駆け足老舗セ部屋
『セッしないと出られない部屋』
「無理だな」
「無理ですね」
結論は秒で出た。
色々試しはしたものの、脱出も不可能という結果に至るのにもさほど時間はかからなかった。
「マスターの救助を待ちましょう」
「最悪でも、周回の時になってもいなければ気付くだろう」
「ええ。それにここの酒蔵すごいです。東西の銘酒勢揃いです」
「そりゃいいな。時間つぶしにはもってこいだ」
景虎ほど極端ではないが、俺も酒は好きだ。見れば書棚には戦術書から恋愛小説まであらゆるジャンルの本が並べられており、巨大液晶のテレビもある。退屈はしなさそうだ。
「何から飲みましょう?あ、先に風呂に行きますか?」
「風呂もあるのか」
「晴信の好きそうな温泉ですよ。熱燗作って持っていきます?」
「そうしよう」
その部屋は、あまりにも至れり尽くせりだった。
『セッしないと出られない』と無理難題を突きつけるくせに、出てほしくないのではないかと思わせるような設備の充実ぶりだ。
何かおかしい。
「さ、出来ましたよ。行きましょう」
そう思ったのに、酒と湯につられ、深く考えるのをやめてしまった。
それが、取り返しのつかない不覚であるとも知らずに。
「脱ぐのか」
「湯に浸かるんだから当たり前でしょう」
酒の盆を棚に置いて、景虎はさっさと衣服を脱いでいく。俺の目があるのいうのにお構いなしだ。
「はーあ」
これみよがしにため息をつくが、無視された。
まったく、こういうところだ。
正直見目なら美しいと思うし、肉付きや色の白いきめ細やかな肌なんかも俺の好みだ。
が、この恥じらいのなさが致命的だ。
どうにもそそられん。
これはやはり助けを待つ他あるまい。
そう思い、たらふく酒を食らって1日目が終わった。
3日目になっても助けはこなかった。
「お酒、飲みます?」
「いや、もういい。腹に入れるなら他のもの」
「材料はありますよ。晴信、料理できますか」
「……陣中食くらいなら」
「私もです」
「あえて食いたくはないな」
「同感ですね」
同時にため息をついた。
あれは緊急時だから食えるのであって、決して旨くはない。平時にあえて食べたくはない。多分、信長も同じことを言うだろう。
「材料はあるのか」
「ええ。新鮮ですよ」
「3日も経ったのにか」
「ええ。変ですねえ」
仮説は立てられる。
実はこの部屋は外界と時間の進行が違う、とか。
それならばいつまでも助けが来ないのもわかるし、食材は新鮮なままだろう。
「私はもう飽きました。川中島しましょう」
「本でも読んでろ。このあたりの恋愛小説とかいいぞ多分」
「恋愛小説なら源氏物語をたくさん読みました」
「面白かったか?」
「男女というのは不合理なものなのだなと思いましたね。なぜああも面倒なことに懸命になれるのでしょう?」
うーん、と景虎が伸びる。
剥き出しの白い腹に視線が向く。あれを撫でたら気持ちよさそうだ。ほどよく健康的な艶やかな肌。口付けて痕を残したら……
「血迷うな」
口に出して思考を制す。気の迷いだ。そんなことを景虎相手に思うはずがない。
だが、ここは性交しなくては出られない部屋なのだ。性交する相手は、もちろん景虎しかいない。
あいつを抱くために俺がいて、俺に抱かれるためにあいつがいる。
つまりそれは、ーーー考えるな。
「面白いですかねぇ?」
「一般的な乙女が何を好むのかはわかるんじゃないか」
「なるほど」
早く、時間が過ぎればいい。
更に数日。やはり助けは来ない。
正直、まずい。こんなはずではなかった。
退屈して眠る景虎をじっと見る。
すらりと伸びた脚はしっとりとして、手に吸い付くようだ。形の良い尻も手のひらにすっぽり収まりそうな乳房も、触れればきっと、良いのだろう。
困った。心底困った。
こんなはずではなかった。
俺は、この女を、抱ける。
最初はそんなつもりではなかったのだ。本当だ。
だが、行為の相手となりうるのだと意識して見れば、景虎は美しい女だった。
自由気ままで予測のつかない行動も、予定を覆されて腹は立つものの、不快ではない。むしろ、その予想のつかなさは、面白い。
晴信、晴信と、少しも俺を警戒せずに寄ってくる様は、懐いたペットのようでもあるし幼い子供のようでもある。愛しい、と思う。
つ、と脚を撫でて、手を離した。
そう、これはなりは女でも、中身は子供だ。子供は閨のあいてとして不適格だ。
その思いで、俺は見ぬふりをできなくなりつつある欲に、蓋をした。
「ねえ、晴信、飽きました」
ぽーんと本を放り投げて、景虎がすりよってきた。
俺に身体を預けてもたれかかるものだから、あれやこれやの柔らかさを堪能する羽目になる。
心臓が鼓動を早くする。
まずい。まずいが、払い退けては、意識してますと認めたようなものだ。
「ねぇ、晴信」
「なんだ」
「私、晴信ならいいですよ」
「………は?」
「だから、晴信になら、抱かれてもいいですよ」
上目遣いで、そっと身をよせる。
それはまるで、「女」の仕草だった。
「待て、おまえはそういうんじゃないだろう」
「あれ?お気に召しませんか。あれらの小説のヒロインはこんな感じでしたが」
「人の真似しても仕方ないだろうが。おまえはおまえらしくしてろ」
「と、言われましても。根本的に私は人間エミュしてるもので」
「俺の前では違うだろ?」
「ええ。……ねえ、それは、私にとって晴信が特別だというのとは違うんですか?」
……。
そう問われると、答えに窮す。
特別、ではあるのだろう。それくらいの自覚はある。だが、それがそのまま男女のあれこれかと言われれば、違う、のではないか。
「恋愛小説を薦めたのは、私に女らしくあってほしいからではないのですか?」
「そういう、わけでは」
ないはずだ。
無理をして女らしくしてほしいなどとは思っていない。だが。
自然に、そういう情緒が生まれるのならばわるくない、とは、思ったかもしれない。
「晴信は楚々とした感じが好きかとおもったんですが、私ではダメですか」
伏せた睫毛が、初々しい色香を漂わせていた。目が、離せなくなっている。
いかん。これはいかん。本気でまずい。
「ねぇ晴信。どうしたら、私を愛してくれますか」
そんなことを言う女ではなかっただろう。
だが、戯れや演技で言っているようにも見えない。
それは、俺の都合のいい妄想か。
「おまえが、俺に惚れれば」
「そんなの、最初からです。私が恋するとしたらあなたしかいないと、あなただって知っているでしょう?」
そうか?そうだろうか。違うのではないか。
もっと多くの人間を知れば。
もっと人と交われば。
幼い刷り込みなど薄れていくはずだ。
「ねえ、晴信」
上げられた面の、半開きの唇が、どうにも扇情的であった。思わず、生唾を呑む。
「景虎、やめろ」
口と裏腹に、腕はその身体を抱き寄せていた。
「ん」
景虎が目を閉じる。
鋭く射抜く翠の光を隠したものだから、おれの何かが決壊した。
触れた唇は、少し冷たく、甘かった。