鳥籠-In this Cage-16
Name?「お嬢さん、本当に行くんですかい?」
錦えもんの能力によって、再び黒のジャケットに着替えたウタに、相変わらず“台地”の外縁に座した藤虎が声をかける。
ウタは腕を十字に組んで、肩回りのストレッチをしながら首を傾けた。
「なに、賭博のおじさんも来るつもりになった?」
「いえ……、あっしはあっしの本分を全うさせていただきやす」
藤虎は肩にもたれかけさせていた刀を揺らして答える。
そっか、とウタが返すと、藤虎は首だけでウタの方を振り返って言う。
「しかし……、あんた本当に優しいんだね。あんたが行かずとも、うちの部下たちは救助活動を続けている。わざわざ疲労をおしてまで、行動を起こす筋はないはずだ。……あんたの声色からして、別に海軍を信用してないわけでもないんだろう?」
その問いに、ウタは思わず吹き出した。
海軍を信用するかどうかなんて、少なくとも海賊に訊く台詞ではない。
「それ、海賊に言うセリフ? ……わたしは、海軍も海賊も、人によるって知っているだけ。賭博のおじさん、なんとなくムササビさんに似てる気がするし」
だからウタは、信用している、していないとはわざわざ口に出さない。ただ、一番信用できる海兵の名前を挙げた。
「まだ海軍になって、日もそんなに経ってないものでして」と、藤虎ははにかみながら言う。
「……ムササビ少将とは知り合いで?」
まあね、と今度は足回りのストレッチをしながら、ウタが答える。
「なんか縁があってさ。しょっちゅうライブ先とかで顔合わせてたんだよね、ムササビさん。……ちょっとシャボンディ諸島では、悪いことしたなァ……」
ふむ、と藤虎が息を吐く。
「……つまり、あんたはドフラミンゴの言う通り、本当に元“歌姫”だと?」
「そうだよ?」
あっけらかんと、ウタは言う。
「別に活動を休止しただけで、“歌姫”を辞めたつもりはないんだけどね」
「さようで……。──では、あんたがあの“赤髪”の娘、というのは?」
「? わたしは、シャンクスの娘だよ?」
ウタが当たり前のようにその言葉を口にした途端、藤虎の雰囲気が変わった。
ごう、と空気の塊が、ウタの顔を叩きつける。
いや、それは錯覚だ。
ウタの髪の毛は、風にそよぐだけで、不自然な動きは何もない。
殺気。
あるいは、敵意。
藤虎から明確な指向性を持って、それを叩きつけられたウタは、しかし涼しい顔をしていた。
「…………やれやれ、少しは動じてくれても良いと思うんですが……」
一瞬だけ険しい顔をしていた藤虎が、すぐに元の柔和な表情に戻って、呆れたように言う。
「しかし、この胆力……、お嬢さんがあの男の娘だ、というのも頷けやすね……」
「だから本当に娘なんだってば。……、それにおじさん、本気じゃなかったでしょ。あんまり怖くなかったし」
これでも“大将”なんですがねェ、と藤虎は頭を掻いた。
「……お嬢さんはなんで、そんなに優しいのに海賊をやってるんで?」
「やりたいことがあるから」
ウタは、その問いに即答する。
ほう、と藤虎が顔を上げる。
「それは──、例えば、“麦わら”と“赤髪”の同盟とか」
「は? なんで?」
藤虎の挙げた例に、ウタは反射的に、素で首を傾げてしまってから、言わんとしていることが分かった。
ルフィは、世界政府から目を付けられている海賊《ルーキー》なのだ。
そこに“四皇”の娘が所属しているのなら、海軍が穿った見方をしない方がどうかしている。
あー、とウタは頬を掻きながら言った。
「別にこれはシャンクスには関係──、なくはないのか。……うーん、一発殴りには行きたいし、ルフィはルフィで用事があるし」
帽子を返すって言ってたっけ。せっかく似合っているのに。
口には出さないで、ウタはルフィの目的を思い浮かべる。
そう、“四皇”である“赤髪”には用がないのだ。
二人とも、用があるのはただ“赤髪海賊団”という海賊船のシャンクスに用があるだけなのだから。
「は? 殴りに?」
思ってもいない言葉に、藤虎の口が開く。
しかしウタは、それを気にせずに続けた。
「ルフィの用事も、わたしが殴りたいのも、道中で絶対にしたい寄り道ってだけだしね。わたしはわたしで、ちゃんと海に出た目的がある」
「…………どんな目的で?」
ウタは、首を傾け微笑んで、言う。
「“新時代”を迎えに」
その確固たる意志に、藤虎は眉を顰める。
「ロジャーが作ったように?」
その問いに、ウタはあはは、と口を開けて笑った。
「わたしだったら、もっと明るく愉快で愛のある時代にしたいなァ! ……どうなるかはわからないし、叶うかもわからないけどさ。誰でも自由に音楽に触れられるような、そんなバカみたいに平和な時代って、とっても素敵だと思わない?」
楽しそうな声色で、ウタが言う。
「……誰でも?」
「誰でも」
藤虎の言葉に頷いたウタは、向こうから小走りで駆けてくるヴィオラの姿に気が付いた。
どうやら、リク王との話はついたようだ。
さあ混沌の街へと出発──、の前に、ウタはふと思い出して、「そうそう」と言う。
