3章(序)
善悪反転レインコードss※3章の冒頭だけ、こんな雰囲気かなと形にしてみました。
※キャラ付けや関係性などは筆者個人の妄想に基づいています。また、独自の補完があったりします。
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エーテルア女学院での件が収束した後、保安部からの報復でヘルスマイル探偵事務所が沈められるとユーマは警告したのだが、何事も無く一夜が明けてしまった。
実際に魚雷を撃ち込まれたのは、三日後の事だった。
そのタイムラグのおかげで、ユーマのメンタル面を心配された。撃ち込まれたら撃ち込まれたでヨミーから謝られたのだが、その謝罪は生憎と事態の改善には繋がらなかった。
兎にも角にも。知っていたはずの未来を、防ぐ事ができなかった。
意識を取り戻した時点から、ここがカナイタワーの最上階にある一室——マコト=カグツチの私室で、ベッドに寝かされていた事が分かった。元居た世界と同じ内装だったので判別は容易かった。
「やぁ、おはよう」
「……え、っと」
目を覚ましたユーマがベッドから降りたのを見計らったタイミングで、独特なセンスの塊である仮面を着用した小柄な男性が現れて挨拶してきた。
「ボクは、是非友達になりたいと思うんだけど。キミはどう?」
元居た世界では外の景色を眺めながらゆったりと入浴していた仮面の男は、この世界では急くように語りかけてくる。
「……あ、そうそう! 自己紹介が先だったね。真っ当な人間関係を構築するのが久しぶり過ぎて、正しい順序がよく思い出せなくてね」
元居た世界との比較になるが、焦燥感に駆られながら本題へ入りたがっていた。
「マコト=カグツチだよ。よろしく」
一刻でも早くユーマとの関係を構築せねば、と言わんばかりに。
「……ボクは、ユーマ=ココヘッドです。あなたが、ボクを助けてくれたんですか?」
「そうだよ。だから、あんまり警戒しないで欲しいなぁ」
『ご主人様、迂闊なスキップは要注意だからね! 省き過ぎると狸寝入りを疑われて話が拗れちゃうから!』
(…分かってる)
マコトの焦燥感を不可解に思いながら、ユーマは状況を確認するべぐ会話する。
元居た世界との相違を確かめるのが目的だ。無かったとしても、下手に台詞を省略すれば、理解が早過ぎるのを超えて不可解だとマコトに不審がられる危険性がある。
どの道、『初めて』という体裁によるやり取りは必要だ。マコトに限った事では無いが、マコトには特に注意を払わねばならない。
「ここは、どこなんですか?」
「ボクのおうち。この街で最も高い場所、カナイタワーの最上階だ」
話をしながら、ユーマは窓越しに外を眺める。遥か遠くの向かい側では、アマテラス本社が煌々と自己主張していた。
「……ボク以外に、川辺で倒れている人は居ませんでしたか?」
「残念ながら、キミ以外は見つけられなかったよ」
ユーマがマコトへと視線を戻したのに合わせるように、マコトは肩を落とす。
「やっぱり心配?」
「……いえ。皆さんがそう簡単に死ぬはずがありません」
「へぇ。良かった。思ったよりもしっかりしてるみたいだね」
緊急時における集合場所は教えられている。元居た世界と同じく、かつて探偵事務所が構えられていた雑居ビルの屋上。そこへ向かえば、みんなと再会できるはずだ。
探偵事務所の沈没を防げなかったのは悔しいが、みんなが簡単に死ぬ訳がない。そう思いたいし、そう信じたいし、そう在って欲しい。ここから出たら、確かめなければ。
「…あ。この仮面が気になるかい?」
「……それは…そう、ですね」
「ごめんよ。ボクの顔を見た人間は正気を失うんだ。なぜかと言うとね、本当は丁寧に説明してあげたいんだけど——」
