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嗚呼、と。

嘆息したかったのだが、失敗して咳き込んでしまう。

先程まで己の首にかかっていた手から解放され、急激に酸素を取り込むのに忙しいせいで。

そして。

首だけでは飽き足らず、口元まで塞いできたその手は……と見やれば、ゆるりと握り込みかけては開く仕草を繰り返していた。

息が詰まるなか、その掌をつい舐め上げてしまった刹那を思い返す。


強い瞳が、オペラオーを射貫いていた。

いつだって射貫いた先に幻影を求めているのも知っている。知っていたはずなのに、何故そんなことを感じてしまったのか。

酸素の行き届かない脳細胞が、誤作動を引き起こしたのかもしれない。

ただ、そんなことに思いを巡らす余裕もなく、ふと愛おしい、と。

突き上げた感情に、絶望しながら未練がましく舐め上げたのだ。


石火の速さで飛び退いたジャングルポケットの様を、絶望と未練の狭間で焼き付ける。

髪色も、どこか幼さを感じる言動も、声の強さも、何もかも違う。

光の中で待ち続けた、光にも負けぬ輝きを放つと信じた一等星と。

目映い世界のなかへは立ち入ってくれはしなかった彼女と、迷いもなく踏み入って力強く駆け抜けた彼女。似たところはないと、一つ一つ確認しては安心していた。

安心して、傷つけていた。

お互い様だから、と。


最低だ。

醜悪に過ぎる。

安心して、慢心して、この有様だ。


深呼吸を一つ。

漸く整った呼吸に背筋を伸ばして、徐にジャングルポケットの視線があがるのを待つ。

絡んだ視線が、存外に柔らかいことが堪らない。

これから、もう一度。

最後に、もう一度。

傷つけることしか出来ない己に、再び絶望して口を開く。


「……すまなかったね、ポッケさん」


音が聞こえるかと思うほど、強い瞬き。

眉間に皺が寄っていく。そのまま口が開きかけるところを封じ込めるように、言葉を続けた。


「ボクは、終ぞ君のタキオンを演じきることは出来なかった」

「不甲斐なくて、すまない」

「だが、頃合いだ。JCも終わり、近々役を演じきれない主演は舞台を降りる」


何を言われているか、飲み込めない。そんな大音声が聞こえるかのような表情。

しかし、ジャングルポケットの言葉を許さぬとばかりに、締められた首筋をなで上げて見せて。


「これにて終幕だ、ポッケさん」


未練がましく最後に名前をなぞった唇に、三度絶望して、扉を閉めた。


***


放課後の自主練を早々に切り上げて、戻ってきた寮部屋は既に空だった。部屋を見渡せば、今日の日付に赤丸が付いたカレンダー。

『アヤベさんと、星を見に行くんです!』

薄らと朱を刷いた頬のナリタトップロードが、張り切ってカレンダーに印を付けるのを見た時にボンヤリと考えたものだ。

じゃあ、オペラオーが来るな、と。

つまりは、ジャングルポケットにとって赤丸のソレは、テイエムオペラオーが部屋を訪う日を意味していた。

つい、先日までは。


訣別を告げられた夜。

身勝手に幕を引いて踵を返したオペラオーを止めることが出来なかった。納得したからなどでは無い。ただ、衝撃が強すぎて持て余している隙に、オペラオーが素早く消えてしまっただけだ。

その衝撃は未だに埋み火のように掌で疼いている。

オレを見ろ、と意思を込めて締め上げた。その唇が自分以外の名を呼ぶのだって承知のうえだったはずなのに、その時は聞くに堪えないと口まで塞いだ。

ダービーウマ娘というフィルター越しでしか、向けられない視線。その瞳が、息苦しさに潤んで瞬く。

一度、二度。

三度目の瞬きで、オペラオーがこちらを見た。

自分を、見た。

そう確信したと同時だった。オペラオーが掌を舐め上げたのだ。

尻尾まで走り抜けた衝撃に、飛び退かざるを得なかった。


甘い。

熱くて甘い衝撃。


掌にじわりと唾液が広がっているのは、まだ分かる。舐められたのだから、当然だろう。

でも、甘いってのは何だ?

