5章④
善悪反転レインコードss※5章はこんな雰囲気かなと個人的な解釈を形にしたssです。
※キャラ付けや関係性などは筆者個人の妄想に基づいています。また、独自の補完があったりします。
※4章反転ヨミー生存ルート兼本編クルミが参加するルートを採用しています。
※反転ヤコウがラスボスな感じでシナリオが進行します。
※反転ヤコウがお労しいです。また、言動が一際悪辣になっていきます。
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思うのだが、これは自らの実力の範疇に含んで良いのだろうかと、ヤコウは脱獄に成功した気の緩みからか呑気に自問自答する。
幹部の一部がヤコウの余罪を解明するのと引き換えに司法取引に応じる——というシナリオで保安部や看守を油断させたのを始まりにして、全員が脱獄に成功した。
関係者全員を暴力で伸して、デスヒコの技術により全員が保安部の下っ端に成りすまし、ぞろぞろと団体行動していては怪しいからと一旦別れた後、社外の路地裏で合流した。全員、特にヤコウは顔が有名過ぎるので、未だ変装を解く事はできない。
「……そんなやり方で、本当に上手くいくとはなぁ」
脱獄に成功したと断言できる段階に至ってからヤコウは脱獄の仔細を知らされたのだが、皆におんぶにだっこだと自嘲する以上に保安部が騙された事が意外だった。
部長どころか幹部全員が逮捕される前代未聞の事態により、保安部の指揮系統は滅茶苦茶になっているだろう。マコト=カグツチが私用で不在の間をわざと狙ったのもある。
だが、だからと言って、よりにもよってヴィヴィアが掌を返しただなんて、全員が全員信じたのか?
しかし、現実として、実際に起こり得た訳で。
「思慕の念が反転し、嫌悪や憎悪になったと……都合良く誤解してくれました」
「…お前、やるなぁ」
ヴィヴィアの言い振りでは、さも偶然にも都合良く石が坂道を転がり落ちただけのような印象を受けるが、実際には大なり小なり演技しただろう事は察せられる。
「……オレは、やりたいことがあるから、こうして一緒に逃げてきたけどさ。お前らは、どうすんの?」
「…部長。指示を」
「『元』部長だが?」
「じゃあ、ヤコウさん。私達にお願いしてください」
「……敬愛と上から目線がごちゃ混ぜだぞ」
冗談みたいなやり取りをしているが、ヤコウ達の状況は笑えない程に“終わっている”。
法整備が整った現代において脱獄は悪手だ。社会的な死をより無様にするだけ。もうじき事態を把握するであろう保安部が血眼になって捜索すれば、多勢に無勢、近い内に捕まり、余計に罪が重くなり後の裁判等が不利になる。
それを、分かっているだろうに。ヴィヴィアが先導を切る形で、皆が揃って協力、否、共犯となった。
上司でも部下でも無くなった、上下関係は消滅した。それでも事実上賛同している、だから皆ここに居る。
「……オレの為に、って己惚れていいんだな?」
「状況的に、それしかあり得ない状況だろう?」
横からハララに断言され、ヤコウは返答に窮する。
ヤコウが何の為に生き急いでいるのか、その詳細を何一つ知らない癖に。時にヤコウ自身でも手に負えないと冷や汗を掻かされた程の、甲斐甲斐しい献身。
それを見せつけられる度、ヤコウの心はすぅっと冷える一方で、じくじくと熱を帯びて膿む。
喜怒哀楽の何れに該当するのか分からない。感情を単純な分類で仕分ける事さえ儘ならず、ただ、胸が痛む事しか具体的に自覚できない。もう、ただ、痛かった。痛い事しか分からなかった。
「……支払いの話はよしてくれよ? たぶん資産押さえられちゃってて無一文だろうから」
——嗚呼。痛みだけでも分かっていられる内に、成し遂げる事が叶いそうで、安心した。
痛みが分かるならば、己は未だ正気だ。
決して狂ってなどいない。
皆を動かすにあたって、ヤコウは秘匿していた情報を一部開示した。
アマテラス社におけるホムンクルス研究について、中途半端に打ち明けた。斯様な研究が過去にあったのは真実だ。
ヤコウがアマテラス社内での権力を掌握しようと努めたのは、マコト=カグツチにカナイ区を支配させず跳ね除ける為。これも真実だ。
「ホムンクルス研究……マコト=カグツチの指示で中断されたはずだが」
「アマテラス社での研究は確かに中止されたよ。マコト=カグツチがこのカナイ区に来てくれたおかげで、研究しなくても良くなったからな。まあ、研究成果は残ったままみたいだが……」
真実の都合の良い部分を切り抜く。
結論ありきの恣意的なニュースや記事に良い思いを抱かなかった、そんな在りし日からはすっかり遠い所まで辿り着いてしまったものだ。
