1・血と漆
@ゴリラふと目が醒める。
朝を告げる鐘の音が、街の中央にある塔から響いてきた。軽く伸びをして窓に目をやれば、なにかの動物の皮で出来た遮光の為のカーテンは既に開けられており、日の光が部屋を照らす。
「お目覚めですかな、若様。」
自分の旅に同行してくれている初老の男…自分の剣の師でもあり、従者でもあるセルバスが自分に声をかけた。
「セルバスはいつも朝が早い。俺はまだできれば眠っていたいよ。」
「そうはいきません。何事も朝から始まるのです、鐘が鳴れば仲介屋の戸も開きましょう、依頼の報告をせねば。」
仲介屋。別の呼び方ではギルドとも呼ばれる、街や村を管理する諸侯の手が及ばない"やっかい事"を街のごろつき、懐の寂しい者、傭兵の一団といったはぐれ者達に依頼という形で解決させ、報酬を支払う…といった事を文字通り仲介している店だ。
自分達は旅をしている。路はあまり遠くないが、目的となる場所に行くには"金とそれなりの名声"がいる。貴族の父と喧嘩別れし、自分の力で何かを成せると証明して見せると意気込んだ自分にとって、それはとりあえずの目標になるものだった。
この街に住んでから一月程の時間が過ぎた。家で受けた教育により文字の読み書きができ、セルバス譲りの剣技を身につけていた為、それなりに仕事はあった。街の有力者になるべく顔を売れそうな依頼をコツコツとこなし続けているが、まだ何か特別な声掛けはかからない。
「若様、焦らぬことです。何、心配めされるな。若様が腑抜けた様子をみせればすぐにこのセルバス、若様の尻を思い切り叩きつけ、奮起させて差し上げましょう。…父上の元に泣き帰ろうと、とりなしもある程度はお任せくだされ。」
冗談じみた調子でセルバスがそんな事を言うものだから、腐った様子など見せられたものではなかった。いまだに自分の尻には若い頃にセルバスに叩かれ、刻まれた痣が残っていた…。
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「はいよぼっちゃま、今回も仕事が速いね。」
仲介屋の受け付けに立つ、恰幅のいい女性が冗談めかしながら依頼完了の確認をとる。
こんなよばれ方をしてるのは、セルバスが必ず自分の事を「若様」と呼ぶからだ。一月の時間の中で顔見知りになったごろつき達も、ふざけて自分の事を若様と呼ぶ。毎度の如く自分は渋い顔を浮かべながら、受け付けの女性に声をかけた。
「他に依頼はあるかな。…あー、また権力のありそうな人に媚びと顔、売れそうなやつ。また代理の決闘人募集とかそういうの。」
「そういうのは無いねぇ。ただ、一つあんた向きのがあるよ。顔が売れるかどうかは知らないけど、ウチの常連の中じゃ条件を満たしてるのがアンタだけのやつ。一つ、貸しと思って受けておくれよ。」
そう言うと獣の皮で作られた依頼書を渡してきた。上等な物だ…父の書斎で見かけた物と似ており、貴族や諸侯達が使うに値する品質の物。依頼主は裕福か、それとも…。少しばかり期待を膨らませながら、依頼文に目を走らせた。
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「依頼してから3日も立ってないのに速いねぇ。それに…年は20以下、中肉中背で金色の髪に青の目、男…最悪30かそれくらいの男でもあたしゃよかったんだが、依頼文ぴったりの男じゃないか。仲介屋も捨てたもんじゃない、かい?」
女の両側には厳つい男が立ち、此方を威圧するような視線を向けている。女は派手な格好をしており、見せびらかす用に剣を腰に下げており、その面には一線の傷痕が走っている。
この街の付近は所謂辺境であり、街の管理もハッキリ言ってずさんだ。ごろつきどもが街をうろつき、外では盗賊が蔓延る…なんて、事はない。その理由が目の前の女だ。
管理者といっても大まかに分けて二種類の人間がいる。表の管理者と、裏の管理者。目の前の女は裏のそれだ。ごろつきどもをまとめ、犯罪を一手に管理し、悪党どもの社会を作り上げ、支配している…。極北の地方ではやくざ、極東ではマフィアなんて呼び方をされている人間。そんな人間からの依頼なんてろくなもんじゃないはずだ。依頼文の内容はこうだ…
「一晩、場合によっては二晩同伴をたのみたい。腕の良し悪し問わず、しかし貧相な肉体の人間はお断り。人相は指定の通りに。」
自分は最初これをみて、正直腑に落ちなかった。だが多くの人間がみる依頼文にそう詳細を書き込むこともないだろう、と考え深く考え込むことはしなかったのだ。
セルバスに視線を向ける。セルバスは少しばかり顎に生えた薄ら髭を撫でると、依頼主の女に問いを投げ掛けた。
「その依頼、この爺も共に参ってよろしいのですかな?それがしらはなるべく、特別な事情がない限りは二人で動くことを是としております故。」
女の視線が一瞬天井へ向く。その一瞬で思考を整えたらしく、
「構わないよ。こっちの指示にしたがってくれるならね。」
と答えた。裏の権力者も、表と往々にして繋がっている物。軽率といえば軽率だが、待ち望んでいた好機でもある。
言葉にせずとも伝わる。
セルバスのあの返答は自分への"信頼"だ。
問題事も、ある程度なら切り抜けられるだろうという。その信頼に答えるのは自分の役目だ。そう心に決め、依頼を受けることを承諾した。