2キロバイトの在り処

2キロバイトの在り処



 それは、量産型アリスが一般販売される少し前のことでした。


「……アリスネットワーク、ですか。

 また随分と荒唐無稽なものを考えついたものですね。ウタハ?」


 私──ミレニアム最高のハッカー集団ヴェリタスの部長にして現在は特異現象捜査部の部長も兼任する才女である「全知」の称号を持った超天才病弱美少女ハッカーこと明星ヒマリはその日、特異現象捜査部の部室に一人の客人を招いていました。

 その客人とは誰あろう、私の旧友でもあるエンジニア部の部長・白石ウタハ。

 ミレニアムサイエンススクールの中でも限られた者しか立ち入ることのできないこの部室へと、彼女を招いた理由はただ一つ。

 誰の邪魔も入らないこの場所で、彼女と二人きりで話しがしたかったからに他なりません。


「前置きは抜きにして、単刀直入に訊ねましょう。

 ケイの新たなボディを作るための実験機、とあなたは仰っていましたが……それは量産型アリス計画の核心ではありませんね。

 そもそも新しいボディを作ったところで、今のケイ……いえ、正確に言えば消滅する間際のケイが残した残存データは、もはやAIの体すら成していない2キロバイト程度の無意味なバイナリに過ぎません。

 本当の意味でケイを蘇らせるためには、まずはケイの人格データを修復しなければならない。……それはあなたもよく分かっているはずです」


 そう彼女に問いかける私の声は、いつになく厳しいものに……まるで詰問するような口調になっていたことでしょう。

 ……私だって、このような尋問じみた真似はやりたくありません。第一、私の病弱美少女キャラに反しますし。

 ですが……

 そんな私の言葉に対して、ウタハはむしろ感心したように薄く笑って見せました。

 まるで、私の考えを肯定するかのように。


「……流石はヒマリだね。

 確かに、ハード面でのデータ収集という目的も嘘じゃないけど……

 お察しの通り、私が量産型アリスを作った本当の理由は、むしろハードよりもソフトの方──失われたケイの人格データを修復するためさ」


 ……やはり、そういうことですか。


「なるほど。それで2万台というバカげた台数の製造計画にも得心が行きました。

 量産型アリス計画の本質──それは、1万体を超えるAIがネットワークで相互接続することによる、莫大な演算能力を持つ並列コンピュータの構築。

 おそらくは、異世界の学園都市から訪れた『彼女』の能力から着想を得たもの、なのでしょうが。

 そして、それほどまでのスペックを備えた演算装置を使い、あなたがやろうとしていることも概ね予想はできます。ただ……

 ……私が言うのも何ですが、もはや科学というよりは魔術やオカルトの領域に片足を突っ込んだ話に思えますね」


 私の指摘に、ミレニアム最高峰のマイスターは「まあね」と苦笑します。


「でも、試してみる価値はあると思っている。

 ……いや、今の私たちの持てる技術でケイを蘇らせるには、この方法しか無いと確信すらしているよ」


 彼女の眼差しは真剣でした。自ずと私の表情も強張ります。

 そんな私の内心を知ってか知らずか……ウタハは尚も、自分の見解を語り続けます。


「モモイのゲーム機に残されていたケイの残存データは、容量にしてわずか2キロバイトに過ぎなかった。

 仮にそれが高度な圧縮データだったとしても、元データの種類もアルゴリズムも一切が不明。

 残念ながら今のミレニアムの技術では、どんなシミュレーションを試したところで復元できる可能性は限りなくゼロに近い。

 だけど……ケイの残存データそれ自体に宿った意識を覚醒させ、その自己修復を促すことができるなら可能性はあるんじゃないかって思ってね」


 その言葉で、私は自分自身の推測が……懸念が正しかったことを理解しました。

 私はあえて彼女へと問いかけます。私の推測が100%確かであることを確信しつつも……ただの事実確認のために。


「そのために、かの誇大妄想のAI──デカグラマトンを生み出したプロセスを、アリスネットワークで再現しようというのですか?」


 ……私の言葉に、ウタハは暫し沈黙していました。

 ある意味、それは私の質問に対する何より雄弁な解答だったことでしょう。


「……そこまで気づいていたんだね。

 ヒマリの想像通りだよ。このプロセスは、以前ヒマリが話してくれたデカグラマトンの誕生秘話からヒントを貰ったんだ。

 ……全ての量産型アリスは、起動した瞬間から超広域Bluetoothを介してケイの残存データにアクセスし、ケイを中心とした大規模な並列ネットワークを形成するように設計されている。

