「ウララちゃん、何を描いてるの?」
「あっ、ライスちゃん! これはね、トレーナーの似顔絵だよ!」
のどかな昼下がりのトレセン学園に、少女たちの声が響く。
艶やかな黒髪の少女と、麗らかな桜の瞳の少女──ライスシャワーとハルウララは、親しい友人の間柄だ。
「ウララちゃんの、トレーナーさん? ……うん、上手に描けてるね!」
「えへへ、ありがとう! いつもがんばってるトレーナーにプレゼントするんだ!」
「わぁ……素敵だと思うよ! ……あれ?」
「どうしたの、ライスちゃん?」
ふと、ライスシャワーは気付く。ハルウララのトレーナーは、特別に目立つ外見をしている訳ではないはずだ。
しかし、担当ウマ娘である彼女の描くトレーナーは、何故だかピンクの髪色をしている。
「ウララちゃんのトレーナーさんって、ウララちゃんと同じ髪色だったっけ?」
「……ふっふっふ! そこに気が付くなんて、さすがライスちゃん!」
「あ、ありがとう……?」
「とくべつに教えてあげるね、誰にも言っちゃダメだよ! ……実はね……」
──わたしのトレーナーはね、桜の妖精さんなんだって!
~ ~ ~ ~ ~
「シューズよし、宿題よし、体操服よし。忘れものなーし!」
『了解。それじゃ、鍵閉めるね』
日暮れ近づくトレセン学園に、二人分の声が響く。
朗らかな声音と、落ち着いた声音──ハルウララとそのトレーナーだ。
「宿題手伝ってくれてありがとう、トレーナー! これで明日もバッチリだよ!」
『うん、それは良かった』
「えへへー……あ、そうだ! トレーナー、今度プレゼントあげるね!」
『プレゼント?』
トレーナー室から建物の出入り口へ並んで向かう。
香水を薄く付けているのだろう、トレーナーからは、桜の香りが仄かに感じられた。
「うん! いつもお世話になってるから、そのお礼だよ!」
『お礼かあ……楽しみにしてるね』
「うんうん、楽しみにしててね! ……あ、キングちゃんだ!」
『丁度タイミングが合ったのかな。彼女と一緒に、寮に戻る?』
「うーん、そうする! ばいばい、トレーナー! また明日ねー!」
『うん、また明日』
同室のキングヘイローの元へ駆けていくハルウララを、手を振り見送る。
キングヘイローのトレーナーと他愛もない話をしながら建物を出、やがて別れる。
誰もいない、黄昏時の桜並木。
そのうち一本に、ゆっくりと近づいて、手を触れ、身を預け、目を閉じて。
沈むように、その姿が解けた。
~ ~ ~ ~ ~
桜の樹の下には恐るべきものが埋まっている。
使い古され、最早陳腐な概念と化したそれは、而してやはり信じてもいいことなのである。
何故と言えば、ここがトレセン学園だからだ。
いったいどんなウマ娘にしても──それは白熱したレースが一種の幻視を伴うように、華やかなライブが却って荘厳ささえ感じさせるように──その心身が躍動するときには、周囲の人間のそれを超えて空気まで燃やすような熱を持つものだ。
それは人を惹きつけてやまない、なんとも、生の輝きに満ちたものだ。
しかし、長い間に蓄積し続けて、人々を悩ませたものもそれなのだ。
その輝きはどこか悠遠なものを感じさせ、反対に影を落としさえした。
学園の門から先、はらはらと咲き散る桜並木の下へ、一つ一つ恐ろしいものが埋まっているのを想像してみるといい。
憧れのようなもの、誇りのようなもの、そして喜びのようなもの。情動はみな爛れて、堪らなく重い。それでいて果蜜のような雫をたらたらと垂らしている。
桜の根はいっそ母のように、それを抱きかかえ、乙女がストローで吸うように、その水を飲んでいる。
あの花蕊や花弁は、あの萼は何で出来ているのか、私には根の吸いあげる果蜜のような雫が、貞淑に列を為して、樹幹の中をのぼっていくのが見えるようだ。
───何も不思議なことはないだろう。当然のことじゃないか。
熾烈な競争の末に夢破れたウマ娘、
身に過ぎた練習に体を壊すウマ娘、
栄光の背中を追うばかりのウマ娘、
彼女たちの情動が結実した恐ろしいものが、
そうして美しく笑う桜の花を育てるものが、
───あの桜の樹の下に埋まっているものが、私なんじゃないか。
ああ、花よ、冷たい冬から芽吹く、温かな春よ。
足元の私を、重苦しいものを越えて、皆に愛されて、いつまでも。