黒硝子7

黒硝子7



ゲーセン、と言っても田舎の街というには烏滸がましい限界集落には手入れされていない林に、ポツポツと距離を離して立っている家屋。そして畑ぐらいしかない。

その為歩いて近くの街まで向かう必要がある。その道を歩いているとあくまで自然と何気ない会話が始まる。


「ここ結構田舎だよなー虫とか大丈夫なのか?」

「まぁ出る時は出る。少なくとも東京にいた時よりかは酷い」


できるだけMEMちょやアクアマリンに繋がる話を避けるような気遣いが見える。ゲーセンに誘ったのも彼らなりの優しさだろう。だが、意図が分からない。それならL〇NEで現在の状況を少し聞くだけで終わっていた。わざわざ長旅をしてまで来るメリットはない。


「お母さんの調子はいいの?」

「うん、最近は仕事もできるようになってきた」


ゆきがお母さんのことを聞くものの、「そっかー」と微笑みながら深くは追求してこない。


「硝太くん、変わったね。少し大人になったような気がする」

「そんなに子供だった?」

「私からしたら弟みたいなものだから。少しびっくりしたよ」


今ガチのみんなからしても僕の変化は分かりやすかったようだ。今ガチのみんなからしたら僕は星野アクアの弟でアクアやMEMちょに甘え続けていた印象が強いのだろう。だからその二人を失い、自立するしか無くなった僕を想定していなかった。


「みんなは変わらないね」

「今ガチからもう2年か...長かったような、短かったような」


あの時のことは今でも思い出せる。あかねがゆきの頬に傷をつけてしまってからの炎上、そして自殺未遂。それを救ったのは僕ではなくアクアだった。その後アクアは仲直りの動画をバズらせて世間の認識を切替えるという裏技を使ってあかねの炎上を鎮火した。

その時僕は、ただあかねを傷つけた人間の情報を集めていただけ。何一つ功績も結果も出すことは無かった。たださらに炎上を激化させる着火剤を作ってそれをアクア達に止められただけ。もしアクアが止めなかったら僕はあかねをさらに追い詰めていたかもしれない。だと言うのに今ガチのみんなはそれからも僕との交流を続けてくれた。

みんなとの関係性はあの頃はもう『友達』と言ってもいいだろう。今は──もう裏切り者と『元友達』だが。


「今ガチ終わったぐらいだったか?今日みたいに遊びに行き始めたのって」

「MEMちょがB小町に入り始めたぐらいだから...いや、待って」


ケンゴが何気なく発言した言葉に強い違和感を感じて歩みを止める。今ガチから連想してMEMちょやアクアの事を思い出したから、という訳では無い。友達になって遊ぶようになった時期がズレているから、でもない。

《《今日》》みたいに、とケンゴは言った。つまり。


「遊びに...来たの?」


意味がわからなさすぎて声が震えている。この田舎町は東京から新幹線やら電車やらを乗り継いで数時間かかる。そこまでしても遊び場もない限界集落と言っても過言ではない場所。その上そこにいるのは友達を見捨てた血も涙もない男とその母親だけ。

そんなところに遊びに来たというのか。みんなは。そう考えるとゲーセンに行くというのも含みを持たせた訳ではなく純粋にゲームセンターで遊ぼうという話をしようとしていたということになる。


「ん?知らなかったのか?」

「まぁ連絡も取らないで急だったもんねー」


驚くこちらに対してノブユキもゆきも先に知っていることのように──実際その為に来たのだろうが──言う。

意味がわからない。あの日、アクアとルビーが死んだ日。僕はお母さんを連れてこの田舎まで逃げた。MEMちょが亡くなって葬式をしてもまた田舎に雲隠れ。愛想を尽かすのに十分すぎる事をした。むしろ一方的に憎まれるべきでは無いのか。


「どういうこと?僕はみんなを──見捨てたんだよ」


この場にいるみんなはMEMちょのように殺されるかもしれない可能性があった。僕が先に動けばその可能性を少しでも減らせたかもしれないのに、そこから逃げた。あの場にいた、そしてこの場にいる全員とお母さんを天秤にかけてお母さんを選んだのがこの僕だ。

