5章①

5章①

善悪反転レインコードss

※5章はこんな雰囲気かなと個人的な解釈を形にしたssです。

※キャラ付けや関係性などは筆者個人の妄想に基づいています。また、独自の補完があったりします。


※以前執筆した4章では反転ヨミー生存ルートを採用しています。

 その続編なので、反転ヨミーが5章のシナリオに関与します。


※終盤(=5章と解釈)で本編クルミが参加するルートを採用しています。

 本編クルミは本編エピローグ終了後の時系列から飛ばされています。



 つい数分前まで、自分はカナイ区外へ発った列車の座席でウトウトと転寝をしていたのに。次に目を覚ました時には、苦々しくも懐かしい立ち入り禁止区域の一角で倒れ伏していた。

 日差し対策にと既にレインコートを着用していたので、地べたで寝転がっていても泥汚れは然程問題にはならなかった。

 それよりも、カナイ区の外へ出ようとした自分がワープしたように立ち入り禁止区域で倒れているのが全く以て不可解で、狼狽えつつ、まずは脱出せねばと奔走していた。


 徘徊するゾンビ化したホムンクルス達から逃げ果せながら、僅かな希望に賭けて公衆電話の受話器を取るも、電話線は完全に切れていた。流石に電話線は復旧されていなかったようだ。

 だが、まだ望みはある。

 以前はゾンビ化したホムンクルス以外は無人だったが、現在は何名かの住民が職員として警邏などに従事している。職員達と接触さえできれば、事態は好転するはずだ。


 ◆


 ユーマはゆっくりと目を覚ます。和風の室内を瞳に映しながら、立ち入り禁止区域の廃屋へ拉致された現状を把握していく。

 意識を失う寸前、自らのポケットに仕舞っていた小箱から白い煙が立ち昇ったのを思い返す。マコトから渡されたあの小箱には、睡眠ガスが仕込まれていた。あの時は、もうじき訪れるマコトとの対峙を覚悟しながら、強烈な睡眠作用に身を委ねたのだが……。

「よう。起きたか」

「ヨミー、所長…」

 身を起こしながら頭を振るユーマを、膝立ちの姿勢で迎えたのはヨミーだった。

「……拉致されたと判断していいよな?」

「……だと、思います」

 一足先に目覚めたヨミーは現状を把握する時間を設けられた為か比較的落ち着いていた。

 それでも、恐らくはほぼ不透明であっただろうから、それ故の苛立ちは隠し切れず、不愉快そうに腕を組みながら座り直す。

 退院初日、ようやっと事務所に帰ってきて早々、催眠ガスの巻き添えに遭った時点で災難なのに。まさか、ユーマ共々、この立ち入り禁止区域へと拉致——招待されるとは。


『ってか、天然ストレートなんだ?』

 元居た世界では、ヨミーのポジションはクルミだった。

 マコト本人に真偽を直接問い質した訳では無いが、選抜基準はユーマとの友好度だろう。ユーマを追い詰める為に、ユーマと親交の深いカナイ区の住民を敢えて選んだと思われる。

『仲良し枠が他に居なかったから、消去法?』

(い、いや。はっきり言って、クルミちゃんみたいに守らなきゃって意識が働き辛いし、ミスチョイスだよ)

『そう言や、殺し屋に腹を刺されても生還したタフな野郎だったね』

(すぐに治療を受けられたのもあったんじゃないかな…)

 それに加え、元居た世界でのヤコウと異なり、この世界のヨミーは致死性のある猛毒ガスを吸わずに済んだ。直近の事件を思い返し、死に神ちゃんは納得したようにうんうんと頷いていた。

 庇護欲を駆り立てるか否か。その基準で言うと、ヨミーは不適格だ。

 ならば、他に真意があるはずだ。

 ヨミーでもいいや、なんて繰り上がり形式めいた消去法では無く。ヨミーでなくてはならない、という確固たる理由があるはずだ。


「意識を失う直前の記憶は?」

「ボクのポケットから、急に白い煙が噴き出して……マコトさんから貰った小箱が発生源だったんでしょうね。それに巻き込まれて、ヨミー所長も、恐らく他の皆さんも……申し訳、ありません」

