2.Stagnation

2.Stagnation



√【INVOKE】





「――――を救わないでくれ」


 世界を終わらせようと云うのに、男は悲壮感すら浮かべず宣った。


 残酷で、穏やかで、荒涼とした虚無の世界。安寧と引き換えに、何れ終わりを迎えるこの世界を男は否定した。しかし私にとってはこんな世界こそが拠り所だった。必然、男との対話は平行線を辿る。


 そのせいで男は余に対し"ある提案"をすることになった。


 余はそれを受け入れた。その結果、多くの苦しみが生まれると知りながら、その決意を止めることをしなかった。


 そうして余は弱い男の代わりに、引金を引いたのだ。


 ......ああ勿論。これは言い訳に過ぎない。誰がなんと言おうとも、すべての責任が余に在った。



 だからこそ余は、そなたの言葉に--






◇◇◇



尸魂界・瀞霊廷某所


 貴族達の住まう瀞霊廷でも特筆して荘厳な屋敷。その豪奢な塀の上に一つの影が降り立った。


 深夜零時、星すら雲に隠れた深い夜。歳十を過ぎたばかりであろうその少年は外套を宙に躍らせると、瀞霊廷において誰もが慄く屋敷を門すら通らずに忍び込んだ。

 恐れを知らぬ侵入者は静まり返った廊下を迷いなく進み、鍵の掛けられた扉を容易に開いては隠された部屋の奥へと立ち入る。途中、明らかに客人ではない外套を被った少年を、見廻りに着く家人が視界に収めるも──声を掛ける事なく通り過ぎていった。

 そうして階段を下り最後の扉を開いた少年の前に、厳重に封印された小さな社が現れた。

 鎖と大量の札、そして独自に編まれた鬼道によって施された強固なその封印は社の中身を外敵から守る為ではなく、閉じ込める為に施された封印だった。

 少年は懐から取り出した霊具を使い、先日新しく施されたばかりの封印を……否、だからこそ易々と解除していく。


 数分の後、完全に解かれた鎖を踏み越えた少年は社の扉を開く。すると中に一尺半程の箱が収められているのを確認し、慎重に取り出した。


 以前より、この屋敷には複数の「尸魂界にとって決して知られてはならぬ遺物」が保管されている事を少年は事実として知っていた。しかし、この箱に収められている筈の「遺物」だけは少年にとっても未知のものであった。

 原因は異常なまでに頑丈な保管体制にあった。なにせ関連する文献や研究資料すらなく、限られた関係者達もこの箱の中身を明言する事は無い。

 とは言っても少年はこれ迄の調査である程度の推測は立てており、結論としては不干渉が適切だと考えていたのだ。

 それがどうしてこの地下深くまで侵入する事にまでなったのか。──それは最近、この「遺物」に関して進展があったせいである。


『魂魄昇華実験への使用』


 尸魂界の戦力不足で混沌としている三界を発展させる為の遺物の解明。そう言えば聞こえは良いが、その実態は少年すらも呆れざるを得ない程の所業であった。

 少年は今迄、慎重に慎重を重ねて動いてきたのだ。目的を遂げる為ならば善も悪もないと、手を汚すことすら恐れぬ少年がしかし、今回に限っては危険を冒してまで箱の中身を回収しに来たのだ。

 その行動が義憤から来るものなのか、プライドを刺激されたが故の行動なのか。それは不確かだが少なくとも少年にとって、愚を冒す理由としては十分であったらしい。


「……霊王の臓腑、か」


 開いた箱の中身が推測通りなのを確認し、次いでにこの状態でも生きている事に思わず眉を顰めて苦笑する。

 それにしても成程、『霊王の臓腑』等という曖昧な表現を使う訳だ。彼らにも品性という概念があるのだな、と詮無いことを考えながら少年は中身を入れ替えるために懐から鉄筒と特殊な保護袋を取り出す。

 ───広げた袋に箱の中身を移し替えようと、ソレに手を触れたときだった。

「……ッ!!」

 一瞬のうちに膨大な量の霊力を奪われ、箱から瞬時に距離をとる。

 驚愕の表情も束の間、直ぐに愉快げな笑みを浮かべて箱を見下ろす少年。話に聞く『霊王の右腕』同様、触れてはならぬ遺物。勿論、最悪の想定はしていたが、然しこれは......


