t棘の浜 新10話

t棘の浜 新10話


『では、室岡夫妻の自殺について話そう。と言いたいところだが、やっぱりこれは後回しだ。おそらく、加奈が納得していても茂の方は追い付いていないのだろう。醜態を見せておいてなんだが、時として相手の心を勘定に入れるのも大切だ。覚えておいてくれ。』


男は落ち着いた口調で加奈の催促を振り払った。


『会議が始まるのは10時ちょうど、お前らは情報と気持ちを整理して待っていろ。室岡の件もこの時話そう。』


男はこの言葉を最後に、通信を切った。


「別に先生が変わったわけじゃないのよ。私達が知らなかっただけ。」

「でも……オレは知りたくなかった。先生が……そんなことするはずないって」


茂は苦悶の表情を浮かべて拳を固めた。尊敬する男が自分たちの知らない所で外道を働いていたのだ。そして今は、目の前の加奈の心境が全く読めない。何故今の話を聞いて動じないのかが分からない。


「責めれる立場じゃないでしょ、私達も。薬が必要じゃなかっただけで、今の生活をするために見ず知らずの子を犠牲にしてたのは先生と同じなのよ。」

「だとしても……どうして割り切れるんだよ……。」


言い負かされて尚、茂はそれを許容できなかった。12の子供が自分が会ったこともない誰かの死によって生活できていたと聞かされれば、当たり前の反応なのかもしれない。


「室岡さんの死亡で二年分の寿命が足されたわけだから、先生ならあと二年は誰も殺さないでしょう。」


加奈は目を閉じて茂の肩に手を置いた。現在時刻は8時25分、二人は言葉を交わすこともなく、互いに背を向けて寝たふりをしていた。茂の両親が家を出る音が聞こえても、二人は反応を示さなかった。




———「茂、起きてるんでしょ。」

「……お前もかよ。」

「……そろそろ10時よ。」


2時間前の微妙な空気のまま、二人は男からの連絡を待った。画面にマークが現れ、加奈は受信状態に切り替えた。


『…………良い知らせを持ってきた。』

「これ、先生の声……だよな?」


その声は男のもので間違いなかった。だが、別人のような口調と威圧感だ。


『先日、室岡夫妻が亡くなった。原因は家庭トラブル、不在着信があったので駆け付けてみると、二人は共に死んでいた。酷い有様だった。互いに能力を惜しみなく使い、殺し合っていたようだ。』

「お、おいこれ……室岡さんは自殺したんだよな?」

「何かきっと理由があるのよ。」


男は自殺であることを偽り、家庭トラブルと話した。嘘であると分かっても、二人にはその真意が見えない。


『だが、そのおかげで素晴らしいものが手に入った。それがこちら、鮮度の高い成人男女の死体だ。勘のいい者ならばもう気づいただろう。肝心の臓器、生殖器がまだ死んでいなかった。』


男は狂ったように高らかに、鼻息を荒くして町民たちに語りかけた。もはや元の男とは別人、二人がこの場にいたとしても、同一人物と断定できなかっただろう。


『つまり! 我々は室岡夫妻の遺体を用いて家畜を増産、殺害し、永遠に生き続けられるのだ!』


二人は絶句した。男の性格を知っているが故に、男が子供を家畜と呼んだ事実を受け入れられなかった。男は狂人を真似続けた末に、その枠組みすら超えてしまった。


『だが、生殖器などというデリケートな臓器を操作するのだ。それ相応の技術と経験がかかる。見積もりでは3年程かかりそうだが、少し駆け足で二年で終わらせると約束しよう。』

『町長、一つお聞きしたいのですが、よろしいですか?』


通信機の向こうから、茂の父親の声がした。


『その場合、茂、加奈両名の処遇はどうなるのですか?』


二人は事前に打ち合わせていたらしい。一昨日の電話の内容が繰り返される。


『当然の質問だな。知っての通り、これまでの計画では16を過ぎた二人に子を作らせることとなっていた。現時点で、室岡夫妻のスペア、殺処分という選択肢もある。だが、それでは不十分だ。12年も手塩にかけて育ててきた甲斐がないだろう。そこで、二人には外の世界の調査を任せようと思う。』


二人の脳内に一瞬、慈愛に満ちた元の男が戻ってきた。そして、ショックで鈍っていた思考が少しづつ回復する。


「「先生……まさか……!」」


二人の思考が重なった。もし、このままうまく進めば、男は調査という名目で自分たちを送り出す。その際、町民は誰一人としてこれを止めない。最も安全かつ確実に、二人は町を抜け出せるのだ。


『しかしだ。君たちの中には"あの方"の怒りを買うのではと考える者もいるだろう。案ずるな、あの方は我々がこの楽園を抜け出す可能性を否定したのであって、禁止したわけではない。快く送り出してくれるだろう。だがもしそうなった場合のため今ここに、私が全責任を取ることを誓おう。』


『あの方』というのが誰なのか、二人にはなんとなく想像がついていた。二時間前一度話題に上がった、『町のルールを説明してきた男』だ。今もさっきも、奴は話の中核にいたことが根拠となって、二人に意識させた。


『何か質問はあるか?』


通信機の向こうは静まり返り、数秒が経過した。


『では、これにて町民会議を終了する。今回は異例の事態となったが、無事に終われたことを嬉しく思う。』


町民会議が終わり、パイプ椅子がガタガタとなる音が聞こえる。町民たちは関わり合いを避けるように、そそくさと集会所を出ていった。

やがて、集会所は静まり返り、残るは男とその妻、子安杏子のみとなった。


「あなた、素敵でしたよ。」

「ありがとう、杏子さん。少し緊張したけどうまくいったよ。椅子は自分で片付けておくから、先にご飯作っておいてもらえるかな?」

「ええ、あなたの好きな唐揚げ、用意しておきますね。それはそうと、」





「今日はうまくできましたね♪」


杏子は男の顔を大きな瞳で覗き込んだ。舐めまわすように男の表情を見ると、満足した様子で離れていった。

男はほんの一瞬恐怖と驚きの混ざった表情を晒したが、すぐにそれを振り払い、照れくさそうな作り笑顔を杏子に見せた。


「それじゃ、先に帰ってますね~。」


男は杏子の帰りを確認すると、しばらくの間、固まったまま動けなくなっていた。作り笑顔さえ固まったまま、指一本動かせなかった。

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