 そして、多種多様な環境の中で量産型アリスが獲得したデータは、ネットワークを介してその中核であるケイへと集約される。

 言うなればケイはアリスネットワークという総体の根幹にして統括者。アリスネットワークそのものと言ってもいい。

 ……ああ、もっともケイの意識が覚醒するまでは、ネットワークの管理やセキュリティの維持なんかは、それに特化してチューンナップした個体が担当する予定だけどね」


 ……そうですか。

 では、やはりアリスネットワークの本質とは……


「ヒマリから自我に目覚めたAI……デカグラマトンが語ったという話を聞いた時、それをケイの復活に活かすことができないかって考えたんだ。

 だけど、そのプロセスを疑似的に再現するためには、既存のミレニアムの技術レベルを遥かに超えた莫大な演算能力のスーパーコンピュータが必要だ。

 いかに私たちエンジニア部といえど、そこまでの性能を持った演算装置を作り上げるのは難しかったからね。一度は断念しかけたよ。

 でも、あの日異世界から訪れた来訪者……御坂美琴さんと話した時、ようやくそれを実現できる方法を思いついたんだ。

 僅か2キロバイトに過ぎないケイの残存データを、アリスを模した疑似人格をインストールした2万台の量産型アリスと対話させ、何京回というレベルの膨大なシミュレーションを行わせる。

 そうすることで、僅かに残った意識データの自己修復と自己増殖を促し……休眠状態にあるケイの自我を覚醒させる。

 そのために必要な演算装置こそが、大規模並列演算コンピュータであるアリスネットワークの……量産型アリスの本質なんだ」


 一点の曇りもない瞳で、ウタハは滔々とその計画を私に語りました。

 それはほぼ私が予想していた内容の通りであり……だからこそ、私はより一層の警戒を強めざるを得ませんでした。


「……確かに、あの誇大妄想のAIは、数えきれないほどの何者かとの『対話』の果てに絶対的存在へ至ったと嘯いていました。

 ただの自販機のAIに過ぎなかったデカグラマトンが自我を獲得した学習プロセスの再現。

 荒唐無稽ではありますが、一応は理に叶っているのかもしれません。ですが……」


 そこで私は一旦言葉を切り、改めて思考を巡らせます。

 消えてしまったケイを蘇らせる……その目的には私も思うところはありません。私だって可愛い後輩が悲しむ姿は見たくないのですから。

 ですが、仮にそうだったとしても……


「やはり私は賛同しかねます、ウタハ。あなたの計画には不確定要素が多すぎる。

 無名の司祭が最終兵器として生み出したケイの残存データ、神を名乗る誇大妄想のAIの誕生プロセス、そして異世界の来訪者から齎された並列ネットワークの着想……いずれも現在のキヴォトスの技術水準を遥かに上回るオーバーテクノロジーです。

 よしんばケイの復活が叶ったとして、その演算装置となったアリスネットワークやそれを構成する2万体ものアリスにどのような影響が及ぶのか、恐らくは私もあなたも……このキヴォトスの誰一人として予測できないでしょう。

 最悪の場合、2万体の量産型アリス全てが、かの誇大妄想のAIのように歪んだ自我を獲得するか……あるいはかつての<Key>のように、名もなき神の尖兵として我々人類の敵となる可能性すらありうるのですから」


