青衣の少女と七連の指輪

青衣の少女と七連の指輪


「あ、月が昇った」

 

 空を見上げ、月が出たことを確認すると、ティナは自身の人差し指にはめている細い指輪の一つを、中指に付け替えた。

 ティナがはめている指輪は、全部で七つある。一つ一つが非常に細く繊細なもので、彼女が言うには、これは七つ全部で一つの指輪なのだそうだ。最初は一つの指に全てをつけているが、日が落ち、月が顔を出してくると、そのうちの一つを別の指に移すのだと言った。


「砂漠にずっといると、日数がだんだん分からなくなってくるから。これで日数を把握するんだ」


 指輪は、砂漠を砂漠に住まう部族にとってのカレンダーのような役割を果たすものだ。

 今は、人差し指に一つ、中指に六つのリングがはまっているので、つまりこれは、彼女が集落を離れて砂漠を出てから、六日目を迎えたということになる。


「金は持っているか?」


 数日前、ティナは砂漠でたった一人、ガタガタと震えていただけの俺にいきなり持ち金を聞いてきた。

 それが砂漠の民であるティナと、ただ砂漠を通り過ぎるだけの異国人である俺との出会いであった。


   ◇◇◇


 俺は元々、仕事で外国にいる父の元へ向かうため、交易の荷を運ぶキャラバンに便乗して砂漠を渡っていた。

 ところが、ラクダに乗った、全身青ずくめの盗賊集団に襲われ、キャラバンは崩壊したのである。荷を奪われ、運び人も奴隷も、軒並み捕まるか殺されたに違いなかった。

 彼らが襲われている間に、俺だけ命からがら抜け出す事が出来たのは、恐らくこんな子供が金目の物など持っていないと判断されたのと、ヒョロリと細っこいので奴隷にも向かないと思われたからだろう。


 こうして、俺は砂漠のど真ん中で一人になった。


 砂ばかりで、他には何もない。日が落ちると、周囲は真っ暗闇となった。

 唯一の明かりは、太陽の代わりに上った月明かりのみだ。日中はあれだけ暑かったのに、太陽が沈んだ途端、一気に気温が下がった。

 俺は、寒さと恐怖で震えながら、一人死を待つだけになった。


 ‥‥‥誰か来る?


 どれくらいの、時間がたったころであろうか。

 サクサクと、砂を踏みしめるような音が聞こえてきて、だんだん近づいてきた。

 音の方向へ視線を向けると、全身を布で巻いた原住民らしきラクダに跨がった人影が、こちらに近づいてきていた。暗闇で色はハッキリとは分からないが、昼間俺たちを襲った盗賊達と同じ、青い布だと俺は直感した。

 俺を探していたのか、またはたまたま見つけたのか。どちらにしろ、とうとうここまでかと、俺は死を覚悟した。だが――。


「金は持っているか? もしくは、物々交換出来るような貴重品でも良い」


 何故か、近づいてきた相手に殺意はなく、話しかけてきた声は意外にも高く、軽やかであった。


「もしかして、女‥‥‥なのか?」


 漆黒の闇の中、それも相手は目元以外の全てを布で隠しているので外見からは判別できないが、声はまだ若い、少女のものであった。


「だったらどうした。それよりも、私の質問に答えろ」


 口調は変わらず静かだが、少しだけ苛立ちを含んだものになった。

 だが突然の少女の登場に面食らい、困惑と疑問の方が先行していた俺は、つい別の質問を繰り出した。


「持っていないと言えば、どうするんだ?」

「何もしない。この場から去る。そしてお前はそのまま死ぬ」

「‥‥‥じゃあ、持っていると言ったら?」

「見合うだけの金を持っていれば、砂漠の出口まで案内をしてやる」


 足りなければどうなるのかも気になったが、ここまで聞いたらもう俺に選択肢はなかった。金を出さない限り、俺は必ずここで野垂れ死ぬ。

 俺は懐から全財産が入った麻袋を出した。砂漠に入る前、商隊に前金を払ってはいたが、残りは砂漠を出てから払うことになっていたからまだ結構持っていた。


「お、思ったよりたくさん持ってるじゃないか。お前、見逃されて運が良かったな。じゃあ砂漠を抜けるまで、命の保証だけはしてやるよ」

「お前、昼間の盗賊達の仲間だろう? 金目当てとはいえ、何で俺を助けるんだ?」

「助けるんじゃないさ。ただの取引だ。それに、あの連中は私の仲間じゃない。同族には違いないが、別の集落の人間だ」


 少女は——名をティナといった——は、普段から一人で砂漠をさまよい、盗賊集団の後をつけては、彼らのおこぼれに預かっているのだという。襲っている間は遠くの岩陰から隠れてみていて、彼らが去った後、現場でめぼしい物を漁るのだそうだ。

