鴉羽のコラソン
騎士であった父は、処刑隊の血狂い共に叩き潰され、肉片となって死んだ。
貴族の娘であった母は、その最期まで美しく気高く、私を深く愛してくれた。
両親に生かされた私は、鴉羽の師に抱えられ、赤い月が見下ろす街を眺めていた。
長身であった母よりも更に背の高いこの方について、私が知ることは少ない。
おそらく私たちと同じように、その血は”穢れ”と忌まれるものであること。私と近い年頃の、ローという名の子供を治療するために狩りを続けているということ。様々な武器を広く扱う技量を持つ、優れた狩人であること。
そして母のように、瞳を熱く滲ませるほど愛情深く、私を慈しむこと。
「…よし、この辺でいいか。狩りが終わるまで動くなよ」
「はい」
街路ではまた、家に籠っていたのだろう連中が獣と化して死体を喰らっていた。
きっと血潮の熱に彩られた、愛しい狩りが始まる。
あの方の狩りは、私の知るそれとは全く異なるものだった。
獣の咆哮と、気狂いの喚き声と、血に酔った狩人の歓喜の叫びに彩られているはずの狩りの夜にあって、そこだけが静寂に支配されていた。歪んだ刃が振るわれる度に流れる血すらも、あの方の領域では冷たく眠るかのよう。
熱狂の伴わぬ静かな狩りを終えて獣除けの煙草に火を点けたその背は、ひどく、凪いでいた。
呆然と立ち尽くす私の名を呼ぶ、あの方の声が聞こえる。
夢の中のような覚束ない足取りの私の前に膝をつき、視線を合わせたその瞳には常と変わらぬ優しげな色があった。
「おれと一緒に、お祈りをしてくれないか」
「…私には、祈る神がありません」
「いいんだ。それでいい」
その時の私は、大層怪訝な顔をしていたろう。
ヤーナムにおいて祈りとは血のように熱く苛烈で、いつでも何事かを希う業だった。
「魂がせめて安らかにあるようにと願い祈る。両手を合わせるこのお祈りは、慈悲の心なんだ」
見慣れぬ所作を真似て、そっと手を合わせてみる。
優しげな、冷たく暗い凪の中で、沈黙だけが私たちに寄り添っていた。
狩りへの供を許された時、私の心にあったのは歓びだった。
独り鍛練を続ける私を、あの方は知ったのだろう。狩人として少しは認められたのではないかと、愛し子を守る嘘の為に孤独な師の、お役に立てるのではないかと考えていた。
だが、違った。
師はただ私の為に、その狩りを教え託す為に、一度きりの同行を許したのだ。
血の歓びではなく魂の慈悲を。
断末魔に似た切望ではなく、安らかに凪いだ弔いを。
その夜私は、血に酔わぬ狩りを、人を深く深く愛するあの方の祈りを知った。
「おかえり。狩人さんと一緒だったから怪我は心配ないだろうけど…大丈夫かい?」
オドン教会の男は、戻った私にそう声をかけてくれた。
「……ああ」
労りを含んだそれに咄嗟に言葉を返せず、短く応える。
母を不潔に腐った売女と呼ぶ連中に股を開く。そんな未来しか許されなかった私に、彼はいつも優しかった。愛情というものの存在を母の他に知らずにいた私は、初めのうちは困惑ばかりを返していたけれど。
そうしているうち師の友である男は、私にも友情というものを教えてくれた。
自分だって狩人さんに教えてもらったものだからと、そう言って。
私に声をかけてみろと彼を根気強く説得したらしい師は、その話を聞いて喜んだ。
それはもう、足を石段に引っかけて後ろ向きに転ぶくらいには。
「あの方は壮絶に狩りに優れて美しく、いとおしいな」
「そうだよ!狩人さんは…本当に凄い人なんだ」
盲いた男は私の言葉にそう返して、屈託のない笑顔を浮かべた。
あの方の友人にふさわしく、とても美しい表情だった。