5章③

5章③

善悪反転レインコードss

※5章はこんな雰囲気かなと個人的な解釈を形にしたssです。

※キャラ付けや関係性などは筆者個人の妄想に基づいています。また、独自の補完があったりします。

※4章反転ヨミー生存ルート兼本編クルミが参加するルートを採用しています。


※グロ描写を若干含みます。(例:食肉加工など)

※反転ヤコウがラスボスになる都合上、裏でマコトが踏んだり蹴ったりの目に遭っています。



 ホムンクルス実験場を彷徨っていた折、天井の一部分が崩れている事にユーマ達は気づいて足を止めた。

 なぜ気づけたのかと言えば、雲の切れ間から光が差し込むように、白く暖かな日光が数歩先の床を照らしていたからだ。

「……カナイ区の外か、ここは」

 カナイ区にのみ、雨が降り続ける異常気象が発生している。だから、逆説的に、晴れているという事は、カナイ区の外を意味する。

 立ち入り禁止区域の廃村自体が、地理上はカナイ区の郊外に近い場所にあった。ホムンクルス実験場を彷徨っている内に、いつの間にかカナイ区の内外の境界線を越えてしまったのだろう。微かながら潮の匂いも漂うので、海の近くという事も分かる。

「うっかり外に出てしまうと、カナイ区の秘密を探れなくなっちゃいますね」

「……それはそうなんだが、放せ。オレは迷子じゃねーぞ」

 クルミが咄嗟にヨミーの腕を掴んだのは、このまま直線で進めば日光を浴びてしまう危機感を一際強く覚えたからだ。

 言葉とは裏腹にカナイ区の真実を知る以上、体が咄嗟に動かざるを得なかった。僅かな量なので、仮に浴びても急な眩暈程度で済むだろうが、用心に越した事は無い。

 ヨミーはその妙な過保護に訝っていたが、幸いにも力ずくで振り払う真似をせず素直に立ち止まってくれた。

「じゃあ、迂回しましょうか」

「…………ああ」

 クルミの意図的な誘導に何か思う所がある、と明言するに等しい沈黙をたっぷりと置いた後、ヨミーはひとまず頷いてくれた。

 そもそもクルミの存在に物申したい事はあるが、疑念をむやみやたらと吐き出さない辺り、自制心が利いている。

「あのCEOをぶん殴ってやらねぇとな」

「……お話の例え、じゃ、ないですよね。言い方的に」

「オレを巻き込んでおいてタダで済むと思われてんのが小癪なんだよクソッタレが」

 その一方、推定犯人だと目星を付けている、そして実際その通りであるマコト=カグツチへの憤怒で歯軋りしていた。

 敵味方で対応は変わるものだが、ヨミーの場合はいっそ鮮やかで極端だった。

「この三年でオレの沸点はヘリウム並みに低くなった自負があるんだよ神を信じまいが仏を無視しようがオレには関係ねぇがオレを馬鹿にするのも大概にしろよ何がアマテラス社だっざけんじゃねーぞ…ッ」

 曰く、三年に及ぶストレスフルの日々で感情を制御する箍が緩んだ、らしい。昔は穏健派だったと主張するが、真偽は定かでは無い。少なくとも、目の前のヨミーのキレっ振りが真実である事だけは確かだ。

 矢継ぎ早に捲し立てるヨミーに気圧されながら、「色々、あったんですね…」とクルミは呟いた。

 ユーマもユーマでちょっと引いていた。出逢って間もない頃はまだ所長らしさと言うか、大人の対応をしていたはず——いや、記憶を少々美化しているかも、と思い直した。程度の差があるだけで、ヨミーは最初からギアを上げていたように思う。

(…まぁ、マコトなら避けるだろうから、大丈夫……大丈夫だよね? 避けるよね?)

