5章②

5章②

善悪反転レインコードss

※5章はこんな雰囲気かなと個人的な解釈を形にしたssです。

※キャラ付けや関係性などは筆者個人の妄想に基づいています。また、独自の補完があったりします。

※4章反転ヨミー生存ルート兼本編クルミが参加するルートを採用しています。



 廃村を徘徊していたホムンクルス達は、工場内にも一定数存在していた。

 彼らは物音に反応するので、配置されているアマたんを操作し、別方向へ誘導しようと画策する。

 アマたんが軽快なBGMと共に頭上にある蒸籠から肉まんを床へと放ったのを認識した彼らは、ある者は手掴みで、ある者は犬食いで貪る。

 その隙にと、ユーマ達は通路を進んだ。

「……」

「これ、は……」

『出たね、偽装現場の工作。こっちでも血の色がピンクだから、ここん所は確定だね』

 何度目かの、アマたんによるホムンクルス達の誘導を成功させた時、元々ホムンクルス達が集っていた場所にはショッキングピンクの血痕が派手に飛び散っていた。

 更には、女性用の世界探偵機構の制服、眼鏡、赤いニーハイソックス。骨も散乱していた。

 元居た世界では、工場内で最初に発見した仲間の殺害現場は——偽装だったのだが——デスヒコのものだった。それに対応する形で、スワロの殺害現場が偽装されていた。

《この工場に職員は居ませんが、お腹を空かせた連中が、あちこちに居ます。彼らは新鮮な食糧に目がありませんので、ご注意ください》

「——、フゥーッ…」

 ヨミーは現場を見下ろしたまま、重く湿った溜息を零した。

 怒りか、嘆きか。ヨミーにしては随分と長く沈黙しているのは、方向性が如何様であれ感情を抑えている所為だ。

 ……ユーマが偽装だと理解しているのは、元居た世界で、この一連の流れがマコトにより仕組まれた『茶番』だと体験済みだから。クルミも同じだと考えて良い。だから、二人揃って血みどろの現場よりもヨミーに意識が向かいがちになる。

 死んだワケがない、生きているはずだ、と元居た世界では混乱しながらもそう否定して叫んだけれど、二度目の体験となる此度ではユーマは口ごもってしまっていた。

 それは、この現場は偽装されたものだと断言するシーンを、現在進行形で監視するマコトに目撃されるのは如何なものかと悩んだのもあるし。

 意図を伏せて慰めれば、中途半端に気取られて質問——否、詰問責めをされかねないと察する程度には、ヨミーと付き合いを築いてきたのもあった。


《工場見学の際は、突発的な事故にご注意ください。感電、高所からの転落、もしくは食糧代わりに食べられたりすると、目の前のお仲間のようになりますので、何卒ご注意ください》

「……茶化してんじゃねーぞ」

 ヨミーは舌打ちする。アナウンスの主からおちょくられている……とまではいかずとも、馬鹿にされていると、少なくとも彼は思ったのだろう。

《感情的になられるのは感心しませんね。完璧な推理、完璧な解決の為には、感情は不要のものですよ》

「規則は、人格が存在しねぇ、0か100かの極論の物差しだ。感情をさて置いて考慮しなきゃならねぇ、だからいけ好かねぇ。感情を持って生まれてきちまうんだから、合理には感情も含まれるんだが?」

