2.8
父さんはCEOではなくモビルスーツパイロットとして死んだ。
状況の説明を聞いたときは到底理解しがたかったが、こういうときの父さんは誰にも止められないことを知ってもいるので、今さら側近を責める気にもなれなかった。未だ実感を伴わずにいるのは、やっぱりきれいなタイプの病死や老衰といったものとは違ったから、死化粧を施され整えられた遺体との最後の体面を果たすようなこともなく、軽い棺を形式的に送って終わりになったせいだと、そう思っている。
「ご長男様との連絡がつかないということですが、相続放棄をされる場合は原則としてご本人様の署名が必要となっておりまして…」
行政書士の言葉に、久々に顔を合わせた親族がうんざりしたようなため息をつく。長男の不在以外にも懸念材料や検討事項は山積みだった。株主総会、取締役会、新代表が就任して、それから…。弁護士も加わり議論されては保留、あるいは決定されていく内容に理解が追い付かず、ラウダは自分が経営戦略科だったらまだマシだったのにと一瞬思った。いや、そうじゃない。父さんがいなくなるのは今じゃなかったはずなんだ。そしてCEOに就任するのは、こうして親族と重役の中で揉めるまでもなく、兄さんになるはずだった。
父の死を飲み込めないまま立て続けに、年の離れた人ばかりいる打合せへの形式的な同席を重ねる中、次のスケジュールは税理士との個別の面談だった。
「連合法に基づいた相続税額を試算したものがこちらになります」
現預金が足りない場合、相続した株を売却して調達するか、借金することになる。父の死を悼み、行方知れずの兄を思う感傷も、その時ばかりは頭の外に追いやられた。10代のうちに自己判断で扱うことになるとは思わなかった桁の金額に対する、きわめて現実的な恐れによって、ラウダの表情は凍った。ピリピリした感覚が、こめかみを冷たく駆け抜けた。
***
寮長としての仕事は片付き、あとは相続の件で返送すべき書類だけが残っている。
兄から引き継がれたばかりの頃は、寮長らしく振舞うことにも不慣れだったし、いちいち気苦労を感じていたが、より程度が酷い緊張感に晒される本社からこうして寮に帰ってくると、相対的にぬるく思えるというのは不思議なものだった。寮の自室に一人、気楽な時間を実感する。
うっすらと耳鳴りがしているが、時間もまだ22時。少しの休憩を挟んでから残りの作業に取り掛かろうと、ラウダは座ったまま大きく伸びをして首を鳴らしたあと、談話室にあるコーヒーマシンまで歩くことにした。
紙コップが自動でセットされ、コーヒーミルがガリガリと動作音をさせるなか、ラウダは待ち時間の手持ち無沙汰で情報端末を手に取った。
壁にもたれながら、既読の処理済み、既読の未処理、未読…CCも含めるとやたらに多いラウダ宛のメッセージを確認していく。すると、ニュース速報のアプリケーションが上から通知を重ねてきた。
テロ発生当日のジェターク社の警備体制に不備が認められたため、第三者機関による本格的な調査が入るとの内容だった。
……耳鳴りがする。
***
ペトラは寮内で、主にグエルの、それから最近はラウダの取り巻きとして認識されているので、ラウダが倒れたという知らせは真っ先に来た。たまたま談話室にいた寮生がラウダを発見し、どうしていいか分からず、とりあえずペトラを呼んで対処を求めたのだ。パジャマ姿で明日の授業の予習をしていたペトラは慌てて自室から飛び出し、現場を見たペトラはまた慌ててカミラを呼び、医務室を開けて、カミラにラウダを運んでもらったのだった。
そんなこんなで、目の前に点滴を受けながら眠っているラウダがいる。当直医によると重大な病気ではないとのことで、ペトラは先ほどのパニックからの現在のひと安心とがまだらになったような気持ちでラウダの様子を見ていた。眠っていると、起きているとき(最近はいつも眉間にしわが寄っている)よりも幼い顔立ちに見えた。興味深くもあったが、意識がないところをやたらに見るのも失礼かなと、視線を手元の学習用タブレット端末に戻す。
ふと思い出すのは、水星女が来る前の話だ。