「…それより前。ニュースは?」

「……世界探偵機構のビルが、何者かのテロにより爆破されたって内容でしたよね?」

「意外と覚えてるじゃねーか」

 軽い質疑応答を経ながら、ユーマの体調に問題が無いかを確認された。

「あの仮面野郎、本性を出しやがったか? 自分を釈迦だと思い込んでやがんのかよ、クソが」

 ヨミーは苛立ち気味に吐き捨てる。ユーマを迂闊だと責めているのでは無く、元々抱いているマコトへの警戒心から由来していた。

 それでよく、直近の事件では対ヤコウという共通の目的があったとは言え部分的に共闘できたものだ。切羽詰まったが故のギリギリの妥協だったのだろうと思わされる。

「他の連中の行方は気がかりだが、お守りが必要なガキじゃねーし、自力で何とかできるだろ。脱出を優先するぞ」

 所長としての責任感と義務感が自然とそうさせたのだろう、ヨミーが自ら先導を買い、廃屋から出る。

 真夜中という時間帯と廃村という場所が噛み合い、そのままホラー映画の撮影に使えそうな薄気味悪さが蔓延っていた。





 探索している最中、死人の如く血の気を失い、理性を喪失している人々と遭遇した。

 戦うのは非現実的なので郵便局へと避難した。内装は経年劣化しており、薄っすらと埃を被っていた。

「ふざッ、けんじゃねーぞ! 死人が徘徊しやがって!」

 どうやら、それまでの道中にヨミーの見知った顔が紛れていたらしい。死人だと明確に断言できている以上、この三年間で死に際に鉢合わせた相手だったのだろう。

「……死んだ人、ですか」

「間違いねーぞ! 公開処刑されたのをこの目で見た…!」

 ユーマが呟けば、ヨミーが残酷な答え合わせをしてくれた。カナイ区で禁句とされている『空白の一週間』について積極的に教えてくれた件と言い、情報の提供や共有に余念が無い。

「…ヨミー所長、これを。アマテラス社の通告書みたいです」

「はぁ? ……何年前のだよ」

 元居た世界と似たような場所にその手紙が落ちていたのを発見し、ユーマは拾い上げた。

 文字通り死人を見てしまったヨミーは胸中が荒れながらも、通告書を受け取ってざっと目を通す。


  ——通告書

 先日、付近の鉱山から有毒ガスが漏れている事が判明しました。

 よって、この近辺の土地をアマテラス社が買い取り、立ち入り禁止区域と指定する事にしました。

 住民の皆様におかれましては、速やかな立ち退きをお願いします。


「立ち入り禁止区域か」

 頭の中で既存の情報と一致したのだろう、ヨミーの理解は早かった。

「現在は、雨の降り過ぎによる湿気で死体が腐っちまうってんで、急ごしらえの墓場代わりになってるはずだが……」

 そうか、だから死人が徘徊してもおかしくない……なんてファンタジーでぶっ飛んだ結論に飛びつける訳も無く。墓場同然の地で死人が徘徊するなど、ますますホラー映画の舞台設定を髣髴とさせられる。

「立ち入れるのは……死体を運んでいるのは、アマテラス社の最高席印者の直下の、極一部の人間のみ。その極一部すら、限られた場所にしか立ち入りが許可されてねぇ。やっぱり仮面野郎絡みじゃねぇかよ、どうなってやがる」

 ヨミーは著しく気分を害しながら、通告書を埃塗れの机へと放り戻した。


 結局、複数の者達に襲撃され、郵便局にも居られなくなったので逃走を図った。

 その途端、郵便局の外壁に手紙が括りつけられた矢が刺さった。何者かによる、矢文という古風な通信手段。廃村の雰囲気に合わせたふざけた演出かと苛立ちながら、ヨミーは手紙を開けた。

 この状況下で恐怖よりも理不尽への怒りが勝っているのが功を奏し、結果としてヨミーは狼狽える事無く目の前の事態に対処していく。


  ——警告

 ホムンクルスは、人工有機合成細胞を保つ為、本能的に人間の肉を捕食しようとします。

 現段階では、他の代替栄養源は見つかっておらず、人肉を摂取しないと体調不良など支障を来します。

 特に栄養不足の個体は、見境なく人間を襲い始めるので、最善の注意を払ってください。

     アマテラス社 ホムンクルス研究所より


 ヨミーは堪忍ならぬ苛立ちと焦燥を深呼吸で誤魔化しながら、手紙をユーマにも読ませてくる。

 ユーマにとっては、元居た世界でマコトに誘導され与えられた既知の事実。だが、二度目だからと言って冷めた反応をするには、重く、惨く、血生臭い真実であるが故、息が詰まる。