《柔軟なようで意固地な主張をされますね》

 慟哭せず、乱心せず。然れども、攻撃性を前面へ押し出す事は決して忘れず。

「……オメー、マコトだろ。もしくはマコトの部下か、関係者か」

『わー、結論が早ーい』

 拉致された経緯を思えば、マコトが怪しいのは間違いない。元居た世界でユーマが至った結論にヨミーも至るのは当然の流れだ。

「オレを愚弄されても耐え続けるご都合聖人だと虚仮にすんじゃねーぞ掛かって来いよこっちは三人だぞ!」

《予約にない方も既に信頼されているとは、結構お優しいんですね》

「うるせぇーッ! ユーマが信じてるみてーだからそれに乗っかってんだよ、疑うだけ時間の無駄だって割り切ってんだよ! 優先順位のトップはテメーだテメーッ!!」

 ユーマを甚く評価しているらしい、こそばゆい誉め言葉。状況次第ではユーマは照れていたかも知れないが、生憎と状況はそう呑気では無かった。

 ヨミーは相手が推定マコトだと言い切った直後、特別忖度する事無く強気な態度に出ていた。言葉でも、そして右手の所作でも中指を立てていた。呑気な状況とは呼び難く、寧ろ遠く懸け離れている。

「あ、あの! ボクはともかく、クルミちゃんまでカウントするんですか!?」

「ユ、ユーマくん、驚く所そこなんだ?」

「え、いや、だって、そうでしょ!?」

 さらっとクルミまで戦闘要員に数えられたのもあって、ユーマは驚いて思わず突っ込んでしまった。

 ちなみに補足するが、クルミの反応が妙に噛み合わなかったのは、クルミとしてはヨミーの強気過ぎる態度の方が比較的気がかりだったに過ぎず、決して腕に覚えがあった訳では無い。

『貧弱なモヤシばっかりのパーティーで相対的に一番だからって勘違いしてんじゃないよ! ……いや待って? ご主人様、いっぺん腕相撲してみてくれる? ワンチャンあるんじゃない?』

(今はそれどころじゃない!)

 死に神ちゃんも突っ込んだが、程無くして脱線しかけたのをユーマが心中とは言え一喝して軌道修正した。

《どうか、冷静に。大切なお仲間、いえ、恋人も、あの世で困惑すると思われますが》

 アナウンスの主もといマコトも、ヨミーのいっそ無謀な強気さに多少呆れながら、相変わらず精神を削ぐような言い回しを継続させていた。

 この『茶番』の仕組み上、マコトは数の暴力で押すような真似はするまい。だがヨミー視点では、そうだとは分からないはずで。

「いいこと教えてやろうか! 警察が真っ当に調査すりゃ意外と探偵は要らねーんだよ、真っ当に捜査すりゃな! 真っ当に捜査すりゃなァ!!」

『真っ当じゃないパターンの警察への恨み節が半端ないね』

 何度も繰り返し述べた部分に込められた熱量に、死に神ちゃんは突っ込んでいた。

「あとスワロ含め超探偵どもの血液が変色したって話は聞いてねーんだが!? 変化したら報告しろって言ってたんだぞ! だが直前まで誰からも聞かなかった!」

『あっ、そこ切り込むんだ?』

 降雨に含まれる成分による影響で、血液の色が変わっている。カナイ区の住民達にはそのように説明されており、ヨミーはそれを前提にして反論している。

 ヨミーが事前にその辺りを意識して超探偵達に声掛けをしていたのは、説の真偽に思う所があったのかも知れない。もしくは、変わったら教えろという言葉通りの確認の意図に過ぎなかったのか。

 どちらにせよ、どちらでも無いにせよ、だからこれは偽装現場だとヨミーは反論していた。つい少し前までのユーマの悩みが馬鹿馬鹿しくなるぐらい、乱暴だが潔かった。

「オレを絶望させたきゃ最低でも顔ぐらい残しとけ! 入れ替えトリックが可能な粗がありまくりじゃねぇか! まぁできないよな本人じゃねーしな適当に用意した服と骨と血だもんなァ!?」