「じゅ、十年も前からの依頼だったんだろ? 会社の命運が賭かった壮大なプロジェクトだったんだろ? それが都合良く白紙化できて、アマテラス社はフツーに存続してる…って…ンだよそれ、どーいうこったよ…?」
おかしくねぇか、と疑問符を浮かべるデスヒコを見下ろすヤコウの心臓はバクバクと壊れそうな程に稼働していて、脈拍のリズムも狂いそうで、けれども意識的に律そうと努める。
偽装しまくった壮大な絵空事を展開するのだから、誰かを騙す時特有の焦燥感など匂わせてはならない。
嗚呼、この三年で慣れたと思い上がっていた。目的の達成が間近に迫っているという高揚感のおかげで、上辺とは裏腹に内面は情けない程にグラグラと不安定だった。
「確認だが、部長。マコト=カグツチは統一政府側の者だと見なして構わないか?」
「完全に統一政府側、ってわけじゃなさそうだが、独自のパイプを持ってるのは確かだ。オレもウエスカ博士の伝手で辛うじて外とのコネは持ってるが、比べ物にならないよ」
「…………アマテラス社は、半ば統一政府に乗っ取られかけている状況なのか?」
「……私物化できそうだから、依頼はもういいや、ってこと?」
「は!? 洒落にならねぇんだけど! …い、今、カナイ区は鎖国状態だぞ? その状況でそんな事態になったら、カナイ区が統一政府のもんになっても、誰も抗議しねーじゃん!」
「世界がどれだけ善良かは未知数だけど、第三者が文句を言う隙間もないのは確かだね…」
「ひ、秘密結社のお話みたいですが、あまりワクワクしませんね」
前提や途中経過の正誤はさて置き、頭の回転が速い者が多いと話がポンポンと進むんだな、とヤコウは内心で呟く。
——彼ら彼女ら自身の名誉などどうでも良いが、彼ら彼女らに宿る人格の名誉を守る為に、一つ明記しておく。
騙されているのでは無く、信じてくれているが故の誤解である。
「カナイ区で雨が止まないのもマコト=カグツチが関係してるんだが、それについては理由はさっぱり分からん。だが、晴れてもらっちゃ困る、何かしらの事情があるのは確かだ」
内心で名誉回復を謳った矢先に、白々しい嘘を吐き捨てる。本当はとても優先して欲しい事だが、クリアするべきタスクの一つに過ぎないと偽って軽く言い捨てた。
そういう訳で、このままではカナイ区が統一政府の支配下に置かれる、というそれっぽいカバーストーリーを下に、一矢報いるという流れになった。
「あの、さ。部長。カナイ区のみんなへの態度が変わったことも、関係、あるのか…?」
その流れを中断するような空気を無視する言及だったが、デスヒコとしては無視し難いのだろう。
ヤコウの行動原理が明らかにされた事で、権力を大急ぎで得ようとした動機は納得できた。
だが、では、それとは関係無い、カナイ区の住民への圧政は如何なのか、と。
デスヒコは世間一般的には充分妄信的だが、四人の中ではヤコウに対して一番冷静だ。副部長という采配は案外悪く無かったなと思える程度には俯瞰的だ。
尤も、最終的には仲間達と同調するし、冷静と言っても仲間との比較に過ぎない。ここでヤコウが素気無く誤魔化してしまえば、引き下がるしか無い。
「最後まで協力してくれたら、全部分かる」
「…………え?」
「どうした」
「理由が、ある、のか?」
「あるぞ? 理由なら、ちゃんと」
デスヒコ自身も、素気無く誤魔化されると予想していた。だから、予想に反して、ヤコウから答えを得られそうな現実に、瞠目していた。
デスヒコ以外の者達も、え? と不意を衝かれ、それぞれ時が止まったように硬直していた。
——いや、理由があったらあったで最悪だろ。光を見つけた、みたいな顔をしてくれちゃって……。
「分かる時まで、みんな、倒れたりしないでくれよ?」
不可解だった言動が理解できるとはそんなに魅力的なのかと、ヤコウは共感し難いなりに苦笑しておいた。
立ち入り禁止区域にある雨雲発生装置を破壊するのに、ハララとヴィヴィアを派遣。ヤコウはフブキやデスヒコと共に残り、潜伏を続ける。
戦闘能力もとい護衛能力的な意味で極端なチーム分けだと難色を示されたが、そこはゴリ押しさせて貰った。
「何かあったらフブキちゃん、よろしくな」
「は、はい…!」
もしもの時は、フブキの特殊能力によるリカバリー。このセーフティネットにのみ頼るのは慢心と言えば慢心で、所詮“人間”だから気絶させれば済むと割り切った誰某に襲われたら万が一もあり得る、が……。
それを踏まえた上で、この分け方で良い。
