端切れ話(震える赤毛と夏嵐)

端切れ話(震える赤毛と夏嵐)


監禁?編

※リクエストSSです




 ガタガタがたがた、家が鳴る。

 外は大風が吹きすさび、大雨はあらゆるものを叩いてくる。まるで音響兵器のように、とても大きな音がする。

 その中で、赤毛がぶるぶると震えている。ソファに体を丸めて伏せているのは、エランの同居人であるスレッタだ。

「エランさん…っ!このままだと家が壊れちゃいますッ!しし死んじゃいますぅっ!」

「落ち着いて、スレッタ・マーキュリー。壊れないから。例え壊れても死にはしないから」

 一生懸命なだめるのだが、聞こえていないのか彼女は縮こまったまま動かない。しなやかな手足を小さく畳んで、しかし片手だけはちょこんと出して、エランのシャツの裾をぎゅうっと握り締めている。まるで裾が命綱だというような懸命さだ。

 ───まいった、まさか彼女がこんなに怖がるとは。……どうしよう。

 らしくもない弱気が顔を出す。いつも好奇心旺盛で新しい物が好きな彼女が、こんなに取り乱すまで怖がっている姿を見たことがない。

 困り果てたエランは、先ほどまでのことを思い返していた。


 今日、エランは少し早起きして家を出た。

 宿に住んでいた時のようにルームサービスは使えないので、近くの屋台で食事を購入するつもりでいた。端末といくらかの現金を入れた財布だけ持って、アパートの前の道を歩いていく。

 通りに出ると活気に満ちて、すでにそこには様々な人たちが屋台を覗き込んでいた。

 エランも多くの人達と同じように、すれ違いざまに、あるいは足を止めて、屋台で売っている料理を物色していく。

 スレッタの反応が良かったもの、まだ食べた事がないもの、それらを半々ずつ購入しようと思っていると、視界の端で黒い雲が流れて来るのに気が付いた。

 ここ最近はほとんど宿に籠っていたから忘れていたが、この地域はスコールと呼ばれる雨を伴う強い風が吹くのだった。事前に調べていたのだが、運よく外に出ている時には遭遇しなかったので忘れていたのだ。

 屋台の店員に話を聞くとあの雲の具合なら1時間ほどで雨が降るそうだ。ついでにこの土地に慣れていないなら傘を携帯した方がいいと親切なアドバイスもしてくれた。

 エランはお礼とチップを渡すと、降られる前にとアパートに戻った。料理が濡れてしまっては、せっかくの温かい料理が台無しになってしまう。


「おはようございます、エランさん。お外に出ていたんですか?」

 スレッタが挨拶してくれたので、間に合ったことにホッとしながら返事をする。

「おはよう、スレッタ・マーキュリー。朝食を買って来たんだ」

 言いながら屋台料理をスレッタに見せる。未知の料理に、彼女が嬉しそうな顔になる。

 彼女が嬉しいと自分も嬉しい。自然とエランも笑顔になり、すぐに「食事にしよう」と声をかけた。

 いつもなら元気な返事がきただろう。けれどこの日はエランの呼びかけにスレッタが答えることはなかった。

 ───恐ろしい轟音が鳴り響いたからだ。


 最初はゴロゴロとした低い音がした。エランはすぐに雷だと気付いたが、スレッタは戸惑っているようだった。

「エランさん、これ───きゃッ!」

 スレッタが口を開くと同時に、重い布を引き裂いたような音が落ちて来た。近くに雷が落ちたらしい。

 エランはすぐに身を竦める彼女のそばに寄り、「落ち着いて」と声を掛けた。しかし直後にゴウゴウという風の音と、ザーザーを通り越してジャージャーと蛇口を全開にしたような雨の音が響いてきた。

 更にダメ押しのように2回目の雷が鳴ると、スレッタは耐えきれないように身を縮めて丸まってしまった。彼女を初めて決闘委員会のラウンジに連れて行った時を思い出す。彼女の防御態勢だ。

「スレッタ・マーキュリー、聞いて。これはスコールと言って、熱帯地方特有の強風だ。よく雨や雷を伴って嵐のようにもなるけど、強風だけなら数分で収まることもある。すぐ元通りになるから大丈夫だよ」

「………!!」

 駄目だ。聞こえていない。ガタガタと震えて縮こまっているだけだ。

 エランは近くのソファに置いてある大ぶりのタオルを彼女の体に纏わせると、さすがに心配になって窓から外の様子を伺ってみた。一瞬で通りは水浸しになり、近くの店先にも何人か雨宿りしている人の様子が見える。

 これではすぐに終わらないかもしれない。そう思い振り返ると、スレッタの姿はいつの間にかソファの上に移動していた。

「………」

 まるでソファに一体化するかのように、ぴったりと手足を折り畳んで伏せている。エランがかけた大ぶりのタオルは彼女の体を隠すのに使われ、一部の髪だけが逃げ遅れて外に晒されている状態だった。

