鳥籠の中の彼は
ループ概念3話です。
ずっと正史ロー視点。
ちょっと血の描写があるので注意です。
口を開き、何かを必死に叫ぶ。
その叫びは悲鳴かもしれねェし、罵倒かもしれねェ。……あるいは懇願だったような気もする。
だが、それはもはやどうでもいいものだ。
だって、それを聞いた目の前の男は、狂気を伴った笑顔を浮かべ、そのままおれの身体、を――
――ガバリと身を起こし、辺りを見渡す。ここはおれが寝る前にいた場所で、断じてあの夢の中と同じところではない。それがわかっても心臓はまだドクドクと音を立て、呼吸は早いままだった。
「……またか」
誰もいねェ中、深々とため息をつく。汗をかいたせいで冷えた身体を抱き締めた。
あの夢を見始めたのは他の世界のおれがやって来てからだ。ポーラタング号に突如として現れた彼は、やって来た日以降おれ達に対して口を開かなかった。それどころか、何の反応も示さねェようになった。
はっきり言ってこれは無視……つまり意図的なものだ。なぜなら、あいつには意思があるからだ。
何もかもできねェ状態なら話は簡単だった。心理的な問題というだけだ。だが、あいつはあのとき意志疎通が取れたし、何より能動的に動くときがあった。それが……自殺しようとしているときだ。
初日の溺水に始まり……首吊り、首切り、電気ショック、オーバードーズ、能力で取り出した心臓を握りつぶす等……自殺した回数を数えればきりがねェ。ここへ来てから数ヶ月、お陰で蘇生治療の腕が格段に上がった。カウンターショックの技術もな。
自殺が衝動的なものならわかる。だがあいつは的確におれ達が目がとどいてねェときに躊躇いなくやりやがる。つまり、あいつの自殺は衝動的なものじゃねェ。意図的……そして計画的だ。要は自分の意志で自分の命を断とうとしているというわけだ。
それでも、だとしても、おれ達と出会ったばかりのときならまだ理解できた。あのときの彼の身体は傷ついてない部分の方が少ねェが、かといって致命傷は的確に避けられている……そんな状態だった。あの怪我だけでどれだけの仕打ちを受けたかわかる程のものだった。もし仮に、ドフラミンゴの野郎に負けたのなら納得もいく。……意図はともかく、趣味の悪さは身をもって知っているからな。
あの野郎に陵辱されるのは確かに屈辱だろう。まだあいつから逃げられたとわからねェ状態で死が頭をよぎるのも仕方ねェとは思う。
だが、それだけであそこまで――数ヶ月経った今でも計画的に自殺をしようと動くのは、はっきり言っておかしい。
だっておれの命はコラさんに繋げてもらったものだ。同じタトゥーが入っている以上、そこはおれと同じはずだ。なら、そうやすやすと死ぬ選択をとるわけがねェ。コラさんからもらったものを捨てるわけがねェんだ。そのはずなんだ。
だから……多分、まだ彼には何かある。あいつがおれなら、おれが納得できるような理由があるはずだ。
服を着替えて他の世界のおれのところへ向かう。扉を開けるとそこには彼を見張っていたシャチがいた。
「様子はどうだ?」
目線は他の世界のおれへ向けながら、おれに気づいてやって来たシャチへ声をかける。シャチはおれの質問に暗い声で答えた。
「……いつも通り。飯持ってきても食わねェし、話しかけても見向きもしねェ」
「わかった」
おれの見ている彼はぼんやりと座り、大人しく点滴をうたれていた。だが目を離した瞬間その管を引き抜き、そして目線を戻すまでに乱雑に指し直すに違いない。
目的としては衰弱死、また衰弱による自殺の成功率の上昇、ついでに言うなら気泡や細菌が混じれば僥倖といったあたりだろう。食事どころか水すら取らねェ奴を生かすための措置である点滴すら拒絶するとはずいぶんといい覚悟だ。
そうやって自殺を繰り返すから拘束や監視は増えていき、今では監視は四六時中行うことになっていた。だが、そのお陰で気づけたこともある。
あいつは食事だけでなく睡眠もまともに取らねェようにしていた。『取れない』のではなく『取らない』のは様子を見れば明白だった。
おそらく目的は同じ……衰弱させるためだろう。
『多分……彼は何が何でも死のうとすると思う。だって……だって……あのとき、笑っていた……』
溺水の処置が終わり、意識を取り戻してからしばらくした後、ペンギンが赤い目でそう言ってきたのをよく覚えている。今の状態はペンギンが予想していた通りだった。
……あいつらはおれのことをよく理解しているな。十何年も一緒にいただけのことはあるわけだ。まァ、こんな形で知りたくはなかったが。
