毒を以て毒を制す
この騒動が始まった時、最初は気付くことすらできなかった。不穏な気配は蛇のように近づき、音もなく平穏を丸吞みする。なにが起きたかすら理解する間もなく、気付けばいつの間にか私の日常は崩壊していた。
【砂漠の砂糖(サンド・シュガー)】
それは、砂糖の様に甘く芳醇で、口にした者に空を舞うような多幸感を与える甘味料でありながら。服用を続けるとやがて幻覚や幻聴等があらわれ、一定時間服用しなければとたんに怒りっぽくなり攻撃的な性格になってしまう、高い依存性を誇る麻薬であった。
友人や姉妹、あの早瀬さんさえも摂取していて、封鎖するころまでにミレニアムに大きな禍根を残していった。甘味料であったせいで私の好きなプリンも手に入りづらくなっていた。
一刻も早く元の日常に戻りたい。そう願っていたとき、ふとあるものが視界に入った。治療薬班の人員募集についてのポスターだった。目にした瞬間、私はそこに向かって走り出した。
治療薬班の皆は私を快く迎え入れてくれた。そこからは忙しくも充実した日々を過ごすことができた。この事件で今も立ち直れていない人たちに対して不謹慎かもしれないが、私はそれなりに楽しかった。私の友人たちの症状が和らぐごとに、私の日常を取り戻せるという確信を強めることができた。私は何も失っていない、今は辛く苦しくとも、これは一時的なもので、すぐに元の青春に戻れる。そう思えた。
私には才能があったおかげか、すぐに頭角を現すことができた。赤冬の雪を元に症状を和らげる薬を開発したのはなんとこの私だ!しかし、これでは事態を解決できるほどのパワーを秘めていない。そんな風に悩んでいると、ふとあるアイデアが浮かんだ。毒を以て毒を制す。アビドス砂漠の砂を治療薬の原料にしてみることだった。
砂糖の原料となる砂を使うのだ、麻薬のようなものになるのは万が一にもあってはならない。まずは動物実験で安全性を確かめる。その実験の結果は理想的で、まさに銀の弾丸といっても良いものだった。
箇条書きすると下記のようになる。
①投与した量に応じて同量の砂漠の砂糖・塩を無害化する。
②依存性なし。
③事前に投与した量に応じて同量の砂漠の砂糖・塩に対して耐性を得る。
④投与して一定期間で耐性を失う。
⑤耐性を失ってから投与すればまた耐性を得る。
1と2は必須の前提条件だ。しかし3は望外の結果だ。4が玉に瑕だが5で克服できる。
被験者を募り確かめた結果、変わらず①から⑤の性質が確認できた。こうして【砂漠の砂糖(サンド・シュガー)】に対する予防・治療薬が完成したのだった。
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予防・治療薬の発明。このニュースの発表はミレニアム中に歓喜の声を響かせた。ミレニアムに残った患者は完治し、無事な人々は【砂漠の砂糖(サンド・シュガー)】を気にせずに済む元の日常に戻った。量産はすでにされており、すべての人々に十分な量が与えれた。ミレニアム外にも配る準備は進んでいる。アビドスに支配された地域以外の人々はこの事態の終息を間近に感じていた。始まりのように潜む蛇の影に気づかぬまま。
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「やっほー、ホシノちゃん」
「なんですかアポピス」
「だめだよ、この姿ではユメって呼ぶって約束したでしょ」
「チッ、それでなんですかユメ先輩」
「毒を以て毒を制すっていうでしょ」
「火で火は消えませんよ」
「そうなの!だから私はそうやって毒(予防薬)で毒(未接種者)を制して、火(予防薬)で火(砂糖)が消えないようにしたの。私たちの勝利だよ!」
「よかったですね。それで?これからあなたは何をするんですか。まだ砂祭りは始まってませんよ。契約は守ってくださいね」
「私の仕事は終わったし、王女の承認が下りるまで待機かな。それまでの間はアビドスの繁栄を楽しんでねホシノちゃん。今までありがとうね」
「こちらこそ、いろいろあったけどなんだかんだ感謝してるよ。ありがとう、助かったよアポピス」
「コラー、ユメ先輩でしょ」
「今くらいユメ先輩の皮を被らず私の感謝を受け取って。君がいなかったらどこかで私は潰れていたと思う。少なくともここまでアビドスを復興させることはできなかったはず。今までありがとうね」
「こちらこそ随分助けられました。これからもよろしくお願いします。小鳥遊ホシノ」