黒硝子 1

黒硝子 1


人生は選択の連続だ、ととある詩人が言った。

今日の献立のように小さな事から、進学や就職先のような今後の人生に関わるほど重大なものまで。過去で差し出された選択肢を選び続けてきたから今があり、今の選択肢から選ぶからこそ未来がある。

そしてその選択は一度選んでしまうと後戻りはできない覆水盆に返らず、というがまさにその通りで未来は分からないのに、後戻り出来ない選択肢を選ばなくてはならない。


──そんなこと、わかっていたはずなのに。


◇◇◇

今は亡き伝説のアイドル、『アイ』の半生を描く実録映画『15年の嘘』。アイの息子であり、俳優でもある星野アクアと、彼を幼少期から見て旧B小町のドキュメント映画を撮ろうとしていた五反田監督が脚本を担当。主役には同じくアイの娘である星野ルビーを起用。各方面から有名な俳優が駆けつけて作られた作品。


──しかし、その作品は日の目を浴びることなく打ち切られる事となる。


映画の製作に関わっていた製作スタッフ、スポンサー、配給会社などの関係者の間で《《何故か》》事故死が相次いだのだ。警察が捜査を進めたものの、不審な点は一切見られず、結局全て事件性は無し、関連性は無しとの結論が出された。それでも気味悪がったスポンサー達が次々と降板をしだし、遂には配給会社が映画の製作中止を宣言。

しかし、不幸はまだ続く。いや本当の不幸はここからだった。


映画の製作中止から一週間が経ったある日。後に前述の事故死と纏められ『アイの呪い』と呼ばれることになる事件が起こった。斎藤家にて強盗殺人が入り、そこに《《たまたま》》居合わせた俳優の星野アクアとアイドルの星野ルビーが襲撃を受け、死亡したのだ。

侵入経路は玄関から扉を突き破った豪快な犯行。事務所の他の人が居なかった時間を見計らい中にいたアクアマリンとルビーを殺害。中の金品を持ち去って逃走。それでいて、事件は昼間に発生したというのに近所の人達は事件発生からしばらく経つまで気が付かなかったらしい。

その事件現場を見て警察は「金品目当てに見せ掛けた星野兄妹を狙った犯行」と断定して操作を進めた。


その理由はとても簡単。2人の死に様が、おおよそ人のものとは思えなかったからだ。

二人の死体は腹が切り裂かれ中には謎の人工物が突っ込まれている。手足はもぎ取られ、なにかのモニュメントのような形にされていた。比較的綺麗に見える顔ですら星のようだった両目は綺麗に抉り取られ、その両目が現場から持ち去られていた。死因は出血死、と聞いたがそんなこともうどうでもいいほど酷い死に様だった。

その死体を見た斉藤ミヤコは心身を病み、とても社長業務が出来るような状態ではなくなってしまった。無理もない。自分が産んだ訳では無いとはいえ、赤子の頃から手に塩をかけて育ててきた息子と娘が人の死に方すら出来なかったのだから。全国のカウンセラーやセラピストに合わせたが誰もが数日で匙を投げた。

結果的に苺プロを辞め、一人になった彼女に手を差し伸べるのは息子の斉藤硝太──つまり僕しかいなかった。


僕は犯人を殺したい。アクアマリンとルビーを、血が繋がっていないとはいえ、小さい頃から兄と姉として優しかった二人を玩具のように弄び殺したやつを許せない。同じ痛みを味あわせてやりたい。生きたまま指を引き抜いて、手足を引きちぎって、臓物をくり抜き、それを口の中にねじ込んでやりたい。

だが、僕にとってはそんなことよりお母さんの心配の方が大きかった。都会の喧騒にSNSで何度も繰り出される|身勝手な言葉《不協和音》。あの日のように身内だからと許した覚えのない取材をしに来る記者などの|マスコミ《戦争屋》。そしてそのマスコミが出してくる心を痛めた母親に安全圏から罵倒する|心のない人々《猿共》。いつも見えていた人の醜悪さが、固まって呪いになって、お母さんを蝕んでいた。

こんなところにはいられない。外の世界は信用出来ない。そう結論を出すのは早かった。最後まで心配してくれた苺プロのみんなの手を借りて遠い田舎の一軒家を買取り、そこでお母さんと2人暮らしをすることにした。


そこは限界集落と言ってもいいほど老人しかいない酷い田舎だが、その代わり都会の喧騒も耳に入らず、心を傷つける声も届かない。アクアマリンとルビーを感じさせるものも、この場所には無い。

幸い、苺プロを抜ける時に多額の資金を調達している。最悪サバイバルをする覚悟もある。念には念を押して形跡を辿られないようにするために芸能界にまつわる連絡先は全て消した。携帯も買い換えて文字通り身一つで引越しをした。事件がおさまり、ファンやメディアがこちらに構わなくなるのも時間の問題。そこからお母さんの心がまた戻るまでなら仕事をしなくても生活が出来る。


本気でそう思っていた。僕はいつの間にか人の執念というものを舐めていた。何処から聞いたか分からないが電車も通っていないような限界集落にマスコミやアクアマリンとルビーのファンが毎日のように押しかけるようになった。それほど二人は愛されていたのだと思うと同時にそれほど強い『愛』が攻撃にしか使われないという事実を、理解せざる負えなかった。

