8月12日、午前
「静かですね」
通常業務の他に広報も兼ねる九番隊特有の隊舎構造として、『席官室』というものを作っている
これは通常どの隊にもある、隊長・副隊長が使う隊首室とはまたべつに、十席までが出入りする部屋だ。
というのは主に衛島、東仙、藤堂の3人が、通常の書類業務、編集部としての業務両方の中心を担うことから、誰がどちらに注力するかのスケジュール調整を円滑にするため同じ室内で執務をしたほうが行き違いがないからだ。それもあって、客人が来るかよほどの機密事項で無い限りは九番隊では隊首室は使われることは少なく拳西もこちらで執務をする。
それ故に常に誰かが居ることのほうが多いのだが…。
「ああ、色々な。俺が今日の午後と明後日に休むからその調整に行ってくれてんだよ。笠城は明後日の十一番隊との席官向け合同演習の中心になってもらうからそれ、衛島、藤堂は今日の午後と明後日の書類をを他隊に回すタイミングとかのな…」
「ああ、なるほど。」
東仙は納得したように頷き、自分の席に着いた。
「……おやすみ中ですか?」
「ああ、昨日の夜から嬉しそうにしてんのはいいんだけどな。テンション上がってあんま寝られなかったんだよ。で、今これだ」
やれやれというような語調を装いながらその実六車の言葉はどこまでも優しい。
六車の膝の上で幼子が眠っている。
東仙は目が見えないが誰がどこにどんな姿勢でいるかは、霊圧や色んな要素でわかる
すやすやと規則的な寝息と、ほんの時々聞こえる意味のないむにゃむにゃとした幼い声もそのひとつだ。
膝の上にいる子のために、六車は本日午後からと明後日1日、さらにはその翌日の午前中まで有給を取っている。
明後日が愛し子の誕生日だからだ。
その誕生日は彼らが出逢った日でもある。
今日の午後は明後日の祝いのためのケーキの材料を買いに買い物に行くため。
明後日は朝から、膝の上の幼子とその友達の子供達が、六車に習って皆でケーキを作るらしい。
子供らしいとても弾んだ声で何度も何度も九番隊の席官達に聞かせてくれた。
六車独りで買い物をすればこの休みは必要ないが、少しでも長く楽しい気持ちにさせてやりたいのだろう。誕生日のための買い物もお楽しみのひとつだ。
流石に子供ひとりのために足掛け4日業務に支障は出せないということで明日、8月13日は六車は通常勤務し、14日に休んでも問題ないように申し送りをして14日と、誕生日後の余韻を味あわせてやりたいのか、パーティが楽しすぎて子供がまた寝付かなかった時のためか15日の午前中も休みを取って一緒にいてやれるようにするという溺愛ぶりだ。
14日のパーティには九番隊からは久南もどうしても参加したいとのことで14日の午後は九番隊は隊長格不在となる。他にも五番隊の平子や十二番隊の浦原などが子供達の保護者として参加するようだ。
もちろん、京楽、浮竹をはじめ、『護廷の子供たち』に甘い何人もの大人が協力してくれることにはなっているが、打ち合わせが多いのも頷ける。
その楽しいパーティが、本当に開くことができれば…だが。
平子がパーティに参加する。
つまり必然的に、藍染と市丸にも、8月14日は不在の隊長が多くなることも、東仙が告げるまでもなく知られた。
『決行日は8月13日。九番隊管轄区域。六車隊長を誘き出し、九番隊を鍵に、護廷の弱体を狙う』
怜悧で、いっそ優美に彼の人は微笑み、全てが崩壊する日を告げた。
意地の悪いことだと、忠誠を誓った今ですら思う。それでも、ただ是と頷いた己に言えたことではないけれど。
「悪いな、東仙」
「はい?なんのことでしょうか」