 そのまま数十秒、何となくその様子を観察していると、彼女がようやく言葉を発し始めた。

「…エラン、さん?エランさん!…え?ど…どこに行っちゃったんですかッ!エランさーんッ!?」

 どうやら黙っていた為どこかに行ってしまったと思ったらしい。くぐもった声で必死になって呼ぶ声に、エランは慌てて近くに駆け寄った。

「いるよ、近くにいる」

 今度はきちんとエランの声を拾えたらしく、タオルの下でもぞもぞと動いていた頭がピタッと動きを止めた。

「エランさん、よ、よかった。お外に出て行っちゃったかと思いました」

「そんな無謀なことはしないよ。でもちょっと心配だから、今からベランダの様子を見て来ようと思う」

 ベランダには監視カメラが設置してある。スコールの話は知っていたので、風で飛ばされないようにしっかりと留めておいたのだが、この規模の嵐は想定外だ。場合によっては壊れる前に回収しなければいけない。安い物だとはいえ、値段自体はけっこうするのだ。

「!!だ、駄目です~!エランさんが飛ばされちゃいます!!」

 風に攫われる姿を想像したのか、スレッタは頭を上げると必死になって訴えた。そして折り畳んでいた片手を開放し、エランの服の裾をぎゅっと握りしめてきた。

 僕は体重もけっこうあるから飛ばされないよ、と説き伏せようと思ったのだが、エランが言葉を出す前にスレッタが力強く言い切った。

「離れちゃ、駄目です!」

「───」

 その言葉を聞いて、エランは全面降伏することにした。恐らく彼女は深い意味で言ったのではないだろうが、自分の心の奥底に届くような強烈な一撃だった。

「分かった。そばにいる。ずっとそばに「いや~!!鳴ってます!家が鳴ってます!!壊れちゃう!エ゛ラ゛ン゛さ゛ん゛~~!!!」

「………」

 わぁわぁと泣きわめくスレッタに言葉をキャンセルされたエランは、少し物悲しい気持ちになりつつもそばにいることにしたのだった。

「エランさん…っ!このままだと家が壊れちゃいますッ!しし死んじゃいますぅっ!」

「落ち着いて、スレッタ・マーキュリー。壊れないから。例え壊れても死にはしないから」

「外は駄目です!太陽風で死んじゃいますっ!エアリアルはどこですかっ!エアリアル~!!」

「水星じゃないよ。ここは地球だよスレッタ・マーキュリー。あと近くには僕しかいないから我慢して」

「はっえらんさん、ホントに近くにいるんですか!?エランさん…うぅ…」

「いるいる。近くにいるから」

 途中から少し適当になった返事をしつつ、どうしたものかと考える。

 顔を上げてくれれば話が早いが、彼女は頑なに伏せたままだ。ついでに目をつぶっているらしく、こちらをまったく見てくれなかった。

 声掛けをすればその間は大人しくなるが、すぐにエランがそばにいるか不安になるらしく、悲痛な声で確認してくる。

 正直こんな風に求められるのは嬉しくない訳ではないのだが、ずっとしゃべり続けるのも疲れるし、怖がっているスレッタも可哀そうだ。

「………」

 視覚はダメで、聴覚は頼りない。ならばとエランは効果がありそうな触覚に頼る事にした。

「スレッタ・マーキュリー、いやだったら言って。すぐ止めるから」

 最初に予め宣言してから、エランはスレッタの背中に手を添えた。そのまま背中をポンポンと叩いていく。

 スレッタの悲鳴がピタリと止まった。

「きみさえ良ければ、スコールが終わるまでこうしてるよ」

「………」

 スレッタは特に嫌がることなく大人しくしている。どうやら、受け入れてくれたようだ。

 相変わらず外は酷いスコールで、時折雷もゴロゴロと鳴っている。けれど彼女が大人しいだけで何だかとても静かに感じる。

 エランはジッとスレッタの様子を眺めた。ポンポンと背中を叩いていると、ごく僅かにふわふわと髪の毛も揺れていく。先ほど一度だけ顔を上げた時にタオルがずれ、頭の大半が露出しているのでよく目立った。

 彼女の綺麗な赤い髪は、方々に跳ねて遊んでいるようだった。

「………」

 エランはいつの間にか、背中を叩いていた手を彼女の髪に伸ばしていた。あちこちに散った髪の毛を手で掬い、頭の形に添わせるようにゆっくりと撫でおろす。

 頭頂部から後頭部へ、側頭部からこめかみへ、乱れた髪を落ち着かせるように、丁寧に撫でつけていく。

「ん…っ」

 後れ毛を耳にかけた時、彼女の口から小さく声が上がった。同時に服の裾を掴んでいた手もピクリと反応したのに気付いて、エランはハッと目を見開く。

「あ、ごめん」

 エランはとっさに手を引いて謝った。まるで小さい子を相手にするように頭を撫でていた。年頃の女性に、これは失礼だ。

「ごめんね、スレッタ・マーキュリー」

 人によっては嫌われても仕方ない…そんなことをしてしまった。改めて丁寧に謝ると、彼女はいつの間にか顔を上げて、困ったようにこちらを見ていた。

「べ、べつに…そんなに、謝らなくてもだいじょうぶ、です」

「でも…」

 気まずくて離れようとすると、握り締めたままだった裾をツンと引っ張り、彼女は言った。

「ま、まだ、スコールは、終わってませんっ…」

 そう言って、もう一度顔を伏せてしまった。

 いつの間にか雷鳴は遠ざかっている。けれど、確かに雨と風はまだ強いままだ。

「…わかった」

 エランは彼女の赤い耳を見ながら返事をした。

「そばにいるね」


エランが撫でつけて大人しくなった赤髪が、こくん、と微かに頷いた。






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