s棘の浜 新9話

s棘の浜 新9話


6時45分、茂は久々に清々しい朝というものを見た。瞼は軽く、体はすでに温かく、適度に腹を空かせていた。いつものようにシリアルを貪り、歯を磨く。少し余裕ができたので数日ぶりに部屋の掃除をしてみる。


茂は溜まったゴミを捨てに下の階へ降り、また部屋へと戻る。現在の時刻は7時41分。ドアを開けると、目の前には加奈がいた。


「おはよっ」

「お前いつの間に……。」

「アンタが部屋を出たときにはもう居たわよ。まだコート脱いでなかったけど。」

「これ、もうオレも見えなくなってるんだよな。」

「ええ、再起動めんどくさいからあんまり部屋出ないでよね……。」


加奈はそう言って気だるげにあくびをした。声にも締まりが無いのを見るに、どうにも昨日は寝付けなかったらしい。


「めずらしいのな。お前が眠そうにしてんの。」

「そうね。これの教科書読んでたら12時驚いたわ過ぎてて。」


そう言いながら、加奈は袋から通信機を取り出した。


「チャンネルは44であってるわよね……。」


慎重にボタンを操作し、受信状態を確認する。数秒後、画面に通信可能のマークが表示される。


「やるわよ茂……!」

「おう……!」

ピッ!


『あ……あ……聞こえるか?』


砂嵐の後に聞こえた声は、男のものではなかった。


「先生……じゃない。確か……室岡さん?」

「は? おい、加奈、どうなってんだよ!」


声の主は、加奈の家の近くに住む室岡正平の声だ。二人にしてみれば非常事態だ。三人の秘密にいきなり部外者の声が混ざってきたのだ。室岡の声の異様な落ち着きにも気づかず、二人は焦り出した。


『こちらは一旦切る。送信状態にして答えてくれ。』

「私は先生と連絡したはずだけど、なぜ室岡さんの声が聞こえるのかしら?」


加奈は少し強気に訊いた。よく考えてみればおかしかった。これまで毎朝タバコを吸っているところを見かけたのに、最近になってめっきり見かけない。それに見かけなくなった辺りで、男が室岡宅を出入りするのを見かけたのだ。


『問題なさそうだな。二人とも、落ち着いて聞いてくれ。俺は今、室岡の遺体を使ってお前たちと会話している。』

「い……たい……?」


送信権が室岡に戻った。室岡はこの流れを読んでいたような反応を見せる。そして一つ前置きを挟むと、ゆっくりとした声で説明の難しい現状をカミングアウトした。


『二人にはこれまで黙っていたが、俺の能力は死体の肉の操作だ。俺自身は会議の受付で通話できないから今こうして室岡の遺体を動かして話している。』


最初の前置きが無ければ、唖然として聞き入れられなかっただろう。二人は男の言葉を素直に受け付けられず、話した内容をメモする方針へと移った。


『……整理が着いたら折り返してくれ。』


二人は内容を整理したメモを共有し、状況を確認する。


「先生は死んだ人を操れて……その力で室岡さんを話してる……。」

「つまり、室岡さんはすでに亡くなったってことよね。……聞いてみるしかなさそうね。」


加奈が送信状態に切り替えた。


「質問は二つあるわ。まず一つ、今喋っているのは室岡さんの皮を被った先生って認識でいいのよね?」

『それでいい。』

「じゃあ二つ目。室岡さんはどうして亡くなったの?」

『死因は自殺だ。だが、この話をするには前提を話す必要がある。聞いてくれるか?』


室岡、もとい男は少し弱気に尋ねた。声のトーンが一段下がり、電話越しに空気の重さが伝わってくる。


「ええ、勿論。茂も準備できてる?」

「……大丈夫だ。」

『……ならば話そう。俺たち大人はあるルールの下生活している。死人の数に応じて、寿命を延ばす薬……というものだ。一旦切る。整理がついたら折り返してくれ。』

「なんだよ、それ……。どこから訊けばいいんだよ……!」


どうにもこれでは情報が足りない。人知を超える能力をもってすれば、寿命を延ばすことも可能なのか、そもそも男は誰からそれを聞いたのか、聞けていない内容が山積みで、何を聞けばいいのか分からなかった。


「……あ、あ、もしもし先生? これ、全部説明する暇ないのよね?」

『……ああ。一部の質問は後回しにさせてもらう。』

「茂、ちょっとメモ貸しなさい。じゃあ先生、もとの寿命はどうやって把握したのかしら?」

『ルールを説明してきた野郎に余命五年と言われたんだ。まあ、そいつの話は一旦保留だ。この先あまり関係してこないからな。ついでに言うと、薬は一人死ぬごとに1セット、1セットに付き一年分だ。』

「じゃあ先生、その……先生は殺したの? ……人。」


男が答え終えると、茂は食い気味に訊いた。唾を飲み、冷や汗を拭い、茂は覚悟を決めた。……男は5秒を優に超える大きなため息を吐いた。


『ああ、殺したよ。大人じゃない、子供をだ。ここに来て27年間、毎年欠かさず一人殺した。この町の大人は皆、子供を産んで、殺して、薬を得ることで、今日も生き続けている。』


男は今にも消えそうな声で茂の問いに答えた。男は許されないと思いながら、殺し続け、町長の座に縛られ、擦り切れることも狂うことも叶わなかったのだ。


「先生……嘘だろ先生……。」

『悪い、今代わる。』


男は半ば放心状態となり、交代するのを忘れていた。


「先生、本題から逸れてる。まだ室岡さんの自殺についてなんにも分かってないのよ? うなだれても状況は変わらないでしょ? だから早く再開してよ。」


絶句する茂を横目に、加奈が送信状態に切り替えた。そうして発した言葉には、怒りや失望と言った混じりけはなく、感情を欠片も感じない、場の空気を度外視した暴論だった。


『……そうだな。お前たちの理解の早さに合わせてたつもりが、俺の方が飲まれてたみたいだ。すまな……いや、これも無駄か。』


男は加奈の発破に動揺した。だが、そのおかげで冷静さを取り戻した。冷静だと思い込んでいた自分から解放された。

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