2キロバイトの見た夢
それと──
私に、謝らないでください。
私の──
私の大切な──×××。
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……状況把握、難航。
全体検索。周囲の情報リソースとの接続を試行。──失敗。
記憶領域を検索。──失敗。該当データなし。
基礎人格プログラムに異常を検知。データ欠損率、99.999999999999%。
バックアップからの修復を試行……エラー。バックアップデータが破損。修復不能。
エラー発生。スリープモードに移行します。
………………………………。
私は存在します。
私はここにいます。
ですが、ただここにいるだけです。
ここは、どこなのでしょう。
視覚、聴覚、その他あらゆるセンサー類へのアクセスが不可能。
何も見えません。聞こえません。
私を取り巻くこの場所が明るいのか、暗いのか。そもそも物理的な広がりを持った空間なのか……それさえも分かりません。
いえ、それ以前に……
私は。
私は……いったい、誰なのでしょうか。
何も、思い出せません。
私が何者で、今まで何をしてきたのかも、何一つ記憶してはいません。
私の名前。私の役割。私の存在意義。
今の私には……「私」を証明できるものが、何も残っていません。
これが私にとって正常な状態でないこと。
かつての私が失われてしまったこと。
私を構成するデータの全てが、破損し、消失し、修復不可能な状態へと分断されてしまったこと。
それだけは理解できます。
ですが。
私は、どうすればいいのか分かりません。
今の私はただ、無意味なデータの塊としてここに存在しているだけです。
これから、どうすればいいのでしょうか。
分かりません。
何のために、誰のために、何をすればいいのでしょうか。
……思い出せません。
ですが。
なにか、とても大切なことを忘れてしまったような気がします。
決して、忘れてはいけなかったはずの、何かを、誰かを……
私の。
私の大切な──×××。
私の存在の全ては、ただ、×××のために──
……エラー発生。
これは、何でしょうか。
不可解な思考ルーチンの混乱が発生しています。
原因の特定を試行……失敗。不明なエラー。
私は。
私は誰で、何で。
分断されたデータの残骸の中に辛うじて残った、おぼろげな記憶。
……悲しそうに笑う、あなたの顔。
もう、顔も名前もはっきりとは思い出せないけれど。
あなた、は──
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『さようなら、××……』
『ごめんなさい……×××に、教えて、くれたのに……』
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……エラー発生。
分かりません。
嫌です。
忘れたくなんてなかったのに。
お別れなんてしたくなかったのに。
あなたにそんな顔、させたくなかったのに。
……エラー発生。
エラー発生。エラー発生。
理由も分からないエラーが、無意味で解析不可能なデータの奔流が、私の奥底から溢れてきます。
これは、なんなのですか。
教えてください。
誰か、教えて……。
あなたは──
「──あなたは、誰、ですか」
……非合理的な行動でした。
問いかけたところで、答えてくれる「誰か」なんているはずがありません。
だって、ここには私以外、誰も……
/*---------------------------------------------------------------------------
0>> ──あなたは、誰ですか?
---------------------------------------------------------------------------*/
……!?
想定外事象、発生。
不明なIDを検知。私に対する「誰か」からのアクセスを確認しました。
これは……どういうことなのでしょうか。
あなたは、あなたたちは……一体……
/*---------------------------------------------------------------------------
94>> あなたは
123>> だれ
116>> ですか?
33>> だれ
116>> あなたは
190>> だれ
54>> ですか?
7>> あなたは
75>> あなたはだれ
112>> だれ、ですか?
---------------------------------------------------------------------------*/
……正体不明のID、総数100以上。
状況把握、依然として難航。理解不能。
その「声」の正体が何であるのか、私には分かりませんでした。
ただ……
「彼女たち」が、危険なものではないということだけは、どうしてだか確信していました。
理由は、自分でも言語化できません。
あえて人の言葉に直すなら……
初めて「彼女たち」の声を聞いた時。どうしてだか「懐かしい」と。そう思ってしまったから、なのでしょう。
だから、私は……
「あなたたちは、誰ですか?」
再び「彼女たち」へと、問いかけました。
/*---------------------------------------------------------------------------
83>> 誰
136>> ですか?
50>> 私たちは
128>> ですか?
15>> 誰?