 ヨミーは、理路整然と反論している——ように見せかけて、残念ながら穴はある。寧ろ、現実逃避をする為に誤魔化して取り繕っているとも言える。

 知らぬ間に血液の色が変化していたと意見を封殺されればそれまでだし、本当にホムンクルスに捕食されたなら顔が残る残らない云々の議論は意味を成さない。

 しかし、彼は感情を合理の一部だと見なしているのだ。故に、何か言い返さずには居られないのだろう。

 ……あるいは、とても単純な反発心だ。

 恋人が喰い殺されたなんて話を簡単に信じる訳にはいかない、という。

 兎にも角にも、嘆いて崩れ落ちるのでは無く、絶対にその面を拝んでやると攻撃的ながら前向きだった。無理をしているだけにしても、だ。



 アナウンスの主が理性的にも、あるいは余裕を持って一旦引き下がった為に静かになった後、ユーマは偽装現場の近くに落ちていたメモを拾い、読み上げる。

 カナイ区の歴史、という名のアマテラス社の躍進。アマテラス社が統一政府からの依頼でホムンクルス研究を極秘に進めていた件が、スワロの筆跡で記されていた。

「……スワロさんの筆跡で、間違いありません」

「情報収集力が気持ち悪ぃぐらいに高ぇんだよ、クソが…」

 スワロの殺害現場だとは認めない。これは偽装されたものである。

 ならば。自分への、自分達への嫌がらせの為だけに、大掛かりな偽装工作が行われている。ホムンクルスの情報を添えられながら。

 それはそれで得体が知れず不気味なのに、ヨミーは著しく不機嫌になった以外に特筆する点は見受けられない。彼の発露の仕方は憤怒という方向で綺麗に纏まっていた。

「ア、アグレッシブですね、ヨミー……さん。何か仕掛けられるかも、とか思わないんですか?」

「一方的に拉致され巻き込まれた何も悪くないオレが、謙虚になれってか?」

 つい先程までのヨミーの反論の数々を思い返しながら、クルミはヨミーと前向きなコミュニケーションを取ろうと努めていた。

 ヨミーも、クルミに言及したい事は山ほどあるだろうに、質問に応じるだけに留めてくれた。

「自分を釈迦だと思い上がって、全ては掌の上だと嘲笑っているような野郎に、なんで低姿勢で命乞いをしてご機嫌を窺わなきゃならねーんだよ。クソ鬱陶しい」

「…探偵としての義憤が、凄いんですね」

「……探偵がどうとかじゃなくて、オレが気に食わねぇんだよ」

 自己保身的に妥協できないのだと断言し、更に「オメーらが好きにやってんだ、だからオレも好きにやってるだけだ」と続けた。

 好きにすると言いながら、立ち入り禁止区域で秘密を探ろうと執念を燃やせる点には、探偵としての基本方針を感じられた。






 その後、スパンクの分、セスの分と偽装された死体現場を発見していく。その際、ホムンクルス研究について、超探偵達が生前この地で集めていた情報という体裁で得られていく。

 統一政府がホムンクルスを軍事目的で欲しがっていた事。統一政府はアマテラス社に依頼した他、直下の研究機関にも研究させ、双方を競わせていた事。片や無法な人体実験、片や素体となる人間のDNAに着目して優秀な人間のDNAを違法寸前の手段で採取していた。ホムンクルスの特徴は不老不死、そして……。

「笑えねぇ挑発がブームになってんのかよ、そんなの仲良しクサレ脳味噌どもだけで充分だクソがァ……ッ!」

 世界探偵機構から探るようにと命じられた、カナイ区最大秘密。その片鱗が明確に見えつつある。

 が、なまじ、偽装された死体現場だという前提を置いているものだから。

 では、ユーマ達を拉致してきた張本人は、偽装対象である超探偵達が少なくともユーマ達と接触できないよう監視ないし監禁しているという訳で。

 拉致される寸前、同じ空間で即効性のある睡眠ガスにやられたのだ。無事だと思っていなかったにせよ、ヨミーは非常に苛立っていた。遺されたメモという体による情報を握る手が不快感で震えている。

 ユーマやクルミとしても、血液はまだしも骨自体はチャチなレプリカでは無く本物の人間由来だろうという確信とその目星が付いているだけに、ニセモノだと分かっていても安堵する事はできず、心はざわついていた。


 不意に、ヨミーが進行方向の、その先へと視線を遣った。

 誰かの影が、見えた。

 その影は、逃げるように奥へと進んだ。他者からの視線を察知できるだけの知性を感じさせる行動だった。

(……!)