「それとみんな。オレが作れた外へのコネは、正直、私利私欲に塗れた連中ばかりで、カナイ区の真実を託す相手として相応しいヤツは居やしなかった。やっぱり、探偵じゃないとなぁ」
「……探偵に配慮していた理由は、それ?」
「まあ、そうだな…」
教えて欲しかったのにという渋い顔に囲まれながら、ヤコウは居心地が悪そうに視線を逸らす。
「……保安部と探偵が敵対していたのは、カモフラージュ?」
「それもあるし、ヨミーだけの頃は下手に嗅ぎ回られても寧ろ危険だから大人しくして欲しかったし……公人としての立場とオレ個人の本心でしっちゃかめっちゃかだったよ」
真実も嘘もまぜこぜにしているが、超探偵に情報を渡す理由については本心に近い。
現実問題として、告発者がどこの何者なのかは重要だ。
不服ながらウエスカ博士関係で得られた外部企業とのコネクションで、ヤコウ自身がカナイ区の外へ訴えかける事はできる。
しかし、企業秘密の輸出先が善意で協力してくれる望みは希薄だ。その為の見返りとして何を請求されるか分からないし、支払ったとして叶えてくれる保障も無い。加えて今のヤコウは地位を追われた身なので、尚更困難である。
たまにカナイ区外からスクープ目当ての記者が紛れ込んだりしたけど、悪いが、そういった者達に真実を渡した所で、ゴシップ扱いで終わらせる為に敢えて泳がされるだろう。公表に漕ぎ着けられても、誰にも見向きもされないのでは無意味だ。
故に。権威ある世界探偵機構からの、善意の第三者に頼る事ができれば、とても理想的なのだ。
「お前らにしちゃ、仕事がやり辛かったよな、悪い……オレに免じて許してくれると信じて、カナイ区外からの探偵を見かけたら、頼むよ。手段は任せる」
——こいつらが、望み通りに動いてくれますように。そう祈りながら、ヤコウは両手を合わせながら頭を下げた。
傍からは情けない嘆願だったが、この頼み方が、こいつらには効くのだ。
◆
雨雲発生装置の製造及び稼働の実現。
世界中から人肉を調達する手段及び肉まんへと加工する全自動特殊工場の稼働の実現。
アマテラス社の新たなCEOの座に着き、欠陥ホムンクルスが溢れたカナイ区を消滅させようとした統一政府と交渉。マコトが管理するという結論で落ち着く。
カナイ区の鎖国及びホムンクルス実験の中止を命じる。
血液の色の変化は雨による副作用というカバーストーリーを流布。
クロックフォード家と交渉し、令嬢が鎖国開始時から向こう五年までカナイ区で生活する約束を取り付ける。それまでに令嬢の五年後以降について対策を練らねばならない、具体案は現時点では未定。
アマテラス社の腐敗との戦い、特に保安部の増長を食い止めようと腐心。保安部とは妥協点のないままに月日が流れた。
一度死に理性を喪失した欠陥ホムンクルスの正常化の手段、もしくは完全に死ねる手段の模索。その一環で、自らが生まれた研究機関と交渉し成果物を渡してもらう手筈を整えるも、保安部の妨害によりあえなく失敗。
マコトのオリジナル及び超探偵達の活躍により保安部の中心人物達の投獄に成功するも、脱獄される。立ち入り禁止区域へと拉致したオリジナルを抹殺しようと画策するマコトを妨害するように現れ、現在進行形でバトルが発生している。
他にも色々、省いた部分がetc.
常人なら憤死しかねないストレス過多に晒され、本心では激怒よりも辟易が勝りながらも、マコト=カグツチは不気味なまでに冷静沈着だった。
取り乱している場合では無いのだ、だから取り乱さない。シンプルにただそれだけだ。
現状維持は実質的に悪化も同然だし、先送りにしているだけの問題もあるけど、何とかするしかないから何とかする。
——オリジナルへの脅迫用、あるいは本当に殺す用のつもりだったんだけどな、この銃。まぁでも持ってて良かった。
物騒な思考を淡々と済ませながら、マコトは金色の派手な装飾だが実用性もちゃんと備えた銃に新たな弾丸を装填する。
「……キミ達を、見縊っていたと言わざるを得ないよ。けど、だからって、おイタが過ぎるんじゃないかな?」
旧銭湯、現雨雲発生装置の施設で、激しい戦闘だなんて。
弾みで雨雲発生装置が壊れれば、カナイ区は晴れてしまう。向こうは壊す気満々だ。壊れたら大変な事になると説得を試みているが、向こうは聞く耳を持ってくれない。
「ボクは争い事が嫌いなんだ。今からでも平和に解決しないかい? 投降してくれたら、ヤコウくん達の分も含めて余罪を増やさないであげるよ」
「苦手ではないんだろう?」
遮蔽物に身を潜めながら、遠くへ呼びかけるように叫んだ。
返事はすぐに来た。実質的なノーだった。
「失礼しちゃうなぁ。手がガタガタに震えてるのに」
「あれだけ撃てば当然だ」
