風のゆくえ
歌を歌い終えた瞬間、体の力が一気に抜けていった。手足の感覚も曖昧だ。自分が立っているのか座っているのかも分からない。
それでも──自分の最後の役目を果たせた。この計画の実行者としてのけじめは、どうにかつけられたようだった。
「……ルフィは、みんなは、ちゃんと戻ってきたかな…ウタは…」
「平気さ。ちゃんと戻ってきた。ルフィも、ウタも大丈夫だ」
すやすやと眠るウタの体を支えながら、シャンクスが私へと声をかけてきた。
…今はウタの方を見ていてあげて欲しいと思うべきなのだが、同時に少しだけ嬉しく思う自分もいた。おかしな話だ。私はシャンクス達赤髪海賊団を目の敵にしていた筈なのに。
「シャンクス、みんな、ありがとう。ウタを助けに来てくれて」
「……お前も『ウタ』だろう」
「フフッ……ルフィにもおんなじこと言われた」
私にとっては唯一と言っても良い思い出である幼馴染、今では立派な青年にまで成長していた彼の姿を思い出す。記憶の中よりもずっと大きく、強くなっていた彼は、それでも記憶通りに私の希望になってくれた。
ウタを、そして私を助けてくれた。
どちらもウタで、大事な友達だと言ってくれた。
「…私はね。シャンクス達に会いたくなかったよ。あなた達のことを恨んだままでいたかった。知らないままでいたかった」
本当は、知っている。みんなが優しいことなんて。
本当は、気付いている。ウタが愛されていたことなんて。
それでも私はシャンクス達を憎むしかなかった。否定するしかなかったんだ。失った幸せは、記憶は、全て私でなくてウタのものだから。
全てが解決した時、それを受け取るのは私ではなくて、ウタなのだから──それなのに。
「ねぇシャンクス、あなたは…あなた達はどうして…」
こんな私のことすら、『ウタ』だと思ってくれるのだろうか。
シャンクスは私の言葉に何か反応しようとしたが、幾重にも重なった足音と撃鉄の音がそれをかき消した。
「さぁて、そろそろウタを…世界を滅ぼそうとした極悪人を渡して貰おうかねぇ」
サングラスをかけた黄色い服の海兵がゆっくりと、それでも力のこもった声でそう宣告する。
気づけば私達の周囲は海軍に取り囲まれており、何十を超える銃口と敵意がこちらへと向けられていた。無粋と言いたいところだけれど、今回は私の自業自得である。なんならここまで待っていてくれただけ温情のある方だろう。
ああ、こんな状態であって良かった。いつ消えるかも分からない身であれど、少しぐらいの時間稼ぎは出来るだろう。
「…シャンクス。私が囮になるからウタとみんなと…」
逃げて、という言葉は続かなかった。
誰かが私を守るように海軍との間に立ち塞がったからだ。
煙草と銃を持った赤髪海賊団の一員……いや、違う。誰かじゃない。私は彼を知っている。ウタは彼を覚えている。
──ベックマン。
声が出ていたのかは分からない。それでも、ほんの少しだけベックマンが、私に笑いかけたように感じた。
「『こいつら』は、おれの娘だ」
ルウ。ヤソップ。ホンゴウ。ライムジュース。スネイク。ガブ。パンチ。モンスター。
これは私の記憶なのか、それともウタの記憶なのだろうか。
私を庇うように立つ彼らの姿を見ていると、何故か記憶に無いはずの彼らの名が涙とともに自然と溢れ出て来た。
「──おれたちの大事な家族だ」
いいのだろうか。
彼らを覚えていない私が、彼らに苛立ちと憎しみをぶつけ続けた私が、娘だと、家族だと思われていいのだろうか。
思って、いいのだろうか。
「それを奪うつもりなら──死ぬ気でこい!!」
その瞬間、私には世界が赤く染まったように見えた。
見方によっては酷く恐ろしい『赤』。それでも、私にとってはなによりも優しい『赤』だった。
シャンクスの叫びは、気迫は、とても恐ろしいものだった。海軍の人達が倒れ込み、空気すらもビリビリと張り裂けそうになるほどに。
その中心にいたはずの私はなんともなかったが、とにかく海軍は赤髪海賊団との戦いは避けてくれたようで、この場からは引き上げていった。
辺りには再び静けさが戻り、私とシャンクスの会話だけが周囲に響いていた。
「ねぇシャンクス。いいの?」
何が、とは聞かなかった。シャンクスも問わなかった。
たださっきまでの険しいものとはうってかわった表情で、私の質問に答えてくれた。
「ああ、いいんだ。例え離れようとも、忘れられようとも、憎まれようとも……父親ってのはそういうものだ」
そっか。ああよかった。
これでもう、安心して──
「……まって」
私の手に、同じ形の手が触れようとして──すり抜ける。
それでもその手は私に触れようとして、虚空ばかりを掴んでいく。
「……待ってよ。……いかないでよ!! 話したいことがあるって、ありがとうって、ちゃんと言わせてよ!!」
