願いと夢と、そして約束
「グエル兄ちゃん!一緒に遊ぼうぜ!」
後ろから衝撃と共に声がかかる。完全に不意打ちだったそれを耐えたグエルはそのまま振り返った。唐突な突進をかました少年はグエルの服にしがみつきながら白い歯を見せていたく楽しそうに笑っている。更に向こう側から近づいてくる賑やかな足音が耳に入ってくる中、グエルは少年の肩をそっとつかんで離した。そのまま座り込んで視線を合わせる。
「いきなりどうしたんだ、セド?お前ら、この時間は勉強してるだろ」
図星をつかれたのか、うっ、と声をあげたセドは、でもさ、と言葉に悩むそぶりを見せる。そのまま様子を見ていると、追いついた少女、シーシアがセドの隣に並んだ。
「だって、お兄ちゃん明日出発だから。皆で頼んで、休みにしてもらったんだ」
視線を二人の後ろに合わせると、他の子どもたちからも頷きが帰ってくる。普段、勉強に彼らが楽しそうに取り組んでいることは知っていた。都合がつかなくてなくなった日には駄々をこねる子だっているぐらいに。それを休みにして、自分のもとにやってきた意味。
思わず緩んだ頬をそのままに、目の前の二人の頭をわしゃわしゃとなで回す。やめろよ、なんて言いながらもうれしそうな二人と、いいなあ、と率直な声。近寄ってくる子供たちを順番になでながら、グエルは笑った。
「よし、それなら遊ぶか。何をするんだ?」
その言葉に目を輝かせ、我先にと主張する子供たちに手を引かれるがまま、グエルは立ち上がって歩き出す。静かな路地裏に、楽しげな笑い声と歓声が満ちていった。
「グエル兄ちゃん」
遊びづかれて夕食の時間。そろそろ食事を取りに行こうと、立ち上がったグエルの服を引っ張る手があった。真っ先に声をかけてきたセドと、やっぱり後ろにいるシーシア。ぐいぐいとした方向に引っ張られるものだから、それに従って座り込む。そうすると、二人は手を伸ばしてきて――ぐしゃぐしゃと、髪をかき混ぜられる。
「――っ!?」
「兄ちゃん、いつも頑張ってるからさ。明日からまた任務なんだろ?だから」
「無茶しないで。そして、ちゃんと帰ってきて」
背が高く、未成年の中では基本的に年長になるグエルにとって、その感触は何ともくすぐったくて――どうしようもなく、懐かしいものだ。突然のそれに混乱する頭は、それでも二人の言葉をしっかりと聞き入れて、理解する。じんわりと、胸が熱くなってくるのを感じたグエルが気が付いた時には、伸ばした腕で二人を抱きかかえこんでいた。細い体だ。でも、ちゃんと暖かくて、鼓動を感じる。どうしてだか無性に、目頭が熱い。
「……ああ、ちゃんと、帰ってくるよ」
その言葉に腕の中で目を合わせていた二人はゆるゆると笑みを浮かべ、そのままグエルの胸へと頭をこすりつける。気づいた子供たちが戻ってきてみんなで饅頭状態になるまで、そう時間はかからなかった。
「うわ、お兄ちゃんどうしたのその髪型!」
駆け寄ってきて声をかけられたものだから振り返ったのだが、そんなグエルに真っ先に出てきたらしい感想に一瞬たじろぐ。まじまじと、ちょっと信じられないものでも見るかのような妹分たちの視線と先ほどの言葉にはあまりにも心当たりがあった。何となくあげられた前髪を指で少し弄ぶ。我ながら視界を邪魔しない髪に違和感を覚えてしまう。
「……似合ってないか?」
ぼそり、とこぼされた、何とも自信なさげな声。妹分ことソフィは率直にうーんと唸り声をあげ、ノレアはすこし眉をひそめた。分かりやすく言葉に迷っている。
「……似合ってないというか、すごい新鮮、というか」
「あのピンクがないだけで全然印象違いますね」
「でも、いいんじゃない?すっごい「ボブ」!って感じする」
「ボブって感じってなんだ……でもまあ、潜入はできそうだな。変装というから試しにしてみただけだが、何とかなりそう……だよな?」