フェルシーと先輩たちと一緒に4人で食堂のランチを食べているときに、ラウダが飲み物にむせたことがあった。グエルが「大丈夫か」と言い、咽せが収まったラウダが「うん」と言って終わったが、二人ともかたい顔をして、一切の茶化しやからかいもなく、ひどく硬派な雰囲気で話が終わった。ペトラは逆に可笑しく思えた。そう、ここで笑うと怒られそうな気がして「一人笑ってはいけない」が発生したのだった。
尊敬できる人たち。ただ、力を抜いた姿がとても少ない人たちでもある。もっと楽に生きればいいのになとペトラは思う。立場的に難しいから、こうなっているのだろうけど。
「普通に」学園生活を送って…こうして予習の続きなどしてはいるが、いま「普通に」想像を絶することが起きている。ラウダが多くを語らず、そして生活も今のところ何も変わらないので、ニュースの爆心地の隣の隣くらいにいる実感が、ペトラには湧かなかった。
***
目を覚ますと薄暗い白い部屋にいた。
パジャマの上にアウターを羽織った、家なのか外なのか、あべこべな恰好のペトラがそこで椅子に座って脚を組んでいて、視線は学習用のタブレットに集中している。
ふと肘の内側に鈍い違和感を覚えて、見てみると点滴針がそこにあった。
医務室?
「目、覚めました?」
ペトラがラウダの動きに気付いて声をかける。
「睡眠不足と過労みたいっすね。最近、会社と寮とかなり往復してましたよね?ダメっすよ、ちゃんと寝ないと」
ラウダの記憶は自室でコーヒーを飲もうと立ち上がった辺りから曖昧だった。僕、倒れたんだろうか。こうして自分が寝込んでいて、横で人が見守っているなんていう状況は、最後の記憶が子供の頃だったような気がする。深夜に熱が出て心細くなった、当時の気持ちまで妙に鮮明に思い出される。
「…いま何時?」
「えーと、1時15分ですね」
「ごめん、遅くまで」
「大丈夫っす。2時になったらカミル先輩と交代して寝ることにしてたんで、全然」
「……ごめん」
「やめてくださいよ。困ったときはお互い様?っていうじゃないですか」
日をまたいだ深夜ではあったが、ペトラの声色や表情は元気そうで、変わらないことに安心感を覚える。ここ最近の環境変化の激しさは認識しながらも、なんだかんだで動けるし仕事もこなせているので、ラウダには弱っている実感がなかった。弱っていると分かっていたところで、対処するしか無かったのが現実ではあったが。
「目覚めたら呼ぶよう言われてるんで、当直の人呼んできますね」
ラウダとのやり取りに改めて安心したペトラが、タブレットを置いて立ち上がった。そのとき。
「いかないで」
子どものような声色のつぶやきだった。
ペトラは振り返って、信じられないものを見るような目で"ラウダ先輩"を見た。ラウダ自身も自分の発言が信じられず、言葉を失って、うろたえた。僕は何を言っているんだ?
お互いの動揺によるたっぷりとした間ができたあと、ペトラは目を泳がせながらも、黙ってベッドサイドまで引き返した。そしてためらいがちに (まるで子供と話すときに目線の高さを合わせるためにするかのように)そこでしゃがんだ。
ペトラはラウダの目を見て、それから手をそっと両手で握ると、普段の口調よりもゆっくりめに、「必ず戻ってきますんで」と言った。続けて「でも、あの、これは呼べって言われてるんで、仕方ないんで…すみません」。
それだけ言い残し、ぱたぱたと当直室に走っていった。
部屋に一人になり、呆然としたままのラウダの手が無意識に髪に向かう。そのせいで容赦なく点滴針が引っ張られた。「い゛っ……!」スタンドがガチャガチャと大きな音を立て、ラウダは痛みに身を固くして肩を握る。
何も言わなかったことにできないだろうか!どうにかペトラの記憶を消せないか!?
痛みが治まっても残る鈍い違和感が、望まれる役割がどう変わろうと、所詮は生身のただの人間であることを思い知らせてくるようだった。深夜に長時間タブレットを触りながら待っていたペトラの手は、少し冷たくて柔らかかった。心がほどけかけたのが余計に苦しく、ラウダは頭を抱えた。