風が詠う

風が詠う


―― 風が吹く

 命が巡る

 軋むような音と共に――


 目を開けると、命の樹に抱かれていた。

 耳には軋む音。

 晴れ渡ることはなく、雨が降ることもない。それが檜佐木の精神世界。


「随分と無茶したな。勝てると思ったか?」

「さぁな。ただ俺じゃなきゃ彦禰が死ぬ。これは俺のわがままだからな。俺以外の奴に闘わせて彦禰を殺さないでくれなんて筋が通らない。」

「英雄気取りか?餓鬼の頃、テメェを助けた六車みたいになれると思ったか?死ぬことにビビってたお前を救った東仙要みたいになれると思ったかよ?」


「……なれるわけないだろ。そんなの。俺は何も知らなかったんだから。生きることの怖さを知らなかった俺が、あの人たちみたいになんか。…、でも、」


 風が巡る


「―― なれると思ったんじゃない。なりたいと思ったんだ。拳西さんみたいに。俺も、拳西さんに逢うまで、自由に泣くこともできなかったから。」


 泣くことさえ知らない子供。

 自分が悲しいことにすら、気づいていない。

 檜佐木もそうだった。

 生きるために、盗んで、嘘を吐いて、生きてきた。

 遠い過去。けれど本当は遠くなどない。

つい昨日のことのようだ。

だからはじめから、英雄になんかなれない。それはいい。

だけど。

「……変わらねぇな。お前は、ホントに嫌になるくれぇにな。」

「風死?」

「ったく、東仙要が憐れになってくるぜ。100年一緒にいてもずっとこうなんだからな」

「なんのことだよ、風死」

「テメェはずっと死神になりたいと思ってやがったな。でもそのために何をすればいいのか解らなかった。だから我武者羅にあがいてきた。でもそれはなんでだ?テメェの傍にはいつだって死神がいたじゃねぇか、東仙が。あるいはそれ以外にも大勢な」

「それは……、でも……」

「……そうさ。判ってんだろ?テメェの傍に死神はいた。心から尊敬できる東仙も、それ以外にもそれなりに優秀な奴らも。『でも、六車じゃなかった。』」

「―――。」

フン、と笑った風死の真意が、檜佐木には正確に掴みきれない。ただ嫌な感じはしなかった。

「テメェは死神になりたいと繰り返した。テメェの中の『死神』ってのは六車なんだろう。六車が居ない時ならそれもいいさ。だがもう六車は帰ってきたんだ。なにもビビりのお前が無理をして戦い続けて真似事する必要なんざねぇんじゃねえのか。」


 己自身であるはずの風死からの言葉に、檜佐木はほんの刹那の間、考えるような素振をして、言葉にした。

「必要なんてねぇよ、多分初めからな。あの人はあんなにも強いんだから。さっきも言っただろ。なれるとかなれないとかじゃねぇ。俺は拳西さんを信じてる。だけど今なら解るんだ、風死」


「俺はいつか、ちゃんと拳西さんを、辛いって泣けるようにしてあげたいんだ。…要さん…、には、…間に合わなかったから。そのためにはきっと、俺は本当は泣き虫のままでいいんだ。」

「矛盾してんぞ」

「……矛盾してるさ。でも俺は、泣き虫のままで強くなる。そう決めた。怖がりで泣き虫の俺じゃないと、きっといちばん大事な人たちの間を埋められない。だから彦禰を救いたいんだ。」

「…話繋がってんのか?それ。」 

「どうかな。言ってる俺にもよくわかんねぇや。でも、彦禰はいろんなものが混ざった不自然な存在だ。そして、拳西さんも。拳西さんをそうしたのは東仙さんで、彦禰をそうしたのは時灘だ。だから俺は彦禰を殺したくないし、彦禰に言ってやりたいんだよ」

 時灘を、恨まなくていいってな…。


「東仙に育てられたお前が、東仙の仇を恨まなくていいってか。」

 揶揄するように風死は微笑う


「そうだよ。拳西さんがそう言ってくれたから俺は、東仙さんを尊敬する気持ちを認められた。拳西さんを傷つけた東仙さんに、俺が彦禰に言うことに文句をつける資格はねぇよ。これに文句を言われたら、俺は東仙さんのこと憎まなくちゃいけなくなるんだから」


「戦って、どうしてもそれが叶いそうになかったらどうすんだ?」


「…………止めるよ。」


殺すよ、とは檜佐木は言わない。

けれどそういう眼をしていた。

解っている眼だ。

時には死しか救いにならぬことがある事実を。


だからそうなれば、彼はやるだろう。

 幼さを残す敵にも、そして…



「………、やっと、俺を屈服させたな」



 風が吹く。

 生命の大樹が揺れて、波のような、木の葉の音。

 命の、音


 同じ風が錆色の風車を軋ませる。

 その鈍い音は、死を謳う


それが檜佐木の世界だ。


『血と命を捧げよ』

「風死…」


『捧げよ…』


その矛盾を、丸ごと全部。


内側から、声が聞こえた―――。



これは、単に育ての親を死なせてしまった後悔から生まれた力ではない。不自然な者達が、きっと不自然だと呼ばれなかった頃の世界を再現するための力だ。

 檜佐木本人は解っていないけれど、六車がわけの解らない状態で消えた時から、刀など握る前からずっと願い続けたことがある。六車のことを滅多に口にしなくなっても変わらず願い続けたこと。

 六車がどんな姿でいつ帰ってきても、おかえりなさいと言ってまた一緒に暮らす。

それだけをただずっと願い続けた子供だった。

何もわからない幼子にも、もはや六車が『普通に』帰ってこないことは、なんの根拠もなく己の未来を知る術などなくても、漠然と解っていたから。


だからどうしても、檜佐木はそこに在ることがどれだけ不自然な命にも、生きれるのなら生きていいと言ってしまう。

だから檜佐木はきっと英雄になりそこねる。

いつか世界が真実を知りその先で優しい共和を見つけ出すその時までは―――。



風が吹く

命が満ち、死が音をたてて詠う


生と死の狭間、晴れと雨の間。

光と影の狭間

強さと弱さの間


過去と未来の間

絶望と希望の狭間


いつでもそんなところに身を置きながら。


風が吹く

 生を詠い、死を詠う


命を詠う


英雄になろうとしない優しい泣き虫が願う、誰かの未来と、命を―――。



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