 箱の中身が蠢き光を帯びながら徐々に人の姿を象っていくのを、少年は興奮を押さえつつ観測する。青白い光と異常な霊圧変動が十数秒続き、───やがて5歳ほどの童女の肉体へと滲むように収縮した。

 童女の持ち上げた瞼から覗く、真黒な瞳が少年の姿を射止める。


「.........やぁ? はじめまして、だね...? おかしいな、君は誰だい?」


 記憶にないや、と顎に手を当てる童女の言動をみて、少年は想定していなかった可能性に気付き目を見張る。

 ───この童女から確かめるべき事は多い。だがその前に、己が味方であることを信じさせねばならない。

 少年は慌てたように目を伏せ跪くと、脱いだ外套を童女に差し出した。

「それよりこれを…!」

「おわっと、これは済まない」

 童女はのそのそと受け取った外套に袖を通す。体格に合わぬのを裾を持ち上げて結び目を作ることで合わせようとするのを霊圧知覚で警戒しつつ、少年は状況の説明を試みた。

「僕は藍染惣右介と申します。…死神です」

「………へぇ、藍染君かぁ。いい名前だね!」

 "死神"という単語に反応はせず、否、敢えて避けたのか笑みを浮かべた童女がここはどこかな?と話を促す。

「この場所は五大貴族が綱彌代家の本邸。その地下八十間に隠された大空洞です。───此処へは、貴方の救出に参りました」

 嘘は断じて言っていない。忠誠心など本当は欠片もないことを敢えて告げないだけである。

「そっかぁ、じゃあ早く逃げなきゃだね。どうすれば良い?」

「…少々お待ちを。時間を稼ぐ必要がありますので」

 そう言って少年・藍染は童女に手を貸し箱から引っ張り出すと、鉄筒から明らかに人の"臓腑"らしきものを取り出し箱に収め、蓋を閉じた。

「え、ちょ君それ…」

「……申し訳ありません。本物が無いことを誤魔化すには、本物と同質のものを代わりとする必要があるのです」

「なら仕方ない……?」

「いずれ……取り戻すことも出来るでしょう」

 藍染は悲しげな表情を繕いながら社の再封印を開始する。そうして暫くすると童女が首を傾げて覗き込んできた。

「大丈夫?霊力足りる?」

「残念ながら…。どうやら先程、貴方の肉体の成長に相当の霊力を消費したようで……」

「わぁ、君そんなことまでしてくれたの?」

 だから私の霊圧に君の霊圧が混じってるのかぁ、と呟きながら童女が藍染の左腕に両手を添える。

「今返せる分は返すね。あと敬語は要らないよ?恩人だもん。今度は私が助けるから、友人だと思って気軽に頼ってね!」

 そうにっこり微笑んだ童女の掌から、奪われた霊力が藍染に流れ込んでくる。

 ───青白い光が収縮して以降、童女から一切の霊圧を知覚できなくなっていたのは童女自身が意図的にそれを隠していたからか。

 これ程の精密な霊圧操作ができる者は瀞霊廷でも数少ないだろう。感嘆に値する技量だ。藍染は「ありがとう」と照れくさそうに童女へ微笑みを返した。

 そうして社の再封印を終えると、童女を誘導しながら静かに屋敷の廊下を移動する。

「いいかい?君の霊圧は特殊だ。万が一にも死神達に観測されてはいけない。このまま隠しておくんだよ」

「わかった…」

 童女が不安そうに藍染の袖を掴む。

「大丈夫。堀まで行けば、後は僕が君を抱えて逃げよう」

「……ありがとうね、藍染」


 庭園へ出るといつの間にか雲は晴れ、月明かりが二人を照らし出した。おいで、と手を差し伸べる藍染に童女が縋り付く。


 重なる小柄な影が二つ、堀を飛び越えて、暗闇に翳る瀞霊廷を駆け抜けた。



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