お父さん代わりにやっておくからな。1ヶ月くらいでいい?
組織のトップは昼行燈であることに越したことはないというのは、意外にもセンゴクの主義である。
そもそも、大将や元帥といった海軍の最高戦力が常に出ずっぱりになるというのはそれ以外の戦力の存在意義が疑われるというものだ。また海兵側にとっても、自分たちよりはるかに腕の立つ海賊や革命軍が跋扈する世界において、自分たちの背後にも同等の抑止力がいるという事実は己を鼓舞し全体の士気にも繋がるのである。非常時にはきちんと動けるのは大前提だし腐らせるのも論外だが、安売りするべきではない。たまに本当に安く便利な駒として出撃を要請してくる者たちがいるが、それは別件として割り切らなければ海軍の上でやっていけないのは周知の事実だろう。
センゴクが元帥となってから、自らが出撃し戦闘にあたるということは滅多となくなった。自由という存在が服を着て歩いている同僚からすると窮屈に見えたようだが、「君臨する正義」を掲げ己の使命のために邁進してきた日々はそれなりに悪くはなかった。
現在は一線を退き、大目付として一歩下がったところから新しい海軍の行く末を見守っている。完全な勇退といかなかったのは激動の時代であるが故のことで是非もないと納得はしているが、しかし隠居がでしゃばるのも後続の育成にはよろしくないので、『若い中枢たちが対処しきれないような案件が発生したら回すと良い』、という緩い縛りでそこそこ事務仕事も継続していた。
つまり今のセンゴクに回ってくる案件とは、世界を左右しかねないような緊急の案件か、あるいは『元帥』ではない『センゴク』その人の対応が求められるような半ば私的な案件か、この2択なのである。
電伝虫が鳴り響いている。1コールでセンゴクは受話器をとった。
「どうした」
『お、大目付殿…!我々はどうすれば…!』
相手は知らない海兵だった。少なくともセンゴクが日常的にやり取りをするような間柄の人間ではない。大抵そういう場合は当人が対応できないため部下が連絡してきている状況だとセンゴクは長年の経験から確信していた。
電話越しの海兵はまだ若いようで、相当混乱していることが声で分かった。センゴクは落ち着かせるようにゆっくりと話し始める。
「まずは所属を答えなさい」
『し、失礼しました…海軍本部、ロシナンテ准将の艦に所属しております…!』
「何?ロシナンテに何かあったのか!?」
聞こえてきた名前は完全に想定外のもので、思わずセンゴクは座っていた椅子から腰を浮かす。反動で椅子が大きく揺れた。
一介の准将の部隊が元元帥であるセンゴクへの連絡手段を持っているというのは事情をよく知らない他の海兵からすれば首をかしげる内容だったが、多少なりとも私のセンゴクを知っている者たちからすると何もおかしくはない。しかしそれでもこの電話はセンゴクの予想の外にあった。『あの子』はこの電伝虫を、センゴクとごく一部の私的な付き合いのある者しか知らない半プライベート通信用電伝虫を使ったことはない。完全に公の立場での一般的なあるいは極秘の軍用通信か、完全に私の関係での連絡用か、どちらかでしか話したことはなかった。(この回線を使ってくるのは主にガープか彼の部下たちで、内容はもっぱら与太話かSOSである)
相当なレアケースである。つまりそれほど状況は逼迫していると考えるのが妥当だった。
「何があった!?」
『か、海賊と会敵し、交戦の結果敗北…!准将が相手の捕虜となられました…!』
「なんだと!?」
今度こそ椅子が盛大に倒れた。
『おそらく昨今の海兵狩りによるものかと…』
「しかしなぜロシナンテが…」
『じゅ、准将は我々の安全と海賊共の撤退を引き換えに自ら…ッ…我々が不甲斐ない…ばかりにィ…!』
電話越しの海兵は嗚咽を隠すことなくしゃくりあげている。こんな状況で不謹慎であはあるが、養い子の人望が感じられて少しだけ嬉しさが顔を見せた。ある意味では指揮を放棄したとも捉えられかねない行動のため公の身としては説教は不可避だが、何よりも人々を守る正義感に溢れたあの子らしい行動だと納得もできる。
しかしなるほど、部下がこの通信でわざわざセンゴクに直に報告してきたことについて得策がいった。現海軍の体勢を鑑みると、捕虜となった一将官の救出に戦力を割いてはくれないと判断したのだろう。元帥の思想を考えると捕まったことを恥と断じ見捨てられてもおかしくはない。だからセンゴクに連絡してきた。センゴクならばけして彼を見捨てないと判断したが故に。
そしてそれは結果として正しい。現体制に共感できる点がないわけではないセンゴクだが、二度も息子を亡くすかもしれない状況に手をこまねいているほど耄碌もしていない。あの子が捕まるということは相当な手練れだろうが、そんなものはセンゴクの動きを止める抑止になど欠片もなり得ない。
怒鳴るようにセンゴクが問う。体からゆらりと覇気を昇らせながら。
「どこの海のクズだ!!」
色濃い絶望と憎悪を込めて、海兵が叫ぶ。
『賞金額30億ッ!【死の外科医】トラファルガー・ローです!!』
かなりの間があった。まるで音が一切聞こえなくなる、あの子の能力を掛けられたかのように。
『お、大目付殿?』
反応のないセンゴクに、叫んでやや冷静になったらしい海兵が恐る恐る声をかけてくる。
それにようやくセンゴクが反応できたのは、たっぷり30秒ほど立ってからであった。先ほどみえた覇気は今は感じられなくなっている。
「ひとまずお前たちは本部へ帰還しろ」
『し、しかし…!』
「隊の立て直しを優先しなさい。ロシナンテのことはこちらで動く」
『りょ、了解しました!』
センゴクの「動く」ということばに安堵したのか、海兵は通信をきった。
一瞬停止していた頭を再起動させながら、センゴクはつらつらと思考する。
会わせるか否か、これまで考えなかったわけではない。しかしいつ考えても結論として『あの子が思い出さなければ話が進まない』で終わった。記憶を失い海賊に対しては徹底して敵意を向けているあの子と、現在30億の首となったあの子を大恩人と慕う大海賊。穏便にエンカウントさせようと思えばそれが大前提になるのは宜なるかな。その兆候が今まで微塵もなかった以上、センゴクにできるのはせめて不意の接触のないよう、彼奴の進むであろう航路とあの子の任務海域を徹底的に重ねないよう根回しすることだけだった。
しかし、空白の期間について…しかもその間で降級までしていたことについて思い悩むあの子に対して、心の底では思い出してほしいという気持ちも確かにある。やったことは海兵としては致命的な裏切りではあったものの、己の正義と愛に殉じたが故の行動を父として誇らしく思っている。覚えのない出来事への負い目からか見ていて痛々しいほど任務に打ち込む姿を見ると、すべて思い出して己の過去に対して納得したうえで生きてほしいのだ。
話は変わるが、センゴクの異名は『知将』である。清廉潔白なだけでは海軍元帥は務まらず、時には非情な作戦や策謀を巡らせたことだって数えきれないほどある。老いてなおその狡猾さと思慮深さをフルに使いながら、センゴクは一つの結論を出した。
これはよい荒療治になるかもしれないと。
とりあえず、宣言通りセンゴクはすぐに動くことにした。
ロシナンテの長期有給休暇を代理申請するために。