ピンポーン
「…………もう来ちゃったか」
突如鳴り響いたインターフォンに、マコトは先程よりも一層残念そうに肩を落とした。死に神ちゃんが『撫で肩になりそうだね』とぼやいていたが、それはさて置き。
「ユーマ。適当な所に隠れて。ボクが相手をするから」
「…は、はい」
マコトから早口で告げられ、ユーマはソファーの裏に隠れた。
この世界のマコトは焦っているようだ。取り乱す域にこそ達していないが、緊張感があった。
ユーマはこっそりと隙間から状況を盗み見る。扉が開かれる音がしてから数秒後、想像していた通り保安部の部長が姿を現した。
元居た世界ではヨミーだったが、この世界ではヤコウだった。
「いやぁ。今日も清々しい土砂降りですね、最高責任者殿。この通り、頭のモジャモジャ具合も一層酷いですよ」
「それは大変だね。明日晴れて欲しい?」
「ええ、全く以てその通り」
「アポを取って訪れてくれてたら、ボクの手作りクッキーを振る舞ってあげたのにな」
「申し訳ございませんねぇ。なにぶん、急な用件でしたものですから」
マコトと対面しているヤコウは愛想笑いを浮かべていた。揉み手の仕草もしている。
ヤコウは保安部部長、マコトは最高責任者。ヤコウがアマテラス社で幅を利かせようが、最高責任者が相手では流石に上下関係が歴然としている。ヤコウがマコトの機嫌を窺っても不自然では無い。
だが、実態としては、ヤコウはマコトの御機嫌取りなんてしていなかった。
ヤコウの瞳は敵意で暗く輝いており、マコトへの敬愛を全く感じさせなかった。
「それで、どんな用件なのかな? ヤコウくん」
「CEOが何者かを部屋へ連れ込んだと『匿名』から通報がありましてね」
ヤコウは断言する。この部屋にユーマ=ココヘッドが居るんだろう、と副音声まで聞こえそうな始末だった。
「あなた様の身を守る一環として、あなた様の近くに居られる者を調べさせて頂きたく……」
「やだなぁ、ヤコウくん。『匿名』なんて他人行儀だね。部下の名前をちゃんと呼んであげなよ」
「…………何のことです?」
「それに過保護だよ。心配してくれてるのは有り難いけど、ボクが仲良くしたい相手を次々と牽制しようと躍起になってさ。ぼっちは寂しいよ」
一見すると飄々としているマコトも、おどけたような言い回しからは信じ難いような威圧感を醸し、一歩も退いてやるものかと言外に主張していた。
「もう分かってるんだよね? ここにユーマ=ココヘッドが居ることを、さ」
『仮面野郎! もっと粘れ!! ゲロるの早いんだよーッ!!!』
死に神ちゃんが荒れるのも当然だ。ユーマも嫌な汗が全身から噴き出す。
ヴィヴィアが敵という事の意味を、その情報収集の手際の良さを、嫌と言う程に痛感させられる。
「……おや。ご自分から言い出すとは」
「ヴィヴィアくんを抱えてるキミ相手に白を切るのも疲れるしね」
流石のマコトも、物理法則を無視した情報収集をされては言い訳もできないと匙を投げていた。
「だから素直にお願いするよ。ボクとユーマの関係への口出し、ユーマへの手出し。控えてくれないかな?」
だが、その代わり、マコトは直接的な物言いでヤコウを威嚇していた。穏便な手段が取れず、向こうが牙を向けてくるなら、こちらも牙を立てねばならぬ故に。
ヤコウは揉み手を止める。けれども、愛想笑いは継続させていた。
「あなた様の安全を考慮する側としては、多少の不自由には目を瞑って頂きたい。どうか、ご理解を」
「……ヤコウくんは、いっつもそうだね。優しそうな言葉を並べて、その実、ボクの権限を削ぎ落とそうと血眼になってる」
「そんな、滅相もありませんよ」
マコトも、ヤコウも、互いに敵対の意思を明確化していた。
