魔法の言葉

魔法の言葉

藍染は正直

「もういやや〜!!!!」

無駄にだだっ広く真っ白な部屋に泣き声が響く。部屋に置かれたキングサイズの上質なベッドは、軋みもせず心地いい弾力で少女の体重と嘆きを受け止めていた。

「忘れて欲しい………無かったことにして忘れてやァァ」


血縁上の父親に誘拐された撫子の1日は、その男に起こされるところから始まる。

「起きなさい、平子撫子」

藍染の低く落ち着いた声が聞こえる。

ゆっくり目を開ければ視界には未だに馴染みのない天井が広がり、撫子はゆっくりと体を起こした。

「おはよう平子撫子。今日は頭痛も吐き気もないかな?」

「おはよう誘拐犯。アタシの寝顔はそんなに見てて飽きひんもんか?」

「飽きないな。君の母親もこんな顔をして眠っていたかと思うとね」

「キッショ、なんでやねん」

欠伸を一つする。

監禁生活もそれなりに慣れてくるもので、この数日藍染とは何度も一対一肉体言語(おはなし)をしている。

目の前の事に一生懸命になると時間はあっという間に過ぎていくのかもしれない。

「昨日の最後の攻撃(こえ)は実に素晴らしかったよ。今日も聞かせてくれないか」

「起き抜けになんやこのサディスト」

撫子はのろのろと洗面台へ向かった。

ここ数日で分かったことだが、藍染惣右介は降って湧いた自分の娘に対してどう接すれば良いか分からないらしい。

仮面の軍勢は藍染に行方を掴まれないように常に現世を移動し、その間藍染は尸魂界で独身男性として生きてきた。

そんな中旅禍として乗り込んできた撫子と相対した訳だが、藍染は撫子が自分の血を分けた娘であるということにすぐに気づいたのだ。

そこからは早かった。藍染の人生において経験したことの無い出来事だったが、優秀な頭脳は瞬時に判断を下した。

即ち、「この娘を虚圏へ連れて行けば平子真子達は姿を現すだろう」と。

藍染はその決断の元、撫子を虚圏へ連れてきた次第である。


「こちらに来なさい、食事をしよう」

テーブルの上に並べられた料理を、2人は向かい合って基本的に黙々と口に運ぶ。撫子の家族に罪を着せのうのうと生きている大罪人と話すことなど特になく、会話が続くことはない。