『どう転ぶにせよ、天然ストレートは殺しはしないだろうから呑気に構えてていいんじゃない?』

 余談だが、日常ではまず気体の状態でお目にかかるヘリウムの沸点は-269度。液体の中で最も沸点が低いとされている。この場に居合わせた者次第では、比喩が非現実的過ぎて荒唐無稽だとか、普通に生きてるだけで沸騰して大変そうとか、そういったツッコミを入れたかも知れなかった。

 クルミも、そしてユーマも、ついでに死に神ちゃんも、ヘリウムの具体的な知識こそ持たないが、ヨミーの怒りが未だにブレていない事だけは分かった。



 工場へと戻ってきた後、また偽装された殺害現場を発見した。散乱する骨に、衣服に、派手に飛び散ったピンク色の血痕。

 やはりと言うべきか、未だ発見されていなかったギヨームとドミニクのものだった。

 ギヨームが書き残したという体裁によるメモには、口語をそのまま文章へと落とし込んだ故の表現を含みながら、ホムンクルス実験の成功例について記されていた。統一政府の管轄下の研究機関が先に完成させ、けれども当の成功例は脱獄した、と。

『今にして思えば、自分の正体を推理させる為の材料だったんだろうねー、これ』

 死に神ちゃんは納得したようにうんうんと頷きながら、未来に備えて解鍵をせっせと拵えていた。

 工場内の情報を順当に集めていけば、世界探偵機構が超探偵達を派遣した目的——世界規模の誘拐事件の真相を、真犯人を、明らかにする事ができる。

 真犯人が、マコトが意図してそのように仕込んでいる。

 ユーマが死神の書を用いていると理解した上で、敢えて情報を開示する。最終的にユーマを抹殺し、その立場を乗っ取る為に。

『同じ土俵で相手をするなら、“力を貸して欲しい”って言われた時、素直に手を握り返すことになるけど……』

(……)

 ユーマは、死に神ちゃんの力を借りず、理屈だけでマコトを説得できる望みがあるならば、それに賭けたい。

 自分も含めて誰も死なず、契約破棄という結末で死に神ちゃんとの別離も回避する。そんな結末を迎えたい。

 だが、大前提として、ユーマはマコトから嫌悪されている。主張に耳を傾けてもらう為の土台を構築できなければ、全てが御破算となる。

 しかし、それでも。

 クルミの存在や所持品から異世界、即ち元居た世界について暴露し、説明し、説得して。カナイ区の住民が真実を受け入れて前へ進む可能性も提示して。

 ……それで、上手く、いってくれないだろうか、と。そんな期待を、抱いてしまう。

『好きにしなよ。あっ、でも、もしもオリチャーを発動するんだったら、一声よろしくねー』

 失敗すれば、取り返しが付かない。だが、不安要素があろうとも賭けるのであれば、それでもいいよ、と死に神ちゃんから後押しされた。


 ユーマが死に神ちゃんと別れたくない気持ちから悩んでいる事を思えば、死に神ちゃんの態度は悟っているし、薄情でもあった。

 ……けれども。

 死に神ちゃんとしては、謎迷宮の非常口から脱出したユーマの背中を見送った、その延長線という心地。ユーマが別れを惜しむ一方で、死に神ちゃんは既に既定路線だろうと認識していた。

 幼気な努力だと思うけれど、実現するかはまた別の話だ。

 元居た世界に帰還できたら、その続きからまた始まるのだろう。変則的で不可思議な事象により、パラレルワールドに迷い込むという形で猶予ができただけだろうな、と。

 帰れる保証書が不在なので、もしかしたら、ずっと迷い続けるのかも知れないが、それは勘弁被りたい。

 ——この世の未解決事件を全て解決して、みんなを幸せにしたいというユーマの目的が阻害されるのは嫌だ。

『(ご主人様は夢を叶えるんだーい、オレ様ちゃんはいつかそれを見せてもらうんだーい)』

 死に神ちゃんは不服そうに内心で独り言つ。

 仮に、帰れなかったとして。仕方なくだけれども、ユーマはこの世界の人々を幸せにする為に生きていくのだろう。

 ユーマの生き様としてはブレていないし、どこの世界だとかの指定も無かったので——指定する発想自体、湧く方がおかしいのだが——、契約はギリギリで守られている。たぶん。

 だから、それはそれとして妥協するしかない。

『(……いやでも待って? その場合、ご主人様とペタンコがくっつくんじゃない? うわっ、やだ、やだやだ、元居た世界に帰りたい~)』

 本音を言えば、妥協したくないのだが。






 その扉の前で、ユーマは思わず立ち止まった。

「どうした、ユーマ」

「……ユーマくん?」

「……」

 ヨミーとクルミが振り返るが、ユーマはすぐには答えられなかった。

 これまでの部屋の配置は、元居た世界のものと凡そ同じだった。だから、この部屋の先だって、同じであるはず。

 ならばこそ、ユーマは込み上げる生理的嫌悪を抑え切れず、結果として足を止めてしまった。

 ヨミーが未だ知らないのは当然として、クルミも元居た世界では実際に目にした訳では無い。

 元居た世界で同行しようとしたクルミを説得し、彼女を残して部屋に入った先で見たもの。思い返さずとも、もうじき鮮明にお目に掛かれるのに、脳が勝手にリフレインしてしまう。