身勝手な言葉に憔悴していくお母さん。もし暴力が認められるのなら、彼らを口と足を二度と使い物にならないようにしていた。それほどの怒りが僕にはあったしそれが可能な腕も手元にある。だが、それは出来ない。人を傷つけないというのは小さい頃交わしたお母さんとの約束だ。助けるためとはいえそれを破ってしまったらお母さんに向ける顔がない。代わりに僕がお母さんの代わりに受けて収めさせようかとしたがテレビ映えもしない男が真正面に立って取材を受けたとしても意味は無い。ファン達に至ってはより一層怒りを強くさせる結果となってしまった。


そんな中でも地獄の歯車は回り続ける。



◇◇◇


誰にも教えていないはずの電話が鳴る。台所で母親のための食事を作っていた僕はうるさい音で鳴り響く電話を見てマスコミか、或いは誰かのファンか、それでもない押し売りか何かとあたりをつける。

どれにしても関わったら面倒がつく案件だ。関わるメリットはなく、ただでさえ困窮している生活を縛り上げる。結果として無視を決め込んだ。田舎にいれば虫やクスリでもやってるのか、と思うような狂気に出る老人の声で聴覚は自然と衰える。目の前の事柄に集中していれば大したものでもない。


トン、トンといつもより若干強めに包丁をまな板に押し付ける。最初は面倒と手間を惜しみ、栄養と食べ応えだけを重視した高カロリーの料理しか作らなかったが、憔悴した母親相手にそんなものを出す訳にも行かず精進料理のようなものを作ることになった。結果的に1ヶ月も未だに経っていないが料理にも慣れが出てくるようになった。


「こんなもんかな」


できた料理を盛り付け、止めていた息を吐く。そこまでしてやっと電話がまだ鳴っていることと、電話でも自然の音でもない、何者かの足音が鳴っていることに気付いた。

足音は家の中から聞こえる。外からならともかく、家の中にいるのは僕とお母さんだけだ。つまり。


「お母さん!?」


驚きながらバタバタと鳴る電話の方に向かうと一日の大半をベットと椅子の上で過ごしているはずのお母さんがベットから立ち上がり、電話を取ろうとしていた。別に母親の筋力が足りないから立てないと思っていたとかそういうことは無い。


「大丈夫よ、電話ぐらいできるから」

「そんな事しなくていいから!」


電話先がマスコミのような厄介者の場合今のお母さんには関わらせたくない。そんな思いでお母さんを椅子に座らせて受話器をとる。



「もしもし」


どんな厄介者が電話の先にいるのだろうかと警戒しながら受話器を耳に当てる。


「もしもし。熊野です」

「───ノブ?」


しかし警戒しているこちらを裏切るように耳に入ってきた声は信頼出来る友人のものだった。熊野ノブユキ。恋愛リアリティショー『今からガチ恋始めます』にてアクアマリンと共演経験のあるダンサー。裏表のない直情的な正確は僕と通じ合うものが多く、アクアマリンとルビーが亡くなり僕が一方的に連絡を断つようになるまで仲のいい友人関係を築いていた。


「なんで...この番号を」

「あかねが教えてくれたんだよ」


心配そうなノブユキの言葉で兄嫁になるかもしれなかった一人の女性の顔が頭に浮かぶ。彼女の洞察力と推理力ならこの番号に辿り着けたとしてもおかしくは無い。

そこまでして心配して調べてくれたというのは正直に言うと嬉しいが、こちらは一方的に連絡を絶って離れた身。


「ごめん。一方的に連絡を切って。許されるなんて思ってない、僕は」


友達なのに勝手に縁を切るような事をしたのだ。殺されても文句は言えない。

だが電話先のノブユキは怒りなど全く感じさせずに「いや、いい」と話を切る。


「それはいいんだ。ネットはともかくテレビでもアクア達のことばっかりで『アイの呪い』だとか『現代のジャック・ザ・リッパー』とか言われて伝説扱いだ。お前がお母さん連れて離れんのも分かるよ」

「そこまで...」


正直アクアマリンとルビーを殺した殺人犯のその後は気になっていた。しかし警察の捜査で進展があった場合マスコミにばらす前にこちらに話に来るのが筋なのでこちらではネットやマスコミからの情報はあえて入れないようにしていた。有用な情報が出てくる可能性もあるが、仮にお母さんの耳に入ったらどうなるか分からない。だから噂に尾ひれ背びれがつくとは予想していたもののそうなっていたことは知らなかった。

そしてそこまで噂になっていたことから余計に心配させてしまったのだろう。マスコミが取材を受けないことを腹に立ててあることないこと世に出しているのかもしれない。


「僕は大丈夫。お母さんもゆっくりだけど回復してきた。まだしばらく世捨て人になるけど、お母さんの体調が治ったら時期を見てそっちに...」

「いや、すぐに来て欲しい」

「え?」


そっちに行くよ。そんないつかあるだろう遠い日にあったようになんの理由もつけずに遊んでいた日を思い出して言おうとした言葉は再びノブユキに切り捨てられた。

その言葉には怒りや落胆、というより悲しみと焦りが見える。


「何か、あったのか?」


──最悪の可能性が脳裏を過ぎる。

次の言葉を耳に入れたくないと本能が警鐘を鳴らす。だが、それがどんな情報であれ、ノブユキがわざわざ電話番号を調べてまで出してくれたということは嘘や確定していない情報とは思えない。入れなければ先に進まない。


ノブユキの息を飲む音が聞こえる。



「───MEMちょが、死んだ」


予想していたはずなのに思わず受話器を握る手が力をなくし、その場に落とした。


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