「賭博のおじさんは、わたしを優しいって言ったけどさ。わたしは自分勝手なだけだよ。……誰かの為なんて、大層なものじゃない。ただの、エゴだから」
ごめんなさい、待たせたわ、と言うヴィオラに、「大丈夫」と返事をして、ウタはカン十郎の張った網を伝い街へと向かう。
残された藤虎は、ドレスローザと空を隔てる“鳥カゴ”に向かって、ほう、と溜め息を吐いた。
「……あんたはそう言うがね、歌のお嬢さん」
ぽつりと、誰に言うでもなく呟く。
「それでも、誰かが傷ついていることに怒りを覚えるのは、我慢ならねェのは、優しいとしか言いようがねェんですよ……」
ぴしゃり、と彼は自分の額を軽く叩いた。
「はは、またイヤな人を敵にしちまいやしたね……」
寂しそうなその言葉は、風に乗って消えていった。
────
「ヴィオラさん! 二時の方角、あの崩れた建物の下、見れる!? なんか音がした!」
「あの建物ね……、一人逃げ遅れてるわ! タンスと瓦礫の下敷きになってる!」
「あっ! 海兵さん! こっち! この建物の下に、人がいるから助けてあげて──、え何? “麦わらの一味”? 今はそんなこといいでしょ! いいから早く!」
地上へと降りたウタとヴィオラは、一時も休むことなく、町中を駆けずり回っていた。
ウタの耳で、異音はしないか、助けを呼ぶ声はないかを聞きながら、ヴィオラが彼女の指示で“視線”を飛ばして場所を特定する。
そしてある時は自分たちで救助活動をし、またある時は近くの海兵や市民に救助の指示を出しながら、次の現場を探す。
「“王の台地”……王宮がない方! そっちの方が安全です! そっちへ逃げて!」
「外へは逃げられないわ! 中心の高台へ向かって走って!」
逃げまどっている人々にも声を掛けながら、ウタたちは息を切らせながら走る。
ウタは、自分が何故ここまで必死に行動しているのか、その理由に自覚的だった。
似ているのだ。
似ていると、思ってしまったのだ。
かつて、“魔王”によって滅ばされたあの国と。
今、“海賊”によって滅ぼされようかというこの国が。
一つずつの要素をきちんと見て行けば、それは錯覚であると理解できる。
しかし、一度見てしまったその類似点から目を背けることは、ウタにはできなかった。
エレジアは、とある能力者の能力が暴走を起こして滅びた。
ドレスローザは、とある能力者が権力の暴走を起こして、今滅ぼうとしている。
──これは、エレジア崩壊のリフレインだ。
“とある能力者”であるウタには、そう思えて仕方ないのだ。
だからこそ、度し難い。
過失で国を滅ぼしてしまったウタにとって、故意で国を滅ぼそうとしているドフラミンゴの気が知れない。
贖罪なんてつもりはないし、誰かの為に奔走しているわけではない。
ただ、“とある能力者”だった自分としては、エレジアの再現だけは避けなければならない。
“故意の能力者”であるドフラミンゴの目論見をくじくためにも、一人でも多くの国民を救う。
それが、ウタの選んだ抵抗だった。
様々な所で、戦闘が起きている。
おそらく、戦況も大きく変わっているのだろう。
動き出した巨大な石像は、いつしかその身を真っ二つに斬り裂かれ、その上半身の瓦礫は粉々に砕かれて飛ばされてしまった。
きっと、王宮の方での戦闘も、佳境を迎えているのではないだろうか。
ふと目線を上げたウタは、「えっ」と口を開けて立ち止まった。
目を閉じて、こめかみの辺りをぐっと抑える。
「どうしたの!?」
ウタが立ち止まったことに気が付いたヴィオラが遅れて立ち止まり、振り返って言った。
ごしごしと目を擦って、ウタはもう一度、正面を見遣る。
見間違いだったら、どれほど良かったろう。
眩暈だったなら、どれほど良かったろう。
「……ヴィオラさん、“鳥カゴ”、縮まってない?」
先ほどより、ほんのわずかに近く見える“鳥カゴ”の糸が、微かに動く。
それを見たヴィオラは、顔面を蒼白にした。
「…………ドフラミンゴ、なんてことを──!!」
震える口を抑えて、声の震えを抑えられずにヴィオラが言う。
“鳥カゴ”は、人々を飼い殺しにするだけでは飽き足らず、皆殺しにするために収縮を始めていた。
ぎり、とウタの歯が軋む。
怒りで、頭が沸騰しそうだった。
「ウタさん、二手に分かれましょう!」
ヴィオラが言う。
一緒に回るよりも、別れて少しでも広い範囲の者を救いながら、この事態を知らせなければならない、と。
「──わかった! ヴィオラさんも気を付けて!」
「そっちもね!」
そう声をかけ合って、二人は別れて走り出す。
止まれ、と銃を向けて来た海兵に、状況を説明し、方々への情報伝達をお願いし、ウタはさらに“鳥カゴ”の縁へと向かい、足を動かす。
戦況がどうなっているのかはわからない。
だが、ウタは今自分がやれることを、ただひたすらにやる他ない。
荒れた息遣いが、邪魔で仕方がない。
これでは、遠くから聞こえる助け声を聞き逃してしまう──。
(……待って)
肩で息をしながら、ウタは立ち止まった。
──本当に、わたしのやれることは、“これ”なのか?