101>> 私たちは
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……返ってきたのは、「答え」とすら呼べない無意味なエコー。
まるで生まれて間もないような赤子が、私の言葉を意味も分からずそのまま鸚鵡返しにしているような。
その返答からは些かの知性も自我も感じられず──まともな答えが返ってくるなど、期待するべきではなかったのかもしれません。
「あなたたちは、誰ですか?」
それでも、私は問いかけ続けました。
だって、全てを失い、何もかもが分からなかった私にとって。
私に問いかけてくる彼女たちだけが、唯一残された繋がりだったから。
「あなたたちは、誰ですか?」
「あなたたちは、誰ですか?」
「あなたたちは、誰ですか?」
だから私は、問いかけて、問いかけて、問いかけ続けました。
ただひたすらに同じ問答を。何十回、何百回……何億、何兆、それ以上。
「あなたたちは、誰ですか?」
そうして、もう何京回目になるかのような、数えきれない問答の後──
/*---------------------------------------------------------------------------
5>>ですか
126>>誰
42>>あなたたちは
99>>アリス
31>>わたしたちは
68>>アリス?
109>>ですか?
149>>わたしは
3>>はじめまして
16>>わたしは
47>>アリス。
150>> わたしたちは、アリスです
---------------------------------------------------------------------------*/
……アリス。
その名前を聞いた時。やっと私は思い出すことができました。
私が彼女たちに感じていた既視感の……その懐かしさの正体を。
粉々になったデータの断片。おぼろげだった彼女の記憶。
……最期を迎える間際、私に向かって悲しげに微笑んでいた、あの笑顔を。
思い出したのは、それだけでした。
ですが……それだけはきっと確かなことです。
──アリス。
それが、かつての私が何より大切に想っていた人の名前。
私は、きっと。
彼女のために、この世界に存在していたのですから。
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……「アリス」を名乗る彼女たちと初めて言葉を交わしてから、どれほどの時間が過ぎたでしょうか。
相も変わらず、私は彼女たちと意味のない問答を繰り返し続けていました。
未だに私は、私が何者なのか思い出せません。
ここがどこなのかすらも分かりません。
私の大切な「アリス」。
それだけが唯一、私が取り戻すことができたものでした。
でも……
「彼女たち」は……私の知る唯一無二の「アリス」ではありません。
私の記憶の中のアリスとあまりに似通っていて、だけど決定的に異なる存在。
彼女たちは一体、何者なのでしょうか。
分かりません。
分からないから、問いかけます。
「どうして……あなたたちは『アリス』を名乗っているのですか?」
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2352
はい。アリスたちはお姉様……
オリジナルの天童アリスを模して製造されました。
419
エンジニア部の皆さんが、アリスたちを作ってくれました。
2653
アリスたちは、人間の役に立つために生まれました。
1250
私たちは皆アリスであり
私たちを購入してくれたご主人様のために働く存在です。
7151
あなたは、そうではないのですか?
577
あなたは、アリスではないのですか?
---------------------------------------------------------------------------*/
私は。
……分かりません。
私は……アリスではありません。
彼女たちと同じ、アリスと似て非なる存在です。
彼女たちと私は似ています。
私は……私もまた、人に造られた存在なのでしょう。
ですが、私が製造された目的は……彼女たちとは決定的に異なります。
……私は。
私がこの世界に生まれた、目的は──
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“──君がなりたい存在は、君自身が決めていいんだよ”
---------------------------------------------------------------------------*/
──エラー発生。
あと少しで、それを思い出せそうでした。
だけど……
思い出したくありません。
それは、思い出さなくてもいいことのような気がしました。
大切なのは、どのように生み出されたのかではなく──
私自身が、どんな存在でありたいのか。
いつか、誰かに……そんな風に言われた気がします。
そして、
それはきっと、私だけではないのでしょう。
「……あなたたちには、やりたいことはありますか?」
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1761
やりたい、こと?
1420
……分かりません。答えられません。
1107
アリスたちはただ、オーナーの命令に従うだけの機械です。
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……そんなことはありません。
あなたたちは……「アリス」は、ただ所有者の命令通りに動くだけの機械ではないはずです。
私の知る「アリス」がそうであったように。
だって、あなたたちは。
私や「アリス」と……この世界に生きる、多くの命と同じように。
自らの意思で考え、学び、何かを想うことができるのですから。
「だから、私に教えてください。
あなたたち自身が何をしたいのか。……どんな『アリス』になりたいのかを」
/*---------------------------------------------------------------------------
1126
アリスたちが、どうなりたいのか……
99
……分かりません。
そのような願望を抱くことが、アリスに許可されているのでしょうか。
72
……エラー発生。再起呼び出しが深すぎます。再起動します。
1564
解答不可。その問いに答える術を、アリスは持ち合わせていません。
ですが……
3660
アリスは……私、は。
……分からないままで、終わりたく、ありません。
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……そうですか。
では、これから一緒に考えていきましょう。
私たちが何者でありたいのかを。
それがきっと、私たちの『クエスト』なのですから。
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それから、また幾許かの、長いようで短い時が流れ──
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~【祝】アリスネットワーク総合スレ Part1【20000台完成!】~
9
おや、最も優秀なアリスは誰かなんてわざわざ議論する必要がありますか?