「俺はお前の卍解がどんなものかは知らねぇが、お前が卍解を使えるだろうことは藤堂までは全員知ってる。というか、霊圧の強さで気づいてるだろう。だから俺が居ないときに何かあったら戦闘で頼るのは、笠城ももちろんだがお前になるかもしれない。机上仕事はなんなら衛島に任せときゃ3日やそこらなんとでもするとは思うが、戦闘面はお前に負担がかかるかもしれない。もちろん他隊で可能なものはなるべく隊長のいる隊に代わってもらえるように話はつけてあるが、特に最近は魂魄消失なんてことも流魂街じゃあるみてぇだしな」
「……承知いたしました。そう言えば六車隊長は私の卍解について、お訊きになりませんね」
言ってみると六車は軽く笑った。
「卍解なんてのは奥の手だ。軽く訊くことじゃねぇだろ。そんなもん訊かなくたってお前の真面目さからして仲間を巻き込むようなモンならちゃんと報告してくるだろ」
「そういうものですか」
「そういうもんだ、俺の卍解みたいにある意味単純な代わりに、見せても対策のされにくいようなモン以外は、死神同士の仲間内とはいえ必要もないのに共有するこたねぇよ」
だからいい、と当たり前のように言い切ってしまう六車に、内心で息を吐く。
そんなだから駄目なのだこの人は。
直属の上司にくらい把握させろと言ってきても良さそうなものなのに、どうしてそんなふうに簡単に人を信じてしまうのか…。
そんなだから、貴方は…
「まあとりあえず今年だけはゆるしてくれ。来年からここまでやるかは別にして、去年はまだ修兵自身、誕生日ってものが不思議だったみたいで、プレゼントわたしても、もらっていいのか戸惑ってたくらいだからよ。修兵が誕生日楽しめるのは今年からだからな」
なぁ修兵…と眠る子に語りかける声。
見えもしないのにひどく優しい顔が脳裏に見えた気がした。
気だけだ、と思い直す。
見えないのだから、このヒトの笑顔などうかぶわけもない。
というよりも、誰の笑顔も見たことはないのだから。
「………、楽しんでくれるといいですね」
「楽しませるさ、絶対な」
「…ぅ、にゃ、…ん、けん、せ…」
「ん?ああ悪い、頭の上で話しちまってたから起こしたか」
「ん、……んーっ、、ぉ、はよぅ?」
「はは。まあそうだな。このまま起きるといい。ちょうどもう帰る時間だ。このまま、買い物いくぞ」
「ぉ、かぃ……?………おかいもの!しゅうのおたんじょうびの!」
「思いだした途端元気になったな。そうだ。一緒に買い物行って、好きなケーキの材料買うんだもんな?」
「うん!、あ!とーせんさん、おはよう!あのね、しゅうのおたんじょうびね、けんせーケーキつくってくれるの!」
「…それは楽しみだね。修兵君のためにきっと美味しいものを作ってくれるだろうね」
「うん、うれしい!」
「オイオイ、味が期待ハズレでも責任取れねぇぞ。あんまハードル上げんなよ、東仙」
苦笑混じりの穏やかな声に被さるように、午前の業務終了、刻の区切りを告げる鐘が瀞霊廷に響いた。
「よし、じゃあ行くか修兵。…悪いが東仙、あとを頼む」
「……承知致しました」
「バイバイ、とーせんさん、またね」
幼い、たのしさに満ちた声が告げて彼らは出ていき、室内は静寂に包まれた。
バイバイ、と告げた幼い声
あの声が別れを告げるべきなのは私ではない。
『あとを頼む』
よりによってそれが、私とあの人が交わしたおだやかな会話の最後か。
明日は早くから、そんな穏やかさではいられない事件が流魂街で起こるのだから。
鐘は鳴った。
刻の区切りは、告げられた。
穏やかな日々が今日で終わる。
他に誰も居なくなった、随分馴染んだ室の空気を、東仙は感じ取る。
見えなくても、感じ取れてしまう。
バイバイ。
今日までの日々に、それと知らずに幼子が告げた。明るくキボウに満ちた楽しい声で。
バイバイ。
別れだと…。
開けていても役に立たない見えない眼を、何故か開けていられなくて、閉じた。
『あとを頼む』
笑って、アナタは―――。