『この先、マジモンの“冷蔵庫”があったんだっけ……』

 死に神ちゃんはぶるっと身震いする。倫理観の問題上、そこまで怖がっている訳では無いが、気分があまりよろしくなさそうだった。

『ご主人様。黙り込んじゃってるけど、まさか自分一人で突撃する気? 天然ストレートもだけど、今回はペタンコだって納得しないと思うなー』

 なかなか喋ろうとしないユーマに痺れを切らしたように、もう観念しちゃいなよと死に神ちゃんは告げた。

 実際、その通りだ。

 元居た世界で、マコトにカナイ区の住民に真実を告げて受け止めて貰うべきだと諭した以上、その考えを覆さない以上、ここで誤魔化そうと四苦八苦するのは欺瞞だ。

 ……だが。

 彼ら彼女らは『当事者』だが、感性も倫理も人間と何ら変わらない。その事を完全に無視して冷淡に処理する事はできず、時間を要さざるを得なかった。

「この辺りは静かだ。五分ぐらいなら休めるが」

「……っ、いえ。進みましょう」

 ヨミーから気遣われたが、ユーマは頭を振り、意を決する。

「…クルミちゃんも、行こう」

「……、分かった」

 クルミもきっと衝撃を受けるだろう。知識で許容するのと実際にその目で見る、その差異は大きいだろうから。

 それでも、彼女は力強く頷いてくれた。


 そして、その部屋の扉を潜った先には。

 案の定、想定通りの、倫理的に拒絶したくなる景色が広がっていた。


 人間の死体が、クレーンのような機械で運ばれ、捌かれ、プレス機で潰され、骨などの余分を取り除かれ、挽き肉へと加工されていく。

 ここは、肉まんの製造に特化した特殊な食品工場。そのグロテスクな景色が何を意味するのかは一目瞭然だった。

「……何だよ、これは」

 ヨミーは絶句しかけていた。真実を知っていたクルミも、いざ実際の光景を目にした事で吐き気を覚えたのだろう、抑えようと全身を強張らせていた。

 まだ手付かずの死体の山が、冷蔵庫と同じ仕組みで保管されている空間にて。死体の山の内、一人の懐を探ると、生前に書き残したと思われるメモがあった。遺言だった。

「世界探偵機構が、絡んでいる、みたいです…」

 ユーマはメモを拾い、その内容を読み上げた。

 そのメモを遺した者は犯罪者で、捕まる代わりにどこかへ連行される、何が何だか分からないが万々歳……といった所で意識が途絶えたようだ。

 ヨミーは生理的嫌悪を覚えながら、それはそれとして並列で得た情報を頭の中で整理していた。倫理的に度し難い光景から意識を逸らす為の、ある種の現実逃避になりかけながら。

「…ナンバー1のジジイが言ってたよな。スワロ達が派遣された理由は、カナイ区の謎ってのは、世界規模の誘拐事件の真相がこのカナイ区にある、って」

「……はい」

「だが、誘拐事件には、世界探偵機構が絡んでいやがる、だと。なんだァ? あの野郎、世界探偵機構に顔でも利くのか? 顔が利いて、やってることが、これ、だと? ……ナンバー1は知ってんのか?」

