黄昏から暁へと

黄昏から暁へと


シャーレの一角。『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた扉の前には、指紋認証および虹彩認証…それに静脈認証などあまりに厳重なセキュリティが敷かれている。

先生は慣れた手つきでそれらを解除していき、扉を潜る。その先にはまた扉。万が一にでも部屋の中を見せないための二重構造だ。腕時計を見ると時間は15時ちょうど。彼女らも小休止に入るころだろう。コンコン、とノックをしてそのまま中に入る。


"みんな、お疲れ様。"

「お疲れ様、先生。そちらもひと段落したの?」

"うん、今日は比較的落ち着いてたかな"

「こちらに回ってきた書類も概ね片付いてますよ。ちょうどお茶の時間なので用意しますね」

"ありがとう。…ホシノは?"

「……お、先生。今日も来たんだね。ありがとう」


小鳥遊ホシノ、空崎ヒナ、浦和ハナコ。──キヴォトスを大混乱に陥れた【砂漠の砂糖】事件の主犯格として捕らえられた三人。

その姿…いや、ヘイローには白いノイズが奔っていた。

表向きには処断された。極一部には地下牢に無期限の禁錮刑を。そう扱われていた。

だが、数ヶ月経って状況が変わったのだ。今の彼女達はシャーレのこの一室と地下牢なら行き来が可能となった。

もちろん、それは情状酌量の余地だとか、そういったものは無い。彼女達は今も表向きには存在しない者となっている。

理由はただひとつ。彼女達の努力により【砂漠の砂糖】の無力化に……成功したのだ。



ミレニアムは早期から、【砂漠の砂糖】の根治改善に向けて研究を進めていた。

アビドス決戦に完全な治療薬は間に合わないまでも中毒性を和らげ、症状を抜くところまでは漕ぎつけた。

それが重要局面で様々な運命を分岐させたと記録されているが……それは別の話だ。


その時点で発覚していたのは下記の特性だ。

・アビドスの砂は特定の温度以上で熱する事で、甘味と中毒性を兼ね備えた【砂漠の砂糖】に変質する。

・【砂漠の砂糖】は幸福感と気分の高揚を示し、攻撃性を増す傾向がある。

・アビドスの砂は特定の温度以下で冷ます事で、しょっぱさと中毒性を兼ね備えた【砂漠の塩】に変質する。

・【砂漠の塩】は幸福感と気分の平坦なを示し、堕落的になる傾向がある。

・以上の変質を遂げる前は、一般的な砂と大差のない成分しか検出されず、経口摂取しても無味無臭。

・レッドウィンターの雪によって冷まされた時のみ、中毒性を抑える事ができる。味に関しては無味無臭のまま。


特に最後の特性はアビドス砂漠そのものの対策として着目されていたが、決定打には至らなかった。

それでも中毒性を下げる治療薬の作成には寄与する事となったのだが…。


状況が動いたのは、シャーレの地下牢に極秘に囚われていた小鳥遊ホシノ、空崎ヒナ、浦和ハナコの三人が投獄されて1か月後の事だった。


「本日の昼食をお持ちし」

「ウアアアあああああァァァぁぁぁぁぁァ!!!!!!がッ、はぁっ、ああああっ!!!」

いつも通り、世話役の奥空アヤネが牢の小窓を開けた瞬間、小鳥遊ホシノの──彼女が共に対策委員会として日々を過ごしてきたときを含めても──聞いたことがない絶叫が聞こえてきた。

(!! いえ、冷静に。まずは……!)

手元でシャーレへの連絡準備をしながら、他の牢の小窓を開ける。

「うぅぅぅぅぅうううう……!!いや、いやあああああああ!!!!」

「ああっ、あー……あ、……あああああああああ!!!!」

他の二人も同様。これは今まで報告された中毒者達が発症した後遺症とも合致しない。

「先生!三人の様子が異常です!!私はミレニアムの専門チームに連絡します、先生は連邦生徒会への連携を!」

『わかった。連絡を終えたらすぐに向かうよ』

通信を切り、次はミレニアムのアビドスシュガー対策委員会へ連絡を取る。

「やめろ……やめ、やめて、私は、私間違って、ちがっ、あああああああああああァァァァ!!!!!!」

「いや……いや、ああああ!誰か誰か誰か私を……あたため、て……あ、あああ!」

「浮かばないで…浮かばないで、そんな目で、私を私を見ないでええええええ!!!ああああ!!!!」

三者三様の絶叫。ミレニアムのチームは繋がってすぐ声を荒げた。

『三人のバイタルは正常!だけど、脳を中心に異常が発生してる!そちらで何が起きてるの!』

アヤネは努めて冷静に現状の報告を行った。十数分後、彼女らの絶叫は収まった。まるで、泣きつかれた赤子のように。


結論から言うと。これにより【砂漠の砂糖】と【レッドウィンターの雪】の関係性が明らかになった。

まず【レッドウィンターの雪】に特別な成分が含まれていたわけではない。神秘由来でもない。

ただ雪の持つ水分量と温度が、【砂漠の砂糖】の中毒を引き起こす成分に対してクリティカルだったのだ。

適切な水分比率と温度により【砂漠の砂糖】の悪魔のような成分が急激に収縮を起こす。それにより中毒性を下げることが可能となっていたのだ。

彼女達はその牢獄の中で【レッドウィンターの雪】と1か月継続して過ごした。それにより次のフェーズに移ったのだ。

収縮の次に現れたのは変質。悪魔のような成分は、まるで神話に出てくる悪魔のように姿を変えて再度誘惑を試みた。それが先ほどの彼女達の症状。その詳細は大雑把に纏めるのなら『彼女達にとって最も正気な状態に戻し、冴えた頭で自分の現状を自覚させ罪悪感を煽る』というものだった。ミレニアムのとある生徒はこう語った。