「あいつらが、ウェンディーが言ってた人造人間だと?」

「…………え? ウェンディー?」

「クルミの祖父さんのことだ」

 不意に新情報が投下された。状況の打破とは無関係だが、ヨミーがその人と知り合いだったのかと意表を衝かれた。

「言ってなかったか? たまに情報を買ってた」

『あー、探偵と情報屋だもんね。接点ありそうな組み合わせだし、実際あるよね、そりゃ』

 昔の話だがな、とヨミーは手紙をひとまずポケットに仕舞っていた。

 嗚呼、それでクルミは元居た世界のように尾行して様子見する真似をせず、ヨミーに直接依頼しに来たのかと合点がいった。

 この世界でのクルミ=ウェンディーとの出逢いと死別は、懐かしむにはまだ新しい思い出であり戒めだが、とても遠い場所へ行ってしまったような謎の郷愁めいた感覚に陥る。

『元居た世界のモジャモジャ頭もペタンコの祖父さんと接点あったのかな?』

(……元の世界に戻れたら、クルミちゃんから何か聞けるかもね)

『しまったペタンコに塩を送っちゃったよ、キャンセルだよキャンセル』

 ——ユーマ自身が、この世界へと飛ばされる寸前に解決した、最後の事件。マコトとの決着。それに対して郷愁を覚えるとは、随分と奇妙なものである。似て非なるものに過ぎず、元の世界に戻れた訳では無いし、戻れる確証もありはしないのに。





 移動した先に建てられた神社の階段で、座り、俯き、声ならぬ声で呻いていたのは、クギ男事件の犯人の一人である小太りの信者だった。

 彼の登場を皮切りに、ユーマがこのカナイ区に足を踏み入れてから解決してきた事件の被害者が、ユーマが死なせた犯人が、次々と姿を現してきた。

 現れる亡者の姿こそ違えども、元居た世界と酷似した流れに沿っていた。廃村の外へ脱出しようにも、ぐるりと囲うフェンスには高圧電流が通されている。誤って突撃した者が感電して倒れた。

『そろそろだよ、ご主人様! 偶然を装って天然ストレートを背後から羽交い絞めにして、道連れで崖から飛び降りる! そうすれば、あの工場へと辿り着けるよ!』

(場所は分かるんだから徒歩で向かおうよ!?)

『でも先導されてるから行動の主導権を握られてるよね? できれば逃げたがってる相手を逆の方向へ導かなきゃ駄目なんだし、死なば諸共作戦しかないよ』

(死にたくないよ! あとそれ下手したらヨミー所長からの信頼を失うよ!)

『シナリオの残り尺的にもうすぐサヨナラするじゃん』

(帰れるでしょみたいな根拠の無い自信に満ちてるけど! 帰れなかったら今後も影響するんだよ!)

『っかー! リスクヘッジだるいー! あとこの世界で根拠のない説に目覚めがちなのはご主人様の方だからね? 自覚してよー』

 特殊食品工場へと辿り着いた経緯は、元居た世界では亡者達からの猛攻を避ける拍子にその世界のクルミと共に崖から転がり落ちたのが決定的なきっかけだった。

 だが、この世界のヨミーを相手に酷似した状況を再現するとなると、ユーマが故意に手を加える必要がある。偶然の成就を祈るのは論外だ。

 もしも死に神ちゃんのプランを実行すれば、ヨミーからはユーマが裏切り者にしか映らないだろう。よしんば許されたとして、自殺志願者だと誤解されかねない。


「——きゃあああああっ!!」

「……っ、え!?」

 亡者達から逃れようと右往左往していた真っ只中で、突如、絹を裂くような少女の悲鳴が場に響き渡った。

 この廃村には、他にも話ができそうな何者かが迷い込んでいた——いや、そうでは無くて。ユーマが思わず両目を見開いた最大の理由は、そうでは無くて……。

「だ、誰か! 職員さんは! 居ませんか!?」

 この世界のクルミは死んだ。もしこの廃村で現れる事があれば、それは亡者の一員としてであるはず。

 の、だが。それなのに。摩訶不思議な事に。

 双眸に理性を宿す、確かに生きているクルミ=ウェンディーが、他の亡者達の群れから必死に逃げながら助けを求める姿が、そこに在った。

(な、んで……っ)

『ドドドドッペルゲンガー!? 二周目特有の追加要素を盛りに盛るんじゃないよ!!! ……って、あのペタンコが持ってるの、死神の書なんだけど、え?』

(…………なん、だって?)