 この死体の山は、誘拐事件の被害者。

 世界規模に発展してからようやく問題視されたような、消える事を望まれる、社会の邪魔者。詰まる所、犯罪者。

「…………あァ、クソが、っざけんなよ」

 そしてその躯が、カナイ区の住民が食する肉まんの餡へと加工されていた。

 ヨミーに限らず、カナイ区の住民なら誰もが毎日のように食べていた。以前は肉嫌いだったはずの者だって不思議と食べられると評判の、カナイ区のソウルフード。

 人肉を食していた衝撃も然る事ながら、カナイ区の住民の魂は人でなしだと直接的に侮蔑されたも同然だと感じ、ヨミーは酷く不愉快そうに唾棄した。

「スワロ達に勧めちまったし、食ったヤツも居るんだぞ、おい、おい……ッ」

 この工場の責任者への怒りの炎に薪をくべながら、自己嫌悪も燻らせていた。


 そんな時。

 ぎゅるぅうう、とヨミーの腹の虫が、ヨミーの理性を蔑ろにして鳴った。

 ……ヨミーは、愕然としながら、自らの腹を摩っていた。

 義憤を燃やすか、悲嘆に暮れるか、あるいはげぇげぇと嘔吐するべき場面で、肉体が空気を読まずに空腹感を訴えたものだから、自己嫌悪が急速に膨らんで顔を酷く歪めた。

 人格は、理性は、求めるどころか唾棄するけれども。

 肉体は、本能は、おぞましくも正直に食欲を訴えていた。


「っで、出ましょう! 長居するような場所じゃありませんっ」

「ヨミーさん、こっちです!」

 長居し続けるのは危険だと判断し、ユーマとクルミは揃ってヨミーを引っ張り、人肉加工及び保管室から退室した。

 これまで前向きな激怒を燃やし続けていたヨミーだが、今この時ばかりは氷点を迎えたように蒼褪めていた。

「ラ、ラーメン、食べますか!? 二人と合流する前、逃げる為に中身を幾らか捨てちゃったんですけど、まだリュックに残ってます!」

「…………こんな状況でか」

「お腹が空いたら、変なことしか考えられなくなります! 調理しなくても駄菓子みたいに食べられるチキン味を差し上げますから、ねっ!」

「……」

 クルミはリュックの中から取り出した袋ラーメンをゴリ押しで渡す。

 自らの感情を裏切るような、完全に場違いな生理的反応にショックを受けながら、ヨミーは諦めたように袋ラーメンを受け取った。袋を開け、煎餅を砕く要領で小さな欠片にしてから口へと運んでいた。

 クルミが渡したのは人肉の代用食として開発されたラーメンなので、ヨミーの肉体が訴える空腹は鎮まるだろう。尤も、精神状態までは、残念ながらすぐに回復し切るのは困難だろうが……。


 この光景を、マコトも眺めているはずだ。本来なら肉まんを食べねば満たされないはずの飢えを、なぜだかラーメンで満たされる、この世界のマコトにとってあり得ないはずの光景を。

 そこまで考えた折、ユーマはふと違和感に気づいた。

(……さっきから、静かだね)

『あー、確かに。ホムンクルス実験場の途中ぐらいからパタッと止んだね。マイクでも壊れちゃった?』

 工場見学のアナウンス、という体による意図的な誘導や挑発がプツリと途絶えて久しい。

 誘導せずに済むから沈黙している、のは不自然だ。例え不必要だろうが、ユーマへの敵愾心を剥き出しにして信念を揺さぶり問い質してくる、はずなのに。

 ヨミーが瞬発的に言い返そうが、クルミというマコトにとっての不穏分子が居ようが、その程度の妨害や想定外でマコトからの言葉による介入が封ぜられたとは到底思い難かった。



 ヨミーが立ち食いをしているからという経緯的に言及し辛い理由から、その場で少々足を止めていた。

 そんな時だった。

 こつんっ、ころんっ、と小石が転がってきて、ユーマのすぐ足元で止まる。誰かが投げ飛ばしたか、もしくは蹴飛ばしたか。どちらかしかあり得ない、人為的なものだった。

「…………探偵、さん」

「……!」

 その音を追うように、ふらふらとした足取りで、ゾンビ状態の少女が現れた。土色の顔、ぼんやりと濁った瞳、合っているようで外れている焦点。ボロボロに汚れたエーテルア女学院の制服姿を纏った、その少女は……。

「ク、クルミ、ちゃん…」

 ユーマは、喉が引き攣りそうな錯覚に襲われながら、辛うじてその名を呼ぶ事ができた。

 エーテルア女学院での事件の被害者。自殺だと処理されたアイコの死の真相を調べるべく探偵に依頼したが、その為にカレンの猜疑心や恐怖を買い過ぎ、アイコの二の舞になるように口封じで殺害された——この世界の、クルミ=ウェンディーだった。

「わ、“私”……本当に、死んじゃってるんだね……」

 異なる世界とは言え、一度死に、理性を駆逐され茫然と徘徊するゾンビ状態と化した姿を目の当たりにして、元居た世界の方のクルミは言葉少なながらに動揺していた。

「探偵、さん……」

 探偵さん、探偵さん。名前を呼ばれる程の関係に至れず終いだった少女から、たどたどしくそう呼ばれ続ける。残存する記憶の中から、言語化が可能な単語をとりあえず出力しているような状態だった。