マコトの利き手は言うほど震えていないものの、片手で銃を何度も連射したので相応の負荷は掛かっている。
銃とは、人を殺せる程の弾丸を放てる凶器。それ故に当然反動が強く、本来は両手でしっかりと支えながら撃つべきである。熟練のプロならば片手でも可能だが、何度も撃つような物では無い。
詰まる所、マコトは言葉とは裏腹に荒事に慣れていると自然体で証明していた。
「…………しょうがないかもなぁ」
マコトは溜息を零し、雨雲発生装置が破壊された場合の市民へのカバーストーリーを練りながら、ヤコウの先兵として現れたハララやヴィヴィアの無力化に勤しんだ。
致命傷を与えないよう、当たらぬよう、気を付けているけれども、いつまでも容赦はしていられない。
◆ ◆ ◆ ◆
いっそ愚かであったなら、こう呟いても許されたであろう。
如何なる経緯があって、何があって、こうなったのだ、と。
旧銭湯、現雨雲発生装置の施設に到着し、その内部をゆっくりと進んでいたユーマ達だったのだが。
足を踏み入れる前から、銃弾の音やら何やら、明らかに争っている気配がしていた。
マコトVSハララ&ヴィヴィアという様相を呈していたようだと遅まきながらに知った。
ハララとヴィヴィアの勝利条件は雨雲発生装置の破壊で、それは成功していた。緊急停止用のボタンを押したのなら取り返しが付くだろうに、本体そのものへダメージを与えたものだから。
あの装置は力ずくで壊れるものなのか、とユーマはこの世界に来た事で初めて知った。それが意味する事がなまじ分かるだけに、顔面蒼白だった。
天井の隙間からは、日光が差し込んでいた。
『ほ、放心してるのかな? さっきからずっと黙ってるよ、あのヒト』
ユーマ達が到着するまでハララ達と大乱闘していたマコトは、その為に使った銃を隠しもせずに壊された雨雲発生装置を見つめていた。予想外に予想外を重ねられ、少々思案しているのかも知れなかった。
「ハララさん達は私が看護しますので! ヨミーさんは陰の所で残っていてください!」
「だ、だが、そいつらをオメー一人で看るのは……ッ」
「ほら体調悪そう! 本当に顔色が悪いんで、来ちゃ駄目です、お願いしますから!」
日光を浴びた事で、気絶こそせず踏み止まっているが、激しい立ち眩みを起こしているハララとヴィヴィアの所へ、クルミが血相を変えて駆け寄った。
相手がハララ達なので危険だからと、やるなら手伝おうかとヨミーも付いて行こうと数歩踏み出した。
そのおかげで日光の照射範囲内に入ってしまったヨミー自身も急な眩暈に襲われ、とうとう立っていられなくなってその場で座り込んでしまった。
「ヨミーさん! これを! 肌の露出している部分に塗ってください!」
「…っ、日焼け止めクリームかァ?」
クルミはリュックサックからボディークリームの容器を掴み出し、ヨミーへとブン投げた。幾つかあるらしく、その内の一つだった。
キャッチした頃にはぜぇぜぇと息を切らしていたヨミーは不審に思いながらも、ヤケクソ気味にクルミの指示に従った。疑念を抱くだけの思考リソースが大幅に奪われ、手付きは不安定にガタガタと震えていた。
「この人達は私に任せて、ユーマくんはマコトさんと話を……ってヴィヴィアさん!? 息してない!!!」
「っ、…推測だが、『幽体離脱』で……肉体の痛みから、逃げている、だけだ…」
「い、生きているんですね!? と、とにかく、二人とも、まずはできるだけ陰の方へ! それからクリームを塗りましょう!」
「……クルミ=ウェンディー……? キミは、一体……なんだ……?」
ヨミーも、ハララも、ヴィヴィアも、混乱している。その収拾に、元々遮光性クリームを塗っていたのに加えてレインコートも羽織っていて万全のクルミが、悲鳴を上げながらも当たってくれている。
それを、のんびりと眺めている場合では無い。
話さねばならない。
「——だから、キミも、いつまでもそっちを見てないで、こっちを見てくれないか。マコト」
「……ここまで騒がしい予定はなかったんだけどなぁ」
ユーマの意を決した声に応じ、マコトはゆっくりと振り返る。
「直接会えたから質問するね。彼女は、あのクルミ=ウェンディーは何者なのかな? その正体と、なぜ彼女は日光を浴びても平気そうなのかってこと。知りたいな」
「……その説明をする前に、確認したいことがあるんだ」
「…あー。手短にね」
『そっちから面倒そうな質問投げといて手短は無理でしょー』
雨雲発生装置を壊された割には、内面までは分からないまでもマコトは理性的に振る舞っていた。
会話も通じると賭けて、ユーマは切り出す。