 死に神ちゃんはキレたように叫び始めたが、クルミが胸に抱いているのが自分が封印されていた死神の書だと分かった途端、感情の発露が困惑へと移ろった。

 死に神ちゃんの指摘に、ユーマも同様に困惑した。

 レインコートを着用し、長期旅行用の大きなリュックサックを背負うクルミの腕には、確かに書物が抱かれていた。それが、死に神ちゃんが死神の書だと断言するなら、間違いなくそうなのであろう。

 クルミは死んだはずだ。だが、なぜか生きている。そして、死神の書を所持している。

 何が、何だか、分からない。

 だが、何が何だか分からずとも、目の前の現実は確かなものである。悠長に眺めている猶予は無い。

「ク、クルミちゃんッ!!」

「……ユ、ユーマくん!?」

 ユーマは咄嗟にクルミへ呼びかけ、彼女の注意をこちらへと向けさせ、気づかせた。他のゾンビ達もこちらに向いたが、止むを得ない。

「オラ、こっちに来い!」

 比較的近くに居たヨミーが、クルミの腕を掴んで引き寄せる。彼も少なからず混乱しているだろうに、土壇場でも躊躇わず行動に移せていた。

「っ、ヨ、ヨミー=ヘルスマイル……ッ!?」

「詳細はあとで聞くとして暴れんじゃねぇ!!」

 その瞬間、クルミは蒼褪めた。ヨミーに助けられた……否、捕まったと認識し、掴まれた腕を振り払おうともがいていた。

 なぜ嫌がっているのか。と言うより、恐怖しているのか。ユーマの頭の中で一つの線が浮上するが、それを確認するにはまず安全な場所へ移動してからだ。

「ヨ、ヨミー所長! クルミちゃんを連れて、こちらへ! ボクが先導します!」

「道分かるのかよ!?」

「とにかく来てください!」

「っ、危なそうだったら途中で別の道行くからな!」

『主導権をゲット! ヨシ! 工場へ行けーっ!』

 混乱に乗じ、行き先の選択権を捥ぎ取ったユーマは、元居た世界では崖から誤って転げ落ちる事で辿り着いた工場へと、走って向かって行った。

 内へ内へ、下へ下へ。

 外へ脱出するのはハードルが高過ぎると分からされた前提もあって、ヨミーは「迷いがねぇが行き先どこだよ…!」と文句を垂れながらも従っていた。

 そのヨミーに引っ張られているクルミも、最初こそ一緒に走らされている最中でも腕を振りほどこうと足掻き続けていたが、途中から体力のリソース的に走る事に専念しないとマズいと悟ったのだろう、苦渋の決断ながら諦めていた。





 工場へ入った途端、入り口のドアが閉じられる。開閉のボタンは近くには見当たらない。

 従業員が誰一人居ない、全自動で稼働する特殊食品工場。ガラス越しに、綺麗に箱詰めにされてベルトコンベアーで運ばれる肉まんが確認できた。

「ク、クルミちゃんは『クルミちゃん』なの?」

「ユ、ユーマくんこそ、『ユーマくん』だよね?」

 それはさておき。

 安全に話し合いができる場所へと移動できたので、改めてユーマは生きているクルミへと事情聴取した。

 その結果、このクルミ=ウェンディーは、ユーマと同一の世界から飛ばされてきたのだと判明し、傍からは多少間抜けな自己紹介を交わし合った。

 ユーマは、クルミとの予期せぬ再会が喜ばしくあり、同時に、この世界から元居た世界へと帰れるだろうかという意味で不安でもあった。


「ユーマくんから託されたこれを渡しに行こうと思って、旅に出た矢先だったよ」

 そう言って、クルミは死神の書を見せてきた。

 同一の世界から飛ばされたならば、預けた記憶の無い死神の書を見せられても当惑して然るべき場面。その矛盾を解決し得る可能性としては……。

「……たぶん、“未来”のボクがクルミちゃんに託したんだ」

「え? …じ、時間がズレてるの?」

「だと思う。クルミちゃんの方が、ほんの少し“未来”から飛ばされてきた。だから、それを渡すべき相手は、“今”のボクじゃないはずだ」

 目の前のクルミは、ほんの少しだけとは言え、異なる時系列から飛ばされてきた。状況を整理しながら台詞を紡ぎ、「だから、クルミちゃんが管理し続けて欲しいんだ」と続けた。

 クルミは頷き、一旦リュックサックを下ろしてその中へと死神の書を仕舞った。

『時間軸を無視してチョイチョイって摘まれてる? なんか雑な転移だね』

(……誰かの意図によるものなら、そうだろうけど。そこまでは分からないよ)

『オレ様ちゃんとしては、死神の書をペタンコが所有してることについて申し開きして欲しいなー。なんでー?』

(“今”は分からないよ! “未来”のボクに聞いてよ!)

