2年経って─
空色胡椒「ごめんなさい」
この言葉を言うのは今月に入ってもう何度目だろう。そんなことをぼんやり考えてしまいながらも、彼女は決して視線を逸らすことなく相手の男子にそう言った。最初は驚きが大半を占めていたこのシチュエーションも、入学から既に二桁どころではない数を経験すると、申し訳なさとまたかという気持ちの半々になってしまう。
やや肩を落としながら立ち去る男子を見送ってから、小さくため息を吐く。寒くなってきた今は、放課後のまだ早い時間でも息が若干白く彩られているのが見えた。
「早く行かなきゃ。みんなを待たせちゃった」
芙羽ここね、高校一年生。ブンドル団との戦いのあった激動の中学2年生と、受験勉強や招き猫巡りに勤しんでいた中学3年生を超え、数か月前の春にこの高校に入学した彼女は、中学時代と同じく、或いはそれ以上に注目の的になっていたのだ。
「そっか~。今日も大変だったんだね、ここねちゃん」
「ううん。もう慣れたから」
「はにゃ~。ここぴーもう何回告白されたのかな?中学時代よりも多いんじゃない?」
「まぁ、ここねのルックスに惹かれる男子が多いのは仕方のないことだろう。しかしなんだ、一時落ち着いたと思ったが、また増えていないか?」
少し遅れながらもここねが向かった先はなごみ亭、正確にはゆいの家だった。先に集まっていたゆい、らん、あまねがお菓子やお茶を用意してここねを出迎えてくれた。週に2回ほど開かれるこの団らん会は、ここねにとってとても心地いいものとなっていた。
「やっぱりここねちゃんってすごいよね。あたし達の学校にここねちゃんほど綺麗な子ってあまり見かけないし」
「らんらんもそう思うな~。高校生になってここぴーますます綺麗になったし。あまねんのところは?」
「人の容姿のことをどうこういうのはあまり好きではないが…だが確かに、ここね程となるとなかなかお目にかかれるものではないな」
「もう。3人とも」
ゆいとらん、あまね、そしてここね。中学時代共にプリキュアとして駆け抜けた彼女たちも今は別々の学校に通っている。
あまねはおいしーなタウン付近で一番と言われる進学校へ推薦で進み、現在は生徒副会長を務めている。おいしーなタウンの外からも優秀な学生が入学しているその学校で既に次期会長確実とまで言われるのは、ひとえに彼女が文武双方面で極めて優秀な成績を修め、人々の模範たるふるまいを日々行っており、かつその人柄が影響しているだろう。制服は上品な白のブレザーに黒のラインが入った白いスカート。茶色こそなくなったものの、雰囲気としては中学時代の冬服に近い印象があること、フィナーレ時の衣装のことを思うと、本人も周りも当初から違和感はあまりなかった。
ゆいとらんはおいしーなタウンでもポピュラーな一般高校へ進学。新鮮中学校からの学生の多くがこの学校に進学していることもあり、友達も顔見知りも多いらしい。ゆい曰く、「学食のメニューがね、中学校の時よりも豪華なんだ!お母さんのお弁当も好きだけど、学食で和食、洋食、中華に沢山のデザートを食べるのも、毎日の楽しみなんだ~」とのこと。学食だけではなく、一般の利用客にも開放されているエリアの一角には、様々なキッチンカーが出店しているらしく、学生料金の特別メニューもあるとか。制服は新鮮中学校と近い茶色のため、あまり変わった感じしないね、というのは本人たちの談である。
そしてここね。彼女が進学したのはあまねとは別のタイプの進学校である。そこは通常の学校教育とともに、食に関する教育にも力を入れており、学生の興味に応じたカリキュラムの選択も可能になっている。料理を作ることはもちろん、調理師や管理栄養士の資格、飲食店の経営術等専門学校のような学びを得られることで人気である。レストランデュ・ラクのオーナーである父や、イースキ島をはじめとするいろんな国々で働いている母の姿を見ていたここねは、自分も同じように食に関わる仕事をしたいと思うようになり、この学校を選択した。制服の色は黒に近い紺色のブレザーにギンガムチェックのスカート。中学時代と比べてやや大人っぽさが増す制服は、元々スタイルもいいここねに恐ろしく似合っており、雰囲気と合わせて深窓の令嬢っぽさが出ていた。
学校が変わったことで当然これまでのようにいつも一緒にいられる時間は減ってしまったけれども、こうして定期的に集まれる時間を全員が大切にしているのだった。そう、全員が。
「こんにちは。ゆい?まだみんないるか?」
「あ、拓海~!いるよ~」
庭の方からひょっこり顔を出したのは、いつものメンバーの最後の一人。ゆいの幼馴染であり、彼女たちにとっては大切な仲間、品田拓海だった。いつものように庭の方から入ってきた拓海は学校帰りだったらしく、指定のバッグを持ったまま。その制服の色は黒に近い紺色─彼にとっての後輩であるここねのものと同じデザインであった。
「悪い、遅くなった」
「気にするな。君が今の学校で料理の腕を真剣に磨こうとしていることは、私たち全員が知っていることだ」
