黒硝子4

黒硝子4



「硝ちゃんは頑張り屋さんだね」


MEMちょが新生B小町に入り、僕がそのマネージャーに入って早数ヶ月。マネージャー業は未だに慣れないがMEMちょの纏めているB小町の動画の編集作業だけ上達していく中のある日。


先に作業が一段落したMEMちょが頬杖をつきながらこちらを見て言ってきたのだ。『頑張り屋さん』と。


「どうしてそう思うの?」

「どうしてって、ルビーがいるからかもしれないけど大変なマネージャーをやってさ、動画の編集までしてくれるんだもん」


うんうん、と頷きながら先程の言葉を肯定するMEMちょ。

僕はまた「どうして?」と思った。頑張り屋さんというのなら夢であるアイドルをやり続けながらYouTuberも続けているMEMちょや僕のような厄介でしかない子供を育てながらマネージャー業に社長業務も全て行うお母さん、俳優として活動しながら未だに五反田のおじさんのところで仕事をしているアクアマリンのような人を示すべきであり、ただの小間使いである僕が言われるべき言葉では無いはずだ。


「まさか。マネージャーなんて名前だけ。結局1から100までやってるのはお母さん。動画の編集も、兄さんの方が何倍も早く進む。そもそもアイドルであるMEMちょがここで仕事をしている時点で、僕はがんばってなんて居ない」


頑張るというのは結果が出て初めて言われることだ。結果もないのに頑張った、なんてただの慰め以上のものは無い。MEMちょの言葉がそれならまだわかるのだが、MEMちょがそんな考えで言っていないということはすぐに分かる。わかるからこそ、分からない。


するとMEMちょは数刻、「んー」と少し考えるように首を傾げると重く頷く。


「硝ちゃんはアクたんみたいになりたいの?」

「なろうとしてなれるものじゃないよ。きっと」


アクアマリンには出来るようになりたいと努力するのでは無い、その先を見据えた執念のようなものが感じられる。

その先が地獄であるかもしれないのに、自分の背中を自分で押して突き進む執念。僕には無い編集技術も、俳優としての能力もきっとその過程でしかない。


そんな兄に、僕が勝てるか。と聞けば大半の人がNOと答えるだろう。アイドルのマネージャーもただルビーのアイドルを後押ししたいからやれることやる、お母さんの仕事を少しでも減らして一緒にいたい以上の理由が僕には無い。本当はアイドルもマネージャーも興味なんてない上にそれに関わるような執念とも言える感情を僕はもちあわせていないのだから。


そういった僕の顔を覗き込むようにして見たMEMちょが立ち上がり、僕の隣に腰を下ろす。


「硝ちゃん」

「...どうしたの?」


もしかして編集作業とアイドル業務とYouTuberの仕事で疲れてしまったのだろうか。これだけのマルチタスクをこなしているのだ。想像以上に休憩時間も睡眠時間も取られていき、アイドルとして体型維持する為にも食事も簡素になるだろう。その結果倒れてしまう、なんてことも有り得る。


そんな心配をしながら急いで振り返るとMEMちょは真面目な顔でこちらを見ていた。その顔には疲れより少し怒りの感情が見える。


「硝ちゃんは頑張ってるよ。それを誰かと比較して頑張ってないなんて言っちゃダメ」

「いや、けどさ」

「そりゃあアクたんの方が効率よく仕事できるし、ミヤコさんいないと私達はアイドル出来ないよ。けどね、誰かの頑張りを自分を貶す理由にしたら硝ちゃんはずっと辛いよ。アクたんやミヤコさんよりすごいことが出来るようになっても上には上がいるんだもん。その人を見てまた、自分を貶して認めようとしない。そうしたらずっと終わらないよ」

「...」


MEMちょは静かに、落ち着いて言っていたがその言葉には強く気迫が籠っていた。

MEMちょの言いたいことが分からない訳では無い。僕が人生をかけてひとつに絞込みそれを極めようがそれを超えるすごい人というのは当然いる訳で。もしそれが出てこなかったとしても他の点を見て自分は劣っている、自分は下だと言い続ける。確かにMEMちょの言う通り、これは自分が死ぬまで続くだろう。数少ない努力で結果を出す人、それ相応の努力で結果を出す人、どれだけ努力しても結果が出せない人。そういうのはどうしても発生するわけで、誰もが特別にはなれない。人という集団の生き物は特別になろうとして普通になるのがほとんどで、そこから頭一つ抜けるのは夢の話。それで自分を縛って辛くしてもメリットは無い。


だけど。いつも思う。お母さんやアクアマリン、ルビーと比べて僕にできることとはなんだろうか、と。学校に行けば成績としてアクアマリンが評価されて、人としてルビーが評価される。その評価は誰が見ても妥当なもので、覆そうなんて思うものは僕を含めて誰一人としていない。しかしそれでいいのだろうか。母親が僕を救い上げてくれた理由は母が子に抱く『愛』の形だろうが、それを受けるだけで報いる為の行動も結果も足りていると言えるのか。

あんなに優しい人にただ奉仕だけをさせているのに頑張ってる、というのは基準が甘すぎるとしか言えない。MEMちょが僕のことを思って言ってくれた言葉も素直に受け取れない。