 契約の解除後、死に神ちゃんとの記憶の有無が定かでは無いであろう状態の事を、現時点で尋ねられても返答に困る。と言うより、できない。


 クルミが語る、ほんの少しだけ未来のカナイ区。

 鎖国の解除、雨除けと日光除けを兼ねたレインコートの発売、遮光性抜群のボディークリーム。最も驚くべきは、代替食となるラーメンの存在だろう。

『ネタバレが人の形をして登場してきた気分だよ。案外希望があるんだね』

(…代替食の開発に成功したのは、本当に、大きいよ)

『そこが解決しないと倫理的問題がジリ貧だもんねー』

 カナイ区が存続するにあたって人の命を犠牲にせずに済むのは、世界との折り合いの他にも、真実を知らされたホムンクルスの精神衛生的にも大いに助けられたはずだ。

 この世界にも、同じ未来が訪れてくれれば……。

「……」

 その事を思うと、現在独房に収容されている、この世界のヤコウを連想した。

 彼の行動原理、このカナイ区の住民への並々ならぬ憎悪。その動機について、一つの可能性が薄っすらと思い浮かんでいるのだが。

 この推理をヤコウ本人へとぶつけられるのは、マコトとの決着後になるだろう。

 尤も。もし、当たっていた場合。その段階に至った頃の答え合わせは、ヤコウから遅過ぎると糾弾されるだろうが……。

 重く淀んだ思考を振り切り、ユーマはこの世界へ来たばかりのクルミへと、この世界の大きな相違点は探偵と保安部の立場が入れ替わっている事だと説明した。

「ユーマくんは、ずっと前からこの世界に飛ばされてて、頑張ってきたの?」

「そう、なるかな」

「……あの、ヨミー=ヘルスマイルと一緒に?」

 クルミは声を一層潜め、ちらりとヨミーを一瞥する。

 ユーマとクルミのコソコソ話から除け者にされたヨミーは、薄っすら不愉快そうな仏頂面で、壁に背を預けながら両腕を組んでいる。

「…うん。この世界では、探偵事務所の所長なんだ」

「……信用しても、大丈夫なの?」

「あのヨミーと同じ顔と名前と声だもんね、気持ちは分かるよ。でも、大丈夫。それに、スワロさん達も頼りになるんだ」

「……」

 クルミが俯いて黙り込むのも無理は無い。

 元居た世界のヨミーは、他人の不幸を糧に栄華を誇っていると慄くような、カナイ区の英雄を騙る暴君だった。その右腕であるスワロはクルミにとって特に嫌な思い出が染み付いた相手だし、それ以外の者達とて敬遠して然るべき対象ばかり。

 その人達が、この世界ではいい人達なんです、だなんて許容するのは至難だ。百聞は一見に如かずと言うが、一見を如いても理解に時間を要しかねない。

『分かる分かるー。最初は脳が拒むんだよねー。プライバシー保護的なモザイク処理と音声加工が施されて見えたり聞こえたりしてたんだよねー』

(死に神ちゃん、結構フィルターが分厚かったんだね……ボクも偉そうなこと言えないけど……)

 無茶な理解を求めているのは百も承知。自身の実体験を振り返り、せめてヨミーへの妨害行為だけは止めて欲しいと説得するのが関の山だろうかとユーマは思っていた。

「…………分かったよ、ユーマくん。頑張って、急いで慣れるね」

(り、理解が早い!? 凄いな…)

『…あ~ん? ヒロインレースはオレ様ちゃんが首位独走なんだよ、ガヤでもやってな』

 だが、クルミは予想外な程に物分かりが良かった。ユーマが信じるならば信じるという絶大な信頼の顕れだった。

 その真意を察したのはユーマでは無く死に神ちゃんで、死に神ちゃんは拳をポキポキと鳴らす仕草をしながら届かぬ牽制をかましていた。


 そういう訳で、ユーマとクルミの認識の擦り合わせはひとまず終わらせられた。

「やっと終わったか」

「……お待たせして申し訳ありません、ヨミー所長」

「本当にな」

 ヨミーの視点では、ユーマが当初そう勘違いしかけたように、死んだはずのクルミがなぜか生存しているようにしか見えないはず。徘徊する亡者では無く、瞳に理性を宿した紛う事なき生者。不信感が募っても仕方なかろう。