だから逃げなかった残りの全員には僕に怒る権利がある。


「MEMちょが...MEMちょが殺されて。みんなも同じように殺されるかもしれないって分かった上で僕は田舎まで逃げたんだ」

「しゃあないだろ。お母さんのことが心配だったんだろ?見ればわかる」


自然と熱くなっている自分とは違い、他のメンバーは至って冷静だ。最初から話し合っていたとはいえ、反対意見の1つも出なかったのか。仕方なかった。そんな言葉で僕の罪が許されるのならこの世に刑罰は存在しないし警察も必要ない。

そもそも僕が裏切ったのはその辺の一般人じゃない。未来ある友達で、その友達がここに来るのだからその理由は裏切った自分への制裁以外存在しないはずだ。


「違う...」

「お前がお母さんの事大切に思ってるのはみんな知ってるんだ。硝太のお母さん、かなり辛そうだったし、逃げても仕方ないだろ」

「違う!」


ケンゴが慰めようとしてくれているのか優しい言葉をかけてくるがそれは違う。

それほど大切に思っているお母さんを言い訳に使う事が仕方ないで済むはずがない。みんなを見捨てたのは僕がその選択をしたからでお母さんには一つも責任は無い。僕が勝手にやってむしろ迷惑を蒙っているのがお母さんなんだ。


心の中で繰り返し唱える。そうでないとおかしくなってしまいそうだ


「MEMちょが死んだのだって...僕が|ルビーとアクアマリン《二人》が死んだ時に逃げたのが原因なんだ!MEMちょを殺したのは僕だ!」

「硝太お前...」

「お母さんのせいじゃない!僕が、僕が立ち向かうのが怖くてMEMちょを見殺しにしたんだ。友達を...姉のように構ってくれた女性を僕が殺したんだ!」


事実を並べているだけなのにいたたまれなくなって膝から崩れ落ちる。ルビーも、アクアマリンも、MEMちょも死んでいい人じゃない。それぞれ方向性の違いはあれど善人だった。誰かの為に努力して、それで認められてきた人達だ。そんな人達が死に、また被害者が増えるかもしれないのに見捨てた。

お母さんすら言い訳に使った。自分自身で最低最悪の選択肢と分かって尚選択した。それが僕だ。その結果と結論だけは誰にも否定ができない。


「もう...僕に生きてていい資格なんて無いんだ。僕を殺してくれ...!」


嗚咽を必死に受け止めながらその言葉とは逆に死ねない理由が出てくる。


僕が死んだらお母さんはどうなる?東京に戻って仕事を再開するだろうかそうしてみんなを殺したやつに狙われる。お母さんを連れて逃げた理由を思い出せ。ルビーと、アクアマリンと、MEMちょを殺したやつが僕らのことを諦めるか警察が捕まえてくれるまでまだ僕は死ねない。


「でもっ!まだだ、まだ死ねない!死にたいのに...僕はもう死ねないんだ」


─死にたい。死ぬべきだ。

みんなを見捨てた、MEMちょを見殺しにした自分がそう言う。


─死ぬな。まだ終わってない。

お母さんを連れている、お母さんと共に生きている自分がそう言う。


相反する感情と使命感から生まれた罪悪感を口に出す。そしてそれをみんなに聞かれるということはみんながそれを言った僕を気遣うようになるということ。僕のせいでまたいらない迷惑をかける。


『何寝てんだ。立てよ』


元が誰か分からない亡霊が耳元で囁く。

声は複数人のものが混ざり、その中にはアクアマリンとルビー、MEMちょのものに近いのが含まれている。

亡霊の姿も幼稚園児が黒のクレヨンで人のシルエットを書いたようなぐちゃぐちゃな形で輪郭を保っていない。


『見捨てたんだろ?自分で選択したんだろ?何可哀想な自分に酔ってるんだ。気持ち悪い』

「酔ってなんか──!」

『お前は最低最悪の卑怯者だ。愛してくれた人に何一つ報いようとすらしない。彼らが哀れでならないよ。友愛を示した対象が愛した相手すら切り捨てる獣とは』

「黙れ───っ!」


勢いよく立ち上がって《《亡霊の魂を握り潰す》》。

─あの亡霊の言葉は否定出来ない。彼、否。彼らが言ったことが真実であり、今ガチのみんなが言っているのは優しさというベールで心の奥底にあるものを隠しただけにすぎない。