 それでも。動くもの、音が鳴るものへと無作為に近づき、襲おうとする他の者達と比べれば、残渣と言えども知性がある範疇だった。

「…手になんか持ってるぞ。もらっとけ」

 ヨミーが焦れたように助言してくる。飢えが満たされて、精神状態も幾らか上向きになったようだ。

『天然ストレートの中じゃ、ペタンコって間違いなくホムンクルスだろうなーって思われてるよね。異世界転移ですーって説明一切してないもんね』

(…ヨミー所長にも、説明することになるだろうね)

『あ、オリチャー発動するんだね? ついでに聞かせる流れになりそうって思ってるね? あー、もー、しょうがない。しょうがないんだからー』

 ゾンビ状態のクルミと、生きている状態のクルミ。言い逃れも何もあったものでは無いが、ホムンクルスという整合性を付けられるだけの情報があるので、ヨミーの中で驚愕はしても破綻はしていないのだろう。

 実際には、実は話すと結構長いんです……みたいな事情があるのだが、それを説明するのは、もう少し後になる。

 後になって騙していたのかと激昂されかねないが、ヨミーが混乱してクルミに掴み掛からずに済んでいるこの現状を維持しておくべきだろう。


 ヨミーの助言に従うように、ユーマはこの世界クルミが持っているファイルを貰った。特に抵抗される事は無かった。

「……え?」

 これもマコトの仕込みなのだろうかと思っていたユーマは、ファイルの内容に瞠目した。

 そのファイルは、マコトと、マコトを生んだ研究機関とのやり取りが記載されている書類だった。


 1.唯一の成功例のDNAを研究し、完全なホムンクルスの製造を可能とするDNAの配列を解析。

 2.他のDNAでの完全なホムンクルスの製作に成功。

 3.2で製造されたホムンクルスに限りなく人間に近い性質を、特に不死性の消去を最重要で実現させる。

 4.1~3の過程を経て誕生した改良ホムンクルス計五名を、世界探偵機構を経由してカナイ区へと派遣する。


 添付されている顔写真が、アマテラス急行で顔を合わせた超探偵達だったのも然る事ながら。その内容に、ユーマは唖然とさせられた。

 完全なホムンクルスを製造する技術が、元居た世界よりも高い。

 その癖、その上での改良点が、これまで辿らされてきたホムンクルス研究の発端及び経緯を思えば、実に不可解だった。

『ええ、っと。ご主人様。統一政府は、不老不死の無敵の軍隊が欲しくてホムンクルスを求めたんだよね?』

(……その、はずだ)

『じゃあ、なんで、改良版からは不死性が消去されてるの? 死んじゃうのは失敗作なんじゃなかったの?』

(…でも、間違いなく、改良って書かれてる)

『大体、完璧なホムンクルスの作り方を調べた上で死ねるように改造だなんて、面倒臭い経緯を挟んだだけの、ただのクローンじゃない?』

(……)

『あの五人までホムンクルスだったのはビックリだけど、え、えぇ? この世界のホムンクルス研究、どこを目指してるの?』

 この世界のホムンクルス研究は、元居た世界とは異なる結論を辿ったようだ。一見すると本末転倒だが、理由があるのだろうか。

 これが真実だとして、完璧な再生能力による不死性を以てして成功と称されたマコトは、如何様な思惑で、死ねるようにと改良されたホムンクルス達をカナイ区へと迎え入れるつもりだったのか。

 ——この世界のホムンクルス研究は、一体どうなっている?

 謎迷宮を用いずにマコトを説得したいなら、推理を洩らし損じるのは悪手。考えねばならない。今すぐと表現しても過言ではないような速度で。時間は、もうあまり残されていない。

「おい、ユーマ。オレ達にも読ませろ」

「は、はい…」

 ファイルをヨミーへと手渡した。

 ヨミーとクルミがファイルを読み始める傍らで、ユーマはこの世界のクルミと向かい合った。

「探偵、さん……」

 この世界のクルミとは、これからもよろしく——という関係にすら至れなかった。彼女にとって、ユーマは会って数日の探偵見習いでしか無かった。

 そんな彼女が、死してなお渡してくれた資料。探偵の力になろうと、記憶の残渣を手繰るように動いた結果。

 ならば、無駄にする訳にはいかない。

「…うん? まだ、何か持ってる、みたいだ」

『今度は何?』

 目の前のクルミが、ぎこちなく左腕を上げる。死後硬直のように固く握られた左手の中で、何かがキラリと光った。

「…………、え」

 キラリと光った物を回収したユーマは、瞠目した。

 見覚えのある、注射器型のピアスだった。

『ん? どっかで見たような……いや、見たことあったっけ?』

「…………ハ、ハララさんの、ピアス?」

『は? …っ、マジで!?』

 逮捕されたはずの、ハララ=ナイトメアのアクセサリーだった。

(……ま、まさか、マコトの反応がないのって、ハララさんが関係してるのか!?)