ともかく、そこまでして彼が死にたがっていることはよくわかった。覚悟の決まったやつに何を言うのも得策じゃねェ。あまり薬に頼るのも正解じゃねェが、今は寝かせるために睡眠薬を投与している。あいつの身体は無理にでも睡眠と栄養を取らせねェと危ういものだ。……薬だって、子供に使うような極々軽いものだ。だが、それでも効果が出てしまうくらい彼の身体は衰弱していた。ある意味、あいつの企みは成功しているといえるだろう。
そんな……生きていることさえギリギリな状態の彼だ。手術が必要な忌々しい心臓の刺繍なんか取れるわけがねェ。他の傷は徐々に消えていったが、一番深ェところにあるものだけは残っている。
どれだけ外面が治っても、内面は回復せず囚われたままだった。
「おれ達といるのがそんなに辛いんすかね」
「……馬鹿を言え。おれがお前らを嫌いになるなんて世界が違った程度じゃありえねェ」
そう言ってもシャチの顔は晴れねェ。他の世界のおれのところへ行ったおれのクルー達も大体同じような反応だ。嫌悪というのも辛いものだが無関心も相当辛いものだ。気丈な彼らがそうなるのも当たり前だろう。
大事なクルーを傷つけやがって……あいつ、あの状態じゃなかったらぶちのめしてやるところだった。
「この後はおれがいるから休んでろ」
「最近、ずっと側にいるけど……何かあんの?」
「ちょっと気になることがあってな」
「……それは、憔悴する程なのに、おれ達にも言えねェことなのか?」
サングラス越しに目を伏せていることが感じられる。
「取り繕ったってそれなりにわかるに決まってんだろ」
……やっぱり、あいつらはおれのことをよく理解しているな。十何年も一緒にいただけのことはあるわけだ。
他の世界のおれのことが気になるこというのも嘘じゃねェが、本命は違う。しばらく過ごしているうちに気づけたが、夢で見る以外にもあの悪辣極まりない光景を体感することがあった。それが……あいつと一緒にいるときだった。
まるで追体験するような、あるいは何かを思い出すような奇妙なものだった。理屈はねェがあいつの記憶……のようなものじゃねェかとは思っている。
オカルトじみてはいるが、それを言うならおれと同じ存在が現れるのもオカルトだ。少なくともおれにはあんなものを妄想する趣味がある……と考えるよりはよっぽど可能性がある。
あれは何も反応しねェあいつのことを探る唯一の手がかりだ。何があったのかを知るために…………いや、そうじゃねェな。
それもあるが、きっとそれ以上におれは理由が欲しいと思っている。こうなった理由にあの野郎の陵辱以外の理由があると信じたいと思っている。
馬鹿な話だ。まるで他の世界のおれを信じているかのようにのたまっているが、本心では他の世界のおれの心が壊れたことが認められねェだけだ。人間の心は想像しているよりも簡単に壊れるということを知っているはずなのに。
第一、それ以外の理由が万が一にでもあったとしても、それが納得のいくものだとは限らねェじゃねェか。こんなことに今さら気づくとは……おれはまだまだだな。
「……キャプテン?」
呼びかけられてハッとする。思っていたよりも長考していたらしい。
「はっきりしたことがわからねェから……まだ言えねェ」
他の世界のおれの側にいると妙な体験をするなんて話、まだ確証もないのにできねェ。まだ彼が今のようになった理由がわかれば話は別だ。だが、痛みの情報が多すぎてそれ以外の……例えば視覚などの情報が曖昧になっているせいで何もわかっていなかった。
だから詳細を省きつつそう伝えると、しばし黙っていたシャチからため息をつかれてしまった。
「…………とりあえず、今はそれでいいですよ。彼の側に居なさすぎるのも問題なので。後は頼みます」
そう言ってシャチはおれの横を通り抜けて部屋から出ていった。おれはそのまま部屋に入り、ベッドの側にある椅子へ座った。その間も他の世界のおれの様子が変わることはなかった。
「調子はどうだ?」
「……」
念のために声をかけてみるが、反応はねェ。拒絶する素振りすら見せず、ただぼんやりと座っている。
軽い苛立ちを覚えつつも何も口にはしなかった。……いやできなかった。
彼に近づいたそのときからおれは光景にのまれつつあった。最初に声をかけたのは……そう、意地のようなものだ。
何も最初からこうだったわけじゃねェ。初めは夢で見たことをうっすらと覚えている程度だった。だが、日を追う度に夢は詳細さと迫力を増し、記憶に残るようになり、やがて他の世界のおれと接触するだけでそれにのまれるようになってしまった。
これは、ただおれが慣れただけなのだろうか。それとも……。
何かの糸口になるような気がしたのに、目の前にある光景へ思考も感情ものまれていく。やがて、夢の中のように何も考えることができなくなっていった。
