鬼が生まれた日
人生で初めて、胸を張って自慢できるような善いことをした。
ともっこ達の行方を里のみんなに尋ねた時に、ともっこ達のことを楽しそうに語るさとのみんなを見て思ったのは…
この楽しそうな輪の中から、おれと同じようにのけ者にされてる一人ぼっちの鬼さまがとってもとっても可哀想、ってこと。
小さい頃に、鬼さまの物語を教えてもらったときからずっと可哀想だと思ってた。
寄ってたかっていじめられて、ただ反撃しただけかもしれないのに嫌われてる鬼さま。
もしかしたら、ちょっと乱暴者なだけで本当はいい子かもしれないのに、恐れられている鬼さま。
一人ぼっちでも強くて、かっこいい鬼さま。
おれだけは鬼さまを絶対に嫌いになんてならないよ。
おれだけはずっとずーっと、鬼さまの味方だよ。
この気持ちだけは、絶対に変わらないよ。
だから、里のみんなにも本当の鬼さまのお話を知ってほしかった。
鬼さまを仲間外れにしないでほしかった。
のけ者にされるのは悲しくて苦しいから。きっと鬼さまもみんなと仲良くしたいはずだから。
そうしたら、きっと鬼さまも喜んでくれるはずだから。
…もっと、里のみんなは嫌がると思ってたけれど。
みんなたどたどしく語るおれの言葉に真剣に耳を傾けてくれた。
本当はともっこ達が悪いんだ。本当は鬼さまは悪くないんだ。大切なものを奪われてしまったから、鬼さまは怒ってしまっただけなんだよ。
それは今まで確かに信じてきたお話を、足元からひっくりかえされるほどひどい事のはずなのに。
なぜだかみんなは、顔を見合わせて、あんまり悩んだ顔もせずに「そうだったのか」という。
それだけ?
お前たちが信じてきたものが崩れたのに、どうしてそれだけ?
もっと悩むものじゃないの?もっと苦しむものじゃないの?おれだったら信じてきた鬼さまが裏切られるとしたら、許せなくて頭がごちゃごちゃになって苦しくて許しがたくて怒って心がささくれ立つのに。
お前たちはともっこ達のことを散々利用してきたのにどうしてあっさりと手のひらを返せるの?
…まただ。また、頭がおかしくなる。悪意的な思考が真綿で首を絞めるようにからみつく。
これは嬉しいこと。これは喜ばしいこと。これは誇らしいこと。これからは鬼さまも一緒に、みんな一緒にお祭りを楽しめる。
そうしたら、ねえちゃんもすごいって褒めてくれる。やるじゃん、って見直してくれる。もうねえちゃんに守られるだけの子供じゃないって、きっと認めてくれる。
はやく、この事を教えに行こう!
いっぱいいっぱい頑張ったんだから、おれだってやればできるんだから。鬼さまもきっと喜んでくれる。ねえちゃんもきっと喜んでくれる。そして…
…きみも、喜んでくれたらうれしいな。
■
言いたいことがたくさんある。
このまえ、のけ者にされたときに、ひどいこと言ってごめんなさい。どうしても感情が高ぶって、情けない姿をみせてごめんなさい。
きっと怖かったに違いない。かってに怒り出して、かってに当たり散らして、きみは言いつけを守っていただけなのに、まるできみのせいみたいにしてしまって。
だから謝りたい。謝って今日も一緒にお祭りを楽しみたい。明日も明後日もずっとお祭りを楽しみたい。
けれどその言葉を伝えたいきみの姿が見つけられない。どんなに遠くても、絶対にわかるはずなのに。
誰も居ない荒れ地を探す。言いたいことが心に積み重なっていく。身体の中から出ていかない。
誰も居ない池のほとりを探す。燃え上がる心が少しずつ全身に回っていく。身体の中から出ていってくれない。
誰も居ない洞を探す。甘く蕩けるような初恋が体の疲れすら麻痺させる。もう自分の身体じゃないみたい。
何度も足を運んだ恐れ穴を探す。だれもいない。
きみと巡った看板を探す。きみはいない。
太陽が沈み暗くなる。里に戻っても、きみたちは居ない。
もう出歩いてはいけないよ、と大人たちがいう。
みんながおれを心配してくれる仲良しの輪に足りないものがある。
そんなものは要らない。だから言いつけなんて無視して真っ暗な夜中に駆け出した。
走って走って走って、ご飯も食べずに走って、息が上がっても、肩で息をしても、ちっとも苦しくなんてない。
仲直りしたかった。自分から気まずくしちゃったのが悔しくて、でも仲間はずれにされるような自分も嫌で。
そんな自分でもようやく少しだけ強くなれたんだ。
少しだけ強くなって、とても善いことをしたから、認めてほしい。
忘れられたくない。おれのこと忘れないでよ。仲間はずれにしないで。
一緒に側に居させて。
側にいる資格なんてないからと、ずっと後ろからついていくだけだった自分はもう居ないから。
これからは一緒に居させてほしい。これからもずっとずっと一緒がいい。
ぐるぐると同じことばかり考えて、きっと同じ場所ばかり堂々巡りして。
いまここがどこなのかわからないけれど。
とっくに限界だった身体が地面に倒れ込んで、びっくりしたオオタチがボールから飛び出して身体を抱え起こしてくれたその時に――――
視界の端に、消え入りそうな輝きを見た。
それは夜空に瞬く星のようなきらめき。
理屈はちっともわからないけれど。なんとなくそこに、きみが居るような気がした。
呼吸を整えて。オオタチに大丈夫だよ、って言って。少しずつ、少しずつ。
その光に誘われるように足を運んだ。
■
穏やかなランタンの灯り。
暗い星夜の中に、机を挟んで向き合って座る人影がふたつ。
それは見慣れたねえちゃんのすがたと、忘れることはない小さく強く明るい女の子。
声をかけようと近づこうとして…でも、なんだか、近づいてしまったらその光が消えてしまいそうな気がした。
そっと息を潜めて、物陰からふたりを見る。
きっと手作りのサンドイッチ。それを静かに食べるねえちゃん。アオイは不安そうにねえちゃんの顔を見ている。
「美味しいと思うけど…あんたの友達ってそんなにサンドイッチ作るの上手なの?」
「うん。とっても上手だから、いまいち自信なくてさ…ほんとに美味しかった?
ちゃんと美味しかったかな?変なものは入ってないから大丈夫だと思うんだけど!
スパイスとかは刺激が強いから入れてないし!ほぼ既製品の味だし!あはは…」
不安そうで、悲しそうな笑い顔。その表情は自分も知っているはずなのに、なぜか知らないような気がした。
「あたしは好き。知ってる味とは違うけれど、きっとこれがアオイの味だから」
ねえちゃんの笑顔。いつもの意地悪するときの笑顔なんかじゃない、見たこともない綺麗な笑顔。そんなの知らない。知らなかった。
「ほ、ほんと~~!?好きって言ってくれてうれしい…わ、わたしも…ゼイユちゃんのこと好きだよ~なーんて…えへへぇ」
それを見てアオイの顔は一気に真っ赤になる。ぐでぐでの酔っぱらいみたいなふにゃふにゃの笑い顔。そんな顔は知らなかったのに。
「…あぁう、なにいってんだろ、今の忘れて!ごめんごめん、ゼイユちゃんとこんな風にお友達になれるなんて思ってなかったから嬉しくて、と、友達として好きってこと!」
わちゃわちゃと身振り手振りで照れ隠しをして立ち上がる初恋の女の子。その言葉が、なぜだか嘘だとわかってしまう。けれど、頭がそれを理解したくない。だってそんなことあるはずがない。そんなことがあっていいはずがない。だって、だってだってだって、だって、そんなの…
少しだけ、考えるように目を伏せてねえちゃんが立ち上がる。
やめて、おねがいだからやめて。そんなことしないで。その子までとらないで。その初恋までとらないで。お願いだから、他の何でもあげるから。おもちゃもおこずかいもたべものもあげるから。それだけはねえちゃんに取られたくないから。それまで取られたらねえちゃんのこと嫌いになってしまうから!
「あたしも。あんたのことが好きよ、って言ったつもりだったんだけどな…」
弁明のためにわたわたと動くアオイの両手をそっと優しく掴み取る自分の姉。
捕まってしまったから、諦めてしまったのか急に大人しくなる初恋の女の子。
「…友達以上のこと、今からしてもいい?」
「……は、はいぃ…」
ぎゅ、とまぶたを閉じて、すこしだけ背伸びする大好きな女の子。
優しく頭を撫でて、少しだけ腰をかがめる、自分だけのねえちゃん。
二人の姿が自然と重なっていく。まるでそうするのが当然のように、唇を重ね合わせるふたり。
この初恋だけは取られないと思っていた。
まさか女の子に、自分の姉が取られるわけ無いと思っていた。
女の子同士でそうなるなんてありえないと思っていた。
見たくもなかった現実に、目を背けることすら出来なかった。
声を出さないように、歯を噛み締めて口を抑えることしか出来なかった。
早く終わって欲しい。そうでないと、抑えきれない。
そうでないと、壊してしまう。
そうしたらふたりの幸せすら、壊れてしまう。
その前に。早く終わってくれないと。もう、何も、信じられない。
そんな願いが届くことなんかありえないけれど、数十秒にも満たないそのキスが終わる。
終わったことに安堵して、地面に崩れ落ちる。もう見ない。見なくて済む。静かに呼吸をして、心臓を落ち着かせる。
落ち着いて。落ち着いて。気の迷いかもしれない。何かの間違いかもしれない。ちょっと何か間違えてしまっただけかもしれない。そう信じたいのに、聞こえてくる会話がそれすらも打ち砕く。
「…ほんとに、わたしのことが好きなの?
わたしがゼイユちゃんのこと好きだから、合わせてくれてるだけじゃないの?」
「好きでもないのにキスができると思う?できるの?」
「できないよ…いつからわたしのことが好きだったの?
好きだよ。大好きだよ。大好きだけど、わかんないよ…」
「いつ…からかな。一緒にいるだけでどんどん好きになっていったから。
でも。そうだなぁ。思い返してみれば、最初から。
…あの時勝負に負けたときから好きだったかも、ね?
アオイはいつからあたしのことが好きになった?」
拳に力が入る。爪が手のひらに食い込んで、血が流れても痛みがわからない。
地面を殴りたくなる寸前まで腕がこわばって、それでも音をたてれば壊してしまうから耐えるしか無い。
でも、あの日姉ちゃんに勝った強くてかっこいい女の子に一目惚れした、初恋の思い出まで取られちゃった。
それでも。まだ、大切な思い出がある。
お祭りの日に、大好きな女の子にあげたりんご飴。その時に触れた手のあたたかさ。世界で一番きらきらしていたアオイの笑顔。
その一番の思い出は、絶対に取られないって信じてた。
だって、その思い出はきみとっても、きっと宝物なんだって信じたかったから。
「……お祭りの、最初の日から。
お祭りのあの日…一番嬉しかったのはね?
わたしのための仮面をずっと探してくれてたんだって、教えてもらった時だよ…
……とっても、うれしかった……そんな小さなことかもしれないけれど、たったそれだけで好きになっちゃったの」
でも、きみにとってはそうじゃなかった。りんご飴の思い出なんかよりも、もっと嬉しかったことがあったんだ。
それは、姉ちゃんのこと嫌いになってほしくなくて、姉ちゃんからは言うなって言われてたけど教えたこと。
たったそれだけのことで、姉を取られてしまった。
取られた。取られた。大切な人が大切な人に取られた。奪われて奪われて、ふたつともあった大切なものは手元から無くなった。何も残ってない。何も、何も。初恋のひとも、大好きな姉も。もう自分のものじゃない。
ひどい裏切りだ。
……違う、裏切りなんかじゃない。だっておれは一度たりとも、自分の思いを伝えたことがあっただろうか。恥ずかしくて心を閉じ込めて、それでなにが伝わるというのだろう。
おれが先に好きだったのに…なんて、そんなの自分が勝手に思ってただけなのだから。
溺れるような初恋のその先に進むことが怖くて恐ろしかった。
姉ちゃんのことが本当は好きだなんてこと、当然すぎて言葉にしたことは一度もなかった。
伝わらない思いなんて存在しないのとおんなじだ。
だから、これは自業自得ってやつなんだ。
本当に納得できる?
本当は許せないよね?
本当は知ってるかもしれないよ?
知っていて見せつけてるのかもしれないよ。
だって――――姉ちゃんが自分の気持ちをわかってくれないことが、あった?
うるさい。うるさいうるさい。頭の中から出ていけ。身体の中からでていけ。そんなことはありえない。姉ちゃんがおれの気持ちをわかってくれないはずがない。だって今まで言葉にしなくてもいろんなことを理解してくれていたんだ。だからそんなことは絶対にない。ないんだよ。
でも…鬼さまのこと、内緒にしてのけ者にした。
のけ者にして、大好きなアオイを奪っていった。
ほら、つながった!
違う。絶対に姉ちゃんは裏切りなんかしない!きっと違う理由があったんだ、それが何かはわからないけどきっとそうなんだ。だっておれは鬼さまがあんなに好きで、里のみんなはちっとも理解してくれなかったのに姉ちゃんだけはわかってくれてたんだ。だから鬼さまと会ったことをどうして内緒にしたのか意味がわからないけれど理由があるんだ。教えてくれないけれど理由があるんだよ。
でも。伝えてくれないならそんな理由は存在しないのとおんなじ。
心臓の鼓動が早くなる。星空が切り裂かれて大地が割れる。信じてきた世界が崩れ落ちていく。重力も引力もあやふやで、真っ暗なのにめまいがする。
吐き戻したい。この身を満たす猛毒から逃れたい。心を縛り付ける悪意の鎖から逃れたい。この猛毒の名前がわからない。名前を言い当てれば出て行ってくれるのなら、名前をつけるしかない。
これは悪い鬼のせいだ!悪い鬼が取り憑いているから、こんなにも苦しいんだ!
だから悪い鬼になんか負けない。どんなに悪意で頭をぐちゃぐちゃに乱雑に乱暴に破滅的にかき乱されたとしても、絶対に絶対に耐えてやる。
耐えて耐えて耐えて……ぜったいに、ふたりの幸せを壊させやしない。
少しだけ、息が楽になる。
まだ自分の心はごちゃごちゃ、すぐに悪意の渦に飲まれてしまいそうだけれど。
悪意の嵐の向こう側にひとつの希望の星が輝いて見える。
好きな人に幸せになって欲しい。この願いはきっと、善いものだから。
……本当に、その願い事は善いものだ。
でも…本当にほしいものは、それだけじゃないよ。
自分から生まれた悪意の声を見ないふりしたところで現実からは逃れられない。
■
草むらが揺れる音がする。
飛び跳ねそうになったけれど、必死に耐える。自分の存在がバレたら、まずい!
必死にふせって息を潜めて、自分を狙って飛び出してきたポケモンでないことを祈る。
がさごそと、草むらをかき分けて飛び出した一つの影。
「ぽに!」
すべてをぶち壊しにしたのは、誰よりも信じてきた鬼さまだった。