『悪魔ちゃんってば! お礼参りの為に脱獄してきたの!? オリチャー発動してる場合じゃないよ、チャート自体が滅茶苦茶にされちゃうー!』

 振り返れば、アマテラス急行の時から、似て非なる事件ばかりだった。本来、フィナーレを飾る予定であった此度ですら、例外では無かった。

 ——話が、変わっている。


「おいユーマ、なんつった? 今なんつった?」

 ファイルを読んでいる途中だったヨミーが、聞き捨てならない名前に即座に反応してきた。

 ユーマはヨミー達にも見えるように注射器型のピアスを示しながら、考え、言う。

「ハ、ハララさんが、この工場のどこかに居ます!」

 不自然に転がってきた小石。このクルミが歩いて来る時、何らかの拍子で蹴飛ばした……のでは、無くて。

 ゾンビ状態の者が物音に反応して動く性質を利用し、第三者が誘導するべく遠くから投げてきた。

 そしてその第三者は、ハララ=ナイトメア。

 ハララが収容所から脱獄し、この工場に居る。ハララが脱獄したなら、他の幹部達やヤコウも脱獄した可能性があり得る。

 裏で与り知らぬ事態が進行していた事を理解し、ユーマは血の気が引く思いに駆られた。

「このクルミちゃんがボク達の所へ来たのも、ハララさんの誘導の可能性があります!」

「じゃあなんだ! この資料、ハララがオレ達に寄越してきたってのか!?」

「そ、そうなります」

「横から突っ込んできて引っ繰り返してんじゃねぇよクソがァッ!!」

 なぜ、ハララが情報を渡してきたのか。

 ハララはこの情報をどこで入手したのか。

 分からない事が急に増えたが、事態を攪乱されている事だけは分かるのだろう。ヨミーは忌々しそうに奥歯を噛み締めていた。

「隠密みてーな動きしといて、自己顕示欲の塊みてぇなメッセージだなホントによォ!」

 このクルミにファイルを持たせ、受け渡しの役を担わせたのは、ハララ=ナイトメアである。そう声高々に主張するも同然。

 順当に考えれば、それも含めてメッセージなのだが、それが何の意味を持つのかが分からないのが不気味だった。


 ◆ ◆ ◆


 スワロ、スパンク、ギヨーム、ドミニク、セスの計五人の超探偵達は、カナイタワーの最上階に監禁されていた。

 最上階はアマテラス社のCEOが丸ごと所有しており、スペース的には窮屈では無かったが、この監禁にCEOが絡んでいるのは明白で、超探偵達は迂闊に動けなかった。

 ちなみに、キッチンのテーブルにはCEOのお手製クッキーが大量に置かれた大皿が鎮座していたが、誰も手を付けていない。『お腹が空いたら是非!』と手書きの手紙が添えられていたが、それで心証が上がる訳も無く放置されていた。

「テレビぐらい設置しててよー、つまんなーい」

 ギヨームが真っ赤なソファの上に寝そべり、両足をばたつかせる。行儀が悪かったが、それで誰も迷惑を被らない程度には空間は広いし、ソファは他に幾つも設置されていた。

 彼女は自らの探偵特殊能力で最上階のみならずタワー全体の構造も理解していたが、今の所はそれを活用する事無く監禁に甘んじていた。

 本気で脱走しようとした場合、ドミニクにテロリスト並みに大活躍して貰う必要がある。物を多少壊すというレベルでは無くもはや犯罪者になるし、多数決的にも現状維持で落ち着いた結果だった。

