スレ→プロ→エリ 4スレ

スレ→プロ→エリ 4スレ




空はまもなく夜を迎えようとしている。季節は夏だ。薄闇の空を飛行機雲が地平線に向けて一直線に走っている。空は美しいグラデーションを描いている。夜の紫、夕暮れの赤、そして沈む太陽が見せる最後の黄金の輝き。


スレッタは草の生えた丘を一心に歩いていた。出来るだけ速く、遠くへ。どこまでも遠くへ。しかし萎えた足は彼女の意思に反して動かなくなろうとしている。



「スレッタ・マーキュリー」


名前を呼ばれて顔を上げると、懐かしい人がいる。

風で草が靡く丘の上、地平線の黄金を背にした彼の輪郭は、光を帯びて輝いている。


「こんにちは、エランさん」


スレッタは立ち止まり呆然と呟いた。これは夢なのか、そうではないのか、スレッタにはわからなかった。


「なにか困ってる?」


アスティカシアの制服姿のエランは、昔と変わらぬ声音と表情でそう尋ねた。


スレッタは小さく頷きながら思う。

もしかしたらスレッタはずっと夢を見ているのではないか?本当はキャリバーンに乗ったあと、自分は死んだのではないか?

だからかつて失った人が目の前に現れて、自分にかつてのように問いかけようとしているのだろうか。


フロントでランダムに作成され投影される空模様よりも、地球の空は遥かに多彩な顔を持つ。その一つについて、かつての寮の仲間たちが教えてくれたことを思い出した。夜の手前の薄闇はあの世とこの世の境界が曖昧になるのだということを。

曖昧な世界の中、スレッタは問われたまま、絶望を込めて呟いた。




「おかあさんが」


声がつまる。表情が醜く歪むのが自分でもわかった。


「おかあさんが、おかあさんが、」














わたしのことをエリクトって。





ーーーデータストームの後遺症より痴呆の進んだエルノラは日常生活を送るのに介護人の手を必要とするようになった。

スレッタは進んでそれを受け入れた。介護の大変さより、いつも離れて暮らしていたエルノラが自分とずっと一緒にいてくれることの方が嬉しかった。エルノラはもう、スレッタを置いてどこにも行かない。

小麦畑を母親の車椅子を押して歩く時、スレッタは幸せだった。たとえ自分の身体が昔と同じように動かなくても、もしかしたら他の人よりは長く生きられないのだとしても、スレッタは幸せだったのだ。エルノラの一言を聞くまでは。





『いつもありがとう、エリクト』


ここまで母親に傷つけられたことはないと思った。

宇宙に捨てられた時でさえ。




スレッタは地面に崩れ落ちた。噴き上がる激情をエランから隠すように両手で顔を覆う。


「なんで!エリクトなの!エリクトなんてずっとミオリネさんと外に出かけてばっかりなのに!おかあさんのお世話なんてしてないのに!」


スレッタが所詮エリクトの代わりでしかないことを、この上なく残酷にエルノラは示してみせたのだ。

ではエルノラの中でスレッタはどこに行ったのか。もう彼女の中では愛娘のコピーを作ったことなど忘れ去られているのではないか。今の彼女にとって、エリクトは普通に身体を持った、普通に育った幸せな娘なのかもしれない。その娘に世話されてきっとエルノラも幸せなのだろう。



スレッタは母親が好きだった。母親はとても立派な人で、彼女のようになりたくて、褒めてもらいたくて、一緒にいたくて頑張った。しかしその全てがエリクトのものになる。所詮はスレッタはリプリチャイルドなのだから。


そう思ったらたまらず家を飛び出していた。エルノラを放置していくのは良くないわかっていてもそうせずにはいられなかった。


もしかしたら明日には調子が良くなってスレッタのことを思い出してくれるかもしれない。でも明後日には?明明後日は?

スレッタはその恐怖に堪えられる自信がなかった。


動けない自分の前でエランがしゃがみ込み、自分の顔を覗き込もうとしている気配がした。しかしこの顔だけは見せられない。エリクトへの嫉妬で狂いそうな顔なんて。


「スレッタ・マーキュリー」


ふっと光が動く気配がした。体に何かが染み込むような感覚がして、目から指をどけると、エランがスレッタを抱きしめていた。

スレッタは目を見開いた。彼とそのような身体的接触をしたのは初めてだった。

しかしそこに人の感触はなく、エランはこの世の人ではないとスレッタは理解した。彼はこの曖昧な境界を抜け、困ってるスレッタにわざわさ会いに来たのか。それともこれは似た立場だったエランなら理解してくれると、スレッタが傲慢にも思い作り上げた、都合のよい幻影なのかもしれなかった。



スレッタは行き場のない感情を持て余し胸を掻きむしった。どうしようもないほど苦しくて、目から涙が溢れて頬を伝う。

生きることはどうしてこんなに醜いのだろう。なぜ時の止まった彼のように美しく純粋なままでいられないのだろう。

感触のないエランをそっと抱きしめ返すと、光の粒子が拡散し、スレッタの周囲を踊り、スレッタの頬や髪を撫でて消えていった。

耳元でエランが呟くのが聞こえる。


「…もう君は声を上げて泣かないんだね」


彼の言う通りだった。

スレッタの喉からついて出る泣き声は苦し気で、まるで老婆の呻き声のようだった。


ーーー曖昧な時間は終わろうとしている。空は黄金の輝きを失い、完全に夜に沈もうとしていた。












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