ。浮竹はそれに対して首を横に振った。
「それは駄目だ。総隊長はこれを試練として捉えられている。君達がこれから護廷十三隊や鬼道衆、隠密機動へと進む以上、瀞霊廷を護る死神として——これは決して逃げていい道ではない」
誰かが息を呑む。
「……では、習熟度別に班を作る。指示に従って並んでくれ」
そうして、三十人の生徒が三つの班に分けられた。
一班は『受け身等の基礎訓練が必要な生徒』が集まり、担任教師から指導を受けている。
二班には体術に心得がある生徒が振り分けられ、教師が持参した『斬拳走鬼の基本』と題された教科書を黙読している。
そして、三班には『直ちに実践訓練へと移れる生徒』として海燕、蒼純、梨子の三人が集められた。
「君達は俺が受け持つ。まずは斬拳走鬼の腕を見たい。——蒼純君、海燕君。浅打を使ってもいい。全力で戦ってみてくれ」
「「はい!」」
——ポツ。
——ポツリ、と雨が降る。
甲高い音を立てて浅打が吹き飛び、草地へと突き刺さる。
「……ッ!!」
片膝をついた海燕の首筋に蒼純の浅打が添えられた。
海燕は嘔吐くような荒い呼吸を繰り返し、震える左手で地を握り締める。対して蒼純の持つ浅打は静止したまま、僅かな脈動すら伝えてこない。
真新しい刃が、降り出した雨に反射して、鈍く光っていた。
浮竹が「流石だな…」と呟く。
蒼純は水滴を振り払うと鞘に収め、蹲る海燕に手を差し伸べる。
「海燕殿、済まない。少しやり過ぎた。手を貸そう」
「…ハァ…いや…ッ大丈夫だ……」
海燕は助けを拒み、自力で立ち上がる。そして、払い飛ばされた浅打のもとへ、痛む両足を叱咤し歩いた。
「…………昨日は…随分手加減されてたんだな。…………くそッ、手も足も出てねェじゃねえか俺は……!」
悔しさに顔を歪める海燕。浅打を拾い、付いた土を拭って鞘に収め、三人のもとへ戻る。
「あれ…どうしましたか?」
浮竹の周りに生徒達が集まり、何やら話をしていたらしいのを見た海燕が尋ねた。
「ああ、雨が降ってきたからね。場所を移動しようと思う。一区の村長さんが近くで小屋を管理しているから、そこへ行こう…」
言葉が僅かにしりすぼみになった浮竹に、蒼純が心配そうに声を掛ける。
「浮竹隊長、もしや体調が優れないのでは?…今日はもう、」
「ありがとう蒼純君。だけど大丈夫だ! この位なら、まだまだ動けるからな! それより急ごう。みんな風邪を引いてしまう」
「…悪化したら、きちんと報告をお願いしますね?」
蒼純の圧に、浮竹はから笑いをしながら「勿論だ」と返す。
「念の為、応援を呼ぶよ」
そう言って、浮竹は首に携帯していた小さなボタンを押し込み、そのボタンに向かって幾つかの指示を出した。
「それじゃあ皆、着いて来てくれ」
Ⅲ
畦道にできた水溜まりを、梨子はちゃぷちゃぷと踏み鳴らしながら歩いていた。
「楽しそうですね、梨子様」
「うん! 楽しいよー!」
今朝からずっと梨子の周りは綱彌代家に仕える一族の生徒達で固められ、同じ班になった海燕や蒼純、特別講師である浮竹すら寄せ付けないでいた。
(しっかし、過保護だなぁ。まあ、警戒するに越した事はねぇか。…よし、だったら俺は周囲の気配でも探っとくかな)
海燕は前方を歩く集団を横目に、生い茂る森林に霊圧知覚を広げた。
「みんな〜! こっちだ〜!」
遠くから浮竹が声を張り上げていた。少し歩いた先に、流魂街の建築物にしては上等な造りをした小屋が一棟現れる。
浮竹が、既に開いていた小屋の戸から体をずらす。すると、そこには一人の女が立っていた。
暗い紫の髪がふわりと揺れる。梨子はそれを興味津々に見上げた。
「この方が一区の村長さんだ。すまない村長さん、急に押し掛けて…」
「良いんですよ。一応"今朝には"連絡がありましたし。それに浮竹さんには子供達がお世話になってますから」
「そう言って貰えると助かるよ…」
「ただ…ご覧の通り、私ひとりでは片付けが終わらず…。生徒全員は入れそうにありませんね」
どうやら虚襲撃事件で家を失った一区の住民達が物資の保管場所として、この家屋を利用していたらしかった。
浮竹、教師、村長の三人は何やら話し込んだあとに生徒達の元へ戻ってくる。そして、教師が一班の生徒を連れて先に霊術院へ戻ると宣言した。
