雪解け

雪解け


※人が死ぬ描写あり〼






みごとアルセウスに打ち勝って、少女は肩で息をしている。


[すべてのポケモンにであう よくなしとげました]

「……アナタが、そう、命じた」

[ええ そう わたしがたのみました しかしなしとげたのはあなた それはしょうさんされるべき ことがらです] 

「……そう」

[あなたのこれまでのたびじと これからのたびじ あゆむせかいを わたしはしゅくふくしましょう]

[コダイノエイユウ…… かれらとおなじように ]

「……いらない」


アルセウスの言葉を途中で遮った。小さく、力なく首を横にふる。


[……ほう ……?]

「これから、なんていらないよ」

[それでは なにを のぞみますか]

「……ワタシは。……ワタシは、さ」


少女が心臓を握りしめる。カチ、カチと歯が音を立てた。


「愛されたかった」

「愛したかった」

「幸せになりたかった」

「普通の『幸せ』がほしかった」

「もっと、ずっと、生きたくなかった」

「生きるのが苦しかった」

「いつも、いつだって、死にたくてたまらなかった……っ」

 

死に際かと思うような声だった。断末魔のように引き攣れた声だった。舞台が神殿から教会の懺悔室に変わったかのよう。

縋る相手は神父ではなく、神そのものであったけれど。


「役目なら果たしたよ」

「辿る道筋はこれでできた」

「ハクの役割は終わりでしょう」

「……もう、いいでしょう?」

 

「───つかれたよ」

「もう、全部、つかれたんだ」

 

弱音がこぼれる。いいや。ずっと隠していた本音が。

生きることは、彼女にとって罰にも等しかった。『普通』であれない少女にとっては拷問よりも苦しかった。あまりの場違いに血を何度も吐いた。死を想って、生きていた。

いつも、死ねない理由があった。死を望むよりも優先されるものだった。一度目は死ぬ瞬間にそれが果たされた。二度目は。

二度目は、死ぬ前に理由がかき消えた。なら、臓腑を痛めつけて、心を殺して、間違っても誰かを傷つけぬよう苦心して生きる必要は、もうない。周囲との感覚の違いに、内臓をひっくり返す必要も、ない。

 

───なら。

───ああ、だったら、いいじゃないか。

───もう、終わったっていいじゃないか。


 企みは阻止して、裂け目は閉じて、図鑑は完成した。

ショウは立派にトレーナーとしてやっているし、ラベン博士だってコントロールは相変わらずだけど初めて会ったときよりずっとコトブキムラに馴染んでいる。セキやカイも目標を見つけた。デンボク団長もシマボシ隊長も、新たに目指すものがある。ギンガ団、コンゴウ団、シンジュ団もゆっくりと融和していっている。雪解けは既に始まっている。

 

───ワタシがいなきゃいけない理由は、もうないんだから。


「願いは、一つ」

「ハクを───殺して」

「ワタシを消して。記憶を消して、記録を消して、最初からいなかったことにして」

「ワタシがいなくとも、最初からいなくとも、それぞれの団が手を取り合って、うまくいったことにして。課題に各々向き合い、克服したことにして」

「ワタシがいた世界、殺した人間。そちらもどうにかして欲しいけど、そこまでは望まない。事象が消えても、罪は消えないから」

 

それくらいはいいでしょう? と少女は笑った。今にも泣き出しそうな笑顔だった。まるで、夕焼けの名残をずうっと見ていて、何時間も経ってようやく真っ暗になったことに気が付いた子どものようだった。置き去りにして取りこぼした少女の欠片が、今だけ息を吹き返したようだった。

胸の中、心の奥底、漆黒の海のはるか深い場所に隠した最初の願い。

温めすぎて腐ってしまった、一番に持っていた呪いじみた祈り。

  

少女の願いに、祈りに、「神」は、アルセウスは、

 

[──────]

 

確かに、首肯した。

見て取った少女が、笑った。泣き笑いではなく、心のそこから嬉しそうに。花のように。月のように。降り注ぐ光のように。───急に翼をもがれた、飛び続けていた燕のように。

死に物狂いでやってきたことを、血を吐きながら、藻掻き足掻き息をし続けていたことを、『やらなくてもいい』と言われたとき。表面の一切を無視して心の深くに沈殿した安堵を拾い集めて形にすると、このような形となるのだろう。

 

少女が空に落ちる。

初めて、少女のようにあどけない笑みを浮かべて。

心のそこから、嬉しくてたまらないと笑って。

 

ちゅうぶらりんに投げ出されたしなやかな肢体が、重力に従って落下した。

 

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