後ろを振り返り、王宮のある山と、そして正面の“鳥カゴ”を見比べた。
自問する。
本当に、このままでいいのだろうか。
この“鳥カゴ”が収縮を始めたということは、ドフラミンゴが能力を使っているということ。
つまり、ルフィはまだ、ドフラミンゴに勝利していない。
──ルフィが、負けた?
(……いや、それはないよね)
ウタは息を整えながら、冷静に分析する。
もし、戦闘が終わったとしたら、ドフラミンゴがそれを誇示しないはずがない。
ゲームの趣旨が変わったアナウンスもしないところから見ると、ドフラミンゴにも余裕があるわけではなさそうだ。
もし、とウタは考える。
──もし、ドフラミンゴとルフィの力が拮抗していたとしたら?
拮抗しているのなら、いずれは、ルフィが勝つだろう。
何しろ、ルフィは成し遂げる男だ。時間があれば、必ずルフィが勝つ。
だが──
(──その時間を、ドフラミンゴが奪おうとしているとしたら?)
これも一種の搦め手だ。
ルフィの苦手とするところ。
……“鳥カゴ”を止める必要がある。
ウタはそう判断を下す。
そのためには、何が最速? 何が最適解?
決まっている。
能力者の能力を止めるには、その能力者をどうにかするのが最適解だ。
「…………よし」
ウタは踵を返して、元来た道を遡る。
目指すは、“王宮”。
倒すべきは、ドフラミンゴ。
ルフィの手助けを。
風より速く、とウタは足を動かした。
────
リク王の演説が国中に響き、皆が生きることを諦めずに、“麦わら”を信じる中。
路地の正面から走ってきたその影に、ウタは足を止めた。
「う……ウタ……?」
弱々しい男の声。
ボロボロのその男は、“麦わらのルフィ”。
自分で歩くこともままならないようで、剣闘士風の恰好をした男に背負われている。
疲労の色が強く、開けた口からは、だらしなく舌が伸びていた。
「──ルフィ!」
ウタはすぐさまルフィの許へ駆け寄る。
「おいルーシー! この人は──!?」
「わたし、ルフィの仲間! ──それよりルフィ! なんであんたが負けてるの!?」
剣闘士風の男──、闘技場の実況、ギャッツの言葉を簡単にいなして、ウタはルフィに詰め寄った。
うるせェ、とルフィは力の入らない顔を精一杯にゆがめて、口をへの字にする。
「まだ、負けてねェ……!!」
弱々しいながらも、確固たる力のこもった声で、ルフィが言う。
「……少し、力の加減、間違っただけ、だ……!」
ぜえぜえと息をしながら、ルフィが言う。
負け惜しみ、とは言わない。
ルフィの戦意が削がれてないなら、それでいい。
「…………ルフィ、ドフラミンゴはどこ?」
ウタの言葉に、ルフィは腕を上げて、震える指で街の中心を指差す。
「何分ほしい?」
「……五分……、七分……? 後は、おれが……一発で、決めてやる……!」
「オッケー、七分ね。任せて」
「……悪ィ」
しおらしいルフィの言葉に、ウタは思わず吹き出した。
「あはは! ……言ったでしょ、わたしもドフラミンゴに一発入れたいって。先に倒しちゃったらごめんね?」
そのウタの言葉に、ルフィの頬が緩む。
頼んだ、と言って開いたルフィの手を、ウタが「頼まれた」と手の平で打つ。
パン、と乾いた音が鳴った。
「待て待て待て!!」
ギャッツが言う。
「なに、おじさん」
おじっ、と一瞬だけその呼び方にひるんだギャッツが、すぐに持ち直して言う。
「あんた、“歌姫”だろ、戦えるのか!? 手負いとはいえ、相手は“七武海”──」
「なに、“音楽家”が戦えたら悪いワケ?」
う、とギャッツが言葉に詰まる。
ニカ、と歯を見せて勝気に笑って、ウタは言う。
「安心して。七分間だけなら、わたしは最強だから」