凪「玲王…いる?」
玲王「いるよ、凪。ホラ、お前のこと抱きしめてるだろ」
分かんねぇなら、もっと力強くしようか?と腕に込める力を強めて、イタズラっぽく笑う玲王の存在に凪は安心する
そして、昨日は記憶を思い出さまいとしてベッドで無理矢理引き離してしまった玲王を、今はしっかりと腕の中に抱き寄せて、その髪に顔を埋めて匂いを感じ始める
凪「…」
深呼吸する度に、記憶の粒が砂嵐のように凪の脳裏に流れ込んでくる
吸い込まれそうになる意識の中、明滅していたオレンジ色の燈が目蓋の裏に静かに灯った
この匂いの中、記憶の中の自分は、心地よい風を感じていたことを思い出す
車よりも遅く、歩くよりも速く
玲王と自分は自転車に乗ってどこかへ向かっているみたいだった
玲王『自転車乗ってると、風が気持ちいーな』
凪『うん』
玲王『自転車の後ろってこんな感じなんだなー。お前っていっつも俺の後ろで何考えてたの?』
凪『んー、レオいい匂いだな〜って』
玲王を自転車の後ろに乗せて、他愛ないことを話している
辺りを見回せば、そこは河川敷
ずっと感じていたオレンジ色の景色は、夕焼けの色だったことに凪はようやく気付いた
そして場面は変わり、夕暮れの空は夏から秋の色へと変わる
同じ河川敷を自転車を漕ぎながら荷台に乗る玲王と共に、空の色を眺めていた
凪『俺、この色…スッゲェ好きなんだよね』
玲王『あー、たしかにキレイ、だよな』
凪『うん。だから陽が沈みきる前に、今日レオとこの空を見たかったの』
再び場面は変わり、部屋の中で何やら不機嫌になっている玲王に対して、自分は何やら慌てた様子でドリンクを作っている
玲王『うわ…——!』
グラスに黄色のシロップらしきものを入れると、青から紫へとグラデーションを纏う夕暮れのように色を変えたドリンクを見た玲王は、興奮気味に喜んでいた
玲王『えーっ!?スッゲェ!めっちゃ綺麗じゃん…!!』
凪『レオとの練習終わりにいつも見てたこの夕暮れの景色…陽が沈んじゃうこの時は「今日もレオと一緒にいる時間が終わっちゃう」っていつも寂しかったけど、レオと2人きりになれるこの時間が、俺にとっては宝物だった…』
凪「(…宝物、か)」
玲王と過ごした思い出の記憶は次々と遡り、頭の中を駆け巡っていく
そして寒くなった屋外で、フェンス越しに夕陽を感じている記憶
寒いはずの季節なのに、汗をかくほど走って練習し、倒れ込んだ自分は玲王に汗だくのままおんぶされていた
凪『…レオって変だよね』
凪「(うわ、俺…また拗らせた言い方してるし)」
誤解を生みかねない不器用な言い方をしてしまう自身を、凪は何とも言えない歯がゆい気持ちで眺める
玲王『何それ?お前に言われたかねーけど』
凪『だって俺と一緒にいるのめんどくさがらないから』
玲王『ハハ、全然許容範囲。つーか』
玲王『お前といると楽しいからな』
凪「(あ…)」
あと一秒、もう一秒だけと
陽が落ちてしまうまでの一分一秒を惜しむようにして、玲王と過ごすこの夕陽に染まる時間がもっとずっと続けば良いのに、と自分は思っていた
冬の日の夕暮れは夏よりも早くて
陽が沈んで、暗くなってしまったら
そして、玲王の顔が見えなくなってしまったら
もう、サヨナラの時間だから
面倒臭がり屋の自分が汗だくになってまでずっと欲しかったものは
玲王と二人きりで過ごす、この何気ない宝物のような時間だった
凪「(そっか、俺が忘れたくなかった大切な記憶は、これだったんだ…)」