「その機械、雨雲発生装置は、ボクを殺したあとに修理するのでも間に合うのか?」
「…………へぇ。だいぶ謎が解けてるんだね?」
途中からユーマの動向を追えなくなったマコトは、感心したように、けれども嫌悪を滲ませながら呟いた。
「まぁ、一応ね。カバーストーリーは光化学スモッグ。こういう時、アマテラス社の後ろ暗い噂に助けられるよ」
マコトは力なく、けれどもハッキリと答えた。
割り切ってしまえば、その間は住民の理性が吹き飛んで記憶が欠落するのに目を瞑れば、リカバリーが利くのだろう。例え苦しい説明でも、カナイ区の住民は自らの身に降りかかった不可解を解消できるのであれば、とやかくは騒ぐまい。
このカナイ区の人間はユーマと超探偵達ぐらいで、超探偵達は安全な場所で監禁されているので、まず犠牲者にはならないはずという算段も含まれている。
「…マコト。ボク達は争っている場合じゃない。分かってくれ」
「……下手な命乞いを聞き逃せるのは、精々一回までかな。ボクの銃には、弾丸がまだ残ってるんだよ」
『ご主人様! 言葉選びに気を付けて! 相当カリカリしてるよ! 命懸けの黒ひげ危機一髪だから!』
マコトの剣呑な返しは、なまじユーマがまるで全てを理解しているように断言しているものだから、却って虫唾が走るのだろう。
確かに性急だったと反省し、ユーマは言葉を選び直す。
元々の計画では、マコトはユーマを抹消さえできれば目的を達成できる。ユーマが謎迷宮へ入らずとも、不完全燃焼にはなるが、実力行使という手段がある。
今この場で想定以上のギャラリーが囲っていなければ、真実を誤魔化せる程の暴力で捻じ伏せる、という選択肢はもっと身近なものだっただろう。
その暴力の可能性を摘み取るには、暴力でも誤魔化せない程の真実をぶつけるしか無い。
「……マコト。ヤコウ部長は、三年前の件で生き残った人間だ」
「………………」
マコトは沈黙し続ける事で、ユーマに続きを促していた。
「ハララさん達がなぜ雨雲発生装置を壊しに来たのか、なぜその優先度が高かったのか。キミも疑問に思ったんじゃないか?」
「ヤコウくんの指示なのは、理解できるけど……苦し紛れの思い付きではないんだよね?」
「思い付きじゃない。ずっと前から、考えてた…」
「……」
少し前にユーマがヤコウに面会を望んだ件を思い返し、マコトは別の意味で沈黙する。荒唐無稽と切り捨てるのでは無く、ユーマは感づいていたと納得できる節があるのだろう。
「ヤコウ部長は、ずっと待っていたんだ。復讐の時を。対象は、このカナイ区の住民全員だ」
「……本当に生き残りなら、その心情が怨嗟に塗れていることは、想像に難くないね」
「あの人を放っておいたらマズい、だからボク達はここで争ってる場合じゃない! まずはあの人を止める! ボクの命を狙うのは、そのあとにしてくれ!」
『やめろぐらい叫んでも罰は当たらないと思うけどなー。ええい、もうその手の銃を仕舞え! 捨てろー!』
命乞いではないのだと、今はそれどころでは無いという純然たる事実なのだと、ユーマは訴えた。
聞く耳を持ってくれたマコトは、然れどもすんなりとは首を縦に振らない。
「そんなこと言って、実はヤコウくんに協力するって可能性は?」
『お馬鹿! 世界一の頭脳が絵に描いたような疑心暗鬼を働かせてんじゃないよ!』
ユーマが言わんとしている意味を理解したマコトは、ならばこそユーマに逆に問い返す。
ユーマのホムンクルスに対するスタンスがマコト視点では未知数であるが故、人間の味方をするつもりではあるまいかと敵意を露わにしている。
マコトとしては、下手をすればカナイ区の住民の存亡が懸かっている以上、ここで敵味方の区別を見誤る訳にはいかないのだ。
「——ボクは、あの人の復讐を止めたい」
その疑念を、ユーマは一蹴した。
「世界は違えども、人違いだろうとも、もう……もう、やめて欲しいんだ……」
元居た世界での、悔恨の念を零しながら。
顔が同じでも中身が違えば、時間さえあれば別人なのだと納得できた。
けれども、顔も中身も同じであるなら。善人が善人のままで、元居た世界と同じように堕ちて穢れようとしているならば。
例え別人でも、納得できないし、耐えられなかった。
「……ヤコウくんの所業次第じゃ、キミを殺しても何の意味もなさそうだ」
マコトにとって意味不明な感情論が混ざっていただろうに、言及して深掘りして詳細を確かめるような真似をせず、肩から力を抜いて、一応は銃を仕舞った。
「だから、ヤコウくんを何とかしてから、改めてキミを殺しに行くね。それまでよろしくね」