掌から腕、頭の天辺から爪先、尻尾の毛先まで。熱くて甘くてどろりと溶け崩れそうになる。

何だ、そりゃ。

緩く掌の開閉を繰り返し、未だ小波のように覆う感覚を反芻する。

甘い。

味覚というのは、舌先にあるものだろう。断じて掌で感じるものではないはずだ。

そもそも。そもそもだ。

彼女の、オペラオーの舌の味を知っている。その意図をもって近づけば、躊躇いというには強すぎる抵抗を見せる唇に、時に噛みつき、無理にこじ開けて蹂躙する。甘くなどなかった。いつも、どこか血の味めいた苦味ばかり感じていたはずだ。

それなのに、彼女が自分を見たと思った瞬間に……、と。まさかの結論に至りかけて、漸く原因たるオペラオーに意識を向けた。

苦しそうだった呼吸が整って、深呼吸を一つ。

彼女が、オペラオーが自分を見ている。小波の甘さが一段濃くなったと思った、


『……すまなかったね、ポッケさん』


矢先に、これだ。

返す言葉なぞ、咄嗟に出てこないのは仕方ないことではないだろうか。何せ、ついさっきまで首を絞めていたのは、加害者なのは自分の方なのだから。まるで意味が分からない。


『ボクは、終ぞ君のタキオンを演じきることは出来なかった』

『不甲斐なくて、すまない』

『だが、頃合いだ。JCも終わり、近々役を演じきれない主演は舞台を降りる』


そこへオペラオーらしい立て板に水の、そしてオペラオーとも思えぬ下手な理屈を並べ立てられた。淀みない言葉の羅列のなか、辛うじて最後の言葉の意味だけ拾う。

認めるわけにはいかないとそれだけは瞬時に浮かんだ反論を、オペラオーは首筋を撫でる仕草で封じてみせた。ここで加害を突きつけるオペラオーは、性格が悪すぎるのではなかろうか。


『これにて終幕だ、ポッケさん』


そうしてサラリと、全く意味不明にオペラオーは消えていった。掌に埋み火を残したままで。

巫山戯んなよ、と独りごちた視線の先で、そのテイエムオペラオーが笑っている。

菊の戴冠時に撮られた写真をプリントアウトして貰ったのだと、ナリタトップロードが言っていた。今よりも少し幼く感じるその姿は、覇王を脱ぎ捨てて屈託なく笑っている。

巫山戯るな、と。

掌の埋み火を強く握り締める。

こちらの気も知らずに全開で笑いやがって、と、既に幻でしかない暢気な小娘に当たり散らしたくなる。この単なる強豪ウマ娘から世紀末覇王に大化けした小娘は、傲岸に光の只中に君臨し続けた。高らかに謳いあげるその姿に、その目映い舞台に皆が皆、目を眩ませてしまっていた。

芝居の合間に人生やってる、と言ったのは誰だったのか。そこまで見抜いていたのなら、幕間にすら世紀末覇王であり続けるその姿を看過しなければ良かった。放置したのは、興味がなかったからなのか。

無関心という古傷が、じくりと痛む。

その痛みを噛み砕き広がる苦味を、埋み火を熾して燃やし尽くす。

誰もが、舞台を止められなかった。

一太刀突き立てたメイショウドトウも。二太刀目を浴びせたアグネスデジタルも。

誰も彼女から最強を剥ぎ取ることは出来なかった。


倒したのは、オレだ。

最早、埋み火とは呼べぬほど轟々と燃え盛る手に、世紀末覇王の首を下げているのは他でもない。このジャングルポケットなのだ。

逃がすものか。

この首がこの手にある限り、オペラオーを喰らい尽くす権利は自分だけのものなのだから。

逃がしてなどやらない。

まずは、あの下手な言い訳を粉砕するところから始めてやろう。

お互いにフィルターをかけて見ていたのだ、そこに演技なぞ無いだろう、と。堂々と言うにはどうかと思う内容ではあるが、事実なのだから仕方ない。


終幕だというのなら、これから第二幕を上げればいいのだ。

ジャングルポケットとテイエムオペラオーの、第二幕を。

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