2015年に書いたハートの海賊団旗揚げネタ
もう二度とどこにも出せねェ!「誰か倒れてるよ、シャン」
「マジで? あ、本当だ。ガキだぞ。ペギー」
「凍傷になりかかってる。熱も酷いし、衰弱も進んでる」
「ドクターのところ持って行こうぜ」
「うん」
微かにそんな声がした。遠すぎて聞こえない。靄がかったような世界の中で、おれの体は軽々と誰かに担がれた。
コラさんを待って既に二日が過ぎた。オペオペの実使い方も分からず、だが死ぬことも出来ずにただ彼を待っていた。体ももう限界が近いのはわかっている。
オペオペの身の使い方さえ分かれば、きっと生き延びられるのに。あの人の最後の願いさえ叶えられないのかと思えば、悔しさで吐き気がする。
「軽いな」
「何才くらいかな。9才くらい?」
――おれを担いでいるのはコラさんだろうか?
いや、あの人の能力はあの人の命と共に切れてしまった。この隣町へ来るはずがない。待っていても、待っていても来るはずがないのだ。
それがどれほど身にしみて分かっていても、俺は此処から動けない。
「おい、このガキ泣いてるぜ」
「悲しいことがあったのかな」
「二日くらい前に隣町で海賊と海軍がやりあってたらしい。それに巻き込まれたのかも知れねえな」
同情するような声。
まだ若い、自分より少し上くらいの声だった。コラさんじゃない。
「おいこら、暴れるなって。悪いようにはしないって」
「うわ、意外と強い!」
「早くドクターのところに持って行こう。このままじゃ死んじまうよ」
ドクター? 医者は嫌だ。
「さらに暴れた!」
「勘弁してくれよ。こんな体でよくそんな元気だな……」
「黙れ離せ! 医者は嫌いだ。コラさんを待ってんだ!来るって言った!此処で落ち合うんだ!」
「あ、しゃべったぜ」
「誰か待ってんのか? ふーん、なあシャンお前こいつを先に連れて行ってよ。俺此処でそいつの待ち人待っててやるから」
「分かった」
自分より背の高い男に軽々と手足を抑えられて抱えあげられる。これでも、ドンキホーテ海賊団の幹部候補として鍛えられた身だ。それをこうも易々と抑え込まれるとは思わなかった。熱で意識が朦朧とする。
「コラさん……」
「ペギーが待ってるから平気だって。あんたの待ち人が来るまで出航しねえでやるよ」
「違う、待ってないとダメなんだ。コラさん、ドジだから、おれがいてやらなきゃ、来るって言ったんだ……」
「その人ドジなの?」
譫言めいたおれの言葉に、男がけらけらと軽く笑う。
「大丈夫。このまま死んだら、そのほうがその人が悲しむぜ」
熱で歪む視界の中で、吹き曝しの吹雪の中手を振る少年が、まるで白黒のペンギンのように見えて滑稽だった。
暴れて体力が尽きたのだろう。意識が遠く霞んでいく。このまま諦めて死ねば、きっと家族にもフレバンスのみんなにもそして、あの人にも会えるのだろう。優しい声が囁く。だが、それはあの人に対する裏切りだという声もした。どれが正しいのかもわからない。意識は吹雪く雪の霞の中に溺れて消えた。
白い島、運命のミニオン。あの人を飲み込んだ白い雪は、おれに何の運命を齎したのだろう。
白塗りの潜水艦が、流氷に紛れてミニオンの湾岸に停泊していた。掲げる旗は、赤十字が髑髏を突き破る海賊旗。
潜水艦のハッチを駆け下りて、患者を背負ったシャン少年が船室を蹴破った。
「ドクター、急患だぜ!」
「あ? 急患だぁ? どれどれ」
蹴破った先にいたのは、老境を迎えて久しい溌剌とした老女だった。凛とした視線がシャンに向く。刻まれた皺も彼女の美貌を損ねないどころか、その豊富な経験を重ねてより魅力的にみせていた。
彼女は椅子に座ってテーブルに足をかけ、ニュースクーから買った新聞に目を通している。
流れる白い髪は頭上で一つにまとめられ、銀色に光る簪が三本ほど根元にさされている。鋭く意志の強そうな輪郭をした緑の目は、きらりと経験と理知に光る。彼女は医者の目で少年の背負った患者を一瞥した。