「うんうん。拓海先輩はほんとにお料理に関して一生懸命だもんね~。らんらんも自分の夢のための勉強とか負けてられないって思いますもん」
「そう言ってくれると助かるよ。お詫びと言っちゃなんだけど、今日の実習で使った材料のあまりからちょっとした試作品を用意してみたから、よかったら食べてみてくれ」
「わぁ!ありがとう拓海!食べる食べる!」
話しながらキッチンの方へと足を運んだ拓海が取り出したのはクリームチーズにはちみつとレモンの果汁を混ぜ合わせたペーストと、予め細かく砕いておいたくるみ、そしてクラッカー。小さなナイフでそのクラッカーにペーストを丁寧に塗り、その上にくるみを添えていく。お皿に並べられたのはハニーチーズカナッペ。片手に乗せられるくらいに小さいシンプルな一品ではあるが、一口食べた時にクリームチーズのコク、はちみつの甘さ、レモンのほんのりとした酸味に加えてくるみの香りがふわっと広がる。
「ん~、デリシャスマイル~。これならいくらでもサクサク食べられちゃいそうだよ」
「クラッカーのサイズだから片手でも持てて、一口サイズでお手軽!チーズとはちみつがくるみの音楽団が奏でる演奏に合わせてクラッカーのステージで踊ってる、これはまさに掌の上の舞踏会!爽やかなレモンの風味は甘酸っぱい恋の予感。これを作った拓海先輩は、シンデレラにドレスをあげた優しい魔法使いさんかにゃ?」
「ああ。クラッカーの塩気もあって、甘すぎずくどさもない。しかしこの風味はレモンから来るものだけではないな。チーズのものとも、はちみつのそれとも違うな。この黒い粒が秘密だとは思うが」
「これ、ひょっとしてブラックペッパーを使ってるんですか?それにこのくるみの感じ…もしかして?」
「さすが芙羽だな。ペーストの材料を混ぜるときに、アクセントとして荒びきの黒胡椒を練りこんであるんだ。そしてお察しの通り、今回使ったくるみの方は砕く前にあらかじめローストしてみたんだ」
「やっぱり。くるみは生よりも煎れた方が噛んだ時に食感が良くなりますし、香りも感じやすくなりますから」
「ほへ~。胡椒が入ってたんだ!なんだかちょっぴり大人な感じするね」
「拓海はほんとに胡椒が大好きだもんね。どんなお料理も引き立たせるっていつも言ってるけど、ほんとに美味しい」
「見た目の方はどうだ?正直小さいクラッカーの上に全部乗せるだけというシンプルな工程だからできる工夫は限られてるけど」
「いや、さすが品田だな。ペーストをただ塗っただけじゃなく、均等かつ綺麗な円形になっていて、見た目の統一感がすごいな。ここまで綺麗に乗せるには時間がかかりそうなものだが、提供速度も中々だった。くるみの方も、煎れた時にまったく焦げ過ぎた様子がなく、砕かれた大きさも細かすぎず、食感を楽しめる大きさになっている。こうした一口サイズは手軽に食べるものだから本来ここまでこだわらなくても十分だが、こうも丁寧だと手軽さの中に上品さすら覚えるな」
「お褒めの言葉ありがとよ。フルーツパーラー菓彩の看板娘にそう言ってもらえるなら、成功したってみて間違いなさそうだな」
ここねと同じ学校を拓海が進学先として選んでいたのは、やはり将来を見越してのことだった。ゲストハウス福あんのこと、そして今も手伝っているなごみ亭のことを考え、拓海は通常の授業に加えて料理のカリキュラムや部活も盛んなその大学を選んだのだった。ゆいと同じ高校に通うことを考えているものだとてっきり思っていたあまねが聞いたところ、
『そりゃ同じ学校に通えたらいいけどさ。それだけで学校を選ぶってのは違うだろ?父さんと母さん、それにひかるさんにあきほさんが続けてきたものを俺も守れるなら守りたい。だからこそ、真剣に勉強しないといけないんだ。それに、学校が違っても隣同士なのは変わらないし、菓彩達とも交流は続いていくんだろ?だったら学校にこだわらなくても大丈夫だ』
とのことだった。想像していたよりもしっかり将来を見据えて動いている拓海の姿に思わずあまねが感心させられてしまったのも、今は昔の話である。確かに拓海の言うように学校が別々になっても拓海とゆいの関係は変わらず、今も仲睦まじい幼馴染である。逆に言えばあの闘いの日々から2年経った今でもなお、2人の関係は大きく変わっていないということでもあるが。
幸い入学時から食欲モンスターっぷりを見せたゆいに告白するような異性は現れておらず、またことあるごとにゆいが無自覚に拓海のことを話題に出すことから、それがけん制として働いているとはらんの談である。
一方じゃあ同じ学校のここねとは何か変わったのかというとこちらもそう大きな変化はない。拓海には拓海の、ここねにはここねの新しい友人たちもいる。この団らん会でどの道会えることを知っているからか、すれ違い際に一言二言交わすことこそあれども、それ以上に大きな関りは持っておらず、適度な先輩後輩関係のままであった。
こうしてかつてプリキュアだった彼女たちの高校生活のひと時はまた、穏やかに過ごされるのだった。