「一班の皆には歩法を修得してもらう必要がありますので、今日は残念ですが…早目に切り上げましょう」
一班の生徒達はせっかく護廷の隊長が講師としてやって来たのに、その技術を拝む前に帰るのかと落胆しながら帰路につく。
「二班と三班には鬼道の実践をしてもらう」
そう言って浮竹は生徒達を小屋の中へと案内し、縁側の戸を全開にする。雨に濡れた生徒達に村長が手ぬぐいを配った。
「さて、先ずは『破道の一』から始めようか。挑戦したい子はいるかい?」
蒼純と海燕、そして都と他数名が立候補し縁側に立つ。梨子は教師から受け取った教科書を抱き締めながらそれを観戦した。
生徒達が次々と破道を放つ中、村長が梨子へ声を掛ける。
「こんにちは。梨子様」
「…? こんにちわー!」
「私のこと覚えていらっしゃいますか? 南門で命を助けて頂きました」
梨子は女性の髪色で思い出す。逃げ遅れる町民を背負って逃げる紫色。それに追い縋る虚に霊圧をぶつけて気を引いた事を。
「南門のお姉さん!」
「やだ、お姉さんだなんて嬉しいこと言ってくれますね。ですが少々気恥ずかしいので、『村長』とお呼びください」
「村長さん…?」
見れば若々しく美しい女の目頭の下には皺ができていた。梨子は目を丸くして首を傾げる。
「この場をお借りて、一区の住民をお救い下さったこと心より感謝申し上げます。ありがとうございました」
「ううん……ぜんぜん…できてなかったよ」
「何を仰られます。とても勇敢でしたよ」
「そう…?」
「ええ、とても。普段からああして虚を退治しておられたのですか?」
「…村長殿。少し良いだろうか」
二人の会話を困った顔で聞いていた取り巻きの一人が眉根を寄せ、ようやく話を遮った。
「梨子様は五大貴族・綱彌代家の御息女であらせられる。不躾に質問を投げ掛けるのはお止め頂きたい」
「これは…申し訳ありません。私とした事がつい…子供が好きなもので……」
「構いません。今回は目を瞑ります。流魂街の住民に礼節を求めるのは酷な話だと、理解していますから」
村長は頭を下げてその場を辞し、部屋のすみへと下がる。梨子が困惑した様子で発言した生徒の顔を見上げた。
「……綱彌代家より、梨子様が南流魂街一区の住民と接触しないように配慮せよとの伝達がございました」
「どうして…?」
「彼らは受け入れ難い事に、先の虚襲撃の原因を梨子様だと誤認しているのです」
もう一人の生徒が補足をする。
「決して梨子様のせいではありません。これは残念ながら…良くあることなのです。流魂街から死神になった者は総じて、流魂街の住民から冷酷な扱いを受けていたと聞き及んでおります」
「……そうなの」
梨子は暫しの間、縁側から破道を放つ生徒達の後ろ姿を眺めると、勢いよく立ち上がった。
「——わたしもやる!」
「詠唱は覚えたのですかっ?」
「おうちで教えてもらったよー!」
そう言って縁側へと立つ。
穏やかな表情をしていた浮竹が、少し緊張した表情でその様子を見守る。生徒達の視線が集まった。
皆が固唾を呑む中、拙い詠唱が雨音と響く。
「——破道の一
梨子の指先から光が直線上に放たれ、十丈先の岩へと着弾する。舞った煙が薄れると硬い岩が深く抉れているのが確認できた。「おお…!」と浮竹が感嘆の声を漏らす。
「うん、完璧だ! 指導の必要は無さそうだな」
「やったー!」
梨子は嬉しそうに飛び跳ねる。
「もしかして時灘から教わったのかい?」
「そうだよー! 兄様と知り合いなのー?」
「ああ、霊術院時代の同期なんだ。彼は元気かな?」
「すっごい元気だよ! いつもニヤニヤしてる!」
「あはは…そうかぁ…。それは良かった」
浮竹は少し悩まし気な顔をするも、同期が健勝なのは良い事だと頷く。
「それじゃあ梨子君、次は破道の二を試してみようか!」
「はーい!」
その後、応援に来た二人の死神と浮竹の指導のもと、生徒達は順調に成果を上げる。そして梨子が破道の三で苦戦し始めた頃。
浮竹が突然、——血を吐いて倒れた。
Ⅲ
浮竹の部下二人が生徒達の鬼道を見ている間、村長は甲斐甲斐しく浮竹の看護をしていた。
「有難う……村長さん…」