年経ても衰えぬ抜群のプロポーションを際立たせるカッターシャツと柔らかにくびれた腰の下にはすらりと長いズボンが伸びる。その上に、すこし草臥れた白衣を纏っていた。
「……これは」
ドクターは気怠げな表情を一変させて立ち上がった。
「ん?」
「シャン。成り行きは後で聞くから、今から書き出すもん全部用意しな。ペギーはどうした」
「あいつはこいつの待ち人を待ってる。勝手に連れてきちまったからさ」
「待ち人? こんなところでか」
「ドジだから待ってるんだって。待ち合わせしてたみてえ。なんか事情あるんでしょ」
シャンが説明する間にも、ドクターのペン先は休みなく羊皮紙の上を滑った。
「だいぶ衰弱してる上に、怪我もひどい。体の方の衰弱はおそらく年単位で長いだろうな。怪我は二日前のもの。……抗争に巻き込まれたか。その上この肌の白さ。北の海で“ホワイトモンスター”が出ると医療界で噂になってたが、どうやらビンゴだな」
「ホワイトモンスター? 白鉛病?」
シャンは目を見開いた。頷いたドクターが拭った頬は、確かに白鉛のように白い痣が浮かんでいる。シャンはごくりと唾を飲んだが、患者を手放すことはなかった。
世界政府非加盟国を中心としたアンダーグラウンドの世界で、まことしやかにささやかれる噂。
――白鉛病は感染病ではない。白鉛中毒だ。
その噂を、最も詳しく知っている人がいるとするなら、それはおそらくシャンの目の前のドクターだった。
「恐らく。……この子が白鉛病の最後のクランケだ。白鉛病の完治例はないが、やるだけやってみよう。だが、まずはこの子の命を繋ぐのが先だ。さてできた。シャン、これを頼む」
「アイアイ! ドクター!」
羊皮紙にびっしりと書き込まれた薬と用具に肝が冷えながら、シャンはしっかりと頷いた。
患者をドクターにそっと渡して踵を返す。鋼鉄製の潜水艦に鳴り響く少年の靴音が遠ざかるのを見送って、抱き上げた少年を見下ろした。
「意識はあるかい、坊主」
揺すりあげれば、ぼんやりと焦点の合わない目が開く。
「気を楽にしな。熱は四十一度。これが続けば頭が茹だる。一度下げるよ。怪我がひどいからそれも処置する。ラッキーだね坊主」
「なにが、ラッキー……だ」
「喋れるか。気丈な子だな」
「医者は嫌いだ……」
「カッカッカ、私も医者は嫌いさ。だから海賊なんてやってんだ。だが私は医者でね。白鉛病は治療できるか分からんが、見つけた以上それ以外は治してやる」
ドクターの言葉に、少年は目を見開いた。表情は唐突に驚きから憎しみに変わる。
「離せ、おれをどうする気だ!お前もホワイトモンスターだというんだろ! おまえもおれをバケモノ扱いするんだろう!標本にするのかよ!殺して焼くのかよ!」
「おい落ち着け。暴れると体に障る」
「うるさい! コラさん、コラさんっ!」
「そのコラさんとやらにはペギーが待ってるから、行き違いにはならねえよ」
「コラさん!コラさんは来るって言ったんだ!死んでなんかねえ!来るんだ!待ってないと、待ってなきゃっ」
患者は、尽きかけた命を燃やすようにドクターに必死に抵抗した。その抵抗は的確ではあるが弱々しい。その悲痛な抵抗に、うっすらと何かが透けて見えて、ドクターは眉を寄せた。
「熱で錯乱してるな」
軽く舌打ちして、ドクターは髪に刺さるかんざしを抜いた。
銀の簪の先端は細い針である。細い筒のような構造で、後ろを押せば針の先から薬が垂れた。
「気を楽にしな。目が覚めたら終わってる」
隙をついて首の後ろに刺した注射器に、患者は表情を強張らせた。
「コラさん……」
最後に呟いた子供の縋るような声に、ドクターは遣る瀬無く眉を下げた。
それから二日の間、少年は幽明の境を彷徨った。
「おはよう。ラッキーだね」
「起きた!」
目を開いたら、鋼色の天井がローの目の中に飛び込んできた。
同時に、二人の人間が自分を覗き込んでいる。一人は老女で、もう一人は見知らぬ少年だった。
思わず飛び起きて二人を殴り付けようとするが、その体はぴくりとも動かなかった。