言葉だけなら穏やかなのに。元居た世界でのヨミーとマコトの会話とは別ベクトルで物騒で、刺々しく、言葉で殴り合っていた。
「ですが、カナイ区を愛する一人の市民として必死になる余り、結果的にあなた様を時として阻害している自覚はあります」
「……奇遇だね。ボクも、このカナイ区を愛する一人の市民だ。誰かさん達のおかげで腐敗が進む一方のカナイ区を守りたいんだ」
「そうですか。オレ達、気が合いますね」
「そうだね。嬉しい共通点だ」
あっはっはっはっはっ。
空気が氷点下になっている中で、二名による心にもない笑いが響いた。
『うっわぁ……大人の喧嘩ってドロドロしてる……でも、大人の喧嘩にしては、これでも分かり易い部類……』
死に神ちゃんが凍てついた空気にあてられ、ブルッと身震いした。
「……分かりました。今回はCEOの意見を尊重しましょう」
ヤコウは最終的には折れ、引き下がった。マコトとの直接的な敵対は立場的に不利だと弁えた結果だった。
「しかし、お忘れなく。保安部はいつだってあなた様を見守っていますよ」
「ボクも見つめ返してるよ。手間が掛かる子ほど目が離せないからね」
「…………それは、どうも」
ぺこり、と一礼をしてからヤコウは退室した。
ヤコウの退室後、汗がようやっと引くのを感じながらユーマは立ち上がった。
その後、元居た世界でもそうされたように、マコトからカナイ区の現状とアマテラス社について説明された。
成長し過ぎたアマテラス社は各部署の権力バランスが崩れ、空中分解する寸前だったが、それを解決したのが保安部だった。空白の一週間後に頭角を現し、瞬く間に社内を牛耳り、一つに纏め上げていた。
しかし、同時に保安部によるカナイ区の支配も始まった。鎖国状態故に警察の代わりを担っていただけだった保安部は、独裁国家の軍隊のような立ち位置へと変貌していった。
「さっき聞いた通り、ボクはアマテラス社の最高責任者だ。会社の、延いてはカナイ区への責任を果たす者として、保安部の横暴は目に余ると思ってる」
だから力を貸して欲しいんだ、と。ヤコウが堂々と口にしたのもあって、マコトは早々に自らが最高責任者だと暴露し、ユーマに協力を要請してきた。
「ボク一人では限界があってね。立場こそボクが一番上だけど、会社の権力闘争ってのは複雑でね……ボクの心は、この曇り空のようにどんよりとしてるよ」
「……それなら、さっきのやり取りは危ない橋だったんじゃないですか?」
「あ、気にしないで。限界があるからって何もしないようじゃ、本当に権限を剥ぎ取られかねないから」
この世界では、マコトは保安部への対策で苦労を強いられていた。
どうせヴィヴィアに一部始終を観測されていたのだろうと開き直る態度と言い、時には直接的な政治的殴り合いを強制されていそうだ。笑えない話だ。
「ユーマ。キミの目から見て、ヤコウくんはどう映る?」
「それは……」
「要点を絞ろうか。彼に、カナイ区への愛はあると思うかい?」
話の最後に、マコトからそう尋ねられた。
ユーマは、自分が知り得る限りのヤコウを思い返す。カナイ区で数多の事件を未解決のままで放置し、冤罪や公開処刑も辞さない。献身的な部下に素っ気無い。
なぜだかユーマには甘い態度だが、ヤコウ自身による調査の一環だと思えば気が抜けない。
ユーマの個人的な思い入れを差し引くと、到底、マコトからの質問にはイエスとは答えられない情報ばかりだ。
ユーマの沈黙を一つの解答と見なし、「……答え辛い質問だったかな」とマコトは呟いた。
「ボクは数年前に移住してきたばかりの新参者だから、よく分からないんだけど……ヤコウくんは、昔はいわゆる善人だったらしい。でも、ある時を境に豹変したそうなんだ」