「ごめん」

「...しょうがないね、硝ちゃんは」


気分を悪くしてしまった事に謝りつつ作業に戻ろうとするとMEMちょの中にある怒りの感情が収まっていくのが見えた。

何かをした訳ではなく、先程の謝罪も精神を逆撫でするような行為だと思った分、その反応に驚いて作業の手が止まる。


それを合図としたようにMEMちょがこちらに歩み寄ると僕の背中を優しく両腕で包み込んだ。


「仕方ないから、それまで私が褒めるよ。硝ちゃんが自分で自分を認められるようになるまで」


救われたあの日のような温かい抱擁。

何故それが出来てこういう答えが出てくるのか。分からないことだらけだが、全てが全て理解の範疇を超えるものでは無い。

MEMちょの片手が頭の上まで登り、優しく髪の毛をさする。


「いい子いい子」


母が赤子を慰めるような落ち着いた声に反応するように疲れが睡魔に変わっていく。周りに誰か安心できる人、つまり家族の誰かがいないと眠れない筈なのに自然と寝る準備が身体の中で出来ていく。

それに抗おうとする考えすら出てこず、深く目を閉じてそのまま意識を深い沼の内に落とした。


──そんなことがあったからだろうか。僕はMEMちょをまるで姉のように思っていた。そしてそんな彼女を見捨てたという考えは、家族を切り捨てたのと同義だ。


◇◇◇


『硝太はそれしか選べないんだね』


落ち着きと優しさを含んだ姉の声。声質こそ違うものの、その根底にあるものは正しく星野ルビーのものだった。


しかしその言葉を最後に姉はサラサラと砂が風に流されるように消えてしまった。

それを零さないようにと腕を伸ばすが肉体という物的な形を持たないそれは伸ばした腕が最初からなかったようにすり抜けて流れていく。


「姉さん...姉さんっ!」


呼んでもいた場所に駆け寄ってもそこには誰もいない。もう消えてしまった。文字通り影も形もなくなってしまった姉さんを掬い出すことなど出来るはずもなく、力をなくした腕がダラりと落ちる。


「硝太!」


僕を杖代わりにしていたはずのお母さんとも距離が離れていたようで数秒遅れてお母さんが駆け寄ってきた。


心臓が自ら死ねと言うように鼓動する。まるでハンマーで殴られたような衝撃が痛すぎてこの場で胃ごと吐き出してしまいそうな吐き気がする。視界が海の底を見ているように歪み、揺れている。


周辺の人の視線が針のように刺さって痛い。「大丈夫か?」と言って来てくれた今ガチのメンバーや有馬の顔すら、歪んでよく見えない。


「姉さんが...いて、僕は」

「ルビーが?何言ってるのよアンタ...ルビーはもう」


有馬が何かに気付いたようで言いかけていた言葉を飲み込んで口を噤む。


ルビーはもう死んでる。

ルビーはもういない。

そんなことわざわざ有馬に言われなくてもわかっている。彼女はアクアマリンと共に見るも無惨な死体へと変えられてしまった。MEMちょを殺した犯人の手によって。そして僕はそんな二人の死から逃げた。その上声をかけに来てくれたのにそれすら追い払った。二人にとって僕は手塩をかけて世話をしたのにその恩を仇で返した愚弟ですらないモノ、と言わざる負えない。


─また、逃げるの?


頭の中に残ったルビーの声が脳内でこだまする。失望に失望を重ねてもまだ信じようとしてくれた姉に、僕は「逃げる」と言った。


─MEMちょを見捨てたお前はその死に報いる義務がある


白衣の男性...否。アクアマリンはその生涯をアイさんの復讐に費やした。それほどアイさんのことを深く思っていたからこそ、僕の「逃げる」という選択がどれほどの失望を与えたのか、想像を絶するものだろう。


僕は二人を裏切って、それで今度はMEMちょを裏切る。MEMちょが褒めてくれたのはやはり間違いだった。

ずっと誰かの期待を裏切り、信頼を得ようとせず、自分勝手を押し通し続けた。家族が死んでも尚《《それを続けるしか道がない》》。

こんなことになるぐらいなら僕が居ない方が良かった。


──僕なんて、産まれるべきじゃなかった。


お母さんの息子にはもっと相応しい人がいた。アイさんにも、アクアマリンにも、ルビーにも。もっと相応しい弟がいたら死なずにすんだ。復讐もせずに済んだ。死ぬ瞬間すら報われて最期を迎えられた筈だ。


「さっさと立ちなさい」


有馬が手を差し伸べてくれる。有馬が今辛いのも僕のせいなのに。次死ぬのは有馬かもしれないのに。

恨んでない。恨めない。


「ごめん」


反射的に有馬の両肩を掴む。有馬の驚く顔が見えるが涙でよく見えない。


「ごめんなさい」


涙が止まらない。これからこの人を僕は見殺しにする。死ぬと思っているのに直接手を出さずにその場から逃げ出す。そんなの直接殺すのと何が違う。

僕はこれからこの有馬を殺す。有馬がこれから得るはずの功績も、幸せも全て否定して逃げる。

逃げて、自分はなんの傷も痛みも負わない。史上最低最悪の卑怯者になる。


「僕は、これしか選べないから...」


こんな選択肢しか僕には選べなくて。それ以外の選択肢を切り捨てて。大切な仲間を売り続ける。

やはり僕は頑張ってなどいない。ただ怠惰を貪っただけの僕が結果を出せるなんて夢のまた夢、有り得ては行けない話なのだから。


「ごめんなさい...」

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