黒硝子3
「硝太、もうやめましょ」
MEMちょの死に顔を見たお母さんはつまめば崩れてしまいそうな心のまま、瞳だけで強く保ってこちらを見てくる。
お母さんの発言は予想通りのものだったが、同時に言って欲しくは無い言葉だった。
つまり、苺プロでの社長業の復帰だ。現在他の社員達だけで回している苺プロは当然ながら引き継ぎなどしているはずもなく上手く回っているとはとても言えない。コマが惰性でギリギリ倒れずに回っているようなものだ。自転車操業ですらない。それを感じとったお母さんなら、きっとこう言う。そうわかっていた。
「やめるって、何を?」
「これ以上逃げるのを。私もあの子達の死に向き合わなくちゃいけないのよ。MEMもきっとそれを望んでるわ」
分からないふりをしてすっとぼけたいが嘘つけるつけない以前にそうとは行かない。そうふざけていいものでは無い。
お母さんは本気だ。本気で田舎に逃げたのを自分のせいだと思い込み、そのせいで死んだMEMちょのことも責任を感じている。その責任は全て僕にあり、お母さんは僕を罵倒する立場にいるというのに。優しすぎる。
だけど、こちらもはいそうですかと飲み込むことは出来ない。お母さんの心はお母さんが思っている以上に傷付いている。今も僕の目にはひび割れたお母さんの魂が見えている。これ以上のダメージはそのまま衰弱死してしまうリスクがある。
それだけは何があっても避けなければならない。こんな優しい人に残酷な死を味あわせていいわけが無い。
「ダメだよお母さん。お母さんはまだ休んでないと」
「アクアとルビーが亡くなってもみんな頑張ってる。苺プロの頑張り時って時に休むわけにはいかないの。それにもう私は大丈夫だから」
お母さんの本心からの願いを言われたら僕は大丈夫な訳が無いと強く言い返せない。
僕はお母さんに救われた、斉藤硝太として生まれ直したあの日から斉藤ミヤコの為に命を捧げることを決めている。でも、僕の命を捧げたところでお母さんの助けには決してなれない。
「でも...」
選択肢ならある。このまま強引にお母さんを田舎に連れて帰る選択と東京に戻り苺プロ社長に戻ってもらう選択。
そしてそれは仮に僕の推理が全て正しかった場合誰を犠牲にするかを選択する選択肢でもある。
MEMちょが殺された理由がアイの身辺を知る人を殺すためならその人たちを全員を殺すまで殺す必要のない無関係の人々を手にかけるだろう。MEMちょの次は、恐らく有馬だ。B小町として活躍した経歴のある彼女が亡くなればまた葬式が行われ、同じようなメンバーが集まることになる。
だからといってお母さんがここに居残れば次狙われるのはお母さんだ。殺人鬼も悠長にしているじゃない。出したいのはあくまで『結果』であり、『過程』の殺人はそれで止められる。
だけどそれだけは止めなくてはならない。そんなことがあったら僕はもう耐えられない。たとえ世界を敵に回したとしてもそれだけは止める。
「何かあるのね」
僕の様子から何か察したようでお母さんが視線を外す。
相変わらず察しがいい。お母さん相手に隠し事は成功したことがないので今回もそうなっただけと言えばそれだけだが、その察しの良さから僕の推理まで気付かないようには隠さなければならない。
「うん、ある。だからせめて、兄さんと姉さんを殺した犯人が捕まるまでは、田舎にいて欲しい。苺プロは、僕が守る」
「仕方ないわね」
まだ諦めきれていないようだが渋々といった様子でお母さんは田舎に戻るのを了解してくれた。
そもそもお母さんの症状はカウンセラーが諦めたとはいえ、薬による治療自体は続いている病人だ。東京に戻ったところで面倒事に巻き込まれたり、殺人鬼に狙われるだけで社長業に復帰するにはまだ時間がかかるだろうが。
「硝太」
お母さんとの話が終わって会話がとだえた時、それを狙っていたように何人かの足音と僕を呼ぶ声が聞こえた。
首だけを回して声がかかった方向を向くと、懐かしい面々がこちらに歩いてきていた。
「...ケンゴ。...みんな」
『今からガチ恋始めます』で出会った3人が喪服に身を包んでいた。そこには僕にMEMちょの葬式があることを伝えてくれたノブことノブユキもいる。
アクアマリンの元カノだった黒川あかねさんはアクアマリンの死後、女優業をやめて別の職業を始めたと聞いている。今日はその仕事が忙しくて欠席、らしい。
「悪ぃな。大変な時に」
「ううん。伝えてくれてありがとう。ノブが伝えてくれなかったらMEMとのお別れすら出来なかったから」
あの日、全てを捨てるように田舎に逃げたことで僕達の連絡先を知るものはMEMちょと有馬などの苺プロのメンバーのみとなった。MEMちょの死を苺プロの人が後で伝えてくれたものの、ノブが最初に伝えてくれなければ苺プロの人に動揺は隠せなかったし、葬式までに気持ちの整理ができていたかも怪しい。
「...MEMちょ、キミのこと可愛がってたもんね」
「大丈夫か、ゆき」
「うん」
今ガチの頃を思い出したのか、涙を浮かべるゆきをノブが声をかける。二人のお付き合いは続いているようで今の二人は仲のいいカップルの見本のように見える。