『え、サラッと仲間入り宣言? これでいいんだけどさ、どういう心情で言ってんの? ご、ご主人様、ナメられてない?』
ユーマの殺害を見透かされていた事に吹っ切れたのか、それとも死に神ちゃんが危惧する通り侮るが故の余裕なのか。
マコトの心の内は本人で無ければ分からないが、事態の収束を最優先とし、彼との対話はひとまず保留となった。助かった、とユーマは胸を撫で下ろした。
『いやいや助かってなーい、モジャモジャ頭のコトが片付いたあとにまた大変だよー?』
「…………おい、仮面野郎」
死に神ちゃんがツッコミを入れていた矢先、遮光性ボディークリームのおかげで症状がマシになったらしいヨミーがのろのろと立ち上がり、ぶっきらぼうに会話へ混ざってきた。
「さっきからユーマと何を喋ってんのか、それはひとまず置いとく。携帯電話貸せ。オメー持ってんだろ」
「誰と繋げるの?」
「オメーん部屋に繋げる。そこに監禁してるんだろ」
「合ってるよ。勘がいいね。でもボクの部屋に固定電話があるってのは思い込みが過ぎない?」
「ないのか?」
「一応あるけど」
「勿体ぶった言い方すんじゃねー…ッ」
マコトの感心したような相槌にヨミーは不愉快そうに顔を顰める。
否応なしに耳で拾った会話の内容的にユーマを殺したいらしいマコトが気に食わない、と言うか殺させねぇぞふざけんなよ、と顔に諸に書いてあった。
「……カナイ区の住民は、久々の日光のせいか浴びると絶不調になるみてーだが、スワロ達なら別のはずだ。あいつらならすぐに動ける。距離的にも、オレ達は誰かさんのせいで時間掛けて戻らなきゃならねーしな」
「うーん、ごめんね?」
「雑に謝んなよクソッタレが、いいから電話寄越せ!」
「うん、いいよ。協力に感謝するね、ヨミーくん」
「オレ達を拉致しておいて爽やかな返事してんじゃねぇ、クソがァ…ッ! 指示はヤコウを捕まえろ、でいいな!?」
マコトがポケットから携帯電話を取り出し、自身の部屋の固定電話の番号を入力したのを見届けた瞬間、ヨミーが多少ふらついた足取りで近寄って分捕った。
トゥルルルルル、と固定電話のような古臭いコール音を何度か経た後、繋がった。
「おい、オレだオレ。
待てよオレだヨミーだ、ってか電話取ったのテメーかよ……おいふざけんな桁増やしてんじゃねーぞ。
世界探偵機構の探偵をマジで反社会的だと烙印を押すのかふざけんな認めねーぞと耐えに耐えて存続させた口座の中身がもう実質死んだわ死体蹴りはよせ。
……クソみてぇな本人認証だな!! もっと他にねぇのか!?」
電話の向こう側の相手はスパンクだろう。ヨミー自身のプライベートに踏み入った雑談が妙に長々と前置きで続いたのは、本人認証の代わりだったらしい。
「ヨミーくん、愉快な上下関係を築いてるんだね……」とマコトが思わず零し、それを耳で拾ってしまったヨミーは額に青筋を立てていた。
「……手短に伝えるぞ。ヤコウが脱獄した。オメーらちょっと探して捕まえろ。オレらも急いで向かう」
切迫した状況で本人かと疑われてキレつつも、ヨミーは普段にも増して早口で説明した。非常に端的でシンプル、余計な情報を削いでいる。
「皆さん! 恐らくヤコウ部長は、日光が陰で遮られることのない場所……例えば、どこかの屋上とか、そういう場所に居る確率が高いと思います! あの人がカナイ区から逃げることはあり得ません! 絶対に!」
「ほーう、ユーマの有り難いアドバイスだよーく覚えとけ。それじゃ一旦切るぞ、じゃあな」
「そ、それと、カナイ区の人達は太陽の光を浴びると体にダメージを受けます! 日陰へ逃がせば、幾らか楽になるはずです!」
ユーマも、ヤコウの居所について補強するような考察、それからカナイ区の住民への対応を、電話の向こうに居る超探偵達へと叫んで伝えた。
ユーマが最後まで言い終えた後、ヨミーは携帯電話を切り、マコトへと雑に投げ返した。
「ってなわけで、おい仮面野郎ォ、落とし前付けてオレ達を責任持って送り返せよ。どうせ車があんだろ。ちったぁ重量オーバーしてもいけんだろ、だからハララ達も乗せろ」
「ボクが運転手? 贅沢じゃない?」
「拉致ったヤツがオメー以外誰も居ねーんだから行きはそうだったんだろうが! 帰りもそうしやがれ!」
一足先に体調が安定したヨミーは、自分達がカナイ区の外れの辺鄙な場所に居るそもそもの原因はお前だろうが、と明快過ぎる物言いでマコトを詰めていた。
止むを得ずとは言えマコトは協力するつもりなので、話はトントン拍子に進んだ。
「日光だの生き残りだの、道中で全部吐けよ! ユーマ、オメーもだぞ、いい加減全部吐けよふざっけんなよオレはいつまで我慢すりゃいいんだよ…!」