「二日も峠が続いたんだ。体力は尽きてるよ。よく頑張った」
少年に身を起こされて、水を渡された。腕には点滴が付いている。
「2回くらい心臓も呼吸も止まったんだよ」
水を喉に滑り込ませる。一度は噎せたが、もう一口をどうにか飲み下せば体に染み込むように甘露が喉を潤した。
ようやく声が出る。かすれて酷い声だったが、それに精一杯の警戒を込めて唸った。
「……誰だ、お前ら」
「私はこの艦のドクターさ」
「おれはペギー。機関士見習い」
「おれの体に、なにをした」
「打撲の処置と、解熱。凍傷の処置に脱水症状、あとは痛み止めを投与してるよ。随分痛がっていたから。……白鉛病はどうにも手が出せなかった。すまないね」
ドクターの言葉にローは少し驚いた。医者の口から、白鉛病という言葉が嫌悪感なく発されたことにも、やるせない表情で項垂れる医者の顔にも。
「白鉛病のこと知ってるのか」
「知ってる。私は正規の医者じゃなくてね。世界政府が隠す情報も入ってくるのさ。感染病じゃないこともわかったし、調べれば中毒だとも分かった。三年前、聞いてすぐにフレバンスに急いだが、間に合わなかった」
「口ではなんとでも言える」
「それもそうだね。だが、この船に乗っている間、あんたは私のクランケだ。治療は続ける。信用しなくてもいいが、世話はそこのペギーともう一人にやらせるから好きに使いな。あと三日はある筈だ」
ドクターはひらりと手を振って病室を去った。残されたのは少年とローだけ。
「あと三日か。少し増えた」
「三日ってなにが?」
「おれの命の残り時間」
突き放すようなローの言葉に、ペギーは防寒帽の下の表情を強張らせたようだった。
「三日もあれは、ドクターがなんとかしてくれるさ。それよりコラさんって、まだ来ないのか?」
気を取り直したペギーの言葉に、ローはペギーを睨み付けた。
「なんでコラさんのこと知ってんだ!」
その迫力はベビー5のみならず、大概の人を威圧するものだったが、ペギーは不思議そうに首をかしげた。
「何でって、お前が言ったんだろ。コラさんと待ち合わせしてるから、此処から離れられないって。でも死にそうだったから、代わりに俺が残ったんだ。今はシャンが交代してるよ」
「おれが言ったのか」
「覚えてないか? 無理も無い、半分錯乱してたしな」
「そいつ、呼び戻せよ」
「何で? 入れ違いになったら大変だろ。お前があと三日の命ってんなら、尚更だ」
子供に言い聞かせるような声に、ローはかぶりを振った。
「どうした?」
心配そうに、ペギーはベットの横に膝をついて項垂れたローを覗き込んだ。
喉の奥にへばりついて、上がってこない言葉を何とか爪で剥がすようにして、声を出す。
「来ねえ。コラさんは来ねえよ」
震えてしまった声を恥じたが、少年は口を遣る瀬無く引き結んだ。それで全て分かったようだった。
ベットの上の布団で握りしめた手を、自分より少し大きい手が包んだ。
「シャンを呼び戻すよ。だけど、立て札立てとこう。そしたら、コラさんって人が来てもわかるだろ。あんたが回復するまで此処に逗留する予定だし。買い物ならスワロー島まで行けばいいから。あんたが此処にいるって立て札を立てとくよ」
心底案じる声に、ローはぐ、と胸が軋んだ。それはコラソン以外に与えられなかった慈しみであり、コラソンに与えられた心でようやく感じられた温もりだった。
コラソンに心を与えられぬままだったら、その非合理さを偽善と罵り、偽善者と目の前の少年を謗っただろう。
己の心が、誰にもらったものなのか、ローは今初めて自覚した。
以後、事あるごとに感じる心のありかを理解した、初めの一回である。
「あんたの名前は?」
「ロー。トラファルガー・ロー」
思いの外するりと出てきた名前に、コラソンの呼ぶ己の名が重なる。
居ないのだ。どう足掻いても、やはりこの世にあの人は居なくなってしまった。
ローは再び実感したその事実に、再び泣いた。