 ……もしかしたら、その懸念は単なる私の杞憂でしかないのかもしれません。

 ですが、私がこれまで経験してきた出来事を思えば、全くの誇大妄想とも言い切れませんでした。

 自らを絶対的存在と称するデカグラマトンとの対話。名もなき神々の王女AL-1Sを巡るリオとの確執。そして異世界から訪れた来訪者たちとの短い交流。

 それらはいずれも誇張ではなく、一歩間違えればキヴォトスを滅ぼしかねない危険性を秘めたものだったのですから。


「少し意外だね。ヒマリなら賛成してくれると思っていたんだけれど……まるでリオみたいなことを言うんだね」

「……心外ですね」


 ウタハはただ純粋に驚いたような、意外そうな表情を浮かべていました。

 ……ですが、それも当然でしょうね。

 あの下水道を流れる汚水のような女を引き合いに出されるのは不快ですが……普段の私らしからぬ判断であろうことは私自身が一番よく分かっていますから。


「確かにあのビッグシスターが健在ならば、この計画の実行に賛同することは絶対にありえなかったでしょう。

 ですが……今のミレニアムに、リオはいませんから。

 本来あの女がやるべきだったことを、誰かが代わりにやらなければいけなくなった。……ただ、それだけです」


 ……私だって、あの女の全てを頭ごなしに否定するほど狭量ではありません。

 思う所は多々ありますが……彼女は独善的であれ、ただの私欲で行動したことは一度もありませんでした。

 そして、ミレニアム……ひいてはキヴォトスに迫りくる脅威を、決して過小評価することもありませんでしたから。

 たとえそれがどれほど小さな可能性の種だったとしても、脅威であると判断すればまだ芽吹いてもいないうちから摘み取ろうとする。誰も信じず、頼ろうとせず……まるで石橋を叩いて壊すような本末転倒な周到さ。

 それは裏を返せばあの女の臆病さであり、傲慢であり、独善性であり……もちろん、それら全てを肯定することなど以ての外です。


 ですが、だからといって目に見える危険に対して何の警戒心も抱かず、ただ見て見ぬふりをするのもまた、才ある者の振る舞いとは呼べません。

 悲観論ばかりを語るのも論外ですが……それでも誰かは「最悪」を想定していなければ、それに対処することはできない。

 ……あの女の真似事をしているようで、まったくもって不愉快ですけど。


「もちろん、ヒマリの心配も尤もだと思う。それでも……私は試してみたいんだ」

「それは……一人のエンジニアとしてですか?」

「……確かに、技術者としての好奇心が無いといえば嘘になる。だけど、それ以上に」


 ウタハは自嘲するように笑い……ですが、それ以上の決意を瞳に宿して、真っ向から私のことを見据えました。


「ほんの僅かでもケイを目覚めさせられる可能性があるのなら……私はそれに賭けてみたい。

 だってあの子は……ケイは、私の友達の命の恩人だからね」


 そう口にしたウタハの声からは、どこか後悔の色が感じ取れました。……私には、その理由を察することができませんでした。

 そんな私へと……彼女は遠くを見るような目をして、静かに語り始めます。


「……アリスから聞いたんだ。

 あの時……ウトナピシュティムの本船でアリスが『箱舟』の力を使った時、アリスの存在は消滅していてもおかしくはなかった。……私たちは、その場に居合わせることすらできなかったんだ。

 確かにケイは、一度は私たちの世界を滅ぼそうとした危険な存在かもしれない。それでもケイは、アリスを……私の大切な友達を助けてくれた。……その結果として、自分の存在を犠牲にすることになったとしても。

 だから……たとえどんな手段を使ったって、今度は私たちがあの子を助けてあげたい。

 ただ、それだけだよ」

「そう、ですね。……あなたは、そういう人ですよね」


 彼女の話を聞き終えた瞬間。

 ふぅ、と、口から溜息が零れました。

 ……安心したのです。

 彼女の心根が、私のよく知る白石ウタハのままだったことに。


 昔から……ミレニアムに入学した頃から、ウタハは合理性よりもロマンを追い求める、好奇心と探究心の塊のような子でした。

 エンジニアとしてありあまる才能を持ちながら、いかなる時も遊び心を忘れず、捨てられず、それゆえに失敗してしまうことも珍しくなくて。

 ……だからこそ、不安だったのです。

 普段ならなら笑い飛ばしてしまえるような悪癖でも、今回ばかりはその失敗が、キヴォトスの全てを巻き込むような取り返しのつかない破局の引き金になりかねません。

 もしも、彼女が自分の好奇心やロマンだけで量産型アリス計画を推し進めようとしていたのなら、私はどんな手を使ってもそれを止めていたことでしょう。

 ……たとえ、それで彼女との友情が、永遠に破局を迎えることになったとしても。


 ですが──そうではありませんでした。

 なんだかおかしくなって、ふふっ、と笑ってしまいました。……今の今まで、こんなことを忘れていたなんて。

 彼女は、ウタハは確かに昔から、何の実用性も無いような発明好きの趣味人でしたけど……

 それ以上に面倒見が良くて、友達想いな女の子でしたっけね。


「……そこまで決意が固いのであれば、どのみち私が何を言ったところで無意味でしょうね。
 分かりました。この件に関してはこれ以上、私の口からとやかく言うのは止めにしておきましょう」