「仮面を外そうとしたからって、嫌がらせを受ける謂れはないんだけどー」

「…関係あるのかしら、それ」

「外そうとしたらガチの力で抵抗されたし、割と嫌われたかも知れない可能性がこれの中でワンチャンあるよ」

 ギヨームがぼやいているのは、レジスタンスの件でCEOと直に会った時の思い出だ。彼女には分別があるのに、どうも分別を飛び越えて行動したがるアクティブな性質が強い。

 スワロの印象としても、あのCEOは存外ノリが良さそうでいて、その実、パーソナルが読めない。『尋問』を使うまでも無く、彼が自称する経歴は基本的にデタラメだと分かる。

 かと言って、では、ギヨームが述べるワンチャンとやらが原因で、斯様な仕打ちを受けているとは到底受け入れ難いのだが。


「ユーマとヨミー様、CEOとお話してんのかなー」

 この空間には、ユーマとヨミーだけが不在だった。

 探偵事務所で気絶したかと思えば、次に目を覚ました時には既にカナイタワーの最上階。その時点から、二人の姿はどこにも無かった。

 考え得る穏便な可能性としては、今頃二人はマコトと対話しているのだろう。この説の問題点は、超探偵達を省く意味が全く不明な事であるのだが。

「まさかと思うが、またあのバカが独断専行した結果じゃないだろうな。もしそうだったら、借金の桁を増やすしかない……」

「ヨミー様が百億の債務者(オトコ)になっちゃうってコト? でも、だったらユーマが止め……止めるよねー、たぶん」

 スパンクが軽く苛立ち気味に呟く。ギヨームの台詞は債務者と書いてオトコと読ませるルビを振っていたが、言葉に伴う悲惨な意味は碌に緩和されなかった。

 なお、スパンクの疑心暗鬼を滲ませた発言は、直近の事件でヨミーが独断でとんでもない真似をやってくれた事の延長線だった。結果として事態は良い方向へと転がったが、一人の例外を除いて何も知らされなかった超探偵達はとても困らされた。

 スパンクは有言実行の男で、チャラにするという名目で、ヨミーに本当に億単位の借金を背負わせた。無利子とは言え無慈悲であった。

 流石にヨミーが可哀想……と庇う者は、意外と居なかった。度が過ぎた秘密主義は、まるで信用を裏切られたようで、みんな、同情が引っ込む程度には憤っていたのだ。

「あら、大丈夫よ。今度似たようなことをしでかしたら、三行半が現実になるって話し合ったもの。あなたも聞いてたわよね、セス」

「…き、記憶に新しい出来事ですね」

「『はい』は?」

「……は、はい…」

 その流れ弾がセスに被弾した。セスだけは例外的に事前に知らされていて、ヨミーと協力改め共犯関係を結んでいたからだ。残念ながら慈悲は無い。

 スワロから訂正を求められ、セスは口答えをせずに従順に応じながら、逃げるように窓辺へ移動して雨模様を眺めるのに没頭しようと努めていた。



「…あ、の。雨が、止んで…晴れている、ようなのですが…」

「分かってるって!」

 その雨が、伏線も前触れも無く、晴れていく。

 このカナイ区では、三年前からずっと雨が止まなかった。事実、スワロ達がこのカナイ区に訪れてから、雨は一度たりとも止んだ事は無かった。

 それなのに、雲の切れ間から光が差し込んだかと思えば、雲自体が瞬く間に散っていく。

 最初に気づいたのはセスだったが、天候の変化という一大事だったので、他の者達も誤差数秒の範囲で気づき、驚いていた。


《緊急警報が発令されました。住民の皆様は、至急、屋内に避難してくださガシャンッ!!!

 晴れていくに連れ、カナイ区中にアナウンスが放映されていく、かと思いきや。

 何者かによって乱暴に遮断された。その暴力的な音をきっかけに、アナウンスはプツリと途絶えた。

 それから、ごそごそと何かを準備するような、物音を立てるような音を微かに鳴らしながらの、数十秒後。

《——皆様。本日は御日柄もよろしく、忌々しい雨はすっかり止んでしまいましたね》

 急速に齎される快晴とは裏腹に、アナウンスを乗っ取ったその声が、澱のようにカナイ区全体へと重く圧し掛かった。

 超探偵達も、監禁に甘んじている場合では無い異常事態だと察さざるを得なかった。

《本日の天気は、雨のち晴れ。人でなしの人喰いの皆様におかれましては、せいぜい頑張って屋内で引きこもっていてください》

 呪うように、重く、冷たく、その癖に明るくて朗らかな声で宣っているのは、逮捕され収容所に送られたはずの元保安部部長ヤコウ=フーリオだった。




(終)

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