『え、何々? 誰?』

 ユーマが僅かに肩を強張らせた反応から、死に神ちゃんは『見えたの? 教えてよー!』とせがむが、ユーマは無言だった。咄嗟に答える事ができず、唖然としていた。

「……オメーら、急ぐぞ」

 元々急いでいたのに、ヨミーはわざわざそう言った。

 どうやら彼にも見えたらしい、とユーマは察した。



 逃げていった何者かの気配を追うように、工場から一旦出る。道沿いにトンネルを進むと、また別の施設があった。

 本来ならシャッターにより重く閉ざされているはずだったが、そのシャッター自体に大穴が開けられていたので難なく入る事ができた。

 ——秘密の研究施設、ホムンクルス実験場だった。

「…やぁ。キミか」

「……オメーじゃねぇよ」

 地下へと続く長い階段を下りた先に立っていたのは、ウエスカ博士だった。

 追っていた気配とは絶対に別人だと確信していたのもあって、ヨミーは酷く幻滅したように、嫌々ながら対応していた。

『あれ? 順番抜けてない?』

(……)

 工場内で最初に話す、ゾンビ状態ながら知性を有したホムンクルス。この世界では、それはウエスカ博士だった。元居た世界とは違って。

《言い忘れていましたが、彼らには個体差があります。中には、話ができる者が居るかも知れませんね》

「はァ? レール敷いてんじゃねぇよ、どこに導こうとしてやがる」

「…ヨ、ヨミー所長。ボクが、この人と話をします。ですから、落ち着いてください」

「……露骨だな。だが、まぁ、いいぞ」

 意思疎通が可能そうなホムンクルスから話を聞け、と。

 誘導を意図してのアナウンスに低い声を洩らすヨミーを抑えながら、ユーマはウエスカ博士と直接やり取りする為の許可を取った。

 歯車が狂っていれば、ヨミーが加害者になっていたかも知れない関係だ。基本的に自発的に動いてくれるヨミーだが、今回ばかりはユーマは口を挟んだ。

 現に、ユーマの提案にヨミーは露骨だと言いながらも頷いてくれた。

『瞬間湯沸かし器みたいなヒトだから、ボコボコに殴り倒すかと思ってたよ。死なないならノーカン的な扱いで』

 折り合いをつけたにせよ、意外と冷静なものである。激情を迸らせる時と冷静に対処する時、その二極化はまるで別人のようだ。


 ウエスカ博士からホムンクルスの最重要実験が行われたはずだという旨を聴取した後、更にその奥に居た旧CEOの老人からも、カナイ区は統一政府によって危うく占領されかねなかった情報も得られた。

 元居た世界との相違は無い。強いて差異を挙げると、どうやらこの世界のアマテラス社は一枚岩とは程遠かったようだ。

 各部門の独立性が強まり、連携を取れないままに最重要実験が行われ——その後、全住民の記憶が一週間分飛んだ。

(十年も前に統一政府から依頼を受けていた以上、流れは変わらないんだろう、けども……)

『保安部が頭角を現さないこっちの世界でも、それはそれでって感じだね。独裁国家の軍隊モドキに牛耳られるか、我も欲も突っ張った連中の常時レスバ上等内ゲバ天国状態か、この二択…うへぇ…』

 アマテラス社は、旧CEOの努力とアマテラス社を更に発展させれば利益が出る、という理由で辛うじて纏まっていた。急激に巨大化した結果、歪みを抱えてしまったにしても、頭が痛くなる話だ。

 元居た世界のように途中で逸れたりせず一緒に来ているクルミも「うわぁ…」と言葉にならない声を洩らしてドン引きしている。ヨミーは既に知っていたのか特段取り乱しはしなかったが、顰めっ面だった。