僕は今ガチに参加した訳ではなく、黒川さんの炎上後アクアマリンの付き添いで行っただけだが番組内はもちろん終了後でも集まって食事をしたり遊びに行ったりしていた。ノブとケンゴは僕の人生で初めてできた男友達になる。
「飯ちゃんと食ってるか?顔色悪いぞ」
二人のカップルから視線を外したケンゴも心配そうに声をかけてくる。正直慣れない田舎暮らしとお母さんの介護でマトモに食事を取れているかどうかと言うと怪しいところがあるが苺プロのみんなと比べればこの程度大したことは無い。
「僕は大丈夫。──ケンゴ、いつの間にかでかくなってない?肩幅とか」
「目の錯覚だろ」
「そうかなぁ」
ケンゴもノブもゆきも出来るだけ《《いつも通りの》》二人でいるようにしているように見える。僕が憔悴していることを予想しての大人の対応だろう。感謝しかない。
『そんなみんなを、これからお前は見捨てるのか』
突然、どこかからそんな声が聞こえた。
視線をそちらの方に向けるとメガネをつけた白衣の男性がこちらを睨んでいた。
彼はMEMちょの身内か──否。
ではMEMちょと同じYouTuberか──否。
MEMちょのファンか──否。
少なくともこの葬式に呼ばれた存在では無いことはすぐにわかった。その証拠に白衣の男性には《《肉体がない》》。残っているのは精神、それも残り香とも言える程度。
肉体を失い、誰かを呪うだけの悪意を持てなければ昇天することも出来ない意識だけの代物。
─亡霊の類か。最近はよく見るな。
子供の頃は毎日のように見ていた。ファンタジーやゲームでよく出てくる幽霊のイメージと違い足もちゃんとあるし謎のオーラのようなものは普通の人でもたまに出てる人を見るし嗅覚や触覚でも感じられるので普通の人、というより生きている人間との差が分からなかった。しかし大人になり、というよりお母さんやアクアマリン、ルビーと共に生きてるようになってからは自然と見えなくなっていた。
それが今なら見える。流石に普通の人と見分けがつかないという訳では無いがくっきりはっきり後悔の念のようなものが見える。
白衣の男性に睨まれているからか背筋を冷たい汗が走る。この世にはいないもの、存在しないものだとわかっているからなのか共に地獄に連れて行かれそうな気配を出している。
「硝太」
「ああ、ごめん。えーっと、だい、じょうぶ?」
「大丈夫なわけないじゃない。」
白衣の男性の言葉には答えないようにしたが僕がそういうのが見えるということを知っているお母さんにそこに何かいるという事に気付かせてしまったようだ。なんとか繕おうとしたもののお母さんにはバレバレなようで即座に否定される。
「外で休んでこいよ。お前まで倒れられたらMEMちょに顔向けできない」
「ああ、悪い...またな」
それを聞いた残りの3人も気遣って外に出るように促してくれる。
そんな三人の優しさを見る度に近付いてくる白衣の男性の声がよりハッキリ聞こえるようになる。
『お前だけ逃げて幸せになろうとするんじゃねぇ』
『MEMちょを見捨てたお前はその死に報いる義務がある』
だが、それには答えない。あれは夢のもので、みんなには決して理解できるものでは無い。お母さんでさえ、そういうものがある以上のことは知らないのだ。
奴らの声が聞こえるのは僕だけ。だから僕が我慢すればなんの害も発生しない。
三人の間を入ってきた時とは逆にお母さんに支えられながら歩く。そんな僕の正面に、別の声がかかる。
『逃げないで。見捨てないで』
10歳ぐらいの医療用帽子を被った女の子。助けを呼ぶように言ってくる声は、白衣の男性の責めてくる声より辛い。
だが、それをあえて無視してその横を素通りする。自分が何もしないとわかった少女は悲しそうな顔をしながら小さく言った。
『また、逃げるの?』
逃げるのか。
人形のような自分を人として扱ってくれた友から。
斉藤硝太という人間を肯定して支えてくれた兄姉から。
何気ない事に幸せを感じた、日常から。
それらを失っては僕は僕のままではいられない。道具に成り下がるか社会に馴染めず本物のの世捨て人になるのか。まず間違いなく、幸せを掴むことは出来ない。
「──ああ、逃げるとも」
それでも、僕にはお母さんを犠牲にする選択を取らないし、そもそも取れない。
一度でもそれを取ってしまったら僕は自分の人生も、周囲の世界も全て否定することになってしまう。死ぬのはどうでもいい。僕が世界から居なくなろうと、その末忘れ去られようとどうでもいい。だけどあの日、救われた事と救ってくれた人がいたことは否定したくない。
だから守る。最初から命なんて惜しくない。
自分が斉藤硝太として生まれた時に、一番最初に決めたことだ。それは何が起ころうと絶対に曲げない。
たとえ母に嫌われようと構わない。騙されていようと構わない。彼女が幸せであれるのなら、世界なんでどうでもいい。何度もそう言い続ける。
『──そっか』
少女は微かに、しかし優しく、悲しそうに笑う。
『硝太はそれしか選べないんだね』
その声が記憶にいる家族である事に気付いた時には亡霊のような少女は白衣の男性と共に風となって消えていた。
「...姉さん──!」