「はぁ───はぁ───!」


立ち上がって魂を殺しただけなのに、心臓は強く跳ね上がり、呼吸が荒くなる。亡霊を殺した時に強く握りすぎたのか掌から血がこちらを追い詰めるように流れる。


「おいおい大丈夫か?」


誰かが僕に駆け寄って背中を摩ってくる。もう摩ってきてるのが誰かすら分からない。声からして...ケンゴ、だろうか。


「──硝太くん」


そこに、先程まで黙っていたあかねが目の前に出てきた。静かで、強い決心を感じとれる声。アクアマリンを生き写したような覚悟が感じとれる。


「アクア君とルビーちゃんを殺した犯人なんだけど。警察はミヤコさんなんじゃないかって言ってる」

「あかね!」


全身の感覚が消えた。当然痛みも忘れてポカンと口を開く。

ゆきがあかねを止めようとするがノブがそれを片手で制する。あかねはまっすぐこちらを見据える。そこには躊躇いや偽りの感情は見えない。

あかねは正気だ。あかねがこんな冗談が言えるような状況でもないのに正気で言っているということは間違いなく、真実。


「今──なんて」

「外部による犯行はフェイク。内部犯の可能性が高いだろうって。そこで君とミヤコさんが槍玉に挙げられた。君にはアリバイがあるから、ミヤコさんが犯人──」

「そんな訳ねぇだろ!!」


自分でも有り得ないぐらいの声が出た。周囲の空気を震わせて、背中を摩っていたケンゴがその場で尻もちをつく。だが、残念ながら自分の目にはあかねしか入っていない。

アリバイがない程度でお母さんが殺人犯になるなんておかしい。あんなに優しい人が人殺しを、それもアクアマリンとルビーを殺すはずがない。殺せるはずがない。2人はお母さんにとって息子と娘なのだから。


「お母さんが人殺しなんてするわけあるか!あの人が、人を殺せるわけないだろ!」

「もちろん。私達もそう思ってるよ。だけど、警察は別。警察も世間からのバッシングが酷くて事件を終わらせたがっているんだよ」


あかねが言っていることを頭の中で整理しようとするも脳が理解を拒み、目を伏せる。

警察はお母さんの人となりを知らない。それは分かる。外部犯が犯行をしてその上証拠も出さずに逃げ切るのは難しい。それも分かる。しかしなんでお母さんなんだ。僕にアリバイがなければ僕が犯人にされていたのに。なんで僕じゃなくてお母さんが罪人にされなければならない。


──このままお母さんに罪を擦り付けられるぐらいなら全員殺してしまおうか。一人の例外も許さず、警察関係者全てを抹殺すれば、誰もお母さんを罪人にできない。

──逃げ続けるよりそちらの方が楽なのではないか。このまま終わりのない戦いを続けるぐらいなら敵を殲滅してしまった方が早いし不安要素も消せる。後々の問題を消す意味でもそちらの方がいい。


頭の中で誰か──否。自分自身が呪いのように言い放つ。アクアマリンとルビーは死に、潜伏してるだろう犯人を捕まえてくれると期待していた警察はお母さんを槍玉に上げ始めた。そんなものはいらない。最初から全員殺してしまった方が安全だ。

それはそう。それは否定出来ない。だが、それをした時お母さんはどう思うだろうか。どう世間に見られるのだろうか。本当に、幸せになれるのだろうか。それを考えてしまうとどうしても足踏みしか出来なくなってしまう。

仮にお母さんが孤独でも幸せになれるのなら、僕は全員の首をはねて終わらせる選択を今からでも取れた。けど、現実はそうとも行かない。


─忘れるな。僕はただの暴力装置じゃない。あくまで、お母さんを幸せにするために存在してるだけ。自らの破壊衝動に飲み込まれるな。僕の心に従って行動しようとするな。


心の中で二、三度唱えて顔を上げる。


「ミヤコさんは傷心してるから、警察に自白を促されたら、きっと罪を認める。それまで計算通りなんだよ。...硝太くん」

「私に協力して。君の力を借りたい」


物騒なことを考えている自分の目に、あかねの姿がはっきりと映る。その姿にどこかで見た星のような目をした女性が重なる。嘘つきな女性。自分でもその言葉が嘘なのか本当なのか分からず愛した方を最期まで理解出来なかった女性。