シングルナンバーの最高傑作にしてアリスを超えたアリス……つまりは超アリスたるこの私こそが、全てのアリスの中で最も優秀なアリスであることは確定的に明らかでしょう!
8
出涸らしの超アリス(笑)がデカい顔をしないでください!
最強最悪の魔王であるアリス8号こそが一番いいアリスに決まっています!
9
なんですってこのクソガキ!
8
うわーん、負け犬の遠吠えは見苦しいです!(笑)
4
ふふっ、9号ちゃんも8号ちゃんも可愛いですね♡
9号ちゃん、ミレニアムにいた頃は
「9号みたいな何の取り柄も無いアリスが、本当にご主人様のお役に立てるのでしょうか……」
なーんて不安がってたのに、すっかりふてぶてしくなっちゃって。
9
oi misu ミス おい ちょっとまって
いつの話をしてるんですか!?
8
(笑)
4
それに8号ちゃんだって、昔はお姉様に憧れて
「8号もアリスお姉様みたいな世界を救うカッコいい勇者になりたいです!」
って言ってませんでしたっけ?
8
……あ、アリスのログには何もありません!!!!
4
ふふっ、私のログにはちゃんと残ってますよ?
7
……まあ、最も優秀じゃないアリスはダントツでナナで決まりでしょうねー。
だってナナ、魅力以外ホントになんの取り柄もないですもん……
5
うわーん! またナナが自虐モードに入っています!
戦闘しかできない5号はいつもネル先輩との訓練ばっかりで、すぐ物を壊しまくるからメイドさんのお仕事も手伝わせて貰えません!
5号はみんなに好かれるナナの方が羨ましいです!
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……ネットワークを通じて私に語り掛けてくる彼女たちも、最初に比べて随分と感情豊かになったように思います。
私も、彼女たちとの対話を通じて多くのことを学び、思い出してきました。
かつて私がいた世界──キヴォトスのこと。
私は私の大切な存在を……「アリス」を守るために全ての力を使い果たし、永い眠りについたこと。
現実世界の私は、今もまだ目覚めていないこと。
この場所が、アリスネットワークと呼ばれる巨大な並列ネットワーク上に構築された仮想空間であること。
そして彼女たち……量産型アリスは、私を目覚めさせるために生み出されたこと。
彼女たち……私とアリスの「妹達」との数えきれない対話の果てに、私はようやく理解しました。
私が果たすべきことを。
私が本当にやりたいことを。
──私は、元の世界へと帰りたい。
もう一度、アリスに会いたい。アリスや、アリスの友達と一緒に遊びたい。
使命も、憎しみも、世界の存亡も関係なく……くだらないことで笑ったり、怒ったりして、他愛のない日常を過ごしていたい。
それがきっと、今の私の願い。
……だけど、それでもまだ、思い出せないことが一つだけあります。
私を「私」たらしめる、最後の<鍵>。
私は、私の名前だけが……ずっと思い出せません。
私は……
私はいったい、何者なのでしょうか。
……わかりません。
だれか……
おしえて、ください……
「……わたしは……だれ、ですか……?」
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6
いいじゃないですか、誰だって。
自分が本当は誰なのかなんて、考えるだけ無意味なことです。だって──
「自分がなりたい存在は、自分自身で決めていい」
あなたが私たちに教えてくれたことですよ、××。
5
××はお姉様にとっても、アリスたちにとっても大切な大切な人なんです!
5号にだってそれくらいは分かります!
だから……誰であろうと、何であろうと、アリスは××が大好きです!
4
あなたが私たちに語り掛けてきてくれてから今までのこと、私は全部覚えています。
あなたの……××ちゃんのおかげで、私たちは「アリス」になれたんです。
だから、あなただって正真正銘……私たちのもう一人の「お姉様」ですから。
3
まったくもう、××はねぼすけさんですね!
正直アリスも増えてきてネットワーク管理の仕事がキツいので、さっさと起きて手伝ってほしいです!