なんとも言えない感想たちに戸惑ったように眉を下げる。でもまあ、いつもと印象を大きく変えられているのだったら成功だ。目立たなければさらによし。そういうことだ、きっと。半分ぐらい自分に言い聞かせている様子のグエルに、ソフィとノエルはそっと目を合わせる。正直その体格と顔じゃあどこ行っても目立つと思うんだけど、という突っ込みは空気を読んだ結果保留された。他己評価と自己評価が釣り合わない兄貴分との付き合いももうそれなりになる二人は、下手にそういうことを言うと誤解されることを経験上わかっている。
「というよりお兄ちゃん、休めって言われてなかった?」
一瞬の目配せで連携を取ったソフィのその疑問に、グエルはそれはそうなんだが、と頬をかく。それに関しては、子どもたちと別れた後にオルコットからくぎを刺された。遊び疲れて体調不良なんて笑えんぞ、と言われて打ち合わせもそこそこに追い出されて自室に戻ったのだ。しかしながら、現在夜も深まりつつあるころあいで、グエルとソフィたちが鉢合わせたのは既に人の気配も絶えた廊下だ。そもそも変装なんて明日やればいい話のはずである。問いかけももっともだった。
視線をうろうろとさまよわせ、窓の外を見る。すべてを呑み込みそうなほどに暗い空と、キラキラと輝く星。古びた建築物の照明はまばらで、いつもなら灰色のコンクリを侵食している鮮やかな緑もこの闇の中ではそれらに溶け込んでいる。あまりにも見慣れた、自分の生きてきた世界。
「眠れなくてな……しばらく地球には帰ってこれないと思うと」
明日の今頃にはもう、宇宙にいるのだろう。この夜に浸されたまちも、これでしばらくお別れになってしまう。潜入任務といったって地球のどこかに限られていた今までと、それが決定的な違いだった。
眠る必要性を理解していなかったわけではない。ただ、その事が一旦頭を占めてしまうと寝付くこともできず、手持ち部沙汰をごまかすように髪型を潜入用にいじった。いつも染め上げている色がなくなったことでさらに落ち着けなくなり、もう散歩でもするしかないと外を歩いていたら、二人に出くわしたというわけだった。二人がこの時間に探検と称して歩き回っているのは、正直珍しいことでも何でもないのだけれど。
沈黙が場を支配したのはほんの一瞬のこと。それを突き破ったのは、ソフィのはねるような声だった。
「それならさ、ちょっと私たちに付き合ってよ!」
え、と丸く口を開いたグエルと、「たち」とくくられたにもかかわらず恐らく何も聞いていなかったのだろうノレアの手を取り、ソフィは上機嫌に駆け出していく。
「今日は星が綺麗!さいっこうだね!」
「ああ……まちも、静かだ」
窓に切り取られたのではない、頭上にどこまでも広がっていく星空。屋上。階段を駆け足で登り切って尚息一つ切らさない三人組は、輪になって座り込みながら空を仰いでいた。
この季節にしては冷え切った、澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込む。最近は、戦闘も発生していない。だからか、いつも張りつめている街の雰囲気が少しだけ緩やかになってきている。穏やかな静寂に満ちた、安寧にまどろむ街なみ。少しでも長く、この空気が続いてくれればいいと思う。願うしかない。今はまだ。
「プリンスの警戒、だっけ?」
「そのためにわざわざ行くんでしょ。危険、かもしれないのに」
心配と、少しばかりの不満。それも、彼女たちにとってはもっともなことだった。この宇宙の縮図ともいえるような学園への、スペーシアンと身分を偽っての潜入。宇宙の権力を握っている家の子息たちが統べる寮もあるその場所に行くのはどう考えても危険だった。グエルたちは虐げられる立場であるアーシアンで、彼らにとっては自分たちにあだなすテロリストだから。バレれば何があるか分かったものではない。少なくとも、命の保証などされないだろう。
「そうだな。それでも、必要だと思うから。組織のためにも……俺のためにも、一度この目でちゃんと見ておきたいんだ」
指示を下したのはナジ。反対の姿勢を見せたのがオルコットで、実のところ強く希望したのはグエルの方だった。役割の必要性と、それが自分にしかできないことを認識したことも一つの理由。それ以上に大きかったのは、
