魔法使いと卵の少女
町にほど近い森の中には一人の賢者が住んでいる。
彼の名前はエラン・ケレス。植物と鉱物の理を操り、人の為になる薬を作り出す魔法使いだ。
月に何度か、彼は必要な物資を調達するついでに薬を卸しに町の中へと降りて来る。
それ以外は森の中の自宅に引っ込んで様々な薬を作っている。だから町の人は彼の姿をなかなか見ることが出来なかった。
そんな彼の元には、実は弟子ともいえる魔法使いの卵がいる。
十年ほど前、森の中で迷子になっていた一人の子供がそのまま弟子になったのだ。彼女は自分の名前以外は何も分からず、ただ泣きながら森を彷徨っていた。
困ったのは当時の魔法使いだ。町の人に聞いても誰も彼女の出自が分からず、また彼女が魔法使いのそばを離れようとしないので、彼はほとほと参ってしまった。
結局は小間使い兼弟子という体で、まだ幼児だった彼女を引き取る事にしたのだ。
彼は丁寧に彼女…スレッタ・マーキュリーに日々の生活の仕方を教えた。
食事の仕方を教え、身の清め方を教え、1人での眠り方を教えた。
滞りなくそれが出来るようになると、今度は掃除の仕方を教え、食事の作り方を教え、植物の世話の仕方を教え…。
そんな毎日を繰り返しているうちに、彼女は徐々に成長していった。
今はもう2人で並んでいても親子とは間違えられないだろう。
エランは年を取らない。魔法を使う人々によくあることのように、彼も大概不老なのだった。
「お師匠さま、お師匠さま、おはようございます!」
伸びやかな声で目が覚める。エランがゆっくりと寝台から起き上がると、最近手足が伸びて来た娘がカーテンを開けて、さわやかな朝の光を呼び込んできた。
「………」
光に照らされながら、エランはしばらくぼうっとする。昨日も薬を夜遅くまで作っていたので寝不足なのだ。
その間も娘…スレッタはてきぱきと動き、エランの元に洗顔用の水を持ってきたり着替えを置いたりと甲斐甲斐しく働いている。
「おはよう…スレッタ」
「はい、おはようございます。お師匠さま!」
挨拶は大事だ。エランはスレッタにそう教えていた。
「今日は何をして過ごすんですか?」
「そうだね、昨日摘んできた葉の処理がまだすべて終わってないんだ。…新芽をたくさん摘みすぎたよ。まだ新鮮なうちに、終わらせてしまいたいかな」
「聖樹の葉ですね。わたしも手伝います」
「ありがとう、助かるよ」
「えへへ…」
スレッタは素直だ。エランの言うことをよく聞き、よく守っている。
薬づくりの腕なら、もうそこいらの薬師では敵わないかもしれない。あとは魔法薬だが、これは女性の魔力が安定する初潮が来てからの方がいいので、教えるのはまだまだ先のことだった。
エランは男なので、女性の体の仕組みについてはそれほど詳しくない。知り合いの魔女に頼んで、その辺りはきちんとスレッタに教え込んでもらっていた。
「もうすぐ薬を卸す日ですよね?お土産、期待してもいいですか?」
「なんなら一緒に行こうか?それなら好きな物をその場で買ってあげられるよ」
「……うーん、いえ、やめておきます」
「まだ町が怖いの?僕と一緒に居れば、大丈夫だと思うけど」
「お師匠さまはモテるから、一緒にいるとわたしが睨まれちゃいます…」
「そんな事ないよ」
「あります。『氷の君』とかって格好いいあだ名も付けられてました…!」
「それはちょっとやめて欲しいかな」
エランと二人でいるとお喋りになるのに、スレッタは他の人がいると途端に臆病になってしまう。
慣れればそうでもないのだが、慣れるまでが大変だった。町には知らない人が大勢いるので、彼女は町に降りたがらないのだった。