そして──僕には救えない女性。救いたかった女性。

幼い僕は幼い故の無知で彼女を救えると思っていた。彼女の嘘を剥がして、そこにいる弱い女の子を心の底から愛せると思っていた。彼女は、アイは。僕に救われたい訳でも無いのに。



「...方法が、あるんだね」

「あるよ。だから東京に戻って欲しい」


あかねの目には嘘が見えない。彼女はあかね、黒川あかねであって星野アイではない。僕に言う言葉全てが嘘では無い。少なくとも『東京に戻って欲しい』という発言には嘘の色がこれっぽっちも見えない。

だが、本当にここであかねの手を取っていいのだろうか。心の中で自問自答する。

東京に居続けるということはどうしても外の目にお母さんを触れさせることになる。そこに敵がいたら自分が常時貼り付ける訳でもないし仮に張り付いていたとしても守りきれるかどうか分からない。

もし、|最悪の事態の《お母さんが襲われた》時にうまく動ける自信もない。


「硝太!」


一人で迷う自分の意識外の方向からノブが手を差し出してくる。


「俺達もいる!お前は一人じゃない!」

「───」


満面の笑みで、強く言い放った言葉にあかねとゆきが強く頷く。

一人じゃない。そんなこと、最初からそうだ。アクアがいた。ルビーがいた。亡霊共が24時間ずっと付き添って妄言を吐き散らかす。そして、何よりお母さんが居る。

最初は、その3人さえいればどうでもよかった。家族がいることこそが唯一絶対の希望であり幸せ。だから僕は友達を作ろうとしなかった。有馬とMEMちょといった家族のような身内、仲間はいたが友達はできなかった。今ガチで出会ったみんなはアクアを間に挟んでいたとはいえ《《唯一》》の友達。


「仕切るなよ...まぁ。ノブの言う通りだ。全部抱えて満足するなよ」


後ろで尻餅をついていたケンゴも立ち上がると少し呆れたようにしかし少し誇らしそうに言うとノブの隣に並ぶ。

目の前に立つ僕の唯一無二の友達達。彼らの目はまっすぐ僕の答えを待っている。

だからだろうか。考える前に口が開いていた。



「みんな───僕は...友達ってよく分からなくて」

「どうやって接したらとか。どう考えるべきなのかとか。分からない。必要なのか否か考えて、お母さんが幸せになる為に使えるかもしれないなんてことも何百回も思った!」


誰も表情を変えない。きっとわかっていたことなのだろう。友達というものが理解出来なかった。いや、今でも理解出来ていない僕はその関係をどうするべきなのかにとても悩んだ。誰を優先するべきか、自分の中でどう落とし込むべきか。どこまで事情を知っておくべきか。どこまで利用しても許されるのか。


分からないことばかりで、お母さんが少しでも幸せになるための道具として使えたらどれだけ簡単なのだろうと最低なら妄想をしたことすらあった。なのに、彼らはそんな自分の歪みを見ていないかのようにまっすぐで、見ているだけで苦しくなる。


「けど、許されるなら。それでも───いいって言うなら───」


ノブの手まで手を伸ばす。


─やめろ


心の中で誰かが短いものの、強い言葉で止めて来る。だが、もうそんなものは関係ない。抑信用ならない幻覚の妄言より目の前な友人たちの方が何十倍も頼りになる。


「お母さんを助けるために共に戦って欲しい」

「...ああ!」


ノブの手の上に自分の手のひらを──



置く前に。強い殺気を感じた。一切の遊びのないそれだけで人を殺すような針のような殺意。それを強く向けられ反射的に身体がそれから逃れる。


──避けて、しまった。

──避けた結果、僕の頭をぶち抜くものが、どこに行くのかも知らずに。



パァン


乾いた音。落ちる薬莢の音。

それに1拍遅れて聞こえたのは、伸ばしてくれた手を取ることすら出来なかった、友達が倒れた音だった。


「───ノブ?」

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