ユーマの明らかに何か知っていて、けれども意図があって隠している姿勢にもとうとう噛み付き始めた。
カナイ区の中心へと戻るまで否応なしに時間はある。説明できるだろう。できてしまうだろう。
「本当に知りたい? 本当に言わなきゃ駄目?」
「当たり前だろうが、いい歳した大人が小首傾げんなよキショイんだよ!」
「……」
——マコトは粘っているけれども。教える訳にはいかない、と口を閉ざし続ける段階は、とうに越えている。
それに。マコトが口を閉ざし続けたとして。
もうじき、意味は無くなるのだ。
◆
ヤコウは現在、カナイタワーの屋上で腰を下ろしていた。
屋内だと邪魔される危険性があるので、一点の影も見当たらない外に居る。
晴れに伴っての、カナイ区中への緊急警報を、無事に電波ジャックする事ができた。成否を確認し終えた後、一旦マイクを床に置いた。
本体の機材は全く別の場所に隠している。Bluetoothって便利だな、と場違いなくらいに明るく笑った。
不自然な雨雲が瞬く間に消え去り、太陽を、空の青さを拝む事が叶った。
何せ、三年振りだ。人間の身でも、久々過ぎる日光は体へ悪影響だろうかと僅かに危惧していたが、嗚呼、良かった。
膨大な喫煙量や日光不足で不健康がちな体の奥底から力が湧くような、前向きな感覚がして、口元の筋肉を弛緩させるように微笑んだ。
一方、すぐ近くで倒れ伏しているフブキはと言えば、ぜぇぜぇと苦しそうに喘ぎながら殆ど意識を手放していた。
日光アレルギーは欠陥ホムンクルスの特徴の一つだったな、とヤコウはのたくっているフブキを無感動に見つめながら、ゆっくりと立ち上がった。
「——殺すか」
もう、要らない。
生かしておいても利益が無い。万が一にでも時を戻されたら、やり直されたら、計画がオジャンになる。絶対に駄目だ。
だから、苦しみに喘いで無抵抗な今、この間に。
手を下さずとも、蹴落として地上へと落下させれば息絶えるだろう。時間経過によりゾンビ化状態で復活するが、それまでの間に事は全て終わる。
三年前、自分と妻の欠陥ホムンクルスを処理した時と比べれば、解体も、コンクリートに混ぜて隠す事も、しなくて良いのだから楽なものだ——
「……め、ろ……」
「…………タフだな」
フブキへ近寄ろうとしたら、その足首をデスヒコに掴まれた。
欠陥ホムンクルスの日光アレルギーが重篤な事実を思えば非常に頑張っているが、何とか弱い力なのか。簡単に振り払える。
もういいや。こいつらを揃って落とそう。面倒だ。
ばりぃぃいん、と。ガラスが割られた音のはずなのに、同時に轟音としか言いようの無い、音の暴力が響き渡った。
普段耳にする事の無いような擬音。それから足元から伝わった振動に、ヤコウは一瞬硬直した。
まだその気は無かったのに、その弾みでうっかりデスヒコの手を振りほどいてしまう。特に加害性の無い振りほどき方だったので、デスヒコにダメージは無かった。
デスヒコはフブキの傍へと近寄るのたくり呻く。それだけだ。
理性が飛んでいるにしては、本当に頑張っているなぁ、ムカつくなぁ、何の意味もないなぁ、ととりとめのない思考が浮かんだ。
「ヤッター! このタワーの屋上じゃーん! 超ラッキー、この勢いで捕まえちゃえ! 行けードミニ」
「待ちなさいギヨーム、彼は最終兵器よ。まずは私に任せて」
「ストップドミニク! ステイの姿勢!!」
ギヨームが外壁からよじ登ってきたのを始まりに、超探偵達が次々と屋上へと辿り着いてくる。
「窓じゃなくて玄関では問題があったのか!?」
「そんなに差はないよー? 何となく」
「命綱なしのロッククライミングを強いるのはやめろ!」
「距離超短いでしょー! 目と鼻の先でグダグダ言ってんじゃねーッ!」
「…はぁ…うるさい、ですよ…」
絶体絶命の危機的光景——否、とんでもない。待ち望んでいた。
いや、だって。ここがカナイ区で最も高くて、日光を遮られないからという理由もあったけど。超探偵達がマコトが暮らす最上階で監禁されているのを知っていて屋上に居たのだ、寧ろ来てくれなければ放送で呼びだしていた。
マコトが私用という名目でユーマと、それからヨミーを立ち入り禁止区域へと拉致したおかげで、その二人はこの場には居ないのだが。ユーマが不在なのは不服だが。贅沢を言っている場合では無い。
「大人しく投降する意思は?」
「抵抗はしないけど、降るのもちょっと違うんだよなぁ……」
ヤコウがマイクを拾い上げた直後、その手に弾丸が飛んできた。
スワロによる狙撃だ。マコトが武器を取り上げなかったのか、それともマコトの私室に実はあったのか。どちらにせよ物騒である。
