10月15日

10月15日

潔伊生、糸師冴、糸師凑、アリス・プリンス

「お誕生日おめでとうございます。」


そう言って、潔伊生は小さな花束を差し出してきた。いや、なぜ花束と考える間もなく答えは出ている。そうか、今日は


「誕生日、か」


「忘れていらっしゃったんですか?凑さん」


あははと困惑混じりに苦笑すると、そうだったんですねと言葉が返ってくる。ぐうの音も出ない。仕事と趣味に明け暮れて自身の生誕日を忘れるなんて。冴や凛、凉に言ったら想像の3倍ほどの威力を持った言弾が返ってくるに違いない。こう言っては何だが、目の前にいたのが伊生で良かったと息を吐く。


「恥ずかしながら...そういう伊生くんはよく知ってたね?」


「クリスからお祝いするんだ〜ってはしゃいでたのを見まして...覚悟していた方がいいですよ」


「ヒェッ、...え、クリスがわざわざ...?」


「ふふふ」


パーツと顔の位置の黄金比がとれた美しい顔で口角を上げる。少しばかりの恐ろしさと嬉しさで変な声が出てしまった。

とりあえず、青緑色の花束を受け取る。仄かに香る優しい香りが鼻腔を擽り、どこか知っている匂いだと察する。それは、誰かが使っている香水に似ていた。


「...あのさ、伊生くん」


「僕は何も言いませんよ?」


...ちくしょう。



ーーーーーーーーーー


日本の仕事先で潔伊生に会うとは。不思議なこともあるのだなと思いつつ、JFUの廊下を進む。すると、見覚えのある背の低い金髪の女性がこちらに向かってくる。


「あら、やっぱりソウ!まさか日本で会えるなんて!」


「アリスさん!?...いや、どうも。俺も会えるとは思いませんでした」


「ふふ、会えて嬉しいわ。あっ、此処にいることはクリスにナイショよ?」


しーっと人差し指を口に当てる。動作が健気な少女のようで、幼い頃の凛のようにも思えてしまう。それにしても、クリスに内緒で来日しているとは。大丈夫なのだろうか。


「それとねソウ!クリスやイオから聞いたわ!」


「えぇと、なにを」


「お誕生日おめでとう!今日はソウの誕生日なのでしょう?」


そう言って差し出されたのは、これまた小さな花束だった。先ほど伊生くんに渡されたのとは違い、片手で持ててしまうほど小さなもの。よく見ればこれは生花ではない。


「...入浴剤?」


「此方にいる時に可愛らしくて買ったの、薔薇はお好き?」


「はい、朝露が滴る画が一番...」


「良かったわ〜。長旅で疲れてしまう時に使ってみてほしいわ。またマンシャインにいらして。貴方が撮るクリスや他の選手の写真が、一番好きなの!」


些か、女性らしいのではと感じつつ、薄い水色の花束を見つめる。アリスさんを見ると、クリスが嫉妬しそうなくらいには綺麗な笑みを浮かべていた。その笑みに思わず頬が緩んでしまうのは、ご愛嬌というものだと思う...多分。



ーーーーーーーーーー


家へ向かって50分過ぎ。いくら電車でも鎌倉までは遠い。海に浮かぶ無数の星空を写真で撮りながら歩く浜辺。え、寄り道している?いいじゃん別に。そこに撮りたい景色があったから撮っただけ。

荷物を傍に置きながら、水面に映る月を撮る。雲もない星を散りばめた美しい空が、濁りのない海面に映されて、月光が薄く辺りを照らす。

嗚呼、何と素晴らしい光景か。


気の済むまで撮った後、荷物に入っているスマートフォンが振動しているのに気がつく。ホーム画面を開くと、そこにはスペインにいる俺の弟、糸師冴の名前があった。

また休みの時に電話してくれたのか、と急いで開く。


『遅ぇ』


「ごめん。もしかして何回か電話した?」


『した』


短い弟の返答に安心感を覚えつつ、もう一度ごめん、と呟く。鼻を鳴らして拗ねたのか、少しだけ語気が強い。凛といい冴といい、自分の弟はどこか甘えたがりというか、態度で示しすぎと言うか。


『早く出ろって言ってるだろ兄貴。また写真撮ってたのか』


「ああ、日本の空が綺麗でさ。今海辺にいるんだ。」


『寄り道しないでさっさと帰れよ、バカ兄貴。どうせ俺以外からも連絡来てるぞ』


「だからごめんって...そっちはまだ練習中か?」


海風に髪を揺らしながら、離れたところにいる弟と電話で立ち話をする。頼りにしているFWが怪我してから少し変になったとか、日の入りが早くなって寒くなったとか、塩昆布茶が切れそうだとか。相変わらず塩昆布茶が好きなんだ、食の好みが渋いな。


「こっちも相変わらずだ。絵心くん...か?早く良くなるといいな。」


『あぁ...ところで兄貴、週末にはこっちに来んのか?』


「その予定のはずだ。レ・アールから仕事が来て...、多分冴にも会えると思う」


『...一日時間空けとけ』


「え、なんで」


『何でもだ、バカ兄貴』


そういって軽快な音を鳴らして通話を終える。10分に及ぶ電話は、冴の強引な誘いで終わってしまったようだ。それにしてもバカ兄貴はないだろうに。


「...帰るか」


十分写真も撮ったし。

荷物を肩に下げてまた歩く。家に帰れば凉や凛がいるんだろうな、と。きっと今頃サッカーの試合でも見ているのではないだろうか。あの二人は仲がいい、上手く話せない自分よりも。


「時間を作ってみるか...、いや、練習に付き合う?」


週末の仕事が終わったら、少し休暇を取ろう。

そう考えて、家の方向へ向かって歩く。



リビングに入って、凉と凛からルイージのぬいぐるみと一眼レフを貰って、誕生日パーティーをしたのは、また今度語ろうと思う。


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