「これは本当に自然が生み出したものなのか。本物の悪魔がもたらした毒では無いのか」

と。この症状は三例しか確認されていない。しかし、より自分(砂漠の砂糖)を求めさせるための行動と考えると符号が合ってしまう。

事件発生から一週間後、この調査結果は連邦生徒会およびシャーレに対して、すでに回復している元中毒者達もこの状況に陥るのでは…?という不安を煽った。

一刻も早く完全に根治する治療薬を開発しなければならない。その使命感が焦燥に変わる時、もう一つの連絡が入った。


──小鳥遊ホシノ、空崎ヒナ、浦和ハナコの体内から【砂漠の砂糖】の成分が完全に消え去った。すなわち根治が確認された、と。


そう、あの変質は悪魔の奥の手ではなく最後の足掻きだった。

途轍もない衝動に勝利すれば、悪魔は消える。それが、事実として認められた瞬間だった。

ただし簡単な話ではない。通常であれば勝ち目はない話だ。砂糖が、塩がなければ自らの命すら立ちかねないほどの衝動。それは想像する事さえ難しい領域だろう。

シャーレの先生はこの事について、こう語った。

"あの三人は、元々優しくて責任感のある子達だった。だから、今後こそ悪魔なんかに負けるわけにはいかなかったんだろうね"


その経過は全て地下牢に仕込まれた計器により収集され、とうとう特効薬が生成された。

レッドウィンターの雪がもたらした効果を安全に発揮させ、効果の推移を調整することで悪魔の最後の足掻きを封じたまま消滅させる──あの三人が戦い抜いたおかげで生まれたたった一つの希望となった。

結果として彼女達の処遇に関して再度の議論があったが……彼女達の結論は三者同一だった。

──シャーレから出るつもりは無い。けれど、事態の収拾のため助力したい。と



「それで、先生。アビドス砂漠は……」

"うん。来月、特効薬の実験が始まる"

砂漠は広大だ。その全てを無害化できるのかはわからないが、少なくともそのための道筋が少しずつ見えてきた証拠だった。同時に…アビドス、という土地が最終的にどうなるのかも決まってくるだろう。

「そっか……今更おじさんがどうこう言えることじゃないけど…うまく行くと良いね」

「小鳥遊ホシノ、あなたはそれでいいの?どうあろうが、あそこはあなたにとって…」

心配そうなヒナの言葉を、ホシノは手で遮る。

「いいんだよ。それこそ今更どうこう言う立場じゃないからね~」

「そう……あなたがそれいいなら、構わないわ」

タイミングを見計らったように、ハナコがお茶と茶菓子を持ってくる。

"ありがとう、ハナコ。これは?"

「綺麗でしょう?宝石みたいな砂糖菓子、私大好きなんです」

先生は知っていた。彼女達の味覚障害は完全に復活していない事を。特効薬を用いた生徒達はすでに快復しているが、彼女達は自然治癒に近いルートを辿っている。……調査・研究の一環としてだ。それは彼女達が望んだことでもある。

なら、この気遣いを受け取らないのは失礼にあたるだろうと先生は考えた。

"じゃあ、私はこれをいただこうかな"

選んだのは透き通るような青空の色をした砂糖菓子。

みんな、思い思いに取っていく。


"甘いね"

「ええ、とても甘いわ」

「優しい甘さです」

「そうだねえ~……とっても甘くて……懐かしいよ」


「私達はみんなからこれを奪ってたんだよね」

「…小鳥遊ホシノ?」

「本当なら、私達はこんな風に幸せに思っちゃいけない」

「…ホシノさん」

「でも、たぶん。そんなことすら私達は思うのも実行するのもいけない」

"ホシノ…"

砂糖菓子をお茶で流し込んで、ホシノは真剣な瞳を戻す。

「罪滅ぼしなんて滅ぼしきれない。けれど、私はまだ後始末でやれる事がある。…二人とも、ついてきてくれるかな?」

「当たり前じゃない」

「ええ、今更水臭いですよ♡」

問われた二人は即答した。その回答にホシノはいつも通りにふにゃっとした笑顔に戻る。


「ありがとうね~……二人とも、こんなおじさんに」

ここの窓は特別性だ。内側からは見えるが外側からは壁にしか見えない。そんな片思いのような窓だ。

ふと、ホシノは空を見つめる。ちょうど、その方角にはアビドスがあった。


"……ホシノ。ここは私達しかいないから大丈夫だよ"

「うへ、おじさんは大丈夫だよ先生。私のユメは醒めちゃったけど……取り返しのつかないほど砂に埋もれちゃったけど」


「まだ、この青空を仰げるからさ」


そこには自分含めた全てを呪い諦めた黄昏の生徒会長ではなく。

誰かの幸せを祈る暁の少女がいた。



あるいは砂糖でいっぱいのユメ[ハッピーシュガースクール]

~砂海から黄昏へと~


ENDNo.3 SUGAR END

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