「お兄ちゃん、前から言ってたもんね。スペーシアンとアーシアンが仲良くなれる道はないかって」
「……ああ」
ソフィの言葉に、そっと息を吐いて目を閉じる。それは、グエルがずっと抱えている想いだった。
地球に暮らす人々はアーシアンと呼ばれ、ただそれだけで差別に晒される。理不尽な戦争の渦中に立たされ、多くの命が奪われている。そして、アーシアン側も、理不尽な暴力に手を染めている。力には力を、そんな、どうしようもない構造。最前線をかけているからこそ、よく理解していた。グエルが持っている力も、そんな類の力でしかない。
グエル自身はまだ、命を奪ったことはないけれど、ノレアはその痛みを背負って生きている。そして――グエルとソフィ、ノレアは皆、とっくの昔にガンダムに呪われていた。代償はいつか、支払われるだろう。グエル自身は、家族や仲間を守るため、その覚悟でもって握りしめた力だったから後悔はない。でも、ソフィとノレアは違う。望んで得たわけでもない力の代償を子どもたちが背負い込むなんて、そんなの。
「探したいんだ。諦めたくない」
家族が大切だ。グエルのことを心から慕ってくれる子どもたちを、守ってやりたい。潜入先で出会って奇妙な縁が続いているソフィやノレアのことも、大切な妹だと思っている。全て失いたくない。だからこそ、アーシアンというだけで差別されるこの現状を、少しでも変えるために。自分に何が出来るというわけではない。それでも、今貧困にあえぐ子どもたちが、少しでも上を向ける未来への道筋を、諦めたくはないから。勿論任務にだって真面目に取り組むつもりだし、それが最優先事項だ。わかっている。だからこれは、グエルの我儘だ。
「……兄さんなら、できますよ。だって、私たちの家族だから」
……だからその言葉を聞いた時、グエルは思わず目を丸くした。その言葉を発したノレアはふわりと笑い、こちらに頭を向けてころりと寝転がる。ソフィはその様子を見て無邪気に笑い、グエルの首根っこを捕まえて一緒に寝ころんだ。三人で頭を集めて寝転がり、夜空を仰ぐ絵面に、くすくすと笑い声が聞こえる。
「懐かしいね。お兄ちゃんと出会ったばっかの時、模擬戦で疲れたときはみんなでこうやったっけ」
「あの時から不思議なぐらい強かったですよね、兄さんは」
「……ああ、あれからもうずいぶんと時間がたったな」
あの頃は二人とも警戒心が強かったし好戦的だった。何度もモビルスーツで戦って、パーメットスコアを勝手に上げるソフィをノレアと二人がかりで止め、もらった食事を分け合って。そうやって、よく三人で疲れ果てた体で寝転がっていた。実のところあの時のグエルは潜入任務中だったわけだが、その緊張をほぐしてくれたのは二人だった。二人もすっかりフォルドの夜明けに馴染んで、もう遠い昔のことのようだ。
「……ねえ、私たち、ずっとずっと家族だよね」
「勿論ですよ。約束します」
「ああ、約束だ」
約束、未来を信じること。大切なものが失われないよう祈り、その想いを共有することが、今のソフィやノエルにはできる。だからきっと、これから先だってこの関係性は続いていくのだ。グエルが学園に行ったって、変わらない絆がここにある。なんでだかどうしようもなく、大丈夫だと思えた。
「案外、プリンスとお兄ちゃん、仲良くなってたりして」
「正体がわからないんだから、無理だろ……でもまあ、気にはなるな。俺たちを援助しているアカデミー出身の人間。警戒対象ではあるが、悪い奴には思えない」
「子どもたちの勉強も、その人がいるからできるんですし、そうですよね。……まあ、寮も違うのなら、そう簡単に会うこともない……はず、です」
そんなことを言い合っているうちに、夜は自然と更けていく。夜が一番深くなったころにようやく静まり返ったその場に訪れた男には全く気がつくことなく。結局三人はナジにたたき起こされて何とか目を覚まし、自分たちにかけられていた毛布に各々首をかしげることになるのだが、その件を聞いたナジはただにこやかに笑ってしらを切るのだった。