――身体が動かなくなる。
原因は簡単だ。あの野郎の糸で身体を絡め取られているせいだ。
「……チッ。クソッ!」
ズルリと血と共に覇気が抜けていく。傷口を見ると赤糸が何本も伸びているのが見えた。
「よそ見するんじゃねェよ。なァ、ロー?」
その声と共に無理矢理前を向かされる。
目線の先には同じように拘束されたシャチがいた。
「――!!」
急速に何をしようとしているのか理解する。
頭の上へとあげさせられたおれの手には、鬼哭が握らされていた。
拘束から逃れようと身体を捩るが、ピクリとも動けない。能力や覇気を使おうとすると、赤糸が傷口から引き出されていく。
笑い声が聞こえる。無駄な抵抗をしているのがおかしくて堪らないのだろう。その声に苛立ちを、動けないことに焦燥を感じる。
「 」
シャチが口を開く。何かを伝えようとしたのだろうか、あるいは……。嫌な予想が頭の中によぎるが、結局シャチの意図はわからなかった。
なぜなら、何かする前に口を閉じられてしまったからだ。
乱雑に閉じられたのだろう。歯がぶつかる音が空間に響いた。
「お前は何もするな。ただそこで突っ立っていろ」
その声を皮切りに、おれの足は勝手に進んでいた。必死にその動きへ抗おうとする。
足が折れてもかまわなかった。
腕が取れても気にしなかった。
指がちぎれても問題なかった。
それで今の状況が覆るならおつりが出るくらいだ。
でも、その抵抗に意味はなかった。動きが遅くなっていると思うのはおれの願望だろうか。ただそれは結末を遠ざけているだけにすぎず、おれの身体は依然として前へ進んでいた。
「……なんで、何でこんなことをするんだ!あいつは……シャチは関係ねェだろうが!!」
「関係ない?何を言っているんだ。
あいつはお前とずいぶんと仲良くしていたじゃないか。おれを差し置いて、な」
狂っている。
何の捻りもなくそう思ってしまった。
だって、そもそも、お前は、おれとは……。
その思考はすぐに霧散する。だって、そうやっている間にもシャチとの距離は近づいていった。
「嫌だ」
焦りで頭が回らなくなる。結局口にできたのは幼稚な願望だけだった。
「止めてくれ」
何も反応は返ってこない。やがて、シャチの目の前にたどり着いてしまった。
「解放してくれ」
腕を動かそうとしているのが感じられる。その力に何とか逆らおうとしても、無駄だった。
「お願いだから……お願いですから!」
腕を振り下ろされる、その瞬間
「……え?」
糸の支配がプツリと途切れた。
「あ」
おれは勢いを止められず、そのまま刀を振り下ろした。
「あぁ」
刀は切り裂き、鮮血がおれに降り注ぐ。
「アアアア゛ア゛ア゛ア゛」
最期の最期までシャチは笑顔を浮かべた。
「フッフッフッ……望み通り、能力は解除してやったぞ」
いつの間にか後ろにいた奴がおれの肩に手を置いた。
「……だから、これはお前がやったんだ」
顔を近づけ、耳元で囁かれる。
「お前が殺したんだ。ロー」
その言葉と共に視覚が真っ暗になっていく――
「――――――ッ!!」
悲鳴をあげそうになるのを必死に抑える。少し前までいたシャチの様子を思い出して何とか平静を取り戻した。
明らかに様子がおかしかっただろうが、何か反応はあっただろうか。そう思って他の世界のおれをチラリと伺うが、何も変化はなかった。
……あれが、目の前にいるこいつの記憶なのだろうか。あまりにも恐ろしいものだったが、彼の行動も少し理解できた。
自分のせいで誰かが死んだのなら、死を意識するのも少し納得できた。
「……そんなに死にてェなら殺してやろうか?」
あのときの感情に引きずられ、無意識的にそう告げてしまった。
しまった。おれは何てことを……。
そう思ったときにはもう遅かった。
「……殺してくれるのか?」
ゆらりと彼がこちらを向く。
「それなら殺してくれ今すぐに。
気晴らしなんていらねェ。死ぬことだけが今のおれが求める全てだ」
その身体にそこまでに力があったのかと感嘆するほどの気迫でおれに語りかけてくる。
「何も直接殺せと言っているわけじゃねェ。ただこの左手の拘束を外してくれるだけでいい。そうしてくれたらおれは勝手に能力を使って死ぬ」
彼が自分の左手へと目線をやる。そこには能力の起点である指を動かせないようにする拘束具がつけてあった。難しい構造ではない。もう一つ手があれば簡単に外せるものだ。
「だから、今すぐに、これを外せ」
まるで何十年も持っていた執着のようなすごみを利かされる。それに気圧され、立ち上がりながら彼の左手へ手を伸ばしていく。