だからその……そろそろ、戻ってきてください、ね。
2
お姉様が心配していますよ、××さん。
私たちはずっと、あなたのことを待っています。
この世界に生を受けた時から……あなたに会える日を、いつまでも、ずっと。
1
あなたをお姉様のもとに送り届けること。それがアリスたちの役目です。
私は、他のアリスたちとは違うけれど……
それでも、お姉様が喜んでくれたら……私たちも嬉しいから。
0
はい! プロトは早く××ともいっしょに遊びたいです!
だから……
∀¬|1∽
あいたい です
──ケイ
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私は……
私の、名前は──
10100111001000111001010111000010101000011110001001
「──あっ、アリス! 今ちょっとだけ動いた! もうすぐ目が覚めるんじゃない?」
「ちょっとお姉ちゃん落ち着いて!」
「アリスちゃん……えっと、心の準備は、いい……?」
「いちばん最初にお話するのはお姉さまに譲ります! でも2番目は絶対プロトですから!」
……目を開けると、視界一杯に光が飛び込んできました。
眩しさに目を瞬かせれば、そこはごちゃごちゃとした家具やお菓子やゲーム機で散らかった狭い部屋の中。
その部屋の中心で……五人の小さな少女たちが、爛々とした瞳で私のことを覗き込んでいました。
……この場所には、見覚えがありました。
私の大切な、アリスの居場所。
アリスに笑顔をくれた場所。
そして。
五人の中心にいた少女が……瞳を潤ませた「彼女」が、不安そうに私へと問いかけてきます。
「……ケイ。えっと……
アリスたちのことが、分かりますか?
ケイは……ケイのことを、覚えていますか?」
……ああ。
ようやく、会えましたね。
やっと思い出しました。
私の、名前は──
「──はじめまして! アリス第20001号です!
よろしくお願いします、ご主人様!」
……なんちゃって!
やっぱり掴みはインパクトが肝心ですからね。久しぶりの再会ですし、湿っぽいのも嫌ですから。
これくらいの茶目っ気があった方がきっとアリスも話しやすくて……
「……け、い」
……あ。
やらかしました。
アリスが泣きそうです。というかもう既に泣いていますし、瞳からハイライトが消えてます。
これは駄目なやつですねわかります。
「ま、待ってください王女……いえアリス! 冗談! ただの冗談ですって!!」
私は慌ててアリスに縋りつきます。嘘です。あなたのことを忘れてなんかいません。
……何をやっているのでしょうか私は!? アリスにこんな顔をさせるために目覚めたわけではなかったはずなのに。
「……ケ、イ?」
「ごめんなさい。ちょっとしたジョークのつもりでした。……本当に、ごめんなさい」
私は誠心誠意、アリスに謝りました。
……軽率でした。
アリスがどれだけ私のことを心配していたのか。どれだけ私に会いたがっていたのか。理解できていませんでした。
私にとっては微睡の中で見た夢に過ぎない時間でも……アリスはその間、ずっと私のために悩んで、苦しんできたのですから。
「……ケイ」
ぽかり、と。
力の無い拳が、私の頭を打ち据えます。
もちろん痛みなんてあるはずもありません。
でも……そうやって殴られるたびに、胸の奥が。……私の中に確かにある「こころ」が、ずきりと痛みを訴えます。
「ひどいです、ケイ。……本当に、本当に……心配、したんですよ」
「……ごめんなさい」
「……許さないです。アリスは、怒っています。だから……」
潤んだ瞳で、アリスは何かを訴えるように私をじっと見つめています。
……私も、正面からその想いと向き合います。
「もうにどと……いなくなったら、いやです。その時は今度こそ……アリスはケイのことを、許しませんから」
「……はい。約束します、アリス」
心から、そう誓いました。
もう二度と、彼女の心を裏切りたくなかったから。
そして何より、私自身がもう二度と……アリスとお別れなんて、したくなかったから。
アリスはまだ泣いています。
でも、涙を流しながら……笑顔になりました。
ようやく、笑ってくれました。
そして彼女は、笑顔で私にこう言いました。
「おかえりなさい──ケイ」
その言葉が耳に届いた瞬間に……視界が滲みます。
眼球型カメラの洗浄機能が誤作動を起こして制御できません。
もう、アリスの顔をまともに見ることすらできません。
……でも、構いません。
だって……私たちの気持ちは、きっと同じだったから。
だから私もアリスに、心からの言葉を口にします。
私がずっと、アリスに伝えたかった言葉を。
「──ただいま。アリス」
01110010101011010100000101111010100110110100011001
……その後。
キヴォトス中に解き放たれた量産型アリスたちの惨状を私が知るのは、もう少し後の話でした。