マイクを壊されないように咄嗟に守ったら手を弾丸が貫通したし、マイクが発砲音を拾ってカナイ区中へと不穏な音を届けた。ドミニクを制した穏健派っぽい言動をしていた癖に、なかなか過激な真似をしてくれる。
「へへ、痛いなぁ。見ろよ、血が流れてる」
「……」
ヤコウは赤い血をぼとぼとと垂らしながら、それでもマイクを手放さず、自らの口元まで持ってきて、言葉を乗せて発信した。
焼けるような痛みが脳に伝わるが、心の痛みと同じく、それは自身の正気を保障してくれる。だから痛みでつい手放すなんてヘマも無く、寧ろ力強く握り締めていられた。
スワロは表情こそ崩さなかったが、ヤコウが意地でもマイクを手放さなかった事に、ある種の無敵の人だと察して警戒を強めた。
最悪、カナイ区中にメッセージを発信されるだけだと、それもそれで良くない事ではあるが、妥協できる範疇だとその時点のスワロ達は判断を下した。
間もなく後悔するとは未だ知らぬ故、慎重に事を運ぶべきだと、そちらの選択を重要視した。
とは言え、軽んじられるのを避けるべく、スワロは銃を構え直してヤコウ自身に狙いを定めてくる。
「慈悲を乞う声をカナイ区中に届けるつもり?」
「……ああ、いいねぇ。殺さないでくれ頼むよって、今ならあいつらに届くのかねぇ。まぁ、届いても、だから? って話だが」
足元付近でフブキとデスヒコが虫の息で倒れていても、一歩も動かず、得体の知れない笑みを湛えていた。
「距離的には納得だが、ずいぶん動きが早いなぁ。マコト=カグツチが速攻で頼んできたのか?」
「私が誰の右腕かお忘れ?」
「……あぁ、あっちね」
ヤコウはぼそりと吐き捨てた。
この段階に至ると、足元でのたくるこの二体もだが、ヨミーの名を騙る化け物への鬱陶しさが態度に露骨に洩れ出てしまう。
そのおかげで超探偵達への心証が悪くなるのはマイナスだが、けれども、もう、我慢の限界だった。
一旦深呼吸。まだまだ、やる事は残されている。対処をせねば。
初手からドミニクをけしかけられていたら一騒動だったが、向こう側には段階を刻む余裕があった。
スワロに銃で狙われているこの状況もなかなかに危険だが、話ができるのなら、口を動かせるのなら、支障は無い。
「そこの二人は悶えているのに、あなたは平気そうね?」
「そりゃあ、当然の話だ」
「……そこの二人を保護したいと思うのだけど、構わないわね?」
「……」
「返事は?」
「その前に、言いたいことがあるんだ」
寧ろ、職業病とも言うべきか。そこに意味があるのでは、と感じてしまえば、ヤコウの口を閉ざすはずが無いのだ。
「超探偵の皆さんに、是非とも伝えたい真実があるんだ」
「……ユーマと言い、私達と言い、あなたは探偵をずいぶん買ってくれているようだけど、ヨミー様ではいけなかったの?」
「不可能だよ」
ヤコウが即答したのは、瞬発的な激怒を誘う意図に非ず。
最悪暴力で封じ込めて無理矢理解決扱いにする気力を削ぐような真実を放つ為の、前段階に過ぎない。
「できるわけがない。三年前に殺されたんだぞ」
「……」
ただ、重要な部分だけを刳り出したので、傍からは妄言としか捉え難いだろう。
実際、お前は何を言っているんだ、とスワロのみならず、他の者達からも多少の驚きと多大な困惑、呆れが伝わってくる。
狂人扱いされ、諦められる可能性は無きにしも非ず。悪趣味な妄言だと切り捨てられては御破算となる。
超探偵達ならそうしない、話を聞いてくれる、という一点賭けだ。
「嘘じゃない」
狂人だと切り捨てられ、力ずくで取り押さえる発想が超探偵の側から出る前に、ヤコウは先程スワロから挑発された通り、慈悲を乞うような声を絞り出す。
「アンタの恋人だけじゃない。オレの部下達も、妻も、カナイ区の住民全員——オレ以外、みんな……ッ」
思えば、ずっと賭けばかりだった。確定事項よりも不安要素ばかりが募る三年間だった。
自分に都合の良い展開が起こるようにと祈って、祈る度にどうして祈るしか無いのかと無力感と情けなさで腸が煮えくり返ってきた。
ヤコウが直接的に実践できた事なんて、カナイ区の住民を騙る化け物共への八つ当たりと、復讐の炎を絶やさぬよう薪をくべ続けた事ぐらいだ。
葬儀の方法は幾つかあるけれど、荼毘に付してあげねば弔えぬのだ。この炎を、幻覚扱いされて堪るものか。
死者を忘れ去られるどころか、そもそも認知さえされないなど、あってはならない。
「みんな、喰い殺されたんだよ……ッ!!!」
だから、邪魔せず、黙って、最後まで聞けと、聞いてくれと、聞いてくれるなら心臓を撃っても構わないからと、眼光で訴えかけながら、ヤコウは吐露した。
(終)