 今回は、俺が一人逃げていったのを目撃したので、暗くなってから近づいてきたのだという。

 ハイエナみたいな奴だなと思ったが、一応命の恩人であるので、口には出さなかった。


「順調に行けば、三、四日もすれば砂漠を抜けられる。国境まで案内してやるよ」


 こうして、俺はティナの案内で砂漠を脱出することになったのである。

 この時、彼女の人差し指には四つ、中指には三つリングがはめられていた。


 ◇◇◇


「あのキャラバンは愚かな選択をした。あれでは襲われて当然だ」

「そうなのか? なんで??」

「連中、砂漠を抜けるのに私たちの部族を護衛として雇わなかった。そうしていれば襲われなかったのに、あれでは裸で金目の物をぶら下げているも同じだ」


 ティナは落ち着いていてクールに見えて、意外とよく喋る娘だった。

 道中、ラクダに乗って移動する以外は何もない。景色もずっと代わり映えのない砂地と青空が広がっているのみである。

 なので、こういった環境で過ごしていると、自然と口数が多くなるのかも知れない。ただ、それは俺にとってもありがたかったし、こんな環境で生き生きとしているのが、とても頼もしかった。


「私たちは貧しい。普段は牧畜で生計を立てているが、それだけではとてもやっていけない。そして他の生活の糧は何かというと、キャラバンの護衛をして報酬を貰うか、襲うかの二択だ」

「極端だなあ」

「生きるためだ」


 ティナの家族は、年老いた祖父母と母、そしてまだ幼い弟妹がいるとのことだった。

 父親を早くに亡くしたので、彼女の家は特に貧しく、祖父母と母でラクダや牛、羊を放牧しているが、それだけではやっていけない。だから子の中で最年長のティナが普段から砂漠をさまよい、盗賊が取りこぼしためぼしい物を拾ったり、運良く見逃された異国の者と交渉し、護衛を務めたりするのだそうだ。


「警護も、盗賊稼業も男の仕事だ。だから女である自分は加われない」


 そうティナは言った。

 本当はこのような行為も禁止されているのだが、家の事情を分かっている族長からはお目こぼしされているのだと、彼女は付け加えた。


 俺も、自分の国のことや家族の事をティナに話した。普段の生活のこと、学校の勉強や友人のこと、家族のこと等を。

 環境が違いすぎて、分からない事も多いようであったが、違う国の暮らしには興味があったようで、色々質問をぶつけてきた。


 ◇◇◇


「私の案内はここまでだ。この先、ちゃんと伝手はあるのか?」


 ティナとの旅路は、長かったようで、到着すればあっという間だった。彼女が言ったとおり、四日目には国境の町に到着した。

 ティナの指にはめられた指輪は、七つ全て中指に移動していた。


「この町に父さんが待っているはずなんだ。予定よりも遅くなったから多分心配してるんじゃないかな」

「そうか。なら早く行って安心させてやれ」


 その声は、少しだけくぐもっていた。

 もしかして、寂しいのだろうかと思ったのは、俺自身が彼女との別れを惜しんでいるからだろうか。


「意外と楽に済んだから報酬を貰いすぎた。おつりの代わりに、これをやるよ」


 ティナは中指から七つの指輪を引き抜くと、俺の手のひらに乗せてきたので、驚いて返そうとした。


「駄目だろ。日にちを確認するのに大事な者なんだろう!?」

「問題ない。予備があるんだ」


そう言って、懐からもう一組の指輪を取り出し、全て人差し指にはめると、ティナは目を細めた。


「お前と旅をするの、結構楽しかった。同じ年頃の奴と行動することなんて無かったから」

「‥‥‥良いのか?」

「悪かったら渡さないよ。無事生き延びられた記念に取って置いてくれ」


 それがティナとの、最後の会話だった。


 ◇◇◇


 その後、俺は隣国に入り無事父と再会して、自分の国に戻った。

 しかし戻ってからも、俺は彼女から貰った指輪をつけ、月が昇るたびに指輪を一つづつ付け替えていた。

 カレンダーもある、時計だってある。今自分のいる国では、この指輪は必要ではない。

 だが、日が落ち、リングを別の指に付け替え昇った月を見上げてみれば——。


 あの時、ティナと二人で砂漠を歩いた記憶が、鮮明に蘇るのだ。

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