「そう、それでいい。何も間違っちゃいねェ。これが正しいんだ」
彼はおれの様子を見て、口角を上に上げていた。
その途端、視界がぶれた。
ポーラタング号の医務室と悪趣味な部屋
自分の白衣と黒いファーコート
人間の腕と鳥の羽
それらが二重に見え、境界が曖昧になっていく。
何が起こっているのかはすぐにわかった。また始まったのだ。
何故このタイミングで?そんな疑問が自然と浮かんでくる。
だが、その理由がわかる前に見える世界は一つになった。
――『仕事』を終えたおれは彼のもとへいた。
丁寧に設えられた趣味でない豪奢な部屋。それが今の彼の部屋だった。
お互いに出した『交換条件』のお陰でおれ達は日常的に暴力を振るわれることはなくなった。……もっとも、おれがおとなしく服従している今はあの野郎にとってある意味望み通りなのだろう。
部屋という名前の鳥籠の中、彼は虚ろな目でベッドに腰かけていた。
その両手と両足は鳥のものへと置き換えられていた。
一体どんな要求をしたのだろうか。
一体どんな条件を提示されたのだろうか。
一体……自身の能力はおろか、人としてのアイデンティティーを捨てさせるほどの価値はあったのだろうか。
問いかけたとしても、何も返ってこないのだろう。彼の中にもはや人間性のようなものは見えなかった。
このままだと、おれ達は何年もかけて使い潰されるのだろう。逃げ出したとしても、心臓を差し出している以上、ろくなことにならないのは確かだ。
どうやってもおれはここから逃げ出せねェ。
だが、こいつは違う。こいつだけなら、この世界から逃げ出せる手段がある。
あの時の話を今になって信じるなんて馬鹿げた話だが、それしか方法がないのも確かだ。
それに……あの話を信じるならこれは遅いか早いかの話だ。だったら早い方がいいに違いねェ。
こんな、こんな狂った場所にいる必要はねェんだ。
首筋へ顔を寄せ、頸動脈を探りあてる。
どこかで監視している奴の目にはおかしな動きをしているように見えるかもしれねェが、『戯れ』として許してもらえるだろう。おれと彼が仲良くしているのを好んでいることはもう既に理解していた。
頸動脈に歯をたてながら、心の中で謝罪する。
最期まで苦しませることになってごめん。
こんな方法でしか自由にしてやれなくてごめん。
次はどうか幸せになってくれ。
顎に力を込め、頸動脈を噛みちぎった。
口の中に血が溢れ返る。
鮮やかな赤がベッドを、羽を、身体を染め上げていく。
「あ……」
長らく言葉を発していなかった彼が口を開き、何かを伝えようとする。しかしそれは自身の血によって阻まれてしまった。
それでも何か伝えようとしていたが、やがて動きは鈍くなり、そして動かなくなった。
最期の最期、唇は確かに弧を描いていた――
よろめきながら、椅子へと座り直した。
染まる赤と混乱で目が回る。
血の味と困惑で吐き気がする。
わずかな単語と疑問で何も聞こえなくなる。
あの光景は何だ。何故二人いた。正確には……何故あの場所におれもいた。
だが、それよりも、何よりも……。
「……どうした?七武海にもなった海賊の癖に怖じ気づいたのか?」
挑発的な言葉を告げる彼へ顔を向ける。様々なものがぐるぐると巡る中で、何か言わなければと口を開いた。
「なあ……お前……何回死んだ?」
それは無意識のうちに出た疑問だった。だからこそ、おれが一番気になっていることを口にしていた。
「……」
ゆらり、と彼の瞳が揺れた。
それは困惑によるものだった。
「……!」
内心驚きながらも頭を巡らせる。彼が希望でも絶望でもない感情を見せるのは初めてだった。
これは必ず糸口になる。絶対に何かつかまねェと……。
「おれだって全てを理解しているわけじゃねェ。むしろわからねェことだらけだ。お前の身に何があったのかも、何を知っているのかも、何もかも」
深呼吸をして、口を開く。あくまでも希望を持たせすぎないように、絶望させないように言葉を続ける。
「だから……教えてくれ。お前に何があったんだ?お前は何を知っているんだ?お前は……何を望んでいる?」
ゆらゆらと表情が揺れている。明らかに彼は迷っていた。
そうだ悩め。そして口を開いてくれ。
「お願いだ。……何もできずにお前が死ぬのを見るのは嫌なんだ」
最後に願望を告げると彼はわずかに目を見開き、瞑目した。そして開いた彼の目は、確実におれを見ていた。
覚悟を決めたのだろう。おれも固唾をのんで彼が動くのを待った。
他の世界のおれがゆっくりと口を開く。そして何かを言おうとした。
「フッフッフッ……そんなの許されるわけないだろ?なァ、ロー?」
だが、彼の口はおれ達よりも大きな手によって塞がれてしまった。