飼い犬と捨て犬
二人並んで廊下を歩く。今回の合同任務はとあるホテルの一室だ。
会話など弾むはずもない。自身が捨てた家にこれから関係を持つ人物なのだ、話を切り出せる気がしない。かといって関係ないと取り繕うこともできない。苗字が思いっきり加茂だから。偽名でも使っておけばちょっとはマシだったかもしれない。
「……なあ」
突然声を掛けられる。ビビる。ワイのコミュ障は健在である。
「なしたん?穂村くん」
「冬嗣でいい。……その、なんだ、加茂家とはどういう場所だった。内側にいたお前から見て」
一番話しにくい話題を振られた。どないしよ。話す気はあまりないし、そもそも己のいた環境は加茂家の中でも特異な方なのだ。話したとて参考にはならないだろう。いやでも確か、彼の妹さんが加茂家に嫁ぐという話だった。話す気がないとはいえ絶対話したくないわけではないし……ま、ええか。
「あんまし参考にはならんし不安になることしか喋れんやろうけど、それでええなら話すわ」
「ああ、頼む。大事な妹のためにも、情報はあるに越したことは無いからな」
「OK。まあ、御三家って時点で分かっとるやろうけどええ環境ではないな。DV虐待イジメ日常茶飯事。女が男に勝っても女が強いんじゃなくて男が情けないって思われて、立場の逆転なんてまずない。家ごとぶっ壊せたらできるかもしれんけど」
彼は一見無表情のようで、眉間にシワが寄っていた。多分今の話は幾度も聞いたことがあるだろうが、それでも酷な場所に妹を送り出さなければいけないことを苦々しく思っているんだろうと予想がつく。
「下の隊の人らも結構ドライでな、上司にレビューとかつけとる。悪評はすぐ広まるから優しくしたったほうがええで。あと、呪具庫の管理やっとる人とは仲良くしとくと得や。たまに呪具融通してもらえるからな」
「なるほど。覚えておく」
彼はいつのまにやらメモ帳を取り出していて、律儀に会話内容を書きだしている。やっぱり真面目なんやな、と掲示板越しと同じことを考えた。
「それと、相手の男がどんなやつか定期的に確認したほうがええ。下手な男やと…」
嫁くらい平気で殺す。そう言いかけて、やめた。
ワイのおかんはワイが3歳くらいの頃に死んだ。一女中だったから死因の追及なんてされんかったけど、たぶん誰かもわからんおとんが口封じでやったんやと予想しとる。けど、冬嗣くんにそれを言う必要はない。
「……なんでもないわ。妹さんのこと、しっかり守ってやり」
「言われなくてもそうしている。貴重な話が聞けた、感謝する」
ぶっきらぼうなようで丁寧な礼をされる。いい子だった。もし自分の立ち位置が彼と同じだったとて、自分では彼のようにはいられないだろう。勝手な親近感を抱いていたことに少々の罪悪感を感じ、一拍置いて突発的に言葉が口を飛び出した。彼がその選択をしないしできないであろうことは察していたのにだ。
「ま、冬嗣くんが全部捨てて家族と逃げたくなったらちょっとくらいお手伝いしたるよ。なんか困ったら言い」
二匹の犬がいた。
悪徳なブリーダーの元に生まれ、血統書をつけられた犬だった。
一方には、苦しい環境でも心の支えとなる家族が寄り添った。
一方には、血統書も首輪も捨てて自由になる権利があった。
どちらが幸せかなど、第三者が判断できることではない。