t棘の浜 新11話

t棘の浜 新11話


男は少しして、自分が息をしていないことに気づいた。無呼吸はいつしか過呼吸へと変わり、男の心は妻への恐怖で塗り替えられていた。男は、助けを求めるように通信機の方へと向かう。


『茂、加奈! ……そ、その、町民会議はこれで終わり……だ。二人とも、明日はいつもの時間に登校してくれ。……それじゃ。』


混乱した男は、そのまま通信を切ってしまった。


「先生、どうしたんだ?」

「聞き出すしかなさそうだけど……それは明日でもできるし、今日はもう帰るわ。アンタも、明日までに気持ち整理しておきなさいよ。」


加奈はそう言って窓から出ていった。今回の会議は最後の流れで幾分か納得し、マシな終わり方をしたものの、茂に不満と懐疑心を植え付ける結果となった。

下の階で、ドアの開く音がする。両親が帰ってきた。今日の波乱はこれで終わる。だが、明日になるまで茂の憤りは収まらない。

茂は頭を抱え、一日中小さな声で唸り続けた。




———夜が明けた。今日もいつものように教室へと向かう。不満と疑心を抱えた茂の足取りは、いつもよりずっと重かった。


「……おはよう。」

「茂、遅いわよ。もうちょっとで遅刻よ遅刻。」

「いや、無理もない。昨日はあんな話を聞かせてしまったんだ。非は俺にある。」


教室に三人が揃った。男は茂が席に着くのを確認すると共に、話を切り出した。


「昨日の件だが、やはりまず謝らせてほしい。本心でなくとも、子供たちを悪く言ったこと、段階の踏み方が甘かったこと。本当に済まなかった。」

「先生。」

「なんだ?」


茂は手をまっすぐに上げ、下を向いたまま男に言葉を向けた。


「オレ、昨日一晩考えたんだ。なんで昨日の件だけで、こんなに先生のこと疑ってるのかなって。それで、見つけたんだ。まだ聞けてないこと、必要なのに聞けてなかったこと。」


茂は目線を上げ、男の目を見つめた。


「先生は、なんで俺たちの味方なの?」


男は大きく息を吐き、部屋全体を見回した。加奈が茂の質問に頷く様子、茂がこちらに向ける目線。全ては、男の予測した方向に動いていた。


「確かに、俺は話してなかったな。お前らを外に逃がしたい理由。無論、お前らのことが大切だからだ。……だが、これが一番の理由に来るわけじゃない。だから、お前らにはあまり言いたくなかったんだ。」


男は顔を落とし、小さく愚痴を言った。予測した方向に動いても、それが自分にとって都合のいいものというわけではないのだ。

「……それでも聞きたい。聞かなきゃ、先生を信じられない。」

「そうだな。俺の一番の目的は、町の閉鎖だ。俺たちに与えられる薬だが、これの製造と町での死亡者には、直接関係してないようでな。」

「根拠はあるの?」

「昨日のように、死体をこちらで管理していることだ。向こうは回収しようとする素振りさえ見せない。」

「向こう?」

「ああ。この町を管理、というより作った野郎のことだ。」


また出てきた。この町を作り、町民から崇められ、男にルールを示した謎の人物。その人物に、ついに迫る。


「気づいたかもしれないが町を作ったのも、ルールを示したのも、同一人物だ。ここでは……創設者とでも呼ぶか。二人には外にいる俺の知り合いと協力して、創設者から町の管理権限を奪ってほしい。」


二人は息を飲んだ。男が今初めて、計画に混じった私欲を語っている。男の言葉そのものの重みを初めて感じている。


「権限を奪えば、俺はやっと二人と合流できる。誰にも咎められることなく、町の外に出られる。そうしてやっと、俺の目的に取り掛かれる。」


男は一旦間を置き、二人の方をもう一度よく見つめ直し、ようやく目的を話し始める。


「俺の目的は、町民全員を外の世界に復帰させることだ。」


二人は自分の耳を疑った。そして言葉の意味を理解すると、顔をしかめて呆れた。


「先生さぁ……真面目に答え過ぎだよ。先生自身のねがい事はないの? 続きが読みたい漫画があるとかさ、そんなのでいいのに……。」

「流石に私もどーかと思うわ。安心はしたけど俗っぽさが足りないのよ。」

「そ、そんなに言われることか? 大体、俺には町長としての責務もあるし、子供たちを殺した罪を町民全員で償う義務もある。そんなこと言ってられないんだ……。」


茂から、男への疑心は消えたが、同時に尊敬の念も少しだけ薄れた。二人は、男はもっと近しい存在で在ってほしかったのだ。


「じゃあさ、今作ってよ。町長でも町民でもなく、オレたちの先生としてのねがい。」

「そうだな……三人で、海にでも行きたいな……。」

「「うみ?」」

「ああ、俺の古いお気に入りだ。もう一度、見てみたいんだ……。」


男はずっと昔に見た、綺麗な海を望んだ。きめ細やかな肌色の浜と透き通るような碧い海。いつか三人でその景色を見る、そのためならと、男は堅く拳を握り直した。

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