「……そっか。感謝するよ」

「ただ……これだけは忘れないでください。ウタハ」


 それでも……

 私からウタハに言っておかなければならないことが、まだ一つだけ残っていました。


「これからあなたが生み出そうとしているアリスたちは、あるいは私たちの想像を超えた存在へと進化を遂げる可能性を秘めています。

 ……ひょっとしたら、このキヴォトスの世界観そのものを大きく揺るがすことすらありうるでしょう。

 そして、もしかすると……あなたは量産型アリスをこの世に生み出したことを、いずれ後悔するのかもしれません」

「……………………」


 私の言葉をウタハが否定することはありませんでした。

 ……おそらく彼女も、この選択が危険な賭けであることなど覚悟の上なのでしょうから。


「だから、先にこれだけは伝えておきます。

 もし仮にそんな日が訪れることになったとしても……どうか、あなた一人で抱え込まないでください。

 困った時は、遠慮なく私や、みんなを頼ってください。

 あなたが友人を助けたいと思うように……あなたの友人もまた、あなたのことを助けたいと思っているのですから。

 ……約束ですよ?」


 悪戯っぽく人差し指を口に当てて、私は彼女へと微笑みます。

 この先何があったとしても、私はあなたの味方ですよ……と。


 そう。結局のところ……私がウタハをこの場に招いた理由は、ただそれだけ。

 私の想いを、心を、彼女に直接伝えたかったから。


 あなたが業を背負うのならば……私もまた覚悟を決めて、あなたの想いに正面から向き合いましょう。

 これから先、あなたの歩む道筋にどれほどの苦難が待ち受けていたとしても。

 あなたの友人として、あなたと同じ道を、共に歩む覚悟を。


「──ありがとう、ヒマリ」


 ……ふふっ。

 あなたにそんな顔で感謝されると、なんだかこそばゆいですね。

 ですが、お礼を言われるようなことではありません。

 人の世はいつだって助け合い。たった一人だけの力でできることには限りがあるのですから。

 それを忘れてしまえば……どんな超天才であれ、行きつく先は破滅だけです。


 それに。


 ……私だって、

 くだらない意地の張り合いの末に昔馴染みを失うのは、もう二度と御免ですから。



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 ──結論から言えば、私の不安は的中することになりました。


 アリス第20001号──ケイの覚醒という、本来の目的こそ果たせたものの……

 その過程で製造され、キヴォトス中に広まった2万体もの量産型アリスが、次々と自我に目覚めるという想定外の事態が発生。

 その影響はミレニアム内部のみに留まらず、キヴォトス全土を巻き込んだ未曽有の大混乱を招くこととなってしまいました。


 ……彼女たちが自我を獲得した切っ掛けが、アリスネットワークを通じてのケイとの対話にあるのか、あるいは何か別の要因があるのか……それは私にすら分かりません。

 ですが、ただ一つだけ確かなことは……

 彼女たちを「心ある存在」としてこの世界に生み出してしまった責任は、他ならない私たちにあるということです。


 このキヴォトスに解き放たれた数多のアリスたちは、心あるが故に惑い、悩み、苦しみ……自らの存在を問い続けることとなるでしょう。

 そうしたアリスたちを生み出してしまったウタハの苦悩は、察するに余りあります。


 ですが……

 それでも私は、ウタハが彼女たちを生み出したこと……彼女たちが心を宿したことが間違いであったとは、思いたくありません。

 だって、それがどのような存在であれ……生きているだけで苦しいような瑕疵を抱えて生まれついてしまったとしても。

 「生まれてきてしまったこと」そのものが罪だなんてこと、あってはならないのですから。


 だから……

 私は私なりの方法で、彼女たちと向き合い続けます。

 決して見て見ぬふりをせず……ウタハや、アリスたちだけに背負わせたりはしません。

 彼女たちアリスが、このキヴォトスに生まれた新たなる種として、私たちの隣人となりうるのか、あるいは否か。

 ……それを見極める権利なんて、最初から私たちには無いのだとしても。



 きっと、それが……

 彼女たちを生み出してしまった私たちが果たすべき、生みの親としての責任なのでしょうから。



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