いつの間にか目覚めていたウタは目に涙をためながら、私へと縋りつこうとしていた。でも、もう私にはそれを受け止めてあげることは出来ない。私の役目はもう終わったのだから。
「…ウタ。もう起きたんだ。でも、まだ眠ってないと」
「嫌だ!! そしたらあなたも消えちゃうんでしょ!? わたしは、わたしはまだあなたになにも返せてない!!」
「ごめんね。でも、いいの。元々これはウタの人生、私はあなたが休んでいる間代わりを務めてただけ」
「それならそのまま代わっててよ!! わたしはもうシャンクス達とルフィと会えただけで満足だから!!」
「な……!?」
思いがけないウタの言葉に少しカチンと来る。まったく私がなんのために、ここまでやってきたと思っているんだ。
もうこのまま消えてしまおうかと思ったその時、ゴチン、とシャンクスが剣の鞘でウタとそして私の頭を順に叩いた。
というか叩かれた? さっきウタの手はすり抜けたのに何故? 痛みを堪えながらウタとともにシャンクスを睨みつけると、彼は飄々とした態度で言う。
「まったく、こんな時に喧嘩なんてやめろ。そんなことより、お前らの場合もっと手っ取り早い方があるだろうが?」
ウタと目を合わせる。
シャンクスの言わんとしていることは分かった。
結局のところ、私達にできることはいつもひとつだけ。歌うことだけだ。でも、それを指摘されるのはしゃくなので、文句のひとつでもつけてやろう。
「わたしはブランク長いんだけど、シャンクス」
「私だって消えかけなんだけど、シャンクス」
「大丈夫さ。なにせ──お前らは赤髪海賊団の音楽家で、世界の歌姫なんだからな」
──この風は どこからきたのと
──問いかけても 空は何も言わない
ウタと声をあわせて歌う。
そういえば、こうやってデュエットをするのは始めてかもしれない。それを今になって少し勿体なく思うほどに、私とウタの息はピッタリであった。
私からウタへ。ウタから私へ。思いを乗せて歌う。
ああ、やっぱり歌うのは楽しい。いつまでも、こうして歌っていたいと思ってしまう。
けれど、それは不可能だ。私は消える。それは変えられない。子供がいつか大人になるように、蕾がいつか花開くように、ウタの心の傷が癒えれば消えなければならないのだ。
ウタだってそれを本当は分かっている。私達は、結局のところ同じ人間なのだから。
それでも悲しくて、不安で、申し訳なくて、そんな思いを全部受け止めよう。だから受け取って欲しい。私があなたを救いたかったことを、私の思いを、願いを、全部あなたに。
記憶が巡る。赤髪海賊団として過ごした日々が。赤髪海賊団の音楽家、ウタの記憶が。
記憶は巡る。エレジアで過ごした日々を。ファンのみんなと交流した、世界の歌姫『ウタ』の記憶を。
私は忘れない。赤髪海賊団の音楽家、新時代を作る少女のことを。
わたしは忘れない。世界の歌姫、わたしを守ってくれた少女のことを。
──ただひとつの夢 誰も奪えない
──私が消え去っても 歌は響き続ける
幸せなあなたが見たかった。幸せな世界を見せたかった。
これから先も親愛なるあなたに、良き旅路があらんことを。
『ありがとう。さようなら、ウタ』
……そして、わたしは目を覚ます。シャンクス達は12年前と同じようにそこにいて、けれど『私』は何処にもいなかった。
まるで、今までのことが全て夢だったかのように。『ウタ』の姿は何処にも見つけられなかった。
◆◆◆
「本当にいいのか? ルフィに会わなくても?」
「うん。向こうで話したいことは話せたし……今のわたしはまだ何も出来てないから、まだルフィには会えないよ」
エレジアを赤髪海賊団の船、レッド・フォース号の甲板の上で、わたしはシャンクスに応える。
わたしは歌手としても海賊団の音楽家としてもまだ動きはじめたばかりだ。ルフィに…、そして彼女に追いつく為にはまだ先は長い。それでも必ず成し遂げてみせる。成し遂げなければならない。
「『ウタ』ーー!! 聞こえてるかーー!!」
そんな折にルフィの船、サニー号から大きなかけ声が聞こえてきた。何事かと目を向ければ、ルフィは海賊船の船首の上から空へ向けて叫んでいた。
「おれはやるぞー『ウタ』!! 海賊王に俺はなる!!」
大空へと向けて、ルフィはそう宣言した。
どこまでも遠く、海の果て、空の果てまで届くように。
ならば、わたしも負けてはいられない。
「わたしもーー!! わたしもやるよ!!」
レッド・フォース号の船首へ駆け上がり、わたしも声を上げる。ルフィに、どこまでも、誰にだって届くように。
「世界一の歌姫になって、新時代をわたしは作る!!」
これは誓い。忘れることはない『わたし達』の大事な誓い。
空は快晴。青く輝く海を、二隻の船は進んでいく。
わたし達の背中を押すように、一筋の風が吹いた。
──どこまでも あなたへ 届くように 歌うわ
──大海原を駆ける 新しい風になれ
Fin