「君は私のことを『お父さん』と呼んでくれないね」

「お前なんかパパでも親父でもないわ。いきなり拉致るヤツのことなんて誰が呼ぶかいな」

「しかし私は君の父なのだから、『お父さん』と呼ぶべきだろう?それとも『藍染』の方が呼びやすいかな?」

「仮に呼ぶ事があっても人間は平等やねんから下の名前で呼んだるわ、惣右介」


『惣右介』


ぴたり。思わず藍染の口が止まる。

声色はあまり似ていないけれど、それは、あれほど焦がれ求めた、憎い女のーーーー平子真子の呼び方そのものだった。


動きを止めた藍染を見て、撫子が眉を顰める。

「君は母親(あの人)によく似ている」

藍染の言葉に今度は撫子の手が止まった。吐きつけた言葉の重みを物ともせず、藍染は続ける。

「君を見る度に思い知らされるな。本当に、瓜二つだ」

「そらよかったな」

「ああ、とても良かった」

そこまで母親に執着している癖に。よくもこんな部屋に、と手が震える。

昨日、疲れ果てて帰った撫子のベッドの中で女達が藍染を待っていた。

未成熟ではないが、男好きのする体ではない。腕も足も細く、ふくよかさにこと欠ける、そんな女達が。


「この部屋ってヤリ部屋なん?」

「…………………」

「通りでベッドがデカいわけや。日替わりで破面女ココに連れ込んでたんやろ」

「君に何か 弁明する必要はあるかな?性欲と愛は別だよ」

「何言うとんねん。そんなん言い訳にもならへんぞ」

この男が母の何を好いているのかは知らないし知りたくもない。

「私にとって性欲とは性的対象に向けて射精するという欲求だ。そしてその相手は1人でなくとも構わない。要するに自慰行為の延長線上にあるもので、そこに感情は伴わない」

「じゃあお前の中で愛ってナニ?雛森さんに対するアレは何なん?」

藍染は一瞬目を見開き、すぐに細めた。それから顎に手を当てて少し考え込むようにした後、ゆっくりと口を開く。

「愛は 伝えるのが難しいな。雛森くんへの気持ちは強いて言えば母性を恋しく思うような感覚に近いかもしれない」

やはりこの男はクズ野郎なのだと撫子は強く思った。

「枕並べて寝る仲やったんやろ?雛森さん。あんたら付き合っとったんちゃうんか?」

藍染は首を振って否定した。

その首振りは撫子の問いに対してのものなのか、はたまた仮初の自分に対してのものかは分からない。

「マザコンだしてくるとか救いようのないアホやな」

「…………」

藍染の表情に微かに影がかかる。

その瞳に映るのは哀れみか、怒りか。

「君の言い分は正しいかもしれない。平子真子は私の唯一無二だった。他の女とは比べ物にならない存在だ。私は君の母親に子を産んで欲しいと願い、そのためにあらゆる手段を用いて彼女に求婚したが、私の言葉を信じなかった。そんな想いを抱いた女を失った男が、平子真子と同じ女性を探し求め抱くのは自然な事だとは思わないか?」

撫子は思った。

これは、本音だと。

藍染は嘘をつかない。つく必要がないからだ。

藍染は、自分の思想に忠実に生きてきた。それがどれだけ他人を傷つけようとも己を信じて疑わなかった。

目の前の男の行動原理は全てそこにある。藍染は本気でそう思っているのだ。

その考えに行き着いた時、撫子の胸中に沸いたものはどうしようもない程の嫌悪感。おぞましい、とすら感じた。

撫子の中に流れる血の半分、藍染惣右介の血を。

撫子は藍染の手元にあった水を掴み、中身を思い切りぶちまける。

絨毯の上に染みの広がる音がして、同時に藍染の顔が僅かに歪む。

しかし撫子の怒りは収まらなかった。

「フケツッ!!!」

一喝。

藍染の眉間に刻まれた深い縦じわが、撫子の発言の意味を理解したことを示している。

藍染は濡れた髪を掻き上げて撫子を見上げた。

「……」

「出てって。今すぐ!!」

「……」

「聞こえひんの!?さっさと出ていき!」

「…………」

藍染は立ち上がり、部屋を出る間際、撫子の方を振り返らずに言った。

その言葉は撫子の心を深く傷つける。

藍染の背中が見えなくなって数分後、撫子の目からは大粒の涙が溢れ出した。どうしてあんな事を言ってしまったのか。

「フケツってまじで何やねーーーん!!!エエ歳したおっさんの性行為発覚くらいでキレてもうたやんけ!あかん、めっちゃ恥ずかしなってきた!!!忘れろ!!!」


羞恥心が限界突破し、頭をぶんぶん振って記憶から消し去ろうとするが一度口にしてしまった言葉は簡単に消えるものではない。

しばらく悶絶していた撫子だったが、突然ハッとした顔をすると、部屋の中をキョロキョロと見回し始めた。

「もうこの部屋に来んといてくれ…愛人1号2号の部屋に行けや……」

このベッドで藍染を待っていた女たちが聞けば激怒しそうな発言である。


ところで、撫子が監禁されている部屋は藍染と東仙の部屋の間にあるのだが、親子の会話及び撫子の独り言を全て聞いていた東仙が思わず口元を押さえている。

藍染と撫子、双方に対して気を遣う立場の東仙は胃痛に苛まれ始めていた。

そんな苦労人のことなど露知らず、撫子は再びベッドに潜り込むと、シーツを握りしめながら小さく呟く。

あの男には弱音を見せたくない。アタシ達全員の敵なのだから。


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