食いつく虫は悪い虫

食いつく虫は悪い虫



 これは完全な一般論だと思うのだが、例え恋人であっても性的な行為を行わないと取り決めている男の前で惜しげもなく太ももを晒すというのはよろしくないと思う。

 けして僕が我慢できないとかそう言ったわけではなく。これはあくまでも一般論だ。一般的な感覚なのではないかという確認であって、僕個人の感情は微塵も関係ない。本当に関係ない。


「あ、せや!これ見て雨竜、かわええやろ」

「…………そうだね」

「なんやもう、反応悪いなぁ!ねこちゃん嫌い?」

「いや、うん、いいんじゃないかな。かわいいよ」


 かわいいから僕にたくしあげて部屋着のショートパンツを見せようとしないでくれ。ただでさえ僕の部屋着の上を着ているからなにも履いていないように見えるのに。

 もうちょっと丈が長いボトムズを選んでもバチは当たらないと思う。彼女は上は着込みたがるのに下は「お尻が隠れてればええと思う」というほど無頓着だ。


 一応外に出るならもう少し布地の多い服を選んではくれるが、最近は僕の家で完全に気を抜いているのかどんどん下の丈が短くなり、その内見えないからと履かなくなりはしないかと不安ですらある。

 それで寝るときに僕の足に足を絡めるのだから、もう本当にそろそろ彼女の母に抗議をしたいような気持ちにすらなってくる。百年間なにを教育していたんだ。


「そういえばね、今日はひよ里姉に呼び出されて草むしりさせられて」

「ああ、用事ってそれだったんだ」

「せやねん、それでな、そのせいで虫刺されできて散々なんよ」

「……それは大変だったね」


 どこに、と聞くような墓穴は掘らない。彼女は無邪気に無防備にここに虫刺されが出来たと見せてくるだろう。それが胸でもない限りは。

 さすがに腕や見える範囲の足ならともかく脇腹とかを見せられたら反応に困る。それが他意の無い行動なので、僕としてもなにか言うにも言いづらいのだ。


「見てほら、太ももの内側とかスケベな虫やろ」


 聞くまでもなく見せてくるのは想定外だった。確かに彼女の太ももの内側には、ぽつんと赤く痕が付いている。

 その見た目になんとなく面白くないような気分になったが、気のせいだと思うことにした。虫刺されにどうこう言ったところで仕方がない。


 大体僕は堪え性のない男ではない。きちんと彼女との約束通りそういった行為はまだしないと、そういう判断をしているのだ。

 それに鬱血痕は吸引性皮下出血というれっきとした内出血なので、つけることを止めはしないもののそうやたらとつけるものでもない。


「リサ姉が見たらキスマークやって騒ぎそう」

「……本当にそういう話題が好きなんだね」

「ほんまにリサ姉は男からしても嬉しくないタイプのドスケベやから……雨竜?」

「ん?」


 ベッドに腰掛け足をぶらぶらさせていた彼女が、片方の足を立てて膝に顔をつけるようにしてこちらを見上げている。

 その顔はなにかいたずらを思いついたような、僕の反応を伺うようなそんな色をしていてなんだかとても嫌な予感がした。


「なんや雨竜、虫に先越されて悔しいの?」


 ぷちんとなにかが切れたような気がしたが、それは恐らく理性などではなく堪忍袋の緒だった。こんな風に挑発してくる相手に、どうして僕だけ耐えねばならないのか。

 思い知らせてやろうという衝動のままに白い足の膝裏に手を入れて、悲鳴のような制止の声を無視する。そのまま虫に食われていない方の内腿に、傷を付けないように噛みついた。


「ひぃ!!!な、な、なに?!!なに?!!!」

「望み通り、僕も噛んであげただけだよ」

「え、あ、噛んで、え?雨竜、え?」


 パニックにも似た混乱状態の彼女をしばらく見下ろしていると、だんだんと状況が飲み込めたのか口数が減っていく。

 そうしているうちに本当に自分が"なにをされたのか"に気づいたのだろう。みるみるうちに顔が赤くなり、最終的に耳や首まで真っ赤になった。


「か、かんだ……」

「噛んだよ、君の太ももを」

「な、なんでそんなことすんの!!」

「君がそう言ったんだろう?悔しいなら噛んでみろと」


 ジタバタと僕から逃れた彼女は、薄いタオルケットの中に籠城した。随分と心もとないバリケードだし、なんなら慌てたせいで被害にあった足は半分ほど出ている。

 それでも涙目になりながらぷるぷると震える彼女にとっては頼もしい鎧のようで、キャンキャンと子犬のように、あるいは毛を逆立てる子猫のように怒っている。


「雨竜のすけべ!アタシそういう意味で言ったんちゃうもん!えっち!」

「じゃあどういう意味だい?言えるんだろう?」

「う、えと、その……」


 急に口ごもり静かになった彼女の返答を待つ。おそらくちょっとからかいたかったとか、きっとその程度の企みで考えがあったわけではないんだろう。

 僕にちょっと狼狽えてほしかったとか、女の子として見られていると実感したかったとか、きっとそれくらいの。


「……だって」

「だって?」

「…………僕がするならこっちって、ちゅうしてくれへんかなって、思ったんやもん」


 茹で上がったような彼女に涙で潤んだ上目使いでそう言われて。予想外の答えとそのあまりの破壊力に、僕は思わず天を仰いだ。

 これは完全な一般論だが、かわいい恋人に男が勝てたためしはないのだ。

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