「聞かせろ。生きてたのか? トリックは?」

「…そ、その説明は……脱出後でも、構いませんか?」

「ユーマとはのんびりと話をしておいて、オレとの会話はさっさと切り上げてぇのか?」

「ユ、ユーマくんとのお話より、長くなっちゃうんですよ」

 別の世界へ飛ばされた事。この世界のクルミ=ウェンディーは亡くなっている事。

 上記の情報をユーマから知らされた上で、クルミはなるべく違和感を出さないようにと努めて返答していた。

「その頃には事情を説明する必要がなくなるから、それまで時間を稼ごうとしてる、ように見えるんだが?」

「そ、それは……」

 尤も、事情を聞かないで欲しいと訴えかけている時点で既に違和感が駄々洩れなので、誤魔化そうとしても所詮誤差に過ぎぬのだが。

『いやー、説明する必要がなくなるかどうかは未定なんだよね。異世界転移ってワケ分っかんねー。ひとまず、この世界のペタンコがゾンビで現れることを見越して、双子ですよーってゴリッゴリに押しとく?』

(焼け石に水だよ…)

『あと言ってて気づいたんだけど、この世界にもご主人様とオレ様ちゃんって存在するはずだよね? どこに消えたんだろ』

(……それは…)

『チェンジでもした? オレ様ちゃん達の世界に代わりに飛ばされたりしてる?』

(それだと、向こうでクルミちゃん関連が大変なことに……いや、何も確証がない……)

『っかー! 分かんねー! 異世界転移初心者にガイドブック持たせる親切心がないなんてシケてるー! こういうのって神様が事前に説明してくれるんじゃないの!? そういう小説や漫画やアニメいっぱいあるじゃん!』

 一方、元居た世界からクルミが飛ばされた事で、改めて自分達の立場というものをユーマと死に神ちゃんは考え耽っていた。

 けれども、答えを教えてくれる存在が現れてくれる訳も無いので、納得できそうな自分なりの答えを捻り出すより他に無い。

 ひとまずは、この世界で成すべき事、成したい事を成す、という結論以外は、あくまでもフワフワとした考察が限度だった。



「……オメー、いや、オメーらが抱えてる秘密が何かは知らねーが、オレに危害がねぇなら妥協しておいてやるよ」

 幸い、ヨミーは折れてくれた。クルミだけでなく、ユーマもほっと安堵する。

「オレも好き勝手にやった。オメーらもやってみろ」

 全く受け入れておらず目がギラついている癖に、言葉だけは辛うじて許容している風を装っている。

 直近の事件で本当に好き勝手にやった件について、ヨミーなりに負い目があって、それを清算する心積もりだろうか…とユーマは思った。

 なお死に神ちゃんは『全員特に眼鏡ビッチからガチで怒られると天然ストレートもしょげちゃうんだねー』と身も蓋も無いツッコミをしていた。


 ヨミーが最大限妥協してくれてから程無くして、工場内にアナウンスが鳴り響く。

《こちらの特殊食品工場では、カナイ区の皆さんの為に安心安全な食品を製造しています。なお、この工場には職員はおらず、全自動で稼働しております》

 工場見学の案内、という体裁によるアナウンス。

 このアナウンスの主が誰なのかを既に知っているユーマは身構え、密かに拳を握る。

《——失礼ですが。見学者は二名様だけとご予約を伺っておりましたが……?》

 そりゃそうだろう、なぜなのかと疑問を挟むだろう。アナウンスまでは自動化されておらず、誰かが語り掛けているのだと早々に露見するリスクを負ってでも、突っ込んでくるだろう。

 このカナイ区の住民の死者を正確に把握する必要がある身にとって、住民が欠陥ホムンクルスであると理解している身にとって、今ここで佇むクルミ=ウェンディーは疑問の塊なのだから。

 動揺しているだろうに、アナウンスの言葉遣いも、口調も、充分に理性を保っているように聞こえた。

「……直接会えたら、教える、かもね」

《おや。あなたの匙加減一つで変わるんですか?》

「…ボクも、言っていいのか迷ってるんだよ」

《然様ですか》

 最終的には正体を明かすつもりだからか、アナウンスの主はユーマの返答に律儀に応じていた。


 ユーマ自身の胸中はと言えば、この時点では迷っていた。

 クルミの存在が足された事で、マコトとの決着は元居た世界通りに添う事は難しくなった。

 新たな言葉で、抜き身の本心で、対応する事となるだろう。




(終)

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