魔女の末裔冴がお狐凛ちゃんの神域にお呼ばれする8
「はいはい。わかったよ冴オニーサマ」
いつだったか。小さな凛が「世界一の糸師冴サマ」と兄を呼んだ時のような砕けた調子で、大きな凛は笑った。
こういう所が弟扱いされる所以なのだと、おもむろに頭を撫でられた本人は気付いていないのだろう。
冴は狐耳が生えている時の凛の頭をモフモフするのも好きだが、髪の毛だけの頭をこうやってワシャワシャしてやるのも好きだ。
だがやることが決まったからには、いつまでも夢の中でこうしている訳にはいかない。
──と。
そんな冴の考えを読み取ったようなタイミングで、幻想の空を裂く音量のアラーム音がこだました。
買ったiPhoneの初期設定のままの無機質なソレは、冴が目覚まし時計の代用にしているアプリのものだ。
現実世界での時間経過は神域と一定ではない。そろそろ向こうでは起床時刻らしい。
「もうそんな時間か。じゃあ、頼んだぜ冴。どうやら俺はお前の弟らしいからな。ふふ。弟として頼らせてくれ」
「ああ。兄として頼らせてやる」
歳の差に由来した気まずさも無く、戯れのような別れの挨拶を交わして。
ふわり。と神域中の狐花とベラドンナが舞い散り吹き上がったかと思えば、奇しき花吹雪が冴の視界を包み込む。
網膜の奥にこびりつくような色彩の嵐は数秒で過ぎ去り、気付いた時には、冴はホテルのベッドの上でスマホのアラームを切っていた。
無言で起き上がり、やけに寝起きの良い体はそのまますんなりと掛け布団を跳ね除け地面のスリッパに足を通す。
夢を通じて異界に呼ばれた後はいつもこうだ。前日にどれだけの練習をしていようと体調が悪い時だろうと、あの空間の神気がよほど自分に馴染むのかエステやリラクゼーションスパでも受けたみたいな心地で目覚めることができる。
だいぶ前にあちらに呼ばれた、壮絶に激しい練習の合間の短い休憩に仮眠をとっていた時なんて、たかが10分の睡眠で全快してくるものだからコイツなんてタフネスをしてやがるんだとレ・アール下部組織の面々にショッキングなものでも見たような顔でザワつかれたものだ。
流石の冴だって神域に強制電撃訪問させられていなければあの練習はキツかったが、それはそれとして暫くの間チーム内での彼のあだ名はジャパニーズ・ターミネーターになった。日本の至宝のほうが幾らか格好がつく。