「良いんですよ〜」
血の付いた布を桶で洗いながら、村長は困り顔で微笑んだ。
「何だか懐かしいですね。貴方と現世で初めて出会った時も、こうして倒れましたっけ」
そう言われ、浮竹は平隊士の頃を思い出す。魂葬に訪れた先で霊体となって彷徨う彼女と出会った日だ。
「急に血を吐いて、虚が何だと訳の分からない事を言いながら無理矢理"魂葬"してくれるものだから、初対面の印象は最悪でしたよ」
「あはは、その節はすまない…」
魂葬には成功したもの浮竹の手元が狂ったせいで女は尸魂界への転送中、ずっと激痛に苛まれていたらしい。
「良いですとも。今はちゃんと分かっていますから。……それにしたって、よくあんな状態で仕事を続行しようなんて考えましたよね?」
「それは…、そうしたいと思ったんだ……」
「……そうですか。あーあ、羨ましいなぁ。………………………………………………………………………あの頃から、私は貴方が羨ましい。『誰かを護る』という事がどんなものなのか。私には…とんと分からないんです」
女の脳裏に、黒に混じる深緑の髪がよぎる。まるで滑稽な芝居でも見るかのような、残酷な視線が頭から離れない。
見下ろせば浮竹が優しい眼差しで言葉の続きを待っていた。女は口ごもる。
そして、伝えるべきでは無いと——口を閉じた。
暫く静かな時間が流れたあと、部屋の襖がそっと開いた。
「…村長さん」
「あら、梨子様。どうなされましたか」
「うーんとね、浮竹隊長とお話がしたくて」
それは浮竹の体に障るから駄目だと村長が伝えようとした時。浮竹が「ああ、俺も丁度…話があったんだ」と口にした。
「村長さん、済まない。少しだけ席を外してくれないか」
「…分かりました」
村長が部屋を出ると、襖の前を数人の生徒が陣取っていた。梨子の保護者達である。おそらく相手が病人の浮竹十四郎と言えど目を離すわけにはいかないのだろう。
先ほど問答した生徒に会釈すると相手も会釈を返す。やはり今期の生徒さんは良い子達ばかりだな、と村長は心の中で呟いた。
嫌悪こそすれ、悪戯に弄ぶような真似だけは、しないのだから…。
「——それで、話ってなんだい?」
浮竹がのそりと上半身を起き上がらせて問うた。しかし童女はその問いに返答せず、おもむろに浮竹へと右手を伸ばす。
「……!」
大きく、鼓動が跳ねる。浮竹は慌てその手を遮り、声を絞り出した。
「待ってくれ…!」
「なんで?」
「それはッ…」
脈拍が速まり、落ち着いていた筈の呼吸が再び荒れ始める。ゴホゴホと咳込み、唇の端から血が垂れた。
「体わるい? どうして?」
「……肺の、病気なんだ」
「治らないの?」
「………………ああ…治らない」
浮竹は逡巡の後、そう答えた。まるで命を盾に取って懇願するかのような真似をした事に、罪悪感が押し寄せる。
「そうなんだー?」
童女は気にも留めてないという顔で頷くと、再び浮竹へと右手を伸ばす。浮竹は今度こそ抵抗を止め、幼いその手を受け入れた。
「えいしょ〜」
「……?」
布団へと押し倒され、毛布を掛けられる浮竹。きょとんと童女の顔を見上げれば、深い水底のような瞳が此方を見下ろしていた。
「『友達』…ではないか。『知り合い』がねー? 寝ないといけない時には寝なさいって言ってたのー。だから寝ないと駄目なんだよー?」
「ああ…」と掠れた声で答える浮竹に、童女が満足気に頷く。そしてハッとした顔で浮竹の耳元へと近付き、囁いた。
「——"ソレ"、貸してあげるから…私のこと誰にもナイショだよ?」
その言葉に浮竹は否が応でも確信せざるを得なかった。目の前の彼女が"そうである"のだと。
「…ああ、勿論だよ」
「ほんとにー?」
「本当にだ。約束しよう。何があっても違えないと」
童女が今度こそ、にっこりと微笑む。
「ありがとうございました! 浮竹隊長ー!」
そして、ぺこりと頭を下げると嬉しそうにパタパタと部屋を出ていった。浮竹はその小さな背を痛ましげな表情で見送り、瞼を閉じる。
そして、生徒達の喧騒へと耳を傾けるのだった。
ガッ
ガッーーー……
『…答せよ!』
ザザッ
ザザッーー…
『こち…南方…外区第一区…南門前! 』
ザザーーーー……