高校生監禁脱出再監禁殺人事件

高校生監禁脱出再監禁殺人事件

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高校生監禁脱出再監禁殺人事件は、皇紀2675年(修文14年)4月1日、陸奥国K水市で発生した事件である。本件は多様な側面を持つ事件であるが、経緯が明確な事件が1つしかないため、「高校生監禁脱出再監禁殺人事件」と呼ばれた。

2675年(修文14年)4月1日、午前8時頃、A野B愛さん(17歳)が、K水市北O沢の近所の商店に駆け込み、店主のC井D二さん(80歳)に保護を求めた。B愛さんは毛布のみを纏い、痩せ細った姿で、体中に傷を負っていた。驚いたC井さんは、B愛さんにコートを着せ、最寄りのT崎署O沢駐在所に向かおうとする。しかし、B愛さんは警察に行くと言われると泣き叫んで拒んだ。C井さんは、B愛さんが何らかのひどい体験をしたためと考えて車に乗せ、駐在所へ向かった。

駐在所に到着すると、駐在所主任の巡査部長E藤F之(46歳)が現れ、B愛さんを車から引きずり出し、コートを剥ぎ取ると、警棒で殴打。止めに入ったC井さんも殴打された。通行人が多くいたが、E藤の暴行を止めに入る者はいなかった。E藤はC井さんを駐在所の便所に連れ込み、暴行を加えた上で手錠と首輪で便器に拘束。そして、B愛さんをパトカーで連れ去った。


近所の住人が、午前9時頃、この一部始終を目撃し、警察に通報。しかし、対応者はいたずらだと思い、取り合わなかった。

また、C井さんの妻G代さん(82歳)も、夫が戻らないことを心配し、駐在所を訪れた。駐在所前の夫の姿と施錠された駐在所を見たG代さんは警察に通報した。しかし、X巡査部長(警察発表による)は、駐在所の名前を聞いた途端に態度が豹変。G代さんを認知症扱いし、侮辱的な言葉を浴びせ、一方的に電話を切った。

G代さんが電話を切って2分後、別の警察官から電話が入り、先の対応を詫び、真剣に話を聞き、対応すると約束。また、午前9時から10時の間に複数の住民からも通報があった。

警察はE藤のパトカーのGPS情報から、北O沢駐在所から数百m離れた民家の前に停車していることを突き止めた。民家の所有者であるH山I誉(76歳)に電話を試みるが繋がらなかった。民家を直接訪れたところ、二階から銃撃を受けた。

警察は民家を包囲するとともに、話し合いを求めたが応答はなかった。銃撃が継続されたため、慎重に制圧作戦を検討することとなった。B愛さんが中にいる可能性が高く、H山が人質にされている可能性があったため、警察は突入を躊躇していた。

そんな中、事件発生から約1時間後の正午、二階の窓が開き、B愛さんの遺体が地面に投げ落とされた。全身が傷だらけで汚物まみれという凄惨な状態であった。

同時刻、B愛さんのSNSアカウントから室内で撮影されたとみられるB愛さんの遺体画像が、嘲笑的なコメントとともに投稿された。このアカウントは、B愛さんの尊厳を傷つける投稿を繰り返したために凍結された。

警察は制圧作戦を検討するが、H山が人質にされている可能性、籠城者の凶暴性や残虐性、民家に設置された障害物の存在などを鑑みて断念した。引き続き交渉を試みたが、応答はなかった。

間断なく続いていた銃撃が止んだのは、翌4月2日の午前5時頃であった。警察は様子を見た後、午前7時に特別警備隊を突入させた。屋内で11名の遺体が発見された。そのうち、1名はH山、1名はE藤、9名は身元不詳の未成年者であった。H山を除く全員が銃を手に持ち、頭を撃ち抜いていた。


司法解剖の結果、B愛さんは異物を詰め込まれたことによる窒息死、H山は薬物中毒死、その他の者は銃創による脳挫傷で死亡したことが判明。状況から全員の自殺と判断された。

また、未成年者9名は、B愛さんと同様に、体がやせ細り、全身が傷だらけで汚物にまみれていた。虐待を受けていたことは明白であった。手や爪などの遺留物から、B愛さんと未成年者9名は相互に暴行を加え合っていたと推測される。

銃弾の線条痕、遺体の硝煙反応などから、銃撃戦を行っていたのは未成年者9名のみであったことも判明した。

その後の捜査で、未成年者の身元が判明した。全員が1年以上前から行方不明であった。H山の姉の孫にあたる少年以外は、家族全員が同時に行方不明となっていた。現場の民家からは行方不明者全員の血痕が発見されている。

H山が死亡していた部屋の金庫から、H山の姉の孫を除く未成年者及びその家族全員の通帳、キャッシュカード、クレジットカード、スマホが発見された。H山はこれらを自由に使っていた。B愛さんのSNSアカウントへの投稿も民家で発見されたスマホから行われていた。

家族が所持していた不動産、証券、車、その他の資産は、すべてH山の名義に変更されていた。犯行現場となった家は、死亡した未成年者のうち2人の親が所有していた家である。


H山は金にだらしないところがあったが、年金と妻のパートの稼ぎで暮らす平凡な老人とみられていた。軽度な交通違反以外の前歴はなかった。反社会的な集団との交友関係は一切確認されなかった。H山が奪った資産は、大部分が手つかずのままで、第三者に流れた形跡もない。善良な市民として70年以上を過ごした老人が、突如として兇行に手を染めた理由は判明していない。

E藤は過去に同僚との不適切交際で処分を受けた経歴があるものの、おおむね真面目な警察官であると思われていた。H山との接点も不明瞭だ。かつてH山の息子の1人と同級生であったが、関係は険悪であったという。この息子を含めたH山の家族は、事件に一切関与していない。そのような人物が犯罪に加担した理由は不明である。

その他の共犯者の存在は一切確認できなかった。

H山とE藤の動機、B愛さんやその他の未成年者の家族の行方、H山と家族の接点、事件に使われた大量の銃器や弾薬の出どころなどは現在もわかっていない。この事件は多くの謎を残している。

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