髪が繋ぐは悟りに非ず
麗らかな春の日差しに似つかわしくない存在が背後からガッチリと抱え込むように動きを封じている。
そんなもの全て無視して外で団子でも食いたいような気分だが、このまま放っておいても大変に面倒なので雑によしよしと撫でておいた。
「あっ!おかんの髪ないなってる!」
「誰がハゲやねん!フサフサやろ、よう見てみ」
「でもないもん!どこいったん?」
「バッサリ切ったからどっか行ったわ」
ペタペタと裸足で走ってきた娘の無慈悲な言葉におかしなところで父親に似なくてもいいのにと内心で溜め息をついた。
肩より上でバッサリと切り揃えられた髪は我ながら中々イケてると思うのだが、失われた髪の方が気になるのは父娘共通らしい。
惣右介は「どうして」と言った瞬間にこれは面倒なことになるぞと適当にあしらったらしがみついて離れなくなったので、膝によじ登って髪を引っ張る娘も合わさり春先だというのに暑い。
なんで髪を切っただけで体温の高い家族で両面焼きにされなければならないのか。
「おかんの髪も筆にしたん?」
「撫子の最初の髪と違うてオカンのは筆に出来ひんねん」
「ほんならなんにしたん?いっぱいあったやろ」
「……お母さんは捨ててしまったんだよ」
「なんで!ほうきとかにせぇへんの?!」
「いやそんな髪強ないわ」
自分でいうのは烏滸がましいが、流石に箒草よりは絹糸寄りの髪だと思う。だからといって使い道はないが。
毛先が焦げたからと切ったら変になったので、もういっそとバッサリ切ったのがどうしてこう気に入らないのか。
「あなたは無意味に思いきりが良くて困ります」
「ええやろ自分の髪くらい自分で切っても」
「……自分で切ったんですか?」
「段々の髪で髪結い行っても困るやろうし当たり前やろ、次も同じ髪型にすんなら行くけど」
とりあえずでざっくり切っていい感じに整えたのは相当器用にやったものだと自画自賛したいくらいなのだが、それに対する称賛はない。
なくなった髪をどうこういうよりは、俺の素晴らしい腕に目でも向けてほしいものだ。そもそもこのくっついている奴らの髪を切ってやることもあるのだから、腕は知っているだろうに。
「まぁ、百歩譲ってあなたが切ったのなら……」
「なにを譲ってんねん」
「おかんまたのばす?のばしたらお揃いなるかな?」
「俺は髪のばしてもうねうねにはならんわ」
一度三つ編みにして髪に癖をつけたのを見せてやってから娘はどうにもお揃いにしたくてしかたがないらしい。
それも自分の髪を変えるのではなく俺の髪を変えさせようとするところはなんともふてぶてしいが、子供らしいといえばらしい。
逆に惣右介は俺の髪に癖があるのがなんとなく気に入らないらしく、癖をつけたときは「いつ戻りますか」だのと聞いてきていた。
娘が喜ぶ手前イヤだともやめろとも言えないところはちゃんと父親をやる気があるんだなと思えるので愉快だ。
「そろそろどきや惣右介、暑苦しくてかなわんわ」
「あなたが殊の外大人しくしてくれるのでこれもいいかなと」
「目的変わってるやないかいどけや!」
「あたしはどかんよ!おとんがだっこしてくれるんなら別やけど!」
娘の言葉にあごで示してやると渋々といった様子で惣右介が離れて娘を抱き上げた。甘やかすばかりだと小言を言うことも多いが、こういうときは便利である。
それに女の子なんてすぐに「お父さんなんて嫌い!」になるのだから今のうちに甘えられる幸福を噛み締めておけばいいのだ。
「おとんは髪のばさへんの?」
「僕は短いままでいいんだよ」
「なんで?くしゃくしゃなるから?」
「胡散臭さが増すからやろ」
ただでさえ胡散臭いのに、髪までのばしたら怪しい男としか言いようがなくなってしまう。
なにも知らない奴はとちくるって素敵だのなんだの言うかもしれないが、なにか企んでいそうな感じがマシマシで不気味ですらありそうだ。
「案外と様になるかもしれませんよ」
「眼鏡のロン毛なんて頭がごちゃついとるやろ」
「なら眼鏡を外しましょうか」
「ただのロン毛やないか、個性ないわ」
眼鏡を外して髪を伸ばした惣右介を想像してみたが、なんか性格悪そうだなという身も蓋もない感想しか出てこなかった。
普段は温厚な眼鏡の優男のような面をしているが、こいつは意外と眼鏡を外した顔はキツいのだ。
「また髪を伸ばしてくださいね」
「ええやろこれでも、似合っとるやろが」
「撫子も伸ばしてほしいだろう?」
「長いほうがすき!短いと結べへんもん!」
「…………まぁ考えとくわ」
したり顔の惣右介はムカつくが、俺もなんやかやで娘には甘い。それこそ髪の長さ位のお願いなら、無条件で叶えてやりたくなる程度には。
それこそ目に入れても痛くないほどの惣右介よりはマシだが、どんぐりの背比べのような気もしている。
それでも娘が頭がいいのか強かなのか、それなりに健やかに健全に育っているのでそれでもいいのかもしれない。
周りに可愛がられ倒しているせいで、自己肯定感がかなり高いがそれもご愛嬌だろう。
「おとんものばしてお揃いにする?」
「はは!ええなぁ惣右介、お揃いやて」
「……似合わないと言ったのはあなたですよ」
「似合わんとは言うてへんやろ、胡散臭くてお似合いや」
「はぁ……撫子、僕はね」
娘相手に良く回る口で説得を試みているが、どれくらいあの子の心に響くだろうか。
失敗して可愛らしく頭を弄られた惣右介を思い描いてみると、それはそれで悪くない気がした。