「……空白の一週間事件を境に、ですよね」
「おや。知っているのかい?」
「人が好く、部下に振り回されがちで……愛妻家だったと、ヨミー所長から伺いました」
「それは話が早い。……保安部の幹部達はヤコウくんの豹変に合わせて変わった。ヤコウくんへの心酔、献身、そして忠誠が本物だから。問題なのは、ヤコウくん本人だ」
仮面のせいで表情が隠れていても、マコトが切実なのは分かった。ヤコウの目的を把握できず、困惑している。
「どうして、かつて善人だった男が積極的にカナイ区を腐敗させているんだろうね?」
ユーマ自身も同じ悩みを抱えているので、マコトの気持ちは察しがついた。
マコトの場合、カナイ区の住民への分け隔てない愛を思えば、ある点においてユーマ以上に苦心している事だろう。
「ヤコウくんはカナイ区への愛を謳うけど、ボクには理解し難くてね。愛の定義について二人っきりで話し合いをしたいぐらいなんだ」
『……奥さんの失踪は逃げられたんじゃないのって説、これが由来の一つかもね』
死に神ちゃんが腕を組みながら、ヤレヤレと肩を竦める。
カナイ区で恐怖政治を敷きながら愛を謳うのならば。その愛とやらを妻にも注いでいたのかと。
最初こそ、それは突飛な邪推だと煙たがられたのかも知れない。だが、ヤコウへの不信感や畏怖が増大するに連れ、爆発的に広がり、その疑念が多数派へと移ろったのかも知れない。
何の根拠も無いけれど、そんな想像を掻き立てられる程度には、ヤコウの所業は滅茶苦茶だ。
それが、この世界のヤコウ=フーリオだ。
敵だと見なすだけなら簡単だが、考察しようとすれば難易度が桁違いに上昇する。
尤も、自分一人が苦しいだけなら踏み倒すと既に決断しているので、ユーマはそれでも考え続けるのだが。
「ボクにも分かりません。だからこそ、安易に結論を出すべきではなく、考え続けるべきです」
それをマコトにも打ち明けた。
打ち明けられたマコトは、他ならぬユーマからの言葉を受け止め、「キミはそう思ってるの?」尋ね返してきた。
ユーマは頷いた。
「引っ掛かりを感じる以上、無視してはいけないと、そう思います」
「……そうかい」
マコトがユーマの言葉を重く受け止めるのは、ユーマの正体を知るが故だ。ユーマが気に掛けている以上、それは放置するのは危うい謎だ、と。
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マコトから余計な真似をするなと釘を刺されたが、それはこちらの台詞だとヤコウは表情を苦々しく歪めた。
(ユーマくんに何を吹き込んで、何をさせる気だ……?)
その点に関してはお互い様であったが、ヤコウは歯軋りする。
本当なら、マコト=カグツチからユーマを引き剥がしたかった。
けれども、社内の権力闘争は複雑だ。だからこそ最高責任者が相手でもある程度までは食らいつけるが、領分を見誤れば逆に追い詰められる側へと転落する。
(……今は、ユーマくんが生きてることを喜ぼう)
エレベーターに乗り、一階へのボタンを操作する。下へ到着するまでの間、ヤコウは指の爪を噛む。指先の肉だけは噛まないよう、誤って血が流れよう、堪忍ならぬ感情を爪にのみぶつけていた。
探偵事務所が沈没した件は、ヤコウがどう言い繕おうが、例え真実を述べようが、ヤコウの命令だとしか思われないだろう。だからマコトから直接的に警告されたし、ユーマの心象だって下がりに下がっているはずだ。
その点は諦めるしかない。元より好感度の上昇など望めぬ立場だ。思考を次に働かさなければ。
歩みを止めてはならない。進み続けなければならない。
傍からどう評価されようが構わない。最終的に己の望みが叶えば、どうでも良い。
(終了)