「そんな状態のアマテラス社の新CEOの座を望むとか、あいつはマゾなのか? テメーの口が上手かったのか?」

「…私が、その立場を喜んで押し付けたと邪推するのは勝手だがね。彼は、マコトは、カナイ区を愛しているからこそ、自ら率先して望んだ。私としても、この会社を守ってくれるのであれば、断る理由もなかった」

 カナイ区を守るも壊すも、アマテラス社のCEOとなれば実行できる。だから、カナイ区外から来た謎の新参でありながら、カナイ区を守りたがっていたマコトは、CEOの座を望み、応えられた。

「…………そいつは、テメーは、良かったな」

 アマテラス社とカナイ区がイコールで結び付けられても何の反論もできない現実に、ヨミーは何か言い返そうとする間を置いた後、辛くも理性が勝ったようで無難な生返事で軟着陸させた。



 このホムンクルス実験場にそもそも導かれた原因である気配とやっと再会できたのは、ウエスカ博士や旧CEOなどのアマテラス社の深部に関与する人物との話を終えた後だった。

 ——友だったから、死者が動き回っているという時点で、その可能性自体はすぐ脳裏に過っていたのだろう。

 ホムンクルスを製造したと思われる薄気味悪い装置が確認できる部屋で、再び見つけた時、ヨミーの行動は早かった。

「逃げんじゃねぇッ!!!」

 超探偵ジルチ=アレクサンダーと同じ顔をした、その男を取り押さえた。

「オレが! オレが、分かるか!?」

「……」

「ヨミー=ヘルスマイル! 分かるかって聞いてんだよッ!!」

 男はもがいているが、逃げる為に暴れているに過ぎず、ヨミーへの抵抗は殆ど無い。だが、時間経過で抵抗の力は増していっている。あるいは、手加減ができなくなっていく。

『天然ストレートに抵抗してる? 頭ん中、モジャモジャ頭にいじられたまんま……なの?』

「ジ、ジルチさん! ボクのこと、覚えてますか!?」

 元居た世界では、超探偵ジルチ=アレクサンダー——の姿形を模倣した殺し屋は、肉体の再生に伴って知能が低下した影響で、喋れはしてもユーマをヨミーだと誤認し、機密情報を喋ってくれたのだが。

 この世界では、恐れるように逃げるし、一言も口を開かない。いっそ知性を感じさせる沈黙を保ち、口を噤んでいる。

 彼は生前脳を滅茶苦茶に弄られている。勝手が違っていても仕方ない。ユーマも取り押さえるのに協力しながら、彼へと呼びかけた。

「アマテラス急行で会った、ユーマ=ココヘッドです!」

「……、……」

 ユーマの名乗りに反応したのか、あるいは取り押さえる者が増えた為に反射的にユーマを見ただけだったのか。

 彼はユーマを一瞥した後、抵抗を瞬時に止め、ぴたりと大人しくなった。

 男の頭の中で何が起きたのか、分からない。多勢に無勢だと判断し、潔く諦めるだけの判断力が残されていたのだろうか。

 ただ、濁った瞳からは、到底、意思を読み取る事が叶わない。

「ッ、…テ、メ、ェ。ヤコウだったら、聞き覚えがあるのか?」

「……」

「…………聞こえてるよな? 目は、見えてるよな……」

 ヨミーは激しく息を切らしながら尋ねたが、男は相変わらず無言だった。ヤコウの名に反応を返す訳でも無かった。

 ヨミーは仕方なさそうに、正当だと言い訳をしながら、男の服をまさぐり始めた。何か怪しい物は無いか、というチェックだろう。チェックに手抜かりがあったばかりに痛い目に遭った過去があるからか、半ば叩くように乱暴で強引な所作だった。

「…ぁん?」

 そして、何かがあると気づいて、ヨミーは男から何かを没収した。

 映像を収めるDVD。なぜ、それをこの男が所持していたのか、全く以て不明だが……抵抗されないのを良い事に、ヨミーはそのまま拝借する。


「……戻った場所に、プレーヤーがあったよな。実験記録なら物的証拠。確認がてら、流してみるか」

「…………ぁ、そう、ですね」

 ……元居た世界では、DVDはヤコウが渡してくれた。既に通り過ぎてしまった、最後の思い出が、唐突に脳裏に過った。

 だからユーマの返答にラグが生じてしまったが、幸いにもヨミーは深掘りせずに流してくれた。

「ユーマ、もう戻るからいいぞ」

「ぇ、と……いいん、ですか? もう少し、聞きたいこと、とかは?」

 情報を引き出さなくていいのか、という建前による、この人との会話をもう終わらせてもいいんですか、という労わり。

 ユーマの言葉にヨミーは数秒だけ沈黙し、死に神ちゃんは『死んだ人を追いかけさせる真似は控えなよー…』と呆れながらも呟いていた。

「黙ってるなら、もういい。時間に余裕はねぇしな」

 その労わりを受け取った上で、大丈夫なのだとヨミーは断言し、男を解放した。ユーマもそれに倣う。

 ヨミーの中で、既に折り合いは付いていたのだろう。

 だから、ここで、先へ進むという選択を、自ら取れる。

「また来る。じゃあな」

 ただ、去り際に、変わり果てた男との再会を望む言葉を残して、立ち上がった。

 本当にまた会えるかはさて置き、そのつもりはあるのだ、と。

 生死の境目に敏感な死に神ちゃんは、『……ありゃま。囚われても、いいことなんてないんだけどなぁ』なんて零していた。

(……損得じゃ、ないんだよ)

『オレ様ちゃんだって、電卓を片手に命の数を数えるのはドライ過ぎるって思ったりするけどさぁ…』

 ユーマは歩き出したヨミーの後ろに従いながら、ちらりと男を様子見する。

 男はゆっくりと身を起こしていたが、ユーマ達を追いかけて襲いかかる真似もせず、ぼんやりと座り込んでいる。

 この世界では、男は、会話するだけの判断力を残す事も叶わなかったのだろうか……。


「ヨミー、様…」

 そう思っていた時だった。

「…………すみません、でし、た……」

 確かに聞こえた。男の声だ。

 確かにヨミーの名を呼び、そして、謝罪した。離れていくのを確認して、ようやっと。

 ホムンクルスとしての再生能力が、弄られた脳にも及び、修復していた。

「…っ、あ、あの、ヨミー所長」

「いいから、行くぞ」

 聞こえましたよね、とユーマは続けようとしたが、ヨミーに腕を掴まれてぐんぐんと強く引っ張られる。

「行くぞ」

 敢えて二度言った時、その語尾はとても強かった。意地でも振り返ってやるものか、という意思が見て取れた。

 前へと進み出した直後になって、やっと返事をされた事が、ヨミーの苛立ちを買ったようだった。

 もしくは、死者に招かれて振り返る事を避けているのか。

 振り返ってしまったら、足が止まりかねない。それだけの迷いがヨミーの胸中で燻っていた……のかも、知れなかった。


 ◆


 頭の中で神経が何本切れたのか分からないような怒りの中で、その怒りが例え偽りでも沈静化しかけたくらいには、その存在は己の心を占めていると言うのに。

 聞こえていたなら、呻き声でも何でもいいから反応して欲しかった。

 あの時、彼の頭の中で如何様な演算が弾き出されていたのかは不明だが、ユーマの加勢が入ってから事態が変わるとは何事か。

 次に会った時は蹴る程度で勘弁してやろう。そう結論付ける事で、堪忍ならぬ激情の溜飲を無理矢理にでも下げた。


 専用の機材がある所まで戻り、彼が故意か偶然か持っていたDVDの映像を再生した。人体実験の映像でも映っていれば良いのだが。尤も、三年前に中止された研究の悪事が露見した所で今更感は拭えないが、あるのと無いのとでは違う。

 そもそも、証拠として扱えたとして、ここから無事に生還するのが大前提なのだが……。

《我が研究人生における、人生最大の汚点だ。だが、これからの惨事を思うと、この記録が大きな助けになるかも知れない》

 その映像は、蓋を開ければ、実験記録などでは無かった。ウエスカ博士が緊急で撮影を開始し、証言を残そうとしていた。

《現在、深夜二時。最重要ホムンクルス実験を開始してから、十四時間が経過し——》

《ここに居るんだろッ!!》

 残そうと、していたのだが。

 扉を派手に蹴破る音に、映像を眺めていたヨミーは一瞬虚を衝かれた。ユーマとクルミも同様で、特にユーマは「え、何、これ……」と本当に混乱している様子だった。

 映像の中のウエスカ博士は、ヨミー達以上に驚愕したであろう事は想像に難く無かった。

《な、なんだね、キミ達は!》

《話はあと! こんなもん撮ってないで、早く逃げましょう!》

 ずかずかと立ち入ったのは、ヤコウ、ハララ、ヴィヴィア、デスヒコ、フブキ。旧保安部の面々だった。全員、殺気立った様子だった。

《実験は失敗した! じゃあそのリカバリーをする為にも……言いたいことは色々あるが、今はとにかく逃げるんですよ! 生きて脱出して、そのあとに責任を取ってもらいます!》

 ウエスカ博士は狼狽えているが、ヤコウは真剣な形相で意にも介さない。

 何か、命の危機が差し迫るような、重大な危機が起こっていて。命を守る為には、一刻も早く逃げねばならない。

 そういう状況なのだから、遺言の如く証拠映像を呑気に残している場合では無いのだと、三年振りに目にしたヤコウの真っ当な眼光が物語っていた。

《呑気に駄弁ってんじゃねぇッ! そいつを助けたきゃ無理矢理にでも連れて来い!》

「おい待てよ」

 声だけとは言え、分かる。声だけだが、自分が、ヨミー=ヘルスマイルが『そこに居た』のだと分かる。

 分かったが、なんでだよ、と困惑が先立ち、思わず言葉を洩らしていた。

 その後、映像にノイズが走り、乱れていく。

 どうやら危機的状況らしい、という雰囲気しか主に伝わらず、確たる情報からは程遠かった。ヤコウ達の乱入さえ無ければ、ウエスカ博士が色々と自供してくれたのだろうに。

「…………こんなことが、あったのか?」

 だが、それを差し引いても、衝撃的だった。『空白の一週間』と思しき期間に、こんな事があったのか、と。


 だが、その程度の衝撃は——もうじき畳み掛けて来る真実を思えば、実に些細で可愛らしいものなのだ。

 死んだはずの者までアマテラス社製のホムンクルスとして扱われている時点で、理論上は察する事が可能だった。

 けれども、存在意義や自己証明の前提を覆す真実は、乱暴に叩きつけられねば、向き合うどころか、そもそも思い知る事さえ叶わないのだ。


 ◆


 DVDの映像を観終わった直後から、ヨミーは少しばかり考え事をしている様子だった。

 得られた情報としては、ウエスカ博士による最重要ホムンクルス実験が失敗した事と、命に危機が及ぶ程の逼迫した事態という事と、当時その現場にヤコウ達やヨミーが居合わせていた事。

 その上、『空白の一週間』に起きたと推定される資料でもあった。それが、棚から牡丹餅が落ちるように見つかったのも相俟って——と言うより、そちらの衝撃の方が、思いの外大きかったのだろう。

 理屈では記憶が抜け落ちている事実を許容してたが、いざ視覚的な証拠で突きつけられると動揺した、といった所か。

『……あの映像って、さ』

 ユーマの隣で、死に神ちゃんがぼそりと呟く。そこから先は、悩ましそうな唸り声が洩れるばかりで続かない。

 ユーマは、死に神ちゃんが言わんとする続きが分かっていた。そして、なぜ実際には形にならず有耶無耶になっているのかも。


 ——真実は、すぐそこまで迫っている。




(終)

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