3号家のバレンタイン
「賢人兄さん!スパナ兄さん!」
さくらに呼ばれて3号家の長男と次男は振り向く。
「賢人お兄ちゃん、スパナお兄ちゃん、」
「「これ、どうぞ!」」
祢音とさくらがふたりの兄に差し出したのは――小さな箱。
「!祢音、さくら、ありがとう」
今日が何の日であるかに思い当たり妹達がくれた小箱の中身を察したらしい賢人はお礼を言った。
「?何だ?」
一方、新入りのスパナは急に姉兄妹ができた現状を未だ飲み込めていないことも手伝ってか妹ふたりの言動をよくわかっていない様子。
「チョコレートでーす!」
祢音が答えると
「何故?」
スパナは首を傾げた。
「だって…今日、バレンタインだよ!」
さくらに言われて
「…!そ、そうか…」
ようやく腑に落ちたようだ。
「もしかして…気づいてなかったの?」
祢音は目を丸くし、さくらはくすくす笑う。
「唯阿姉さんに教えてもらいながら祢音ちゃんと3人で作ったんだー」
「お姉ちゃんとさくらちゃんと一緒に作って楽しかった!」
「「ね~」」
肯き合う祢音とさくらに、スパナは素っ気ない感じで
「……折角だから…もらっておく」
とだけ返した。
そんな、同い年の弟をあたたかな眼差しで見ている賢人に<相変わらず情に厚いな>などと唯阿は思う。決して口にしないけれど。
「じゃあ、私…今から一輝兄と大ちゃんにチョコ渡しに行くから!」
「私も英寿と景和と道長に渡してくる~」
「「行ってきます!」」
「行っておいでー」
「気をつけてな」
「……」
さくらと祢音を賢人と唯阿とスパナは見送った。
唯阿は軽く咳払いをして、
「賢人…スパナ…」
三つ子の弟達ふたりに声を掛ける。
「私からも」
ん、とふたりに渡した。
「ありがとう、唯阿!」
賢人は爽やかに笑む。
対してスパナは
「…戴こう」
堅い表情のままだ。
「やっぱり不破さんにもあげるのか?」
不意に、賢人にそう訊かれた。
「なんで、あいつに渡さなきゃいけない?!」
反射で、唯阿はそう切り返す。
「んー?仲間なんだから普通だろ。
鞄の中からプレゼントっぽいのが見えてるし」
さらっと追撃(当人はそのつもりでないだろうが)を咬ます賢人に唯阿は焦って、こう反論した。
「これは!飛電の社長さんに、だ!」
嘘、じゃない。嘘ではない。
唯阿は或人に渡すチョコレートを用意していた。……不破にあげる分も…――けれど、公言する程のことでない(唯阿自身が恥ずかしいという話…ただそれだけの話 なのであるが、唯阿にとっては“ただ”でも“それだけ”でもない。恥ずかしいものは恥ずかしいのだ、バレンタインのチョコレートなんて…!柄じゃないし!らしくない!言われなくてもわかっている!だから、自分の本音は心に閉まって、“公言する程のことでない”とする)。
「そっか…だよな!そうだよな!
或人くんにも渡すよな!」
賢人が納得してくれたと胸を撫で下ろし…掛けて
「或人くんの分と不破さんの分を用意した ということかー!」
うんうんと頷く弟に、唯阿は動揺する。
「 っ、いや!それは…ッ」
「あ、もうこんな時間!」
そこで賢人が自身の腕時計を見て声を上げる。
「俺、今日は約束があるんだ!今から出掛ける!」
彼は、それじゃ、と言って家から出て行った。
唯阿は、おそらく賢人は結菜と逢うのだろうと勘づき、溜息を吐く。
ゆっくり顔を上げる、と…――スパナと目が合った。
「…悪いがキッチンを借りていいか?」
スパナが、尋ねてきた。
「? 構わないが、一体どうし…!」
一瞬どうするつもりかと思った唯阿はすぐスパナの意図を読み、
「自由に使っていいぞ」
応える。
スパナは枝見鏡花にチョコレートを贈ろうと考えたのだろう。
10年前に両親を亡くしたスパナがその心に宿る黒い炎によって冥黒の力に染まらないよう、幼い頃からスパナに寄り添ってくれていた鏡花へ、感謝の気持ちを表す為に。――唯阿にはスパナの心境がわからなくはなかった。
というのも、唯阿は自分がZAIAに勤めていたときの或人への仕打ちに対するお詫びとしてチョコレートを渡そうと思い付いたからだ。
「私も今から出る」
唯阿は鞄に綺麗にラッピングされた箱がふたつ入っていることを確認して、玄関ドアを開けた。
「スパナ、」
弟に呼び掛ける。
チョコレート作りに取り掛かろうとしていると思しき彼がこちらを向いた。
―――枝見教授に手作りチョコを渡して、ふたりでゆっくり時間を過ごせるといいな…
そんなことが頭に浮かぶも、それは言葉にせず。
代わりに
「ハッピーバレンタイン」
唯